泥沼
黄括が斬り殺した部下の懸念は的中してしまう。あの夜から二日後、慇と灑はよりによって多久ヶ原で相対することになった。
「黄括の奴……一体どうしたんだ?なんか雰囲気が違う……」
「おれっちは初めましてだけど、あいつの話はみんなからよく聞いてる。けど、聞いていた印象とは全く違うな。とてもじゃないが、侮っていいタイプには見えない……かなりヤバイ奴じゃないか?」
遠目から黄括の姿を見て、彼の変化に気づいたのは、僅かの間だが彼と肩を並べて戦ったシュガと、逆に彼とは一切の面識のないキトロンだった。特に勘の鋭いルツ族のキトロンはある意味今の彼の本質を見抜いていた。
「うーん、そうかな?ボクはただ新天地で成果を出そうと張り切っているんだけど、空回りをしているようにしか見えない。いつもの虚栄心と猜疑心の塊、黄括くんな気がするけど」
一方のジョーダンは黄括の変化を感じ取れていなかった。
慇の国で自分を認めさせようと頑張っているというのは間違っていないが、それがネックレスによって狂気と呼べる領域に踏み込んでしまっていることを理解していない。
ジョーダンは愛機応龍と完全適合すると感知能力が上がるが、普段の彼は人間に対して、疎いところがある。弟弟子諸葛楽の変貌についても蚩尤に乗っ取られていると予想できる材料が揃っているにも関わらず、最後まで気づけなかったのは、その欠点のせいである。
それがまた作戦が上手く推移していることで調子に乗ってしまっていることで顔を出したのだ。
「あいつが変わったか変わってないかは今はどうでもいいんじゃないか?」
「そうそう、大切なのはあいつじゃなくて慇軍に打撃を与えること。作戦は順調なんだから問題ないだろ」
セイとカンシチはある意味誰よりも冷静に、俯瞰で戦況を見ていたと言える。彼らの指摘した通り、この作戦が成功すれば黄括一人がどうしようが関係ない。彼らの考えは常識的には何ら間違ってはいない……いないのだが、今の黄括は慇皇帝から託された秘密兵器によって生憎常識で測れる存在ではなくなっていた。
「セイ達の言う通りだ。このまま我が策を成就させればいいだけ。というわけで、最後の詰めを……」
ジョーダンは手に握っていたメガホンを口元に持って来た。
『ええ~、テステス。聞こえてますか、黄括くん!』
「丞旦……!!」
メガホンで増幅された声が多久ヶ原に響き渡る。大きさはもとより憎たらしさも増し増しだ。
『まずはおめでとうと言っておこうか。まさか灑ではパッとしなかったキミが慇に鞍替えした途端、こんな大軍の将に抜擢されるとはボクも嬉しいよ。それだけ我が軍のレベルが高く、そちらの人材が枯渇しているっていう証拠だからね』
「なんだと!」
「下等な灑の国の軍人の分際で!!」
「口だけは達者なようだな……!!」
ジョーダンの持ち味を最大限生かした祝辞は見事に慇軍の気持ちを逆立たせた。目を血走らせ、今にも飛びかかってきそうだ。
『ボクとしては今も、そしてこれからも低レベルな慇で出世街道を爆進するキミの姿が見たい。だから、ここで軍を退いてくれないか?このまま軍を進めるとキミは間違いなく屈辱と泥にまみれ命を落とすことになるよ』
もちろん本当に軍を退いて欲しいなど更々思っていない。むしろ逆に血気盛んにこちらに突撃して欲しいと願っている。
そして、その願いはあっさり叶うことになる。
『もう一度言うよ』
「もういいわ!!!」
メガホンで増幅された声を凌駕する黄括の怒号が大気を震わせた。ジョーダンは待ってましたと密かに口角を上げる。
『何がいいんだい、黄括くん?』
「その減らず口がだ!!!灑の国にいた頃から散々聞かされてきて!もう飽き飽きなんだよ!!!」
『へぇ、そうだったのか。それは悪いことをしたね。でも、ボクのこの舌はボクの命がある限り止まらないよ』
「だから!!このおれが止めてやろうというのだ!!全軍突撃!!!」
「「「おおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
大将の命を受け、慇全軍が突撃を敢行する!水晶孔雀も何体か見られるが大半が緑色の武雷魚の為、灑からはグリーンの雪崩がこちらに迫って来ているように見えた。
「さすがの大迫力だな……」
「おう……想像の十倍すごい……!」
「感心してないで、準備して。セイはともかくカンシチは大事な役目があるんだから」
「お、おう!そうだったな!」
ジョーダンに急かされ、カンシチは所定の位置に移動した。
「さてと……」
カンシチを見送るとジョーダンは再びメガホンを口元に当てた。最後の仕上げだ。
『おお、黄括……なんと愚かなことを歴史を知らないのかい?』
「ふん!この多久ヶ原での戦いは多大な犠牲を出した激戦が多いことだろ!!そんなこと知っているわ!!!」
『ならば、なぜ?』
「馬鹿にするのもいい加減にしろ!!!犠牲が増えたのは、ここの地質が水を含むと粘土が高く柔らかい泥になるからだ!!!だから雨季でのここの争いは、マウや兵士は皆足を取られ、文字通り泥試合になってしまう!!!」
『そこまでわかっているのに、この場所で戦うのか?』
「今は乾季!!雨どころか空気も渇き、地面はガッチガチだ!進軍しやすいったりゃありゃしないんだよ!!!」
『確かに雨なんて降りそうもないね』
「はっ!まさか天才様の策とは雨乞いだったのか!?ええ!!」
『そんなことしないよ。祈らなくても雨は降らせられる』
「そうか!!!……え?」
「文功、後は頼むよ」
「はい。水術隊!前へ!!」
「「「はっ!!!」」」
黒い鉄烏の集団をかき分け、同じ制服を着こんだ集団が最前線に出る。
「灑にとっては恵みの、慇にとっては災いの雨を降らせろ!てえぇぇぇぇっ!!!」
ブワッ!!!ザアァァァァァッ!!!
彼らが手を翳すと、そこから大量の水が発生し、アーチを描いて慇軍に降り注いだ。
「ぐっ!?」
「足が……」
「ひひん!?」
多久ヶ原の土は凄まじい勢いで水分を吸収し、触れたものを全て飲み込む泥へと姿を変えた。歩兵はもちろんマウも足を取られ、先ほどまでの勢いが嘘のように進軍がピタリと止まる。
「うわぁ~、想像よりひどいね。まともに動けてないじゃないか」
「自分でそうなるように仕組んでおいてひどい言い様ですね」
まるで他人事のようなジョーダンの物言いに文功は呆れた。
「まぁ、そう言うなよ。ボクもここまで上手くいくとは思っていなかったんだから。黄括はこうなることを予見できるだけの情報を持っていた。それにあいつの性格的に夜襲で怒りに我を忘れるか、逆に臆病風に吹かれて、待ちに出るかは五分五分、ギリギリの賭けだったんだ」
実際にこの作戦が成功するかはかなりの綱渡りだった。もし参謀の意見を素直に聞いていたら、慇軍はこんな無様を晒すことはなかったのだ。
「そろそろいいんじゃないですか?」
「うん。文功と水術隊は下がって、このまま戦線を離脱だ!水晶孔雀の絶対防御気光や追尾レーザーは宝術師とは相性が悪いからね」
「では……水術隊!!放水を止め!!撤退だ!!」
「「「はっ!!」」」
水術隊は指示に従い、水を放つのを止めるとそそくさとその場から下がって行った。
「んじゃ、お次は……“アンゼの矢”部隊!前へ出ろ!!」
「おう!!」
ジョーダンに呼ばれ、青赤のカンシチ鉄烏と十名ほどの白い鉄烏の集団が最前線に躍り出た。彼らはいつもは装備していない矢筒を背負い、その中に数本の見慣れない不思議な矢を納めていた。
「さぁ!選ばれた精鋭達よ!ターゲットはわかってるね!」
「当然!」
そう返事をするとアンゼの矢部隊とやらは弓を召喚し、背負っていた矢を装填した。その様子は慇の軍にも見えていた。
「灑が弓で狙っているぞ!!」
「水晶孔雀は前に出ろ!絶対防御気光で同胞を守るんだ!!」
水晶孔雀はその言葉通り、泥をかき分け自慢のクリスタルを汚しながら前へ出た。
灑の国的にはまんまと……ってな感じである。
「よっしゃ!予測した通り出て来やがったぜ、ご自慢の新型ちゃんが!!」
「あとはキミ達がきちんと命中させるだけだね」
「あん?誰に言ってるんだ……よ!!」
バシュン!!
カンシチ鉄烏は迷わず矢を放つ。矢は真っ直ぐとターゲットへ、水晶孔雀へと空気を切り裂き、突き進んでいく。
「来たか!無駄なことを!!」
水晶孔雀の青みがかったクリスタルがトパーズのようなイエローに変化し、光の膜を展開する。鉄烏の矢などものともしないことは実証済み……のはずだった。
ブゥン!!
「何!?」
矢羽から突然エネルギーが吹き出し、矢が加速した!水晶孔雀の予想を上回るスピードで絶対防御気光に接触する……いや!
ザシュン!!
「………がっ!?」
アンゼの矢は絶対防御気光をすり抜け、水晶孔雀の漆黒の装甲を貫き、深々と突き刺さった。
「“アンチ絶対防御気光の矢”、略して“アンゼの矢”、猛華が誇る天才、諸葛楽の置き土産さ。注意書きに鏃に貴重な素材を使うから、量産できないことと、蛇炎砲のような素が大型重装甲のマシンには通用しないかもって書かれてたけど……81体しかいない骸装機相手にはこれ以上ない特効兵器だね。まったく先見の目があるというか……やっぱりすごいな、ラクは……」
ジョーダンはあまりに出来すぎな結果に思わずため息をついた。こういう運や流れも味方にするのが、本当の天才なのかと嫉妬さえした。そしてそれ以上に今回のことを開発した本人とお茶でもして話したいなと思った。
彼の中ではアンゼの矢が水晶孔雀に通じた段階でこの戦の勝敗は決したのである。
「おっと、センチメンタルになってる場合じゃないか。さぁ!蒼天の射手に続いて、どんどん水晶孔雀を討ち取っていこう!だけど焦りは禁物、狙いはしっかりね!アンゼの矢は貴重品なんだから」
「「「うすっ!!!」」」
「いい返事だ!では、一方的な狩りを始めよう!!」
バシュン!バシュン!バシュン!!
「ぐあっ!?」「ぎゃ!?」「がっ!?」
アンゼの矢は次々と、わざわざ狙い易いように最前線に出てきてくれた水晶孔雀を仕留めて行った。
「さ、下がれ!!水晶孔雀が全滅したら、我が軍に勝ち目がなくなる!!」
このままじゃまずいと黄括が後退の指示を出すと、異論はないと水晶孔雀達は先ほどとは逆に武雷魚やマウの後ろに隠れるように下がって行った。
「さすがに逃げの判断は早いね」
「だが、結構な数の水晶孔雀を狩ったと思うぜ」
「あぁ、弓の扱いに長けた者を選りすぐり、士気を高めるため急いで鉄烏を白く塗った甲斐があったよ」
「おれも念願の白鉄烏が見れて、嬉しい」
カンシチは在りし日の雪破を思い出し、ウンウンと感慨に耽った。
「まったくこんな時にのんきなことを」
「つっても、おれ達の仕事は一段落だろ?」
「まぁね。水晶孔雀が下がったなら……弓兵隊!前へ!!」
「「「はっ!!!」」」
白い鉄烏と入れ替わるように、通常の黒色をした鉄烏が前に、そして流れるように弓を構える。
「キミ達は狙いなんて適当でいい!とにかく撃って撃って撃ちまくれ!!」
「「「はっ!!!」」」
ババババババババババババババッ!!!
「ぐあっ!?」「がっ!?」「ぐっ!?」
先ほどの宝術師達の人工雨に続いて、弓兵達が矢の雨を降らし、無抵抗な緑の魚を次々と貫いていった。
「ええい!惰弱な灑の矢など盾で防げ!それでも防げないと思うなら、死んだ戦友やマウの後ろに隠れろ!そして隙を見て、弩を撃ち返せ!!」
「は、はい!!」
ババババババババババババババッ!!
部隊長と思われる者の発破に奮起し、武雷魚達は言われた召喚した盾で矢を防ぎ、ボーガンで反撃した。しかし……。
「大盾隊!みんなを守れ!!」
「「「はっ!!」」」
この反撃を見越して、準備していた身の丈ほどある盾を装備した鉄烏が弓兵の前に立ち、それを構えた。
キンキンキンキンキンキンキンキン!!
盾は見事に武雷魚の弩の攻撃を弾き返し、その後ろで何事もなかったように弓兵は矢を撃ち続けた。
「無駄だよ。武雷魚の基本装備の弩は威力こそ高いが、連射性はいまいち。それに頼るしかできない状況に陥った挙げ句、防げる盾を用意された時点でお前達の敗北は決定したんだ」
ジョーダンは今も身体中に矢を刺される武雷魚達を見ながら、憐れむように呟いた。
「黄括……あんたとの因縁もここで終わり。多久ヶ原の泥にその命を沈めろ……!!」
ザシュ!!
「ひひん!?」
「うわぁ!?」
黄括は乗っていたマウが矢に射られ、振り落とされてしまった。ジョーダンの宣言通り、その心と身体は屈辱と泥にまみれたのだ。
(負けるのか、おれは……また負けるのか!?生まれてからずっと負け続け、誰からも期待されず、蔑まれ続けてきたおれが!せっかく王瞑皇帝陛下が軍を任せてくれたというのに……!!)
黄括は唇を血が出るほど噛みしめながら、王瞑から渡されたネックレスを手に取った。
(もうこれしかない……!おれには陛下が与えてくださったこいつに頼るしか……!!)
覚悟を決めた黄括は立ち上がり、ネックレスを天に掲げた。そして……。
「我が慇の国に勝利をもたらせ!『窮奇 (きゅうき)』!!!」
ドッ!!
「なっ!?」
「なんだ!?」
天地鳴動!黄括がその名を叫んだ瞬間、まさに天と地が揺れ、光の柱がそびえ立った。
灑の弓兵達の手が止まり、ジョーダンとカンシチは思わず率直な驚きと疑問を声に出した。
灑と慇全軍の注目を集めた光の柱はすぐに消え、中から二枚の翼を持った獣のような骸装機が現れた。
「あれは特級か……?黄括が装着したのか……?」
ジョーダンは目を凝らし、突如現れた謎の骸装機を品定めするように観察した……が。
「ジョーダン!!」
「キトロン、どうしたそんなに大きな声を出して……」
彼の顔の横まで青い顔をして飛んで来たキトロンが観察を中断させる。この場で彼だけ事態の深刻さを正確に把握しているのだ。
「嵐龍砲だ!!今すぐ応龍を装着して、あいつに嵐龍砲を撃ち込め!!」
「何を急に……確かにちょっと得体の知れない骸装機だけど……」
「あれはただの骸装機じゃない!!まだ“先”がある!!」
「先……」
「グワアァァァァァァァァァッ!!!」
「「!!?」」
再び天地が揺れた!窮奇の咆哮によってだ!それは叫びながら、身悶えしながら、大きくなり、形を変えていた。
ここでようやくジョーダンは事態を把握した。
「特級骸装機の暴走か……!!」
(何が!?何が起きたんだ!?痛い!?全身が引き裂かれるように痛い!!)
黄括は全身を襲う激痛に苦しめられていた。彼は心の中で身体が引き裂かれるようと形容したが、比喩ではなく現在進行形で実際に引き裂かれ、窮奇に取り込まれていた。
(これを……こうなることを陛下は予期していたのか!?だとしたらおれは……)
彼もようやく気づいた。王瞑が自分に期待していたのは“生け贄”の役目だったと。
(こんな最後は嫌だ!!裏切られて、死ぬなんて!!)
どの口が言っているんだと突っ込みたくなるが、彼は本心から自分のことを棚に上げて、そう思っていた。そしてその歪んだ心も最期の時を迎える。
(嫌だ!?泥が!おれの心を泥が飲み込んでいく!?やめてくれ!!おれはもっと生きたい!!生きるためだけに恥も外聞も捨てて全てを犠牲にしてきたのにぃっ!!!)
そこでプツンと黄括の意識は途切れた。完全に窮奇に取り込まれたのだ。
「ガルウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!」
三度目となる天地鳴動と共に、完全なる怪物と化した窮奇は泥から飛び上がり、二枚の翼を羽ばたかせ宙を舞った。




