捕虜
「オラァ!」
「ぐあっ!?」
ガチャン!!
「そこで大人しくしてろ、死にたくないならな。あまりにもうるさいようならケチャ様から殺してもいいとお許しがでてる」
「くっ!?」
窮奇を倒し、慇の四魔人が一人、狂乱のケチャに翻弄されたその日の夜、カンシチは敵に捕まり、彼らの拠点に設置された簡易的な牢屋にぶち込まれた。
(何が死にたくないならだ!明日にでも、灑の奴らの前で処刑でもするつもりだろうが!)
大人しくしようがしまいが、彼の命のタイムリミットは短い。明日の朝日は見れても、明後日のを見れる可能性は限りなく低いのだ。
(つっても、両手は手錠で繋がれてるし、鉄烏もお守り代わりの石雀も奪われちまってるしな……)
試しに後ろ手に手錠で拘束されている腕を動かしてみたが、ガチャガチャと音を鳴らし、金属にぶつかり手首が痛くなるだけだった。
(マジでまずい……!このままだとおれは……!)
カンシチの心に冷たい泥のような恐怖がまとわりついてくる。
死ぬのは誰でも怖い。カンシチだってそうだ。けれど、彼が本当に、何よりも恐れているのは……。
(このままだとおれはジョーダン達の足を引っ張っちまう……!)
彼が怖いのは仲間の邪魔になることであった。そのことを想像すると震えが止まらない。
(おれを盾にされたら、あいつらは攻撃できるのか?できたとしても、仕方なくおれを殺したとしても、あいつらの心は耐えられるのか?心根の優しいあいつらが……!)
カンシチの脳裏に今まで苦難を共に歩んで来た仲間達の顔が浮かぶ。彼らのために虜囚の身である今のカンシチにできること、それは……。
(いっそのこと、ここでおれは死ぬべきか……!)
カンシチには自身にとっての最悪の選択肢が、この戦争において祖国にとっては最善のことに思えた。悲壮な覚悟がにじみ出るように、表情がみるみる険しくなっていく。
(おれは灑の国の、仲間のために……!)
「何、怖い顔してんだよ、らしくない」
「うるさいな。今、おれはシリアスモードなんだよ。お前は及びじゃない、キトロン」
「さいですか」
「あぁ、おれは……って!キトロ……!!」
「どうした!!何を騒いでいる!!」
「んんッ!!?」
異変を察知した看守に声を荒げる!ヤバいと思ったカンシチは必死に動揺を押さえつけ、脳ミソをフル回転させた。
「なんだ!?恐怖で気でも狂ったか……!?」
「違っ……あっ!痛い!」
「痛い?」
「そう!腹が痛いんだ!もう張り裂けるぐらいに!!だから、ちょっと医者のところに連れて行ってくれないか?」
カンシチは潤んだ瞳で上目遣い、看守にお願いした。
「ふん!漏らすなり、死ぬなり勝手にしろ!下らない嘘を突きやがって!」
呆れ返った看守は踵を返し、牢屋から離れて行った……カンシチの狙い通りに。
(ふぅ……なんとか誤魔化せたな……)
カンシチは看守に背を向ける。突然現れた彼の仲間をその身体で隠すように。
(何でお前がここにいるんだよ、キトロン……!!)
(何でって……助けに来てやったに決まってんだろ!)
キトロンは小さな胸を張り、ドンと叩いた。
(助けにねぇ……つーか、どうやってここに来たんだ?)
(お前と一緒にだよ。なんかいつの間にか眠ってて、起きたらお前が敵に捕まってたから、おれっちがなんとかしないと!って思って、咄嗟に懐に潜り込んだんだよ。で、ここにたどり着いてからは、見つからないように、息を潜めて、お前を助け出すチャンスを伺っていたんだ)
(お前……超優秀じゃん!)
(ふふん!!)
キトロンはさらに胸を張る。というか、もう仰け反っている。
(マジでナイスだぜ、キトロン。だけどお前、意識の方は大丈夫なのか?また、突然おれに襲いかかったりしないよな?)
(はぁ?何言ってんだ?お前こそ大丈夫なのか?)
(記憶がないのか……お前はあのケチャとかいう奴の力で我を忘れて、おれに襲いかかって来たんだよ)
(マジか!?)
(マジだ。拳、痛くないか?鉄烏のマスク全力で殴りまくっていたから、痛めてるはずだぞ)
(そうそう!起きたら手が痛くてびっくりしたんだよ!あと腹もちょっと違和感が……)
キトロンは確かめるように腹を擦った。
(そっちは玄羽様だ。お前を止めるために指でちょいと)
(そりゃあ……ずいぶんと迷惑かけちまったらしいな)
(まぁ、いいってことよ。それにお前が正気に戻ってるってことは、他の奴らももう大丈夫……)
(それはどうだろ?)
(えっ?)
(前にも言ったろ、おれっち達ルツ族は適応能力が高いって。だから短時間で回復できたかもだけど……他の奴らってのが、誰かは知らんが、そいつらはまだおかしいままの可能性も十分あると思うぞ)
(そうか……そう言われればそうだよな……)
二人は知る由もないが、その当たって欲しくない推測は的中していた。ジョーダン、セイ、シュガの三人は今も狂乱状態であり、それはあと数時間続くことになる。
(まぁ、今は他の奴よりお前自身のことを考えろよ)
(それもそうだな。とりあえずまずは……)
(手錠なら、さっきの臭い芝居の間に外しておいたぞ)
(え?)
カンシチが軽く腕を動かすと、ガチャリと音を立てて、手錠が外れた。
(いつの間に……っていうか、何でこんなことできるんだよ?)
(コシン族に習ったんだよ。っていうか、こういうことできるから賛備子宝術院との伝令に任命されたんだよ)
(なるほどね)
キトロンの手技に納得すると、カンシチは牢の入口の方を向いた。
(だったら、牢の鍵も……?)
(任せておけ!ちょちょいのちょいだ!)
(んじゃ、開けてもらいましょうか。あと、その後は看守の注意を引いてくれ)
(了解!)
キトロンは敬礼すると、飛び上がり、牢屋の隙間から出て行く。そして、鍵の前で停止すると、三秒ほどで両腕で大きな“丸”を作った。
最初のミッションを終えた妖精は休む間もなく、看守の側に近づいていき……。
「わしの……わしの声が聞こえるか……?」
「!!?」
彼の耳元で囁く。突然の声に看守は声のする方を振り向いた。
「今の声は……!」
戸惑う看守を嘲笑うように、キトロンは逆側に移動していた。そして……。
「わしの……わしの声が聞こえていないのか……?」
「この声……おばあちゃん!!」
「違ぇよ」
ゴォン!!
「――がっ!?」
腹パン一発!カンシチが看守を一撃で気絶させた。
「おれが優しい人間で良かったな。おばあちゃんの下に送るのは勘弁してやる。代わりに鉄格子の中に入ってもらうがな」
ニヒルな笑みを浮かべ、キザなセリフを吐きながら、カンシチは看守を逆に牢にぶち込んだ。
「……カッコつけてないで、早く行くぞ」
「……はい」
「おれっちが先行して、安全を確認するからお前はついてこい」
「……了解」
宣言通りキトロンはその鋭敏な感覚をフル活用して、敵兵の目を掻い潜った。結果、カンシチは誰に気づかれることなく、とあるテントに潜り込んだ。
「ここは……?」
「へへん!探索の結果、見つけたお宝の隠し場所さ!」
「お宝……?そんなものこんなテントに……あっ!!」
テントの中は大量の物が雑に押し込められていたが、カンシチは一つの物にしか目がいかなかった。佐羽那砦で激闘を繰り広げた弓使いがつけていた腕輪だ。
「これ……水晶孔雀か……?」
「どうやらこのテントはいらない物を詰め込んでおく、物置にされてるらしいんだけど……」
「なんかの拍子で紛れ込んだのか……」
カンシチは腕輪を手に取ると隅々まで観察した。そして、裏に刻印されている数字に気づく。
「ナンバー25……呉禁のマシンか……」
「呉禁?佐羽那で戦ったって奴か?」
「あぁ……」
「じゃあ、失敗の罰で愛機を取り上げられて、それが予備として送られて来たんだろうな」
「……だな」
キトロンはあえて呉禁本人については深く言及しなかった。今までの慇の態度を見ていれば、どうなったかは察しがつく。それはカンシチも同じだ。だから、余計なことは言わない。
ただ腕輪を見つめていると、寂しい気持ちになっていった。同じ弓使いとして、どこかシンパシーを感じていたことに気がついた。
「さてと……それでそいつは使えそうか?」
湿った空気を変えようとキトロンはいつもより明るい声でカンシチに問いかけた。
「ジョーダンから色々と教わったから、起動はできると思う。さすがに今すぐにとはいかないけど」
「そっか……あの水晶孔雀が使えれば、心強いと思ったんだがな」
「個人的には慇のマシンは遠距離武器が弓じゃなくて、弩なのが気に食わないな」
「そんなわがままな……」
「四の五の言ってられないのは、わかっているよ。弓のこと以外は非の打ち所がないマシンだってこともな」
「んじゃ、その素晴らしいマシンを手土産にみんなのところに戻ろうか。ずっと一緒にいた応龍の位置なら、ここからでもなんとなくわかる。方角程度ならな」
そう言うと、キトロンは入口の方に反転した。一方、カンシチは……。
「あと一分だけ待ってくれないか?もっと何か掘り出し物があるかも」
カンシチはさらにテントの奥に。置いてある物を片っ端から手に取り、物色し始める。
「浅ましいな」
「そう言うなって。敵陣に侵入できるチャンスなんて中々ないんだからよ」
「一理あるな」
「だろ!それにできることなら、別のナンバーの水晶孔雀の方がいいな……なんて」
「ナンバー?25じゃ不服か?」
「おれは勘七だからな。できれば7の入ったナンバーがいい」
「バカみたいな理由だな。聞いて損した」
「うるせぇ!こういうのは意外と大事なんだよ。モチベーションが違う」
「だったら2+5で7ってことでいいんじゃないか?」
「……お前なぁ……いいこと言うじゃないか!今日のお前はキレキレだな、キトロン」
「カンシチ……おれっちじゃない……!」
「……え?」
カンシチの目の前にキトロンが顔を真っ青にして、ヨロヨロと後ろ向きになって飛んで来た。その様子を見て、漸く自分が話していたのは、この妖精ではないことを理解する。
カンシチは恐る恐る振り向いた。
「お前は……朱操……!!」
「遅すぎだ、くそ農民」
カンシチが楽しく談笑していたのは、宿敵と言ってもいい憎き朱操であった。彼は呆れたような、残念なものを見てしまったような目でテントを覗き込んでいた。
「お前……何で……!?」
「何でって、俺は今は慇についているんだから、別にいてもおかしくないだろうに。むしろ、お前こそ牢に入っていたはずだろ?」
「それはキトロンが……じゃなくて!おれが聞きたいのは、何で仲間も呼ばないで、おれとおしゃべりなんかしてるんだよ……!?」
カンシチが違和感を覚えたのは、朱操がただ一人であることと、いくらでも不意を突けたのに、何もしなかったことだった。
しかし、その答えは単純明快、シンプル極まりないこと、そしてカンシチ達にとっては意外なものだった。
「俺はこいつをお前に渡しに来ただけだ」
「うおっ!?」
朱操は腰の後ろ側に差していた短刀をぶっきらぼうにカンシチに向かって投げた。それは元々彼の持ち物、最初の愛機にして、父親の形見だ。
「石雀……!どうしてお前がこれを……?」
「ここと同じように鹵獲品を集めておくテントから拝借した。お前に返すためにな。鉄烏の方は見つからなかった。というか元々俺のだけどな、アレ」
「おれに……つーか、マジでさっきからお前が何を言ってるか全然、わかんねぇんだけど……?」
「こいつのせいさ」
朱操はそう言って、自分の顔を指さした……痣だらけの顔を。
「それ……すっ転んでできたってわけじゃないよな?」
「ケチャの野郎にやられた」
「ケチャ!?つまり上司にやられたのか!?」
「あいつはムカつくことがあると、ストレス発散に部下を殴る。そのせいで人望は皆無。内心みんな、あいつが痛い目に会えばいいと思っている」
「なるほど……お前もそう思い、そしてそうなるようにおれに手助けしたってわけか……」
朱操はニッと邪悪な笑みを浮かべると、カンシチ達に背を向けた。
「その通りだ。お前はムカつくが、それ以上に今はケチャの方がムカつく……だから脱走でもなんでもしろ」
「でも、そしたらまた殴られるんじゃないか?」
「だろうな。だが、それでもあいつのプライドに少しでも傷つけられるなら、それでいい」
「本当に嫌われてるんだな、ケチャ」
「だが、実力は本物だ。あいつは生き物を暴走させる光を抑えるために眼帯をつけているが、あの状態でも物は見えているんだ」
「マジか!?」
「それも常人よりも遥かに優れている。ほぼ360度見渡す広い視野、遥か先の大気の揺らぎも見極める視力、監視役としてはあれ以上のものはない」
「じ、じゃあ、今のおれ達のことも……!?」
カンシチはキョロキョロと忙しなく頭と眼球を動かした。その様子を肩越しにちらりと見て、朱操は深いため息をつく。
「だとしたら、俺がこうしてのんきに話しているわけないだろう」
「確かに……」
「あいつは就寝中だ」
「そうか……良かった……」
カンシチは胸に手をつき、不安や動揺を追い出すように息を吐いた。
「あいつは猜疑心が強いから、金庫のような頑丈な寝床を持ち込んで、そこで寝ている。その間だけが、脱走のチャンスだ」
「でも、他にも兵が……」
「問題ない。兵達はあいつが起きている間はその超常的視力で監視され、ミスをすると殴られる。だからこそ本来はより警戒を強めなければいけない奴の就寝中には、自然と気が緩む」
「確かに……おれも奴の部下だったら、きっとそうなるだろうな」
「そもそも奴は自身の能力を過信しているから、警備自体が少ない。お前が牢屋からここまでノコノコとやって来て、能天気に盗みに興じられているのが、何よりの証拠だ」
「うっ!?人を盗人呼ばわりするなよ……!」
「事実だろうが。俺の鉄烏を奪い、今度は水晶孔雀だ」
「それは……そうだけど……さ」
反論できないカンシチは人差し指をツンツンとつつき合い、口をとんがらせ、いじけた。
「はぁ……その間抜けな顔を見ていると、俺は今夜のことを早くも後悔しそうだ。そうならないためにも、そろそろ失礼させてもらう」
そう言うと朱操はテントから離れて行く。その背中を見つめていたカンシチは……。
「朱操!なんか……ありがとな!!」
礼を言った。しかし、その声が聞こえていないのか、それともあえて無視したのか、朱操は返事をすることなく闇の中に消えた。
「まさかあいつに助けられるとはな……」
「おいおい、絆されるなよ!あいつは敵なんだから!」
「わかってるよ。灑の国内乱から始まるこの一連の戦いの始まりは、おれと朱操の輪牟の村での戦いからだ。だったら、終わりを告げるのもおれ達の戦いのはず……おれはそう思っている……!恩を仇で返すみたいで、気が引けるが、次会う時は今日、おれを助けたことを心の底から後悔させてやる……!!」
カンシチは静かに闘志を燃やした。来るべき決戦に思いを馳せて……。
「でも、その前にここから脱出しねぇと」
「朱操の言う通りなら、ケチャが起きたらアウトってことだもんな。二人仲良くとっとと尻尾巻いて逃げよう」
「二人じゃなくて、三人だ」
「あぁ、そう言えばお前もいたな、蘭景……って、蘭け」
「しっ!」
反射的に叫びそうになるカンシチの口をマスクの麗人、蘭景が手で覆い、動きを止めた。
「……落ち着いたか?」
質問にカンシチはウンウンと頷くと、蘭景はその手を離した。
「ぷはー!お前……何でここに……って、さっきからこの質問ばかりだな、おれ……!!」
「二度あることは三度あるって奴だな」
「二度なのか三度なのかはわからんし、そもそも質問したいのは、こっちなんだがな。自分はとある情報を掴んで、それを伝えるためにシュガ殿達の下に向かっている途中、慇の拠点があったので、侵入、調査を開始した……そしたら、お前達を見つけた」
「じゃあ、おれを助けに来てくれたわけじゃ……」
「ない!」
「そんな力強く否定せんでも……まぁ、いいや。朱操の話は?」
「途中から聞いていた。どうやらもう少し早く、もしくは逆に遅く侵入していたら、ケチャとかいう奴に捕捉されていたらしいな」
「そうか……そういうことになるのか。ラッキーだな、お前」
「それを言うなら、お前の方こそ」
「まぁ、ぶっちゃけ捕まった時点で殺されてもおかしくなかったもんな」
「それもあるが、自分が言っているのはこいつのことだ」
「えっ?」
蘭景は背中に背負った布にくるまった“何か”を親指で指さした。カンシチはそれに見覚えがあった。今日のように命の危険を感じた忘れられないあの日の夜に敵国の弓使いが背負っていたものだ。
「それって……」
「一番厳重な警備がされている場所に保管してあった。だが、自分には無意味、界踏覇空脚もかつての同志のために張り切っていたしな」
「じゃあ……」
「遂にあるべきところに、持つべき者が手にする時が来たんだ。今からお前が無影覇光弓の主だ……!」
紆余曲折あったが、漸く無影覇光弓は次森勘七の手に渡った。猛華一の弓使いが猛華一の弓を手に入れたのである。
翌日、消えた無影覇光弓とおまけのカンシチを探すために慇の軍は進軍を取り止めることになった。