人間を極めし者②
襲撃者は背も高く、均整の取れた筋肉をその身に纏っていたが、顔にはあどけなさが残り、まだ子どもと言っていい年齢だった。
「十代半ばってところか……?」
「そんなもんだな……でも、そんな若い奴が何で?」
「さぁな?宰相に差し向けられた刺客か、
はたまた全く別の勢力か……」
「ごちゃごちゃ考えてないで、訊いてみたらいいじゃん。目の前にいるんだし」
「キトロン、お前……その通りだな」
セイは手綱を軽く引っ張り、マウを襲撃者の方に向けた。
「お前は何者だ!一体、何が目的で、お前みたいな子供がオレ達にいきなり飛び蹴りなんてかましてきやがったんだ!!」
「子供扱いするな!!」
自分に対する態度が気に食わなかったらしく、襲撃者は声を荒げ、威嚇をする……が。
「そこでムキになるのが、子供だって言うんだよ」
「――ッ!?」
セイの方が一枚上手だったようだ。つい先ほどまで混乱の中にいたセイだが、今は冷静さを取り戻し、完全に精神的に主導権を握っている。
「大人として扱われたいなら、きちんと言葉を交わせ。コミュニケーションを大事にしろ」
「どの口が言ってるんだ?」
「黙れカンシチ、お前はすっこんでろ」
「へいへい」
「もう一度言う、お前の目的はなんだ?」
どうやら出発前にシュガに言われたことを気にしているようだったが、それがいい方向に働いていた。
どちらかというと直情的なセイに理性的にさせ、そしてそんな彼から紡がれた言葉は襲撃者にも落ち着きを与える。
「オレ……いや、自分は拳聖玄羽が一番弟子、『林江 (りんごう)』!!ジョーダン、カンシチ!お前達の魔の手から師匠を守るためにやって来た!!」
「……何?」
セイの眉がひくつき、眉間に深いシワが刻まれた。襲撃者が何故か自分達のことを知っていたから……ではなく、あのジョーダンと間違われたから。そんな失礼極まりない真似をされたら怒るのも当然だ。
「おい!誰がジョーダンだ!!オレは星譚!!あんな奴と一緒にするな!!ミンチにするぞ!!」
「いっ!?」
あまりの剣幕に林江は思わず気圧された。せっかく冷静に会話ができていたのに台無しだ。
「おいおい!そこじゃないだろ、注目するのは!」
「気持ちはわかるけど、クールになりなさいよ、クールに」
「あぁわかっているさ、カンシチ、キトロン……!」
仲間に宥められ、セイは必死に憤怒の感情を胸の奥に押し込めた。そして乱れた髪や服を整えると、再びゆっくりと言われた通り落ち着いたトーンで話し始めた。
「声を荒げて済まなかったな」
「いえ、それは別にいいですけど……」
いきなり飛び蹴りしてきたのが、嘘のように林江は素直に応じた。きっと根は素直でいい子なのだろう。
「お前はオレ達のことを魔の手と言ったが、それは灑の国のいざこざに巻き込むなと、そう言いたいんだな?」
「そうだ。お師匠様はそういうことに嫌気が差して、俗世との関わりを捨てたんだ。今さら引っ張り出そうとするな……!」
林江は林江で心の奥に燃え滾る熱い感情を必死に押し殺そうとしていた。しかし、まだ未熟な彼では感情を完璧にコントロールすることは難しく、眼の奥にメラメラと怒りの炎が燃えている。
その姿を見て、セイはどこか懐かしさを感じた。
(あの姿はまるで……)
セイはマウから飛び降り、林江の下へと歩き出す。
「おい!?」
「安心しろ、無茶はしない。薊を頼む」
戸惑うカンシチに賛備子宝術院から借りて、これまで一緒に苦楽を共にしてきた愛マウを預けると、セイは林江と真っ正面から対峙した。
「林江と言ったな……?」
「あぁ……」
「拳聖玄羽の弟子ということはお前も武道家なのだろう?」
「あぁ、そうだ……!」
「ならば手合わせだ。お前が勝ったら、オレ達は大人しく帰ってやる。オレが勝ったら、なぜお前がオレ達の……不愉快な間違いをしていたがオレ達の名前を知っていたか、そして玄羽が今、どこにいるのか教えてもらおうか。それが一番手っ取り早いだろ?」
「なんと粗野で原始的な……」
「嫌か?」
「望むところだ!!!」
笑みを浮かべながら林江は構えを取る。
その姿はまさに武術の教科書があったら、お手本として乗っていてもいいような見事なもので、彼が毎日鍛練を欠かしていないことの証明でもあった。
「改めて拳聖玄羽が一番弟子、林江!!」
「ならばオレも今一度名乗らせてもらおう。姓は星、名は譚、是の国生まれのトレジャーハンターだ。今は訳あって姫炎の下に身を寄せているがな」
「先ほどは名を間違えて失礼した。お詫びと言ってはなんだが、先に仕掛けてくるといい」
「子供がそんなことを気にするなよ……大人のオレが胸を貸してやるから、遠慮しないでそっちから来な、武道小僧」
セイは左の人差し指をちょいちょいと動かして、林江に先手を取ることを促した。あからさまな挑発……なのだが。
「子供と子供と……!その減らず口!後悔させてやる!!」
林江はまんまと引っかかる。激情に任せて、地面を蹴り、固く握り込んだ拳をムカつくセイの顔面に向かって撃ち下ろす!
「だから、そうやってムキになるから、ガキなんだよ」
ヒュッ!ガッ!
「なっ?うあっ!?」
拳はいとも容易くかわされると、林江の視界が地面に覆われた。そのままその地面に向かって、為す術なく倒れる。
「くっ!?」
「自分が何されたかわかるか?」
「……攻撃を回避された挙げ句、足を引っかけられて無様に転んだ……!」
「そうだ……これがオレとお前の実力の差だ」
わざわざ自分の口で失態を言語化させたのは、その方が後々林江のためになると思っているからだ。そしてあわよくばこのまま心が折れてくれればと。
「まだだ!まだ終わっていない!!」
しかし、その行為は林江の心の炎に油を注いだだけだった。飛び起きると、すぐに反転し、再び拳を繰り出す!しかし……。
ヒュッ!!
「フォームはきれいだ、よく練習している……故に読み易い」
再び林江のナックルは何もない空間を通過した。それだけでも屈辱的なのに敵であるセイは頼んでもいないのに、淡々とアドバイスをして来て、武道小僧の心をさらに逆撫でする。
「勝手に師匠ぶるなよ!!」
それでもめげずに林江は拳を撃ち込み続ける。
ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!!
けれど結果は変わることはなかった。
「圧倒的だな、セイ」
「そりゃあ、あいつはマシンパワー抜きの格闘戦に限ればジョーダンよりも上だからな。それこそ大人と子供の戦いにしかならねぇよ」
遠目から見ても、その差は歴然だった。そして当然、そんな状態が続けば当時者のメンタルはさらにボロボロと崩れ落ちていく。
「このぉ!!」
今までで一番力と苛立ちを込めた拳が振り下ろされる。しかし、それは同時に今までで一番モーションが大きかった。
「きれいなフォームが崩れては、褒めるところが一つもないな」
ブン!
「ッ!?」
ひらりと難なく回避する。だが、今回のセイは避けるだけではなく、懐に潜り込み……。
ドォン!
「――がっ!?」
カウンターで膝蹴りを林江の腹に容赦なく叩き込んだ。
林江の身体は直角に曲がり、口から全身を巡るはずだった酸素が唾液と共に追い出される。そしてそのまま膝から崩れ落ち、片手は腹を押さえ、もう一方は地面に着く。その姿はまるで許しを乞うているようだった。
「決まったな……オレの勝ちだ」
「ぐうぅ……!!」
物理的にも精神的にも上から目線で放たれる勝利宣言、林江は心の中では「ふざけるな!まだ終わっていない!!」と高らかに反論しているが、現実では肉体が完全に屈服し、唸り声を上げるだけで精一杯だった。
「恥じることはない。お前はまだ若いんだからな。人生はトライ&エラーの繰り返しだ。失敗や敗北を糧にしろ。そして無様でも生き続けて、最後には栄光を勝ち取れ」
「何を……偉そうに……!!」
「勘違いするな、これはオレの言葉じゃない……オレがお前と同じ年の頃、師匠にボコられた後にかけられた言葉だ」
「師匠の……」
「オレもお前と同じ、憧れに近づくために必死だった……あの時のオレよりもお前は遥かに強い。だから、自信を持て」
セイは林江と過去の自分を重ね合わせていたのである……大きな背中を追いかけ、がむしゃらだったあの頃の自分に。だから指導まがいの戦いを続け、最後は彼の“糧”になるように全力で叩き潰したのだ。
そしてセイの意図を察した林江は、認めるしかなかった……自分の敗北を。
「自分の……負けです……」
「そうか……じゃあお前の師匠、玄羽の下へ案内……してもらう必要ないよな!!」
「えっ?」
突然、セイが空に向かって大声で問いかける。林江は何がなんだかわからなかったが、すぐに理解することになった。
空から彼の憧れの存在が降ってきたのである。
「ほう……よく気づいたな」
「お師匠様!?」
そう言って、空から降ってきたのは、まるで骨に皮が張り付いたような細身の老人であった。
「よく気づいたって……気づかせるように殺気をビンビン飛ばしていたじゃないか」
セイの言葉に同意するように遠くで観戦していたキトロン達は首を縦に振る。
鋭敏な感覚を持ち合わせている妖精はもとより集中力さえ切らしていなければ、いくつかの戦いをくぐり抜け、雪破で鍛え直したカンシチももはや一介の戦士としては十分な実力を持っていたのだ。
「さすがだな。わしの殺気を感じ取れなかったのは、この場ではどうやらお前だけのようだな、リンゴ」
「……はい、修行不足でした……!」
林江は悔しさから土を抉り、握りしめた。
「さて……わしの弟子……と言っても、わしが認めた訳じゃないのだが、リンゴが世話になったな」
「自称だったのか?」
「……はい、お恥ずかしながら……」
「そんなところまで似なくてもいいのに……」
セイは林江と過去の自分の厚かましさに、呆れ返り、天を仰いだ。本当ならばこのまま布団にくるまって、のたうち回りたいところだが、気持ちをなんとか切り替える。
「で、その押し掛け弟子のリベンジをしようっていうのか?」
「そんな大層なことじゃない……ただ……」
「ただ……?」
「久しぶりに戦いの熱気に当てられ、年甲斐もなく、はしゃぎたくなっただけだ」
「「「――ッ!?」」」
言葉が言い終わると同時に、その細い身体から生物の持っている根源的な恐怖心を刺激するような強烈なプレッシャーが解き放たれた。
「老いぼれが何ほざいてんだ!……とか、素人なら思うんだろうな」
「いや、キトロン……お前や数々の修羅場をくぐり抜けて来たセイだけじゃなく、おれまで今すぐ逃げ出したいほどびびってるんだ……誰だって、あのじいさんが別格だって一目でわかるだろうぜ……!」
「……かもな」
この茹だるような暑さの中、風呂上がりのようにびしょびしょだったカンシチの汗はすっかりと引き、逆に汗一つかいていなかったキトロンの頬を一筋の水滴が伝って落ち、地面にシミを作った。
彼らの目には細身の老人が今にも自分を頭から食い殺そうとする巨大な獣に見えているからだ。
「オレ達がここに来た理由は聞いていたな」
「あぁ、もちろん。わしに勝てたら……なんて無茶は言わん。わしに一撃でも当てたら、お前らの仲間にでもなんでもなってやろう」
「一撃だと……などとは言うまい……それがどんなに困難なミッションかわかるぐらいの分別はある……!」
セイは玄羽から一瞬も目を離さずに、懐から取り出した手甲をはめた。
「結構結構、全力で来い……それがわしの望みだ」
「ならば遠慮はしない!行くぞ!撃猫!!」
眩い光に包まれながら、セイは玄羽に向かって突進!光から出てきた時にはオレンジ色の装甲を身に纏い、拳を振りかぶっていた。
「オラアッ!!」
何の躊躇もなく行われる老人虐待!……になるはずだったのだが……。
「ふん」
スッ……
「なっ!?」
玄羽はヌルリと今までセイが見たことのない動きで渾身の拳を回避し、さらに撃猫の横に回り込んだ。
「そんなんじゃ、わしに一撃を与えるなんて夢のまた夢だぞ」
「ちっ!?」
玄羽は拳を握りしめ、カウンターの体勢へ。タイミング的にも今の撃猫は絶対にかわせない。
けれど、セイは思いの外焦ってはいなかった。
(ミスった!しかし、いくら拳聖と呼ばれる男でも、生身の拳で骸装機の装甲には……)
「素手の攻撃など、骸装機には通用しないと思っているのか?」
「!!?」
「伊達に“拳聖”や“人間を極めし者”とは呼ばれてないんだ……よ!!」
ボォン!!
「――がっ!?」
撃猫の身体は直角に曲がり、口から全身を巡るはずだった酸素が唾液と共に追い出される。そしてそのまま膝から崩れ落ち、片手は腹を押さえ、もう一方は地面に着く。
その姿はまるでついさっき彼が下した林江と瓜二つの惨めなだった。




