再起の夜
クアフゾンが復活した夜、灑の野営地は重い沈黙に包まれていた。
命からがらで逃げ延び、声を出す元気もない者、仲間の安否や、この後灑の国は、猛華はどうなるのかを訊きたいが、怖くて口に出せない者、もはや考えることすら放棄した者……。誰一人として言葉を発しようとしなかった。
灑の国の銀色の剣と呼ばれるシュガも例外ではない。常人よりも大きな口を真一文字につぐみ、漆黒の夜空を見上げていた。
そんな彼の下にこれまた足取り重く、兄弟弟子二人がやって来る。
「シュガ」
「……丞旦……と、諸葛楽か」
振り返り、お互いに疲れ切った顔を見合わせる。きっともっと疲れるようなことを話しに来たんだろうと、覚悟して……。
「その様子だと、良い報せではなさそうだな……」
「残念ながら、その通り……バッドニュースだ」
「キトロンくんに頼んで、紅蓮の巨獣の様子を見に行ってもらいました。彼は感覚が鋭いので……」
「それで?」
「やはりクアフゾンは死んだわけではなく、気を失っているだけだと……」
「……そうか。予想していたこととはいえ、こうして言語化されるとショックだな……」
「追い討ちをかけるようで悪いけど、さっきラクと計算したところ、奴が寝ていてくれるのは丸一日……凡そ二十四時間で目を覚ますという結論が出た……」
「……短いな」
「まぁ、あのまま暴れ回っていたら、こうしてボク達がおしゃべりしていることもなかっただろうから、たった二十四時間でも猶予ができたことを喜ぶべきだよ」
「ええ……全ては玄羽様のおかげです」
「キトロンは、玄羽様を見つけられなかった……よな」
「……はい」
重苦しい空気が三人にのし掛かる。正直、伝説の怪物の出現よりも、伝説の拳聖の喪失の方が彼らにとっては深刻だった。特にシュガにとっては……。
(俺が好き勝手暴れられたのも、灑軍がこれまで勝ち続けられたのも、全て玄羽様のおかげだった。あの人がいなかったら、詰んでいた場面が多すぎる……!彼を失って、これからどうすればいいのかわからない……あの人が命を懸けても、足止めしかできなかった怪物を俺がどうにかできるのか?いや、できるできないじゃない……やらなくては!灑の国のため、姫炎皇帝のため、この命に換えても……!)
「えいっ!」
ゴスッ!
「――ぐっ!?」
「――ッ!?い……たあっ!?」
「に、兄さん!?」
突如としてジョーダンがシュガに腹パンをぶちかました。しかし、不意を突かれ、シュガは動揺こそしたが、その強靭な肉体にダメージはない。むしろ殴ったジョーダンの方が拳を痛め、舌を出して、痛みを追い出すように手をブンブンと振っている。
「……何をする、丞旦……!!」
どこかいつもの覇気が感じられなかったシュガの目に鍛え抜かれた剣のような鋭さが戻った。その眼光が向けられるのは、味方なのだが……。
「そう怖い顔をするなよ……ボクがこんならしくない野蛮な真似をすることになったのも、全てはキミが悪いんだぜ」
「俺のせいだと……!?」
「キミ、どうせ命に換えても紅蓮の巨獣を倒してやる!……とか、思っていたんだろ?」
「うっ!?」
心の中を見透かされ、一転シュガは狼狽えた。その様子を見て、ジョーダンは心底呆れる。
「やっぱり……阿保みたいな勘違いをしていたみたいだね……」
「阿保みたいな……勘違い!?俺は灑の国のために!!」
「だから!灑のことを想うなら、あんたは生きなきゃ駄目だろうが!!」
「うっ!?」
さらに狼狽する銀狼。自分より一回り小さく武装もしていないおさげメガネなんかに完全に気圧される。逆にジョーダンはさらに勢いを増していく。
「いいかい!改めてこんなこと言いたくないけど、玄羽さんはもういないんだ!だったら、この灑軍をまとめるのは!支えになるのは!キミしかいないんだよ!」
「それは……そうかもしれないが……」
「かもしれないじゃなくて、そうなの!仮にキミがクアフゾンと相討ちになったとして、その後どうなると思う?きっと前皇帝、姫山の下で好き勝手やっていた奴が活気を取り戻す……また内乱が起きる可能性だって、十分あるんだよ!」
「そんなことさせてたまるか!!」
「だから!あんたが生きて、姫炎には自分がついているってことを見せつけなきゃいけないんだよ!キミが抑止力になるんだ!キミがするべきなのは、命を懸ける覚悟じゃなくて、生きて灑に帰る覚悟だよ!!」
「!!!」
シュガの周りにまとわりついていた不穏な邪気が、爽やかな風に吹き飛ばされたようだった。銀狼の目に優しくも熱い、灼熱の太陽のような光が戻ってくる。
「丞旦……お前の言う通りだ……!俺は生きて、灑を支え続けなければならない……!それが玄羽様に背中で教えてもらったこと!そして亡き友、岳布への弔い!姫炎様への恩返しだ!!」
「まったく……世話が焼けるんだから……」
「本当にな。こんな簡単なことに気付かないとは……俺もまだまだだな」
「まっ、気負い過ぎるなよ。去っていく者もいれば、来る者もいるんだから」
ジョーダンは親指で後ろを差した。その先にはこちらに歩いて来る若者の姿が……。
「君は……」
「自分は林江、慄夏で拳聖玄羽に教えを受けていた者です」
林江はシュガの前で立ち止まると自らの手のひらに拳をパンッと打ち付けて、頭を下げた。
「君が……話は聞いている。でも、なぜここに?」
「虫の報せとしか言いようがないですね……何か嫌な予感がして、気づいたらマウを走らせていました」
「……玄羽様のことは……」
「師匠が望んだことなら、弟子である自分がとやかく言うことはないです。ただ……満足してくれていたら、いいな……と」
口ではそう言っているが、まだ受け入れられてないことはその不恰好な笑顔を見ればわかった。
「……ならば、俺からも何も……ただ立派なお方だったとしか、言うことはない」
「シュガ殿にそう言われて、師匠も喜んでいるといます」
「あの人なら、照れくさいから、やめてくれじゃないの?」
「口ではそう言うでしょうけど、内心は嬉しくて仕方ないはずです。そういうシャイであまのじゃくなところがある人でしたから」
「確かにね……」
穏やかで優しい時間が四人の間に流れる。いつまでもこうしていたいと、皆が皆思ったが、悲しいかなそんな時間はない。
「……もっと玄羽様の話に花を咲かせたいところだが……林江」
「はい!」
「君も戦列に加わってくれるということでいいのかな?」
「はい!そのつもりです。まだまだ未熟な身ですが、灑の……いや、猛華の危機を黙って見ていることはできません。どうか自分にも……!」
「それはいいが骸装機は……?」
「持っていません!申し訳ないですが、余っている鉄烏など融通してもらえるとありがたいです」
シュガはちらりとジョーダンに目配せした。
「予備の鉄烏は残っているよ。それに鹵獲した武雷魚や水晶孔雀も何体か。今も頑張っているペペリたちには悪いけど、頼めば一晩で慇軍と区別付く程度の色変えはできると思う」
「それなら水晶孔雀を……」
「わかっ……」
「熱ッ!!?」
「「「!!?」」」
突如としてラクが声を上げ、あたふたし始めた。
「どうした?シリアスな雰囲気な時に……空気読めてないぞ」
「す、すいません!だけど、熱ッ!これが急に……熱い!?」
ラクはその場でじたばたしながら、服の中に腕を突っ込むと、札のようなものを指で摘まんで取り出した。
「こ、これが!狻猊が急に熱を!!」
「狻猊……ラクが倒した四魔人の一人から回収した骸装機か?」
「はい!懐麓道の傑作の一つです!でも、何で!?」
「何でも何も……そういうことでしょ」
「「あっ!」」
「え?」
ジョーダンが林江を見つめると、ラクとシュガも全てを察し、彼に視線を向けた。
注目を一身に受けた当の林江だけが事態を把握していない。
「じ、自分が何か……?」
「優れた道具は使い手を選ぶ……狴犴がセイを選んだように、無影覇光弓がカンシチを選んだように……狻猊はキミを選んだんだよ、林江」
「自分を……」
「林江くん、手を」
「は、はい!」
林江は言われるがまま、ラクの前に手を差し出す。
「この狻猊の前の持ち主、花則は口は悪かったけど、内心は忠義に厚い、実直な人間だったと思う。だから、同じように真っ直ぐな君を……」
林江の手にそっと待機状態の狻猊が置かれる。すると、熱が収まっていった。
「熱くない?」
「はい……むしろ暖かくて、心地いいです。でも、この中に炎が燃え滾っているのもわかる……!」
林江は狻猊を、大事なものを守るようにギュッと握り締めた。
「これで弟弟子とお揃いだね」
「はい……セイさんと一緒に聖王覇獣拳を受け継いでいきます……!」
「頼もしいね……シュガ!」
「あぁ!」
力強く返事をするシュガ。先ほどまでの覇気のなさが嘘のように、銀色の身体には精気がみなぎり、心には勇気が湧き上がっていた。
「作戦については聞いているな、林江?」
「はい。明朝早くに出立、目を覚ます前に蛇炎砲改め、旱魃砲で紅蓮の巨獣を仕留める……でしたよね?」
「そうだ。半年前にお前が書き残してくれたメモが役に立ったな、諸葛楽」
「それを言うなら、ぼくなんかのメモに従って、ちゃんと蛇炎砲をあるべき姿に……旱魃砲に戻してくれたコシン族の皆さんのおかげです」
「元々、あれは紅蓮の巨獣を倒すために開発されたものだったな?」
「ええ、もしも煌武帝の時代のクアフゾンのように、猛華に災厄を撒き散らす巨大起源獣が現れた時、それを討伐するために……まさかその本物の紅蓮の巨獣に使うことにはなるとは思いませんでしたけど」
自分で言っていて、なんたる皮肉な運命かと、ラクは苦笑いを浮かべてしまう。
「なんにせよ、旱魃砲が猛華の最後の希望だ。信じてるぞ、お前の光輝く才に」
「その言葉に応えられるように、全力を尽くします!」
苦笑いから一変、真剣な顔つきになったラクはドンと自らの胸を叩いた。
「セイもカンシチも文功も姫風も蘭景も虞籍もいる!きっとこの面子ならやれるさ!お前達の力と気高さは煌武帝の十人の忠臣に勝るとも劣らない!」
「おれっちやペペリもな!」
どこからともなくキトロンが飛んで来て、シュガの目の前で胸を張った。
「そうだな……みんないる!俺達なら紅蓮の巨獣だって討ち取れるはずだ!」
「おれっちがいるんだから、当然!!」
「ええ!!」
「はい!!」
士気が上がる皆の姿を見て、ジョーダンは胸を撫で下ろすと、先ほどのシュガのように漆黒の夜空をゆっくりと見上げた。
「きっと大丈夫さ……今までもなんとかなってきたんだから。今回もきっと……なるようになる……!」
そう自分に言い聞かせるように呟くと、言葉は夜の闇に飲み込まれていった……。




