Ø-2 悲しみと決意
どうやら私は、異世界転生というものを果たしてしまったらしい。
「マジかよ……」
誰も居ない保健室で独りごちる。階段から落ちて出来たという頭の傷はそこまで深いものではなかったらしく、今日安静にしていれば大丈夫、とマリーさんが言っていた。そんな訳でベッドでゴロゴロしているのだが、脳味噌はフル回転中だ。
前世の記憶を整理すると、私は日本の普通の中学生だった。勉強だるいとか言って放課後には部活に明け暮れる、普通の中学生。特別なことはなかったが、親も友達も居て幸せな生活を送っていたと思う。
そんなある日、私は帰り道で歩道橋を歩いていた。テストが近く、単語帳を眺めていたのが良くなかった。前から走ってきた男性に気付かなかったのだ。
恐らくひったくりだったその男性にぶつかられ、バランスを崩した私は階段から転げ落ち、呆気なく命を落とした。
正確に言うと死んだかどうかは分からない。ただ、そこで意識が途切れて、目が覚めたら今の状態だったので合っていると思う。
「転生とか転移って、フィクションだから楽しめる訳じゃん? 現実で家族とか友達に何も言えないまま死んで、じゃあ第二の人生スタート! とか無理っしょ」
喜びなんてどこにもなく、後悔しかない。親は優しかったし、友達だっていつも呆れ顔で勉強を教えてくれていた。そんな彼らに感謝すら伝えられずに死んでしまったことが悲しくて、勝手に涙が溢れてくる。
誰も居ないのを良いことに顔を覆ってうう〜と泣き喚いていると、ざり、と頬を舐められた感触がした。
手を退かすと、そこにはあのカラフルなネコ、ベルが座っている。胸に乗られていて若干、いや、結構重い。
「ベ、ベルちゃん……? ちょっと重たいかも、なーんて……」
「フギャーッ!」
「うわあああごめん! レディーに対して重いはないよねごめんごめん! ベル様は重くないです私が非力なだけです!」
重いと聞いた瞬間、ベルは怒り狂って私の顔を引っ掻き始めた。顔を守りつつ必死に謝っていると、なんだか心が軽くなっていることに気が付いた。先ほどまで涙が止まらなかったというのに、私はなんて単純なんだろうか。
でも、こんな単純なのが私なんだろう。前世でも親や友達に「前向きなのは良いとこだよね。考えなしとも言うけど」と言われていた。もうどうにもならないことで悩んでるのは私らしくない。
前世の後悔は、今世で晴らすしかない。私は涙をぐいっと拭き、頬を叩いた。
「私はカノン! これからカノンとして生きていく! 今世は絶対後悔しないように、全部やりきって生きるぞー!」
「ンミャアアアア!」
「ああああごめんまだ怒り継続中だったか!」
かっこよく決意した私の顔にベルの拳が飛んでくる。いや、本当に殴られた訳じゃないけど、それくらいの衝撃だった。
私がベルと格闘、というか一方的にボコボコにされていると、マリーさんが慌てて部屋に駆け込んできた。
「こら、ベルやめなさい!」
「うわっ」
マリーさんが怒ると、ベルの周りに縄が現れ、捕獲された。ベルは暴れていたが、マリーさんの腕の中に入ると途端に大人しくなる。何で私にはあんなに怒るんだ。重いって言ったからか。
「ベルがごめんなさい、アリアスさん。怪我は……って、顔に傷が出来てるわ!」
「え、あぁ、これくらいなら大丈夫ですよ」
やはりベルの攻撃を防ぎきれていなかったのか、頬に傷が出来ている。触った感じだとそんなに深くないし、血も少ししか出ていない。この程度なら放って置けば治るはずだ。
しかし、マリーさんは首を横に振った。
「駄目よ、明日は入学式なのよ? それに、女の子なんだから顔は大事にしないと。傷薬を作ってくるから待っててね」
マリーさんはもう一度謝り、慌てた様子で部屋を出て行った。ベルはというと、縛られているにも関わらず欠伸をしていた。全くふてぶてしい猫である。
「入学式、か」
そうだ、ここは学校なのだ。『カノン』の記憶にある。ここは学校、それも魔法学校だ。
目覚めた時に流れ込んできた『カノン』の記憶。直視したら自分が死んだことを突き付けられるようで無意識に頭の片隅に追いやっていたが、カノンとして生きていく以上そのままでは居られないだろう。
名前はカノン・アリアス。赤色の髪に金色の瞳で、この世界の美醜基準は分からないが綺麗な顔立ちだとは思う。
カノンはスティリア魔法学校の新入生で、寮へと続く階段を歩いていた時に足を滑らせ、階段から落ちたらしい。こんなところで私と一致。嬉しくない。
そこで意識を失い、というところで記憶は終わっている。恐らく、階段から落ちた時にカノンは命を落としてしまったのだろう。
「この世界、魔法あるんだ。というか、人間以外も居るっぽい?」
カノンの故郷は人間しか居ないのでよく分からないが、人間族の他にも妖精族や獣人族などが居るようだ。
スティリア魔法学校は国内でも有数の魔法学校で、種族関係なく学習意欲のある者は受け入れているのが特徴らしい。
遠方から遥々やって来て体調を崩す生徒も多いため、入学式の何日か前から生徒の受け入れを始めているそうだ。実際に頭痛や吐き気を訴えて保健室に来る生徒は居るが、階段から落ちた生徒は初めてだとマリーさんが言っていた。
「魔法なんて使える気しないけど、退学する訳にもいかないしなぁ……とりあえず、『カノン』のためにも落ちこぼれにはならないようにしないと」
前世でも勉強は大の苦手だった。成績上位は難しいが、平均に近い成績を修められるように頑張らなければならない。
意気込んでいると、マリーさんが薬を持って帰って来た。その傷薬が尋常じゃなく滲みて、半泣きになったのは秘密である。