強者
「でやぁっ!!」
ガァン!ガァン!!
「――ぐっ!?」
オレンジの拳が小気味良く紫の仮面を叩くと、冬の朝の水たまりに張った薄氷の如く、簡単に無数の亀裂が入った。
「ハアッ!!」
ゴォン!!
「――ッ!?」
さらにオレンジの獣はくるりと反転したかと思うと、強烈な後ろ回し蹴りを放った。
これまた見事に紫の骸装機の腹にヒットすると、雪のように砕けた装甲が舞い散らせながら、まるで格闘技の試合を見に来た観客のように大人しく二人を囲んでいる緑色の武雷魚の群れへと吹っ飛んでいった。
「はぁ……はぁ……手応えはバッチリ……なんだがな……!」
オレンジ色の撃猫が敵が飛んで行った先を見つめていると、紫色の睚眥は何事もなかったように無傷の状態で緑の魚の群れをかき分け、再び姿を現した。
この流れを出会ってから何度も二人は繰り返している。
「鋭く強い打撃……これぞ拳聖の拳って感じだな」
「はっ!言いたくねぇが、ジジイの拳だったら、一発でお前なんかKOしてるぜ……!」
「そう思いたい気持ちはわかるが、誰であろうと、この睚眥の再生能力を攻略することなどできんよ。それが例え、あの猛華に勇名を轟かす拳聖玄羽だとしてもな」
「そんな舐めたセリフ……ジジイと戦ったことがないから、吐けるんだよ!」
撃猫は地面を蹴り上げると、一瞬で間合いを詰め、睚眥の懐に!
「でえいっ!!」
ガァン!!
「――がっ!?」
アッパーカット炸裂!睚眥の頭が跳ね上がり、また仮面に稲妻のようなひびが入る!
(やはりこれは……!)
さすがに何度も同じことを繰り返したからか、セイも違和感に気付き始めた。そして、それを確信に変えるためにさらに拳を撃ち込む!!
「ハアァァァッ!!」
ガンガンガンガンガンガンガァン!!
「ぐわあぁぁぁぁぁぁっ!?」
拳の立て続けに叩き込むと、これまた装甲が派手に砕け、またまた武雷魚の群れに睚眥は飛んで行く。そして……。
「……もしかして師匠を馬鹿にされて怒ったのか?ドライな奴だと思っていたが、中々熱いじゃないか」
再び睚眥か現れた時には、すっかり元通り。先ほどの叫び声が嘘のように、涼しい声で煽るようにセイに語りかける。
いや、嘘のようにではなく、嘘なのだ。
「そろそろ白々しい演技はやめたらどうだ?」
「ん?演技?何のことかな?」
「とぼけるな。外の睚眥はともかく、中身のお前、蓮震とやらにはダメージがいってないんだろ?」
「ほう……」
蓮震は感心したように声を上げると、睚眥のマスクの顎の部分を撫でた。
「どうして、そう思うんだ?」
「派手に壊れ過ぎなんだよ、お前のマシン。昨日の狴犴よりも、パワーもスピードも劣るこの撃猫の攻撃でもほぼダメージの入り方が変わっていない」
「それはお前の撃猫がお前の予想よりいいマシンだってことなんじゃないか?」
「違うな。オレは技術者じゃないし、骸装機のことなどからっきしだったが、さすがにあれだけ自称天才様と一緒にいれば、多少は詳しくなる。あれはお前の睚眥が敢えて壊れることで、逆にダメージを減少させているんだ。りあくてぃぶあーまーとかなんかそんな感じの奴なんだろ、それ」
紫色に血管のように赤色が走った毒々しく、凶悪な睚眥のマスクの下で、蓮震がニヤリと笑った。
「正解だ。俺も骸装機の構造などよくはわからんが、お前の言葉通り、睚眥は自ら壊れることで内部の人間を守るようにできている。今までの攻撃で俺は痛みなど一切感じていない。なんと言うか……ちょっと押されたぐらいの感覚だな」
「やはり……」
予想は見事に的中したが、気分は決していいとは言えなかった。むしろとんだ見当違いであってくれた方が良かったというのが、セイの正直な心情である。彼は能力を理解した上で、まだ攻略の糸口を掴めていないのだから……。
「鋭い観察眼だ……しかし、拳聖の愛弟子よ。この能力に気付いた奴は以前にもいたんだ。けれど、俺はこうしてお前の前にいる……この意味がわかるか?」
「タネがバレたところで問題ないということか……」
「その通りだ!!」
セイの心を見透かしたように、攻勢に転じる睚眥!今までのお返しと突撃!勢いそのままに拳を放つ!
「オラァ!!」
しかし、拳は空を切る!撃猫が文字通り紙一重で回避!それだけには飽き足らず……。
「ハアァッ!!」
ガァン!!
カウンター一閃!睚眥のマスクに何度目かわからない亀裂が入る。
「それが……どうした!!」
ゴォン!!
「――がはっ!?」
それをものともせず、睚眥はカウンターにカウンター!膝を撃猫の腹に深々と突き刺す!思わず直角に折れ曲がるオレンジの獣……その背中に!
「ウラァッ!!」
肘を撃ち下ろす!
ガァン!!
「――ぐあっ!?」
背中に強い衝撃を受け、逆に撃猫に亀裂が走り、そのまま地面に叩きつけられた!
「おいおい……その程度か!拳聖の愛弟子?」
這いつくばるオレンジの獣の上に、紫色の凶獣は足を上げる。そして……。
「がっかりだな!!」
ガンガンガンガンガンガン!!
「ぐうぅ……!?」
容赦なく踏みつける!撃猫は咄嗟に反転し、身体を丸めガードするが、そんなの関係ねぇと言わんばかりに睚眥の足は絶え間なく降り注ぎ、オレンジの装甲を砕いていく。
「お前とは良き闘争ができると思ったのだがな」
「戦いに……いいも悪いもないだろうが……!!」
「何を言っているんだ?むしろ戦いとはどんなものより素晴らしい……生物にとって必要不可欠なものだ」
「何……!?」
「生物は争いの中で進化してきた!それを否定するなど、自らの存在を否定するのも同じ!人類はさらに高みを目指すため、戦い続けなければならない!だからこそ、俺はいつも戦乱の中心にいる王瞑皇帝に仕えているのだ!!」
ガギィン!!
「ぬっ!?」
紫色の足が白い手のひらに受け止められた……そう!白い手に!
「狴犴!!?」
「下らない持論をグダグダと……ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!」
ブゥン!!
「――うっ!?」
切り札である狴犴を装着したセイは文句とともに今まで自分を踏みつけていた睚眥を力任せにぶん投げた。
紫の凶獣は逆に地面に突っ伏すことになった。そこに……。
「うおりゃあ!!」
「くっ!?」
狴犴が飛びかかる!睚眥はこれまた先ほどまでのセイのように反転、仰向けになって両腕で防御を固める。けれど……。
「戦争なんかしてたら、のんきに宝探しできねぇだろ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
狴犴はお構い無しにマウントポジションでパンチを撃ち下ろす!睚眥の装甲がまたまた砕け、白い神獣の周りを舞う。それでも獣の拳が止まることはなかった。
(肝心の再生能力の秘密はまだわからないが、これ以上はオレの体力と集中力がもたん……!こうなったら狴犴のフルパワーで、睚眥の特殊装甲を破壊し尽くし、そのまま中身を撲殺……)
ザクッ……
「――!?」
腹部に違和感を覚えた。そこに視線を落とすと、睚眥が真っ赤な爪を伸ばし、白い狴犴の装甲に突き刺していた。だが……。
「それがどうした!たかたがオレの皮膚の一番上を突き破った程度で、この拳が止まると思ってか!!」
逆にガードに隙ができたと、狴犴は右拳を最大まで振り上げた!この戦いに幕を下ろすために!
「喰ら――」
ガクン!!
「――えっ!?」
突然、全身から力が抜け、撃ち下ろすのではなく、ヘロヘロと情けなく、腕を下げてしまう狴犴。
一方、睚眥は……。
「止まらないんじゃなかったのか?」
「なっ!!」
睚眥は白い煙を上げながら、みるみると装甲を修復させていた。その光景を見て、そして自らの状態を鑑みて、セイは漸く全てを察した。
「そういう……ことか……!!」
「そういうことだ!!」
ガァン!!
「ぐっ!?」
「ふぅ……もうちょっと必要か」
勢いを失った狴犴を弾き飛ばすと、睚眥は立ち上がり、すたすたと武雷魚の群れへ。
「お前だ」
「うーうー」
薬物で意識が混濁している中から、適当に一人を引き寄せると……。
ザシュッ!!
「――うっ!?」
先ほど狴犴にしたように、真っ赤な爪を緑色の装甲に突き刺した。
「うまいか、睚眥?遠慮することない、存分に吸い尽くせ」
すると、睚眥の装甲はさらに修復の速度を上げ、あっという間に元通りになってしまった。
「これで修復完了……っと」
睚眥は爪を抜くと、雑に武雷魚を投げ捨て、視線を再び狴犴の下に。
白い神獣は立つのもやっとといった様子で、身体を小刻みに震わせていた。
「それが……再生能力の秘密か……!」
「ここまできたら隠す必要はないな。お察しの通り、睚眥はこの爪から他人の生命力を吸収し、ダメージを回復できるんだよ」
そう言うと、睚眥は爪を引っ込めた。
「敵の力を奪うと同時に、自分を回復させ、戦い続ける……開発者の懐麓道ってのは、よっぽど性格が悪かったんだな」
「お前ほどじゃないだろ……!きっと味方を補給がわりに殺すなんて、想定していなかったはずだぜ……!!」
「どうだかな。ただ一つ言えるのは、これが睚眥の使い方としてはベストだ。いや、むしろ自然と言った方が正しいか……弱者が強者の糧になるのはな!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「――ッ!?」
乱打!乱打!乱打!睚眥の拳が唸りを上げて、狴犴に襲いかかる!
「せめてもの情けだ!拳聖の弟子らしく、生命力吸収などではなく、この拳で息の根を止めてやろう!だから、大人しくサンドバックになりな!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「ッ……!?」
白い装甲がボロボロと剥がれ落ちる……。最早立つことすらままならない狴犴。今にも膝から崩れ落ちそうだ。
(ここまでか……再生能力のタネを暴くまで、耐えられなかったオレの我慢弱さが敗因だな……こんなことで、愛羅津さんから受け継いだ狴犴と……ジジイの聖王覇獣拳の名を貶めることになるとは……申し訳ない……!!)
肉体以上に心が痛かった。
尊敬する二人の師匠から教えられたことを生かせなかったことが、堪らなく悔しかった……。
(だか……せめて……せめてあと一発ぐらい……!)
それはただの意地、勝機など一分も感じていない、力も込もっていない弱々しい拳をスッと伸ばした。
ポスン……
パンチというより、ちょっと触っただけ、狴犴の拳はただ軽く睚眥の顎を撫でた。壊れ易さが特徴の凶獣の装甲だというのに、ひびの一つも入りやしない。
「ん?これが拳聖譲りのナックルか?避けるまでもないな」
言葉通り、蓮震は避けられたのに、敢えて避けなかった。よりセイという人間を苦しめたいため、彼のプライドをぐちゃぐちゃに踏みにじるために。
「もうこれ以上は見るに堪えん……こいつで、終わりだ!!」
睚眥は、先ほどの自分にとどめを刺そうとした狴犴のように大きく拳を振りかぶった!その時!
ガクン!!
「「えっ!?」」
両者の視界からお互いの顔が消えた。思わず二人仲良く間抜けな声を上げてしまう。そして、どこに行ったかとこれまた仲良く首を動かすと、答えはすぐそこにあった。
「何で………」
「何で!お前が俺を見下ろしているんだ!!?」
睚眥が膝から崩れ落ちていたのだ。圧倒的不利だった、グロッキーだった狴犴ではなく、優位なはずの睚眥がへたり込んでしまったのである。
「どういうことだ……!何で俺の方が……ぐっ!?」
睚眥は足を震わせながら、再び立ち上がった。
その光景をセイは信じられないものを見るように、じっと見つめていた。
(どういうことだと訊きたいのは、こちらの方だ。なぜ突然、奴は崩れ落ちたんだ?オレは何もしてないはず……あのへなちょこパンチ以外、何も……だとしたら、あのパンチが効いたのか?顎に入ったパンチは脳を揺らす可能性があるから、手応え以上の効果を発揮することもあるが、奴の睚眥は全ての衝撃を吸収し、内部には……あっ!)
セイの頭に鮮明に甦った……拳聖玄羽と初めて会ったあの日のことが。
「そういうことか……!」
星譚は理解した……遂に自分は“あれ”を会得したことを。
全てを把握し、この先に起こることさえも理解した狴犴は力強く拳を握り、構え直した。今度こそ決着をつけるために。
「はっ!急にやる気を出しやがって……ちょっと俺がフラついているだけで勘違いしちまったか!?お前の攻撃は俺には効かないんだよ!!」
「いいや、“お前”には効く。最早勝敗は決した。降参するなら見逃してやってもいいぞ?」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ!!」
怒りに任せて、睚眥は拳を繰り出した……が。
「馬鹿が」
狴犴はあっさりと回避し、懐へ。そして……。
「骸装通し」
ボォン!!
「……がはっ!!?」
放たれたボディーブローの衝撃は睚眥の装甲を通り抜け、中身の蓮震の腹に伝わった!
久方ぶりに感じる痛みに悶絶し、腹を抑えてよろよろと後退する。
「やはりジジイだったら、お前なんか一発で倒していただろうな、この“骸装通し”で」
「が、骸装通し……!?」
「骸装機を通り越して、装着者にダメージを与える技だ。これなら睚眥の能力など関係ない」
「なん……だと……!?」
蓮震は確認のため、自分の腹部に視線を落とした。すると、睚眥の装甲にはひび一つ、傷一つついていなかった。
「そ、そんな……!?こんな技を隠し持っていたのか……!?」
「だったら、もっと早くやっている。今、たまたまできるようになった。お前のおかげでな」
「俺の……!?」
「あぁ、ジジイが最後に言っていたあの言葉……」
「セイ、お前は力が入り過ぎだ。肩の力を抜いて、リラックスして取りかかった方が良い結果が出ることもあるぞ」
「……あれは骸装通しのコツのことを言っていたんだな」
「では、俺が睚眥の力でお前の生命力を吸収したから……」
「そうだ。お前のおかげでいい感じに力が抜けて、拳聖の絶技を土壇場で会得できた。ありがとよ」
「ぐ、ぐうぅ……!!」
蓮震は睚眥のマスクの下で怒りで顔を醜く歪ませた。そしてそれと比例するように後ろ暗い感情が彼の心を支配していく……。
「というわけで、外の睚眥にはオレの攻撃は効かないが、骸装通しならば中身のお前には効く。もう一度言う、降参しろ。これ以上苦しい思いをしたくないならばな」
「そうだな……引き際を見極めるのも大事だよな……ここはお言葉に甘えて……なんて言うと思ったか!!」
睚眥は降参すると見せかけて、エネルギー吸収のための真っ赤な爪を伸ばし、狴犴に襲い……。
「やはりな」
バギィン!!
「へっ?」
爪はあっさりと狴犴の手刀で切り落とされ、さらに……。
「骸装通し」
ボォン!!
「…………ぐはっ!?」
向かってくる睚眥をひらりとかわしつつ、すれ違い様に膝蹴り版の骸装通しをもう一度お見舞いする。
蓮震の身体から一気に酸素が強制的に吐き出させられ、地獄の苦しみを味わう。
「な、何で……!?」
「生憎、オレは今の今まで殺し合いをしてた相手の言葉を簡単に鵜呑みほどお人好しじゃない」
「ぐっ!?」
「そして、お前がこの状況を逆転できるとしたら、その爪をオレに突き立て、生命力を吸い尽くすこと。だか、やることさえわかっていれば、対処は容易い。自慢じゃないが、オレはディフェンスには定評があるんだよ」
「ぐうぅ……!?」
「さらに言わせてもらえば、闘争は生命を進化させるだのなんだの御託を並べていたが、お前自身はただ弱い者苛めが好きなだけだろう?言動が戦士のそれじゃないんだよ」
「う……」
「ん?何か言ったか?」
「うるさいんだよ!!」
蓮震はぶちキレた!プライドをズタズタに切り刻まれた挙げ句、図星を突かれたからだ!不格好に感情のまま殴りかかる!……が。
「ハアッ!!」
ボォン!!
「――がはっ!?」
再び骸装通しが炸裂!蓮震本体に凄まじい衝撃が走る!
「お前が言っていた言葉は、自分を正当化する屁理屈に過ぎないが、一つだけ正しいかもと思える言葉がある」
「な……な……!?」
「弱者は強者の糧……お前という弱者を糧にオレは骸装通しを会得し、一歩、強者に近づけた」
「おま……!?」
「感謝を込めて……骸装通しのフルコースだ!!」
ボボボボボボボボボボボボボォン!!!
「――!!?」
右拳で骸装通し!左拳で骸装通し!右キックで骸装通し!左キックでも骸装通し!右肘、左肘で立て続けに骸装通し!さらに右膝、左膝でも骸装通し!おまけで左拳で骸装通し!
ありとあらゆる角度から叩き込まれ、睚眥の中で蓮震の骨や内臓が次々と砕かれていく!
「これで!」
最後の一撃と、狴犴はまたまた右拳を振り上げた。しかし、今回もその拳が睚眥に炸裂することはなかった……その必要がなかったからである。
傷一つない睚眥の紫の装甲の隙間からドロリと赤い液体が垂れ、立ったまま動かなくなったのだ。
「……血塗れの蓮震、最後は自らの血で染まるか」
セイの言葉を聞き終えると同時に、蓮震は呂九平原に倒れ、その生涯を終えた。




