話し合い
「この無能が!!!」
バチン!!
「痛っ!?」
「…………」
怒声と頬を叩く音、そして痛みに耐える声が部屋中に響き渡る。この世界ではよくある……とまでは言わないがままある光景だが、一つ普通と違うのは痛がっているのは頬を叩いた方だということだ。
「この……お前という奴は……!!」
痛みを追い出すように手をブンブンと振りながら、涙目で男は目の前にいる今しがた自分が頬をはたいた自分よりも立派な容姿をした大男を睨んだ。
頬を叩いた方の男は猫背で痩せっぽっちで、卑屈そうな人間と聞いて、百人が百人思い浮かべるような姿形をしている。
「申し訳ありません、『黄括』様。自分の上司であり、取り立ててくれたあなたに迷惑をかけてしまい、この朱操、心から反省しています」
若干頬が赤みがかった朱操はまるで淡々と原稿を読み上げるように抑揚のない口調で反省の弁を述べ、頭を下げた。心がここにないことは明らか、目の前の黄括も当然気づいている。
「ふん!よっぽど悔しい思いをしたようだな。頭は自分を倒した奴のことでいっぱいか?」
「そんなことは……」
「別に取り繕らんでいい。そのジョーダンとやらは強かったのか?」
「…………はい」
黄括からは見えていないが、後ろに組んだ朱操の手は強く握りしめ過ぎて、手のひらに爪が食い込み、深紅の三日月を何個も作り出していた。
「そうか……つい無能と罵ってしまったが、お前のことをおれは買っている。そのお前が手も足も出ない奴がこんな片田舎にいるとは……」
「本当に申し訳ありません……どうやらこの国の人間ではないようです」
「外の人間か……本来優秀であるお前にわざわざ説明し直す必要もないが、ここ最近、税の徴収が活発化しているのは、今は休戦状態にあるが、この灑の国と長年戦争をしてきた『慇の国 (おんのくに)』」と『是の国 (ぜのくに)』に対する新型兵器を開発するため宰相様が皇帝陛下に提言し、認められたからだ」
「勿論わかっております……」
「その宰相様が近日、ここに視察に来る。我らにとって中央に行くチャンスだ。ここで成果を上げなくては……!」
「はい。そのために自分は輪牟の村に派遣されたのです」
「あぁ、そしてお前は失態を犯した」
「はい……」
朱操の爪がさらに深く手のひらに食い込んだ。
「戦士としてリベンジしたいお前の気持ちもわかる。だが時間がない、確実にその不届き者を始末するために、明日早朝『馬乾 (ばかん)』を派遣するつもりだ……異存はないな?」
「……もちろんです」
言葉とは裏腹に朱操の顔はまったく納得いっていない様子で、黄括はため息をついた。
「はぁ……話は聞いていたな!馬乾、入ってこい!!」
「はっ!!」
野太い返事が聞こえると同時に、部屋の中に肩で風を切りながら堂々とした大男が入ってきた。二の腕や太ももの太さは黄括の胴体ぐらいあるような男は朱操の横に並ぶと足を止めた。
「今、言った通りだ。輪牟の村に行って、愚かにも中央政府に楯突く愚か者を懲らしめてこい」
「了解しました!それではすぐに準備に取りかかります!」
馬乾は反転し、今入ってきた場所に向き直した。
「悪いな、朱操……お前のリベンジが果たされることはないぞ」
「……いえ、ご武運を」
「あぁ、任せておけ」
朱操と目も合わさずにそう言うと馬乾は部屋から出て行った。滞在時間は一分もなかっただろう。
「お前も戻っていいぞ、朱操」
口では優しげに言っているが、しきりに手を振って促すその様は部屋から早く出て行って欲しいと思っていることは明らかだ。朱操もそれは重々承知しているが……。
「……なんだ?まだ何かあるのか?」
彼の足は動かなかった。真っ直ぐと上司を見つめ、仁王立ちのままだ。黄括は眉間にシワを寄せながら、不遜にも思える態度を取る部下に問いかけた。
「申し訳ありません……ただ、自分も馬乾殿に同行させていただきませんでしょうか?」
「同行?さっきも言ったが……」
「わかっております。あくまで同行するだけ、手は出しません。馬乾殿も正々堂々相棒と二人で戦いたいはずですから」
「ふむ……」
黄括は顎に手を当て、考えた……が、もうめんどくさくなったのか、ある人物に丸投げすることにした。
「徐勇!お前も聞き耳立てているんだろ?」
「はっ!」
部屋の外から少しの戸惑いをはらんだ返事が返ってきた。
「お前も馬乾について行け!朱操のことは昔なじみのお前に任せる!余計な真似をしないように見張っていろ!!」
「はっ!」
「……これでいいか?」
「はい!ありがとうございます!」
朱操はもう一度上司に頭を下げてから部屋を出て行った。
「ふぅ……とりあえず良かったってことでいいかな?」
緊張から解き放たれた徐勇は廊下を歩きながら、斜め後ろをついて歩く幼なじみに話しかけた。
「良くはないさ……!本当なら俺自身が……!」
朱操は悔しさをすり潰すように歯ぎしりをする。
「で、でも良く我慢したね。黄括様は君の一番嫌いなタイプなのに、あんな嫌味を言われて大人しくしているなんて……」
これ以上この話をしているとまためんどくさいことになりそうだと思った徐勇は慌てて話題を変えた。しかし……。
「ふん!確かにあいつみたいな上に媚びるだけで実力もないのに出世していくような奴は軽蔑するが、今回は俺の落ち度だ。そもそもエリートであるこの俺がこんな辺境に飛ばされることになったのは、あいつに似たクソ上司を感情に任せてぶん殴ってしまった結果だしな……同じ轍は踏まんよ」
「そ、そうだね……」
「それに奴は最早一番じゃない」
「えっ?」
朱操が立ち止まると、徐勇も足を止め、振り返った。
「今、俺が一番嫌いなのは、あの黄括よりも憎らしいのは……あのジョーダンとかいう自称天才のクソメガネだ……!」
「朱操……」
「馬乾殿は尊敬しているが、できることなら奴を倒して欲しくない……あの下品な金色の龍の首を取るのはこの朱操だ……!!」
「朱操、気持ちはわかったから……」
「お前も見ていただろ!?あの野郎は俺を……」
(あぁ……これ、延々愚痴を聞かされるパターンだ……)
徐勇の思惑は水泡へと帰した。この後、予想通り、いや予想以上にヒートアップする幼なじみに付き合わされることとなった。
「はっはー!最高の夜だね!」
冷たい炎に炙られているような朱操達とは対照的に輪牟の村の集会場では明るい笑い声がところ狭しとこだまする活気ある宴会が開かれていた。もちろんその中心にいるのはあの自称天才のクソメガネだ。
「まだまだおかわりがあるからのう!たんと食べてくれ!」
厘じぃは両手に持った大きな皿をジョーダンの前に置いた。その周りにも豪勢とは言えないが、美味しそうなご飯が盛り付けられた皿がたくさん並んでいる。
「この野郎め!こんなに食い物隠し持っているなんて、だったら素直にあいつらに渡してやれば良かったんじゃないか?っていうか、生き倒れのボクを助けろよ」
「そう責めんでくれ。これは村に何かあった時のために備蓄していたものじゃ。人でなしと思われるかもしれんが、こういうセコい真似もせんと、村を守っていけんのじゃ」
「責めてはないよ。むしろ褒めてる。こういう強かな考えは嫌いじゃない」
ジョーダンはニッと口角を上げた。その表情から言葉に嘘はないとわかり、厘じぃを始め、村人達は胸を撫で下ろした。やはり村の外に捨てようとした負い目は大きかったのだろう。
「そう言ってもらえると救われるよ……」
「いやいや、実際に救ってやっただろ?」
「はははっ!違いない!その救世主様を労う宴であったな!」
「そうそう、その通り」
「では、盛大にやってくれ!酒も、ほれ」
「いや、酒は結構」
「なんだ?飲めないのか?」
「家の決まり……というか、龍の家紋を持つ者はお酒は基本的に飲まないようにしつけられるんだよ。悪いね」
「別に謝ることでもねぇ。じゃあ、飯をどんどん食べてくれ!」
「言われなくても。老い先短いジジババよりボクのような天才にこそ栄養が必要だからね」
「言ってくれるな!」
「「はっはー!」」
集会場はまるで黄金の太陽に照らされ、爽やかな風が吹き抜ける草原のような暖かい空気に包まれていた……たった一人を除いて。
「おい、ジョーダン……」
そのたった一人の男、カンシチはジョーダンの横に来るとそっと囁いた。
「ジョーダン、少し話がある。付き合ってくれないか?」
「…………」
ジョーダンは答えない。
「なぁ、ジョーダン、大事な話なんだ」
「…………」
やはり答えない。
「なぁジョーダン、聞いているか?」
「…………」
やはり……。
「……おい、おれはお前の命の恩人だぞ……?返事くらいしろ」
「…………」
「……そろそろ怒るぞ」
「…………」
「そうか……そっちがその気なら表に出やがれッ!!」
「バカか、キミは!!あの自称エリートにボロクソにやられた奴が、そのエリート様をボロクソにしたボクに勝てるわけないだろ!!」
「なんだと!!」
「話ってのも察しがついているんだよ!ろくでもないことだってね!ボクは天才だからね!!」
「この……野郎……!!」
立ち上がり、至近距離でメンチを切り合う二人。まさに一触即発、今にも爆発しそうだと誰もが思ったその時……。
「待て待て!!二人とも落ちつきなさい!!」
「厘じぃ!?」
「じいさん……」
カンシチとジョーダンの間に老人がその痩せ細った身体を捻り込み、引き離した。
「カンシチ!話を聞いてもらいたい奴の態度じゃなかろう!本気で聞いて欲しいことがあるなら感情に身を任せるな!!」
「それは!……まぁ、そうか……」
久しぶりに厘じぃのお説教を食らい、カンシチは肩を落とした。確かに人にものを頼む態度じゃなかったと。
「まったく……まだまだじゃな。で、ジョーダン殿……」
「ボクにもお説教かい?」
「いえいえ、村の恩人にそんなことはせんよ。ただカンシチはあなたが思っている通りいい人間じゃ。そしてあなたが思っているよりずっと聡い。話の一つぐらいは聞いてくれてもいいと思うんじゃが……」
自分の祖父母と同じか、それ以上に年を重ねた人間にそこまで言われるとさすがのジョーダンも無下にはできない。
「……まさかジジイに上目遣いのお願いをされることになるとは……まぁ、話を聞くぐらいなら……」
「本当か!?」
カンシチの声が一段階高くなり、顔がパアッと明るくなった。
「あくまで聞くだけだからな。外で話そう、夜風に当たりたい」
「おう!」
めんどくさそうなジョーダンと強い決意を胸に秘めたカンシチは集会場を後にした。
輪牟の村は星が綺麗に見えた。今夜は特に一つ一つが宝石のように輝いているようだった。
そのロマンチックな満天の星空の下、しかめっ面の男二人が夜の心地よい風で頭を冷やしながら練り歩く。
「……ここら辺でいいだろう」
先を歩いていたジョーダンが立ち止まり、身体を傾けた。正面から向き合おうとしないのは、わかりやすい拒絶のサインだろう。顔もそっぽを向いている。
「あぁ……」
その態度にカンシチはまた苛立ちを覚えたが、ぐっと堪えた。こうなることは承知の上。この性格の悪いメガネを説き伏せるには冷静さが不可欠だ。
「それで話ってのは……」
「いきなりなんだがジョーダン、お前に……」
「この国を、灑の国を救ってくれっていうなら、嫌だよ」
「この国を、灑の国を……って!ええっ!!?」