慇と是
『玖螺主平原 (くらすへいげん)』…… 慇と是の国境にあるこの平原では歴史上何度も血で血を洗う凄惨で壮絶な戦いが両国によって行われていた。そして、現在、再び慇と是の存亡をかけた激闘が始まろうとしている……。
マウに乗った緑色の武雷魚を中心とした慇軍。その一番奥で、一番大きなマウに乗り、青銅色の仮面を着けている男こそが慇皇帝、王瞑である。
「黄括、ケチャが敗北した。これでワタシまで負けたら、いよいよ慇は終わりだな」
誰に言ったわけでもない自然と口から出てしまった独り言だった。けれど、その言葉が聞こえてしまった周りの兵は気が気でない。
「陛下」
「ん?」
「そういうことは口にすべきではないかと。兵の士気に関わります」
四魔人が一人、雷鳴のスパーノが主の軽率な行動を諌めた。王瞑はそれに苛立つどころか喜びを覚え、笑顔を浮かべる。
「そうだな。スパーノ、お前の言う通りだ。思ったことが自然に口に出てしまったが、それは皇帝としては失格だな。もっと熟慮して、民のためになる言葉以外発しないように心がけよう。済まなかったな」
「いえ、自分こそ出過ぎた真似を。申し訳ありません」
スパーノは深々と頭を下げた。するとその横から笑いを堪えるような声が聞こえてきた。
「……何がおかしい、花則?」
「いやいや、相変わらず真面目だなって。確かに陛下の言葉は兵のテンションだだ下がりの空気の読めてないものだったけどさ。別にそんなのどうでもよくね?」
「よくはない。これ以上敗戦を重ねるわけには……」
「だ~か~ら~、黄括ちゃんとくそケチャの一発芸コンビがやられたぐらいで気にするなよって、あーしは言ってるわけさ」
「何……?」
「あんな余所者と力に溺れたガキが死んだところで慇が揺らぐことはない。あーし達と陛下がいれば問題ないだろうに……下らないことでナイーブになってんじゃねぇよ……!!」
「貴様……!!」
空気が一気に張り詰める。四魔人同士が敵意を剥き出しにして、睨み合うと周りにいた兵士達は冷や汗を噴き出し、マウは小刻みに震えた。まさに一触即発、是と戦う前にこの二人の仲間割れの余波で慇の国が滅びてしまうのではないかとさえ感じられた。
「よさないか!二人とも!!」
「「王全様!!」」
二人の間にマウをねじ込まれる。次期皇帝、王全の決死のカットインである。
「お前たち気が昂っているのは、わかるがぶつける相手が違うだろ!」
「それは……その通りです……」
「先の敗戦で亡くなった戦友のことに思いを馳せるのはわかる……わかるが、それを気にし過ぎて、冷静さを失ってしまっては元も子もないだろ!」
「……はい」
「言われてやんの!」
「花則!お前はお前で気にしな過ぎだ!自信があるのは結構だが、どうせ煽るならそれこそ兵たちのテンションが上がるようなことを言ってくれよ!!」
「へ~い」
若君に叱られ、スパーノは下を向き、花則はふてくされたようにそっぽを向いた。そして一連の出来事の発端である父親はのんきに笑っている。
「さすがだな、ゼン。四魔人二人をやり込めるなんて、ワタシにも無理だ。お前の器はすでにワタシを超えている」
「そんなこと言って……とっとと隠居して、歴史と起源獣の研究に没頭したいだけでしょう、あなたは?」
呆れた息子の物言いに、王瞑はさらにニヤリと口角を上げた。
「あぁ、それはいいな……是と灑を滅ぼしたら、そうすることにしよう……!!」
時を同じくして、是の国でも皇帝親子が問答を行っていた。
「ようやく暴れられるな、ゴク」
「はい。灑の国内乱の折は国内の貴族どもがあーだこーだと文句を言って、軍を出せませんでしたからね」
「あぁ……あいつら口だけは達者だからのう……忌々しい!」
思い出しただけでも腹立たしいのか、統満は苦虫を噛み潰したような顔で「ちっ!」と舌打ちをした。
「ですが、そのおかげで万全の準備でこうして慇に進軍することができました」
「まぁな。思いもよらぬ助っ人を得ることもできたし、結果オーライという奴かの」
息子の言葉であっさり機嫌を直した統満はニヤニヤと笑みを浮かべながら、顎に蓄えた立派な髭を撫でた。
「それでは一気に慇を攻め滅ぼそうとするか……『統極 (とうごく)』!!」
「はっ!!」
父に命じられると統極は肺に息を溜め込み……。
「勇敢なる是の兵士達よ!!!全軍突撃!!!」
玖螺主平原全域に響き渡る大きな声で、開戦を宣言した!
「「「おおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
叫び声を上げながら、鉤爪を付けたカーキ色の撃猫の軍団が慇の軍に襲いかかる!自分達の進軍で巻き起こした土煙と合わさって、それは慇から見たら、まるで巨大な雪崩のようだった。
「せっかちな奴だ。そういう輩には……ゼン!」
「武雷魚!水晶孔雀!共に遠距離攻撃準備!!」
「「「はっ!!!」」」
迎え撃つ慇は最前線の軍に弩を構えさせ、水晶孔雀のクリスタルは緑色に変化する。そして……。
「てえぇぇぇぇっ!!」
バシュ!バシュ!
一斉に弩を発射する!相手が雪崩なら、こちらは矢の雨だと言わんばかりに、撃猫達に光が降り注ぐ。
「ぐあっ!?」「くっ!?」「うわ!?」
矢は見事に撃猫達を貫き、あっさり雪崩の勢いを止めてしまった。
「ちいっ!?鬱陶しい!!」
それでも中には矢の雨をくぐり抜ける撃猫もいた……いたが。
ビビビビビビビビッ!!
「これは!?おれを追ってくるのか!?」
カーキ色の撃猫を緑色の光の線がどこまでもストーキングしてくる。そして……。
ビビビビビビビビッ!!
「ぐわあぁぁぁぁぁっ!?」
遂には追い付き、カーキの装甲に無数の穴を開ける!
こうしてあっという間に是の第一陣は沈黙させられてしまった。
「ふむ……対人の実戦は初めて見るが、やはり水晶孔雀はいいマシンだな」
王瞑は今まさに大きな戦果を上げたマシンの開発者である青銅の仮面に話しかける。
「ふん!当然じゃ!ワシが灑にいる頃から設計していた秘蔵っ子じゃぞ!あんな第四世代に毛が生えたような低俗な骸装機など相手にならんわ!!」
しゃがれた不愉快な声は明らかに普段より高揚していた。彼自身、水晶孔雀の実戦での活躍を見るのも初めてなので年甲斐もなく、興奮しているのだ。
「この分だと確かに戦闘というより一方的な虐殺になりそうだな」
「結構!結構!奴らもどこかの有象無象に殺されるよりも、ワシの水晶孔雀に殺された方が幸せじゃろうて!!」
「そう思ってもらえるなら、こちらも心が痛まないんだが……ん?」
突如、王瞑は顔を上げ、キョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「どうした?羽虫でも飛んでいたか?それともお前さんなりの勝利のダンスか?」
「蚩尤……お前には聞こえないのか?」
「んん?」
蚩尤は耳……というより、センサーを澄ましてみた。しかし……。
「何も聞こえんぞ」
「もっと聴覚センサーの感度を上げてみろ、最大レベルだ。それでも何も聞こえないと言うなら、ワタシとお前のどちらかの耳がおかしいということだから、この場はゼン達に任せて、王都に帰ろう」
「はぁ?マジで何を言っておるんだ?」
「いいから上げてみろ」
「ちっ!上げればいいんだろ!上げれば!!」
蚩尤はふてくされながらも、王瞑の指示に従った。すると……。
「…………これは笛と琴の音か?」
戦場には場違いな繊細で美しい笛と琴の音色をキャッチした。
「……で、これがどうした?」
「心が洗われないか?」
「確かに……火山から溢れ出したマグマのように燃え滾っていた心が、まるで静かな夜の湖畔のように…………なるか!!」
「ならないか。それはお前が機械になってしまったからか?それとも元々の人間性がそうだったのか?」
「どうじゃろうな……じゃなくて!!この音がどうしたというのだ!!」
「何で国の命運を握る戦いで、こんな優美なBGMが流れているんだ?」
「知るか!さっきお前たちが話していた兵士の士気高揚のために是の奴らが演奏しているんじゃないのか!?若しくは早くも自軍の死にゆく兵士たちにレクイエムを奏でているのかもな!」
「レクイエムか……言い得て妙だな。但しワタシの予想が間違っていなければ、是の兵のためでなく、これは我ら慇のための鎮魂歌だ」
「……なんじゃと?」
王瞑の推測は当たっていた。この音色が響き始めると同時に、最前線では大きな変化が起きていた。
「ぐうぅ……!!」「があぁ……!!」
「何!?」
「こいつら……倒したはずなのに!?」
矢やレーザーで貫かれ、戦闘不能になったはずの撃猫が次々と立ち上がって来たのだ。そして……。
「うおおぉぉぉぉぉっ!!」
先ほどまで瀕死だったのが、嘘のように俊敏に動き始めた!
「ちっ!死に損ないが!水晶戦弩!!」
バシュ!バシュン!!
今度こそとどめを刺そうと矢を放つ水晶孔雀!しかし……。
「のろまが!!」
撃猫はいとも簡単に矢を避け、猛スピードで接近してくる。
「ならば!孔雀戦光!!」
ビビビビビビビビッ!!
矢が通じないならばとすぐに気持ちを切り替え、無数の緑色の追尾レーザーを発射する……が。
「ぐうぅ……!その程度の威力なら!!」
「何!?」
撃猫は回避運動を止め、レーザーに貫かれながら、真っ直ぐと水晶孔雀に向かってくる!そして……。
「喰らえ!!」
鉤爪を突き出す!
「絶対防御気光!!」
それを防ごうと水晶孔雀は光の膜を展開する!
バリン!!
「な!?まさか!?」
しかし、絶対防御気光はあっさりと砕かれてしまう。信じられないものを、信じたくないものを目にして、水晶孔雀の動きが一瞬止まる。
「もらった!!」
ザシュッ!!
「――ぐはっ!?」
その隙を逃さず、遂に撃猫の鉤爪は本体を捉える!下から上に切り裂かれ、漆黒のボディーに三本の傷痕が深々と刻まれる。
「くそ!!遠距離戦が無理なら、機動力勝負だ!!トップスピードはマウの方が上のはず!!」
「ひひん!!」
一方的に遠くから撃ち殺すことを諦めた隊長と思われる武雷魚は槍を召喚し、乗っているマウの腹を蹴り、撃猫の群れに突進して行った。けれど……。
「無駄だ!」
「小回りなら、元々撃猫が上!!」
「トップスピードも今の我らならマウすら上回る!!」
ザシュ!ザシュ!ザシュッ!!
「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
「ひ、ひひん!?」
三体の撃猫の華麗なる連携で、乗っていた武雷魚も、乗られていたマウも一瞬で切り刻まれた。
「ど、どういうことじゃ、これは……!?」
青銅の仮面、蚩尤は目の前の光景が信じられなかった。それこそ視覚センサーがイカれたのかとさえ思った。けれども、残念ながら全て事実、現実なのである。
「やられたな。まさかこんな切り札を隠し持っていたとは」
「王瞑よ!お前は今、起きていることが理解できておるのか!?」
「落ち着け、蚩尤。お前だって理解できるはずだ。博識なお前なら……いや、猛華に生まれた者なら子供でも理解できる」
「子供でも……だと……?あっ!?」
蚩尤のデータベースに電撃が走る!そして彼が人間だった頃、子供だった頃に大人達から何度も聞かせられたおとぎ話のことが鮮明に思い出された。
「煌武帝、十人の忠臣が持っていた伝説の武器……傷を癒す音色を奏でる琴、千喜覇音琴と肉体の力を強化する音を響かせる笛、千楽覇律笛か!!」
「あぁ、どうやらこの心地良い音色は奴らを回復し、能力を強化するために演奏されているようだ」
「合点がいったわ……!あの時代遅れなシンプルな作りの骸装機……千喜覇音琴と千楽覇律笛の支援を最大限に生かすために開発されたものなら納得がいく……!!」
「あくまで傷を癒し、力を底上げできるのは中身の話。ならば、外側は余計な装備を付けず、機能不全にならないように丈夫でシンプルな作りにするのが、ベスト……というわけだな」
「あぁ……殴り合い至上主義の蛮族のマシンかと思っていたが……中々どうして考えられているじゃないか……!!」
完全に出し抜かれ、蚩尤は電子頭脳の中で悔しさから歯軋りした。プライドだけで存在しているような彼には、これほどの苦痛はなかった。
「いやはや参ったね、これは」
一方、王瞑は多くの自国の民が今も目の前で命を落としているというのに、涼しい顔をしていた。彼は皇帝だというのに、どこか他人事のように眉一つ動かさず淡々と阿鼻叫喚の光景を見つめ続ける。プライドを傷つけられて取り乱す蚩尤の方がよっぽど人間らしいと思えるほどに、焦りも悲しみも感じられない。
「さてさて……どうしたものか……何かいい案があるかい、蚩尤?」
「いや……今は余計なことはせんでもいいんではないか?」
「ほう……現状維持で大丈夫だと?」
「奴らの回復も強化も無限に行えるわけではない。神遺物の力の源は使用者の精神力……こんな大量の兵士相手に長くはもたないだろう」
「なるほど。きっとお前の推測は正しい……正しいが……」
「反論があるのか?」
「是もそんなこと理解しているさ。きっとそうなる前に勝負を決めにくる……!!」
王瞑の推測はまたまた的中していた。是の本陣では次の一手に打とうと、超常の力を持つ楽器を奏でる者達をバックに皇帝親子が動き始めていた。
「そろそろ王瞑もこの美しい音色が慇へのレクイエムだということに気づいた頃かの」
「はい。ですから、あちらが手を打ってくる前に、一気に攻め立てていきましょう」
「『剣虎 (けんこ)』どもは?」
「準備はできております」
「では、第二陣!行けえぇぇぇぇっ!!」
「「「おおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
カーキの獣の群れをかき分け、両手が剣になった巨大な骸装機が五体ほど出現する!それこそが剣虎!是の次の一手である。
「うおりゃあぁぁぁぁっ!!」
ザンッ!?
「「「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」」」
剣虎がその名の由来となった巨大な腕となった剣を振るうと、一太刀で複数の慇の兵士が絶命した。
「くそ!孔雀戦光!!」
ビビビビビビビビッ!!
破れかぶれで水晶孔雀が追尾レーザーを放つ!しかし……。
「ふん!」
あっさりと剣虎の装甲はそれを弾き返してしまう。
「最新のマシンだろうが、剣虎には敵わん!!火力と装甲では第三世代の方が上なんだよ!!」
剣虎はさらに背後から尻尾を伸ばし、先っぽを水晶孔雀に向ける。そこには銃口が付いていた。
「お前が蜂の巣になれ!!」
バババババババババババババッ!!
「――ぎゃあっ!?」
剣虎の尻尾から凄まじいスピードで凄まじい量の光の弾丸が発射され、絶対防御気光ごと水晶孔雀を撃ち殺した。
他の剣虎たちも同様に剣で、弾丸で慇の兵士たちを蹂躙していく。完全に流れは是に傾いていた。
「まずいな……このままでは負ける」
「言ってる場合か!!皇帝なら早く手を打て!!手遅れになるぞ!!」
「そうだな……」
蚩尤に急かされ、王瞑は後ろにいる部下達に視線を向けた。
「ここは自分、雷鳴のスパーノにお任せください。戦況はひっくり返して見せましょう」
「いやいや!ここはあーし、幻惑の花則でしょ!あーしには数なんて関係ない!みんなまとめて焼き殺してくれますよ!!」
「いえ、この血塗れの蓮震に任せるのが最善。奴らに本当の不死身というものを教えてやります」
三人は真っ直ぐと王瞑を見つめた。「自分を選べ!」と視線で強く訴えてくる。あの時の謁見の間のように……。
王瞑の行動もあの時のままだった。彼らから目を逸らし、息子の方を見る。
「ゼン、お前はどうしたらいいと思う?」
「父上、前にも注意しましたが、すでに答えの決まっている相談をなさるのは止めてください」
「だな」
呆れる息子を横目に、父は再び是の軍勢の方に向き直した。
「ここは……ワタシが出る!!」