特級殺し
「くそ!!どうしてあんな奴なんかに!!」
ゴスッ!
「――がはっ!?」
黄括が灑の国侵攻を王瞑皇帝に命じられたその日の夜、納得のいかないケチャは自室で荒れに荒れていた。部下を、朱操を文字通り足蹴にするぐらいに……。
「お前らみたいな裏切り者を、何で陛下は信用するんだ!!陛下には!慇には僕がいるじゃないか!!」
ゴスッ!ゴスッ!ゴスン!!
「ぐうぅ……!」
「お前……!」
朱操は反射的に睨み付けるようにケチャの顔を見上げてしまった。当然、そんな真似をされたら、この狭量な魔少年はさらにヒートアップする!
「なんだ!その目は!!僕に文句あるのか!!」
ゴスッ!
「ぐっ!?いえ……自分は……」
「口答えするな!!」
ゴスッ!!
「がはっ!?」
ケチャの爪先が朱操の鳩尾に深々と突き刺さり、悶絶する。肺の中の酸素と共に涎を撒き散らしながら、床を転がる姿は無様としか形容できない。
「ふん!苦しいか、朱操?でもね、僕はもっと苦しいんだよ。お前みたいな役立たずの面倒を見なければいけないんだから」
「が……はっ!はぁ……!はぁ……!」
「お前、灑ではそこそこの家柄の出らしいじゃないか。でも、お前は結果、ジョーダンとかいう奴にいいようにやられ、友人を失った……兵士に向いてないんじゃない?」
「ぐ、ぐうぅ……!!」
「あっ!そう言えばお前の親父は武門の家に生まれ落ちながら戦いが怖くて、農民に転職したんだったな!親子二代で家名を汚して、恥ずかしくないのかよ!お坊ちゃん!!」
ゴスッ!!
「――ッ!?」
今度は顔面を蹴り上げられ、鼻血を噴き出した。今までの朱操だったら、ここでキレていただろうが、彼は耐えた。親友の顔を思い浮かべながら……。
(この程度……この程度の屈辱など!徐勇の無念に比べれば、なんてことはない!今は雌伏の時!いつか必ず……!)
「こいつ……!!」
朱操は耐えた……耐えたが、それがケチャには気に食わない。泣いて自分に許しを乞うて欲しいのだ。
「本当に手間のかかる……お前は肉体だけではなく、精神的にも僕に完全に屈服するんだよ、愚図が!!」
仰向けに倒れる朱操の顔面にケチャの足裏が迫る!その時……。
コンコン!
「――ッ!?」
まさに朱操の目と鼻の先でケチャの足が停止した。ドアをノックする音が聞こえたからだ。
「ちっ!入れ!!」
「失礼します」
ケチャは部屋に入って来た男にも、起き上がろうとする朱操にも背を向け、腕を組んだ。苛つく顔を見られたくなかったのだろうか。
入って来た男は失礼な態度のケチャにも、傷だらけの朱操にも眉一つ動かさない。きっとこんなことここでは日常茶飯事なのだろう。
「で!何のようだ!?」
顔も見ずに不躾に言い放つケチャに、男は懐から紙を取り出し、差し出した。
「王瞑皇帝陛下からの使令書です」
「何!?陛下から!?」
ケチャは慌てて振り返るや否や、手紙を奪い取った。
「これは……!なるほどね……!」
手紙を読んでいくうちにケチャの表情はみるみる柔らかく、醜悪な笑みに張り替えられていった。
そして時は現在、ケチャはまた醜悪な笑顔を浮かべながら、ジョーダン達、灑の国軍と相対していた。
「ジョーダン……何で子供がこんなところに……?」
「さぁね……天才にもわからないことはある……」
ジョーダン達はケチャを前にしても何もできなかった。窮奇戦を終えたばかりで、体力は限界に近く、この場にそぐわない子供が、不愉快な威圧感を発しているのだから、警戒するのも当然だろう。
「お、お前は何者なんだ!!子供が来る場所じゃないでしょうが!!あれか!まさか慇の援軍だっていうんじゃないだろうな!?」
この緊迫した空気に最初に耐えられなくなったのは、キトロンであった。その敏感な感覚でケチャの異様さに気付き、はっきり言って狼狽していることを誤魔化すためだけに声を荒げたのだ。
「ルツ族か、初めて見たな」
「あぁん!?おれっちは見せ物じゃねぇぞ!!」
「そいつは失敬。お詫びに君の質問に答えてあげよう。僕は慇の国、四魔人が一人、狂乱のケチャ。援軍ではなく、この戦いの本隊だよ」
「何ぃ!?」
ジョーダン達は一斉にキョロキョロと周囲を見渡した。いつの間にか自分たちが囲まれてしまったのかと思ったのだ。しかし、慇軍の気配はケチャ達以外まったく見当たらない。
「安心しなよ。ここには僕達三人しか来てない」
「……三人だけとは、とんだ自信家だな……!!」
「自信家?違うね。冷静に、客観的に考えて、この三人で十分だと判断したんだよ、王瞑皇帝陛下は」
「王瞑だと……!?」
その名を聞いただけで気圧された。父殺し、弟殺しの暴虐の皇帝の名にはそれだけの威力があるのだ。
「陛下の作戦通り、捨て駒はきっちり仕事をしてくれた。君達をここまで追い詰め、そして一ヶ所に集めた……僕の手柄のためにね!!」
「てめえ!!」
その言葉に強い不快感を抱く。自分たちにすでに勝った気でいるのもムカつくが、それ以上に仲間を、黄括を捨て駒呼ばわりしたのが腹が立った。
特に彼と一時的とはいえ、共に戦ったことのあるシュガはその発言が許せなかった。
「撤回してもらおうか。黄括は確かにお前達に利用されただけかもしれん……しかし、あいつはあいつなりに慇のために戦おうと頑張っていたんだ……そんな言い方ないだろうに……!!」
眉間にシワを寄せ、こちらを睨んでくるシュガをケチャは冷たい視線で見つめ返した。
「へぇ……あの野蛮で軽薄なミリョ族の癖にずいぶんと優しいじゃないか……?」
「……やはりケチャという名前、お前もミリョの民か……」
「マジで!?」
カンシチが思わず声を上げ、二人を見比べた。けれども銀狼と眼帯をつけた子供、どこにも共通点が見出だせなかった。
「無意味だよ、蒼天の射手。見事仙獣人になることができたエリート様と、できずに一族から追い出された落ちこぼれ……生まれは同じでも、全くの別物さ……!!」
ケチャの視線に強い憎悪がにじみ出た。先ほどの冷たい眼差しは必死にそれを押さえつけていた故のものだったのである。
「ケチャよ……お前が仙獣人になれなかったのはわかった。そしてそのせいで一族から追い出されたのも。それがミリョの古くからの掟だからな」
「下らない悪習だ……!」
「そうかもな……それも否定しない。だが、お前とそれについて議論したいわけでもない」
「まどろっこしいな……何が言いたいんだ、お前は?」
「仙獣人なる儀式に失敗した者は一族から追い出される……しかし、その肝心の儀式は齢十八になった時に行われる……お前のような子供が追放されることはないはずだ。そもそも子供が国の、しかも軍の要職につくなど……」
シュガの疑問を聞いて、ケチャの顔は再び笑顔に包まれる。銀狼が理解できないこの姿こそが、憎らしい仙獣人を超えた証だとケチャは自負しているのだ。
そしてある意味ではそれは正しい見解、仙獣人とは“彼ら”を目指して、生み出された存在と言っても過言ではないのだから……。
「人を見た目で判断しちゃ駄目だよ。僕はこう見えて、結構大人なんだから」
「何……?」
「元々は筋骨粒々の大男だったんだよ。あの日……起源獣に殺されかけるまでは……!!」
「「「!!?」」」
その一言を聞いた瞬間、シュガを初め、全員に“スイッチ”が入る!彼らの中で、不気味な子供という印象のケチャが、最優先で排除しなくてはならない化け物へと認識が変わったのだ!
「そいつは覚醒者だ!!容赦も躊躇もいらない!!今すぐ殺せ!!」
覚醒者……猛華以外ではエヴォリストと呼称されるそれは起源獣に殺されかけ、そこから甦ることで人知を超えた能力を手に入れた者達のことである。完全適合した特級骸装機や仙獣人すら遥かに凌駕する可能性すらあるそれが今、目の前にいる……のんきにおしゃべりしている暇はなかったのだ!
「幻妖覇天剣!!」
「オラァ!!」
「応龍バルカン!!」
シュガが刃を伸ばし、カンシチ鉄烏が矢を放ち、応龍が光弾をばらまく!一人の子供に向かって!しかし……。
「『雨師 (うし)』、『風伯 (ふうはく)』」
「「はっ!!」」
バシャン!!ブワァン!!
「「「なっ!?」」」
少年の両脇を固めていた青い骸装機、雨師が水流で、白い風伯が突風で全ての攻撃を弾き返した。
そうしている間にケチャは眼帯を外し、瞼を閉じた左目を露出させる。
「さぁ、堪能するといい!これが僕がミリョ族追放の末に手に入れた力!狂乱、または特級殺しと呼ばれる魔の力だ!!」
「――ッ!?」
ケチャが左目を開くと金色の瞳が光を放ち、咄嗟にガードを固めた応龍達を包み込んだ。