プロローグ:第二部
「……ん?……んんッ……!」
灑の国の王都、春陽の王宮の一室、カーテンの隙間から射した朝日に刺激され、次森勘七は目を覚ました。
「ふあぁ~あッ!」
顎が外れてしまうのではないかと心配になるほど大きく口を開けてあくびをし、目を擦りながら起き上がると上着を羽織り、外に出た。起きたらまず井戸に行って、そこでうがいと顔を洗うのが、ここ半年のカンシチの日課だった。
「今日もいい天気だ………ん?」
いつものように空を確認したカンシチだったが、彼のまだ半開きの目にはいつもと違う光景が目に入って来た。
(何で中庭でセイが身体を鍛えてんだ?いつもならこの時間は寝てるはずなのに……)
いつもの場所で展開される見慣れない光景に胸騒ぎを覚えたカンシチは足を速め、戦友星譚の下へ向かった。
「セイ!」
「ん?なんだ、カンシチか」
顔馴染みの友人に声をかけると、彼は振り返りカンシチと目が合った。その目はいつもと変わりなく涼しげで、カンシチはほっとする。
「どうしたんだ?今日はえらく早起きじゃないか?それにこんな場所で鍛えているなんて……」
「言うほどか?ちょいちょいこの時間に起きて、飯の前に一汗かこうとトレーニングしてるぞ、オレは」
「そういう時は王宮の外に走り込みに行くじゃないか。朝の王宮は飯やら何やらの準備でみんな忙しそうだから、邪魔にならないようにって」
「まぁ……それはそうだが……」
セイは若干口ごもりながら、傍らに置いてあったタオルを手に取り、汗を拭うと、首にかけた。
「マジで何で今日は中庭でやってたんだ?何か理由があるのか?」
「そんなもんはないさ……なんとなく……気分転換したかったんじゃないか?」
自分のことなのに他人のように語るのは、セイ自身もなぜいつもと違う行動を取ったのか理解できず、疑問に思っているからだ。
「ったく……なんかお前のことだから、トレジャーハンターの勘とかであいつらが帰って来るのを察知したのかと思ったのに……」
カンシチは大きなため息をつき、肩を落とした。妙に突っかかっていたのは期待していたからである。彼の恩人とその弟弟子に再会できるかも……と。
その気持ちはセイも同じだ。
「姫炎が皇帝になってから半年……つまりあの後すぐに諸葛楽とジョーダンの奴が姿を消してから半年か……」
「あぁ……どこ行っちまったんだろう、あいつら……?」
二人は雲一つない晴天の空を見上げ、ここにはいない友に思いを馳せた。
「諸葛楽の奴はずっと寝たきりだったのに、ある日突然、“ぼくはここにいる資格はないです”……なんて書き置きを残して消えちまって……」
「あとお詫びに色々と発明品の設計図を残してな」
「まぁ、気持ちはわからなくもないけどな……おれがあいつの立場だったら、周りに操られてたからお前に罪はないとか言われても、きっと自分で自分を許せない……」
カンシチは諸葛楽の気持ちを思うと、胸が締め付けられた。
「オレも奴の気持ちはわかる……諸葛楽の気持ちはわかるが、ジョーダン、あいつはなんなんだ……!」
一方、セイはジョーダンとの別れのことを思い出して、顔をしかめた。彼につられてカンシチも眉間に深いシワを寄せる。
「ネニュファールを修理したとたんに“天才は媚びない、群れない”とか、ほざいて出て行きやがって……」
「ふん!大方、諸葛楽の残した特級装甲の改善メモがショックだったんだろ」
「確かにあれは凄かった。あれの通りにやったら、持続時間が三十秒から五十秒に一気に伸びたもんな……あの傲慢で意地っ張りなジョーダンが素直に本物の天才と褒めるわけがわかったよ」
カンシチは肌身離さず持っているカード状のそれを取り出し、改めて感心しながら眺めた。
「きっと弟弟子に負けないように、新しい発明でもしているんだろうさ」
「だろうな。蚩尤のこともあるし……」
「……あぁ……!」
“蚩尤”、その名前が出た瞬間になんだかんだ和やかだった二人の雰囲気が一変する。
「オレ達が場違いにも王宮に腰を据えているのも、奴との決着をつけるためだからな」
「あいつをこの世から退場させないと、灑の国に、いや猛華に真の平和は来ない……それだけはおれの足りない頭でもわかるぜ……!」
二人はお互いに決意を確かめ、力強く頷いた。その時……。
「カンシチ!セイ!緊急事態だ!緊急事態!!」
「キトロンと……姫水様……?」
彼らの下に羽の生えた小人が飛んで、その遥か後方から息を切らしながら品のいい男が小走りでやって来た。
「緊急事態だ!二人とも!大変なんだよ!!」
「わかっている。お前だけならともかく姫水まで来るとなると、本当にヤバいんだろうな」
「おい!それって、どういう意味……うおっ!?」
セイは首にかけていたタオルを小人に投げて被せると、手で軽く払いのけた。
そうこうしている間にこの国の皇帝の息子も到着する。
「で、何があった?」
「ぜぇ……ぜぇ……すまない……ちょっと……待っていただきたい……!」
姫水はその立場から走ることなどほとんどないのだろう。久しぶりの激しい運動に膝に手を当て、呼吸を整える。
「ふぅ……」
「タオル使うか?」
「ありがとう、キトロン」
キトロンに渡されたタオルで額の汗を拭うと、姫水は背筋を伸ばし、表情を引き締め、いつもの精悍な王太子の姿に戻った。
タオルをキトロンに返したのを確認すると、そのタオルの本来の持ち主であるセイが話を進めるために口を開いた。
「それで、改めてどうしたんだ?」
「実はここ最近我が灑の国と慇の国の国境で不穏の動きがあると知らせがあってな」
「慇の国だって!?」
カンシチは予想だにしなかった名前の登場に驚きを隠せない。さらに言えば、彼は個人的にその名前にいい印象を持っていなかった。
「慇って、あの父殺し、弟殺しの暴虐の皇帝、王瞑が治めているあの!?」
「そうだ、あの慇の国だ。だが、カンシチ君、今この国の皇帝も兄を殺して玉座に着いたようなものだから、その言い方は……」
「……あ」
カンシチは慌てて口を押さえた。姫水の指摘通り、もう灑の国は慇の国をああだこうだと揶揄できる立場ではないのだ。その現状を作るために奔走したカンシチは特に。
「すいません……間接的に父君に、我らが皇帝に無礼を……」
口を滑らしたと、カンシチは深々と頭を下げる。
「別に構わない。それよりも話を続けたいのだが……」
「あっ!重ね重ねすいません。続けてください」
カンシチは今度はペコペコと軽く頭を動かし、どうぞどうぞと手を差し出した。
「では、改めて……国境付近で不穏な動きがあったので、磨烈と紫電の三羽烏を派遣したのだが、どうやらそのまま慇の国と戦闘になり、敗走したらしい……」
「あの三羽烏がか!?」
セイが声を荒げる!彼はかつて三羽烏と戦い、その実力を誰よりも高く評価している。
「君が驚くのも無理もない。あの三人は一見、全然、全くそうは見えないがかなりの実力者だ。半年前の内乱で官軍側についたのも、シュガさんや玄羽様といったこの国随一の傑物と戦うためだったし、それに見合うだけの力を持っていたと私は思っている」
「それはさすがにいい過ぎだが、あいつらの連携が崩されるなんて……敵は多かったのか?」
姫水は残念そうに首を横に振った。
「大軍が布陣していると聞いていたら、こちらも対処を変えていたさ。敵はあくまで少数、彼らと国境防衛の要『佐羽那砦 (さばなとりで)』の軍、それを指揮する『慶亮 (けいりょう)』だけで十分対抗できると判断した……したのだが……!」
姫水は悔しさから奥歯を強く噛みしめる。部下のために鬼のような形相で怒るその姿はいい意味で王族らしくなかった。
「つまり、オレ達に助太刀に行ってもらいたいと?」
「その通りだ……知っての通り、今この城で動ける戦力は君達しかいない」
「シュガの旦那と姫風様は姫炎皇帝陛下の視察に警護のために付いて行っちゃったし、玄羽のジジイは慄夏、文功率いる賛備子宝術院攻撃部隊は杏湖に帰っちまった。虞籍は盤古門の修復&強化で忙しいし、蘭景はどこにいるかもわからない」
「確かに……すぐに動けるのは、おれ達しかいないな」
「彼らに声をかけ、すぐに援軍を派遣するつもりだが、その前に君達に一足早く佐羽那砦に向かって欲しいんだ」
「そうか……」
セイは顎に手を当て、虚空を見つめ何かを考え始めた。
「セイ君……?」
「その佐羽那砦とやらは、ここからどれ位かかる?」
「マウを飛ばせば三日ぐらいかな……」
「なるほど……!」
まるで上司にお伺いを立てているような姫水に、セイはニヤリと満面の笑みを浮かべて答えた。
「ならば、オレ達のマウなら、薊と桔梗なら今晩にでも着くな!」
「おう!あいつらは長距離移動に特化した賛備子宝術院の秘蔵っ子だからな!」
決意を固めたセイとカンシチは王宮の方へと足早に歩き出した。
「そっちは食堂だぞ!?」
「腹が減っては戦はできん!まずは腹ごしらえだ!」
「というわけで、姫水様!申し訳ないけど、その間に他の準備をしてもらえませんかね?」
「……わかりました……!」
姫水は手のひらに拳を打ち付け、二人に頭を下げると彼らと逆の方に走って行った。
「おれっちも手伝いますよ!」
その後をタオルを持った小人がくるりくるりと宙を舞いながら、付いて行く。
「自分でも疑問だったが、今日に限って王宮に残った意味がようやくわかった」
セイの後ろで「おれもだ」と、カンシチが相槌を打った。
「トレジャーハンターの勘って奴がこうなることを予感していたんだな」
「そして、その勘が訴えている……この争いの裏にいる存在を……!」
カンシチは再び力強く頷いた。彼ら二人の脳裏には同じ人物……と言っていいものか、判断に困るが、同じ青銅の仮面が浮かんでいた。
「間違いなく蚩尤がこの件に絡んでいる……!おれの直感もそう言っている……!」
「黄括達と向かうなら慇か、我が祖国是だと思っていたが……」
「前者だったみたいだな」
「急ごう、磨烈達が心配だ」
「おう!!」
二人の勘は見事に的中していた。
彼らが命懸けで手に入れた平穏な日常は突如として終わりを迎え、この日より蚩尤との宿命の戦い、第二ラウンドにして、最終決戦が始まったのだ。