人間を極めし者①
灑の国の『慄夏 (りっか)』はその年一番の暑さを記録していた。
熱によって空気が歪み、燦々と照りつける太陽が身体から水分を絞り出す。
そんな茹だるような暑さの中、男が二人、カンシチとセイがある目的のためにマウを歩かせていた。
「あちぃ~な、もう!!」
カンシチの顔はまるで風呂上がりのように、びちょびちょだった。拭っても、拭っても次から次へと新たな水滴が溢れ出す。
「情けないな、こんな暑さぐらいで……」
そう言うセイも滝のように汗を垂れ流していて、発言に説得力が全くない。
「人のことを情けないって言うなら、その汗止めてから言えよ。つーかお前、愛羅津さんともっと暑い場所に行ったことあるって自慢してなかったか?」
「ふん、それを言うなら、お前も輪牟も暑いところだったし、その村で農業に勤しんでいたから平気と嘯いていたじゃないか。それがその様とは……」
「あぁん?お前よりかはマシだろ……!見ろよ、この涼しげな顔を!!」
「オレには今にもへばりそうに見えるが……!!」
「てめえ……!」
「なんだ?やるのか……!!」
サウナの我慢対決のような精神年齢低めな争いで視線をぶつけ合い、激しい火花を散らす二人。いや……。
「…………やめだ、くだらねぇ……」
「あぁ、余計に暑くなるだけだ……」
さすがにそこまでバカではなかった。ほぼ同時に前を向き直し、ゆらゆらと揺れている遠くを見つめた。
「ったく、安請け合いするんじゃなかったぜ」
「……同感だ」
事の発端は今から数日前、彼らがちょうど雪破に入城してから一ヶ月経ったその日まで遡る。
「悪い知らせといい知らせがある」
集めたジョーダン達三人に、シュガはそう言って話を切り出した。
「お決まりのパターンだと、この後どっちから聞きたいとまた質問が飛んでくることになるんだけど……」
「まぁ、まずは悪いニュースからだろうな」
「……だな」
三人は驚くこともせず、淡々と答えた。雪破に滞在して一ヶ月、自分達の置かれている状況のマズさにはとっくに気づいている。
「その分だと言うまでもないが……お察しの通り、いまだに味方になると馳せ参じてくる将が一人もいない……それが悪い知らせだ」
あれからそれなりの時間が経っていたが、反乱軍の人数はあの時とほとんど変わっていなかった。せっかく色を塗り直した鉄烏も余っているというのが、彼らが直面しているあまりに悲しい現実であった。
「一応、民間からは協力してくれる者も現れているが、こちらも予想より遥かに少ない……」
「姫水の感じていた懸念は彼の想像を越えて、的中したってことだね……外の人間であるボクらと肩を並べるのが、そこまで嫌かねぇ……」
「それは……」
「…………」
生まれは海外だが、この灑の国に誰よりも愛情を持っているカンシチと、この反乱軍の事実上のトップであるシュガが責任を感じ、目を伏せた。
その様子に強い憤りを覚えたのがセイだ。
「落ち込んだって仕方ないだろう。それこそ姫水が一月以上前から予想していたことだ……覚悟はできていたはずだ」
「セイ……あぁ!そうだな!この程度のことでへこたれてちゃダメだよな!姫水様も無い物よりも、持っている物を喜ぶべきだって言ってたし!」
セイに発破をかけられ、カンシチは元気を取り戻す。その姿を見て、俺も負けてられないとシュガが顔を上げた。
「お前達の言う通りだ。現状は厳しいが、悪い話ばかりではない」
「そうだよ!いいニュースもあるんでしょ?早く聞かせてプリーズ!」
「では、ご期待に応えて……いい知らせというのは、官軍の方も我らと同じ状況ということだ」
「……つまり向こうにつく奴らもいないのか?」
シュガは力強く頷いた。
「我らに対しても、あちらに対しても城主の体調が悪いとか、軍の者は突如発生した起源獣の討伐に忙しいとか、理由をつけて召集を断っている」
「はっ!博打を打つ勇気もない癖に、勝ち馬には乗りたいどっち付かずのくそどもがやりそうなことだね」
ジョーダンは顔を知らぬ卑怯者たちを心の底から軽蔑した。この期に及んで、決断できない人間が人の上に立つ資格などないと。
「そう言いたい気持ちもわかるが、これは間違いなく朗報だ。圧力なりなんなりをかけて強制的に戦力を集める可能性もあったのだからな」
「それをやったら、逆にこっちに靡く者が出てくると思って、宰相サイドも静観しているんじゃない?」
「今の段階でも、オレ達より数は多いはずだからな。余計な真似をしない方が得策だと考えているのかもしれん。だがいざとなったら……」
「お前達……萎えるようなことを言うなよ」
カンシチは恨めしそうに、妙に冷静な二人を睨み付けた。
「まぁ、丞旦たちの言うことも一理ある。このままではこちらの戦力はあまりにも心許ない」
「で、そのことについて慰めて欲しいのかい、シュガ様は?」
「まさか」
シュガはニヤリと口角を上げると、セイの方を向き直した。
「なんだ?オレに何か用があるのか?」
「あぁ、この戦いに勝利するためにどうしても欲しい人材が二人ほどいる。その内一人をお前に連れて来てもらいたいんだ」
「あんたほどの人間がそこまで言う奴が……けれど、今までの話を聞く限り、それなら灑の国育ちのカンシチが言った方がいいんじゃないか?」
セイは自分よりその任務に相応しいと思われる隣にいるカンシチを親指で差す。無言を貫いているがジョーダンもその意見には内心で同意していた。
しかし、シュガの考えは違う。この国の人間ではない、是の国出身の星譚でなければいけないのだ。
「いいや、星譚、お前が行くべきだ。それにこの名前を聞けば、きっと自分から行きたいと手を上げるだろうさ」
「ん?」
「お前に説得してもらいたい男の名は……『玄羽 (げんう)』だ」
「なんだと!!?」
セイは思わず一歩前に出る。それほどその名前は彼には、いや是の民には求心力のあるものだった。
「おい!?いきなりどうした!?その玄羽ってのはそんなに凄い奴なのか?」
てんで何のことかわかっていないカンシチは鬼気迫るセイとは対照的な惚けた顔を傾けた。
「玄羽の名前を知らない……まぁ、灑の国の人間ならそういう奴もいるか……むしろだからこそ隠れ場所に相応しかったんだろうしな」
「そうだ、今あの方は人の少ない慄夏という地方のさらに奥、完全に俗世と関係を断っている」
「そうか……」
「だからお前に……」
「ちょいちょい!勝手に盛り上がらないで!無知なぼくにも説明プリーズよ」
自分を無視して進む話に不快感を覚えたカンシチが二人の間に割って入った。
セイとシュガは「めんどくさいけど、ここで無視した方がよりめんどくさくなるよな……」と考え、諦めのため息を一回つくと、口を開いた。
「玄羽というのは是の国の英雄だ。それこそこの国で言うところのシュガみたいな者だ」
「まぁ、起源獣災害をどうにかして名を上げたという点では一緒だが、俺の場合は岳布もいたし、武道家として“拳聖”、“人間を極めし者”とまで称される玄羽様と同じ扱いをされるのは、あまりに畏れ多い」
「マジか……そんなに凄い人なのか。でも、それだけの活躍と勇名ならおれも知ってそうだけどな……」
記憶をサルベージしようとカンシチは顔をしかめ、顎に指を当てて、虚空を見上げた。けれど、一向に彼の脳内データベースには“玄羽”の名前はヒットしない。
「世代的に知らないのも無理もない。あの人が活躍したのはオレ達の生まれる遥か前だ。しかも、その活躍や人気を妬んだ是の国の王族、貴族に冷遇され続けていたからな」
「それで今は灑にいるのか」
「あぁ、是には……というより、下らない権力闘争に嫌気が差したんだろう。本当は中央に招きたかったのだが、玄羽様はそれを拒んだ。ならば出ていけと、追い出して慇あたりに行かれても困るので、慄夏で隠居してもらうのがベストだと当時の灑の政府は考えたんだ。そしてあの人はそれを受け入れた」
「オレの家が是を出ることになったのは、ばあちゃんが“玄羽様がいない是は終わりだ”って言い出したからだ。あの世代は本当に玄羽が好きだからな。オレもよく武勇伝を聞かされた。そのおかげで是の中ではいまだに認知度が高い。まぁ、半分おとぎ話みたいになっているがな」
「へぇ~、あの手癖の悪いエキセントリックなばあちゃんもそこまで心酔しているのか」
「人の祖母をなんだと……!だが、否定できないのがもどかしい……!」
反論できない悔しさにセイは下唇を噛むことしかできなかった。
「んで、話を戻すと、その拳聖様に再び俗世に降りて来てもらうために、セイを慄夏に送り込むってわけか」
「ずいぶんと他人事だが、お前にも行ってもらうぞ、次森」
「えっ?おれも?」
不意を突かれ、きょとんとした顔でカンシチは自分を指差した。
「別に行くのは構わないけど、何ゆえ?」
「それは……」
「あぁ?」
シュガがセイに視線を移すと、冷静に見えて、誰よりも血の気の多いトレジャーハンターは反射的に睨み返した。
「はぁ……そういうところだ……星譚、お前は愛想がなさ過ぎる」
「なるほど。おれにそれを補えってことね」
「そうだ。星譚、トレジャーハンターとして独り立ちしたいなら、もう少しコミュニケーション能力も磨いた方がいいぞ」
「ぐっ!?言わせておけば……!!」
だが、それ以上の言葉は出て来ない。今、真っ正面から指摘されたことはセイ自身も密かに気にし、改善しなければいけないと常々思っていたことだからだ。だから彼は今回も再び、先ほどよりも強く唇を噛むしかなかった。
「まぁ、そういうわけだから、明日にでも……」
「あのさぁ……ボクのこと忘れてない?」
完全にいないものとして扱われていたジョーダンがついに不満を口にした。
「悪い悪い、お前の言う通りすっかり忘れてた」
「おい!ひどいじゃないか!容赦がないのは、戦闘の時だけにしてくれ!」
「本当に悪かったよ、この通りだ」
言葉とは裏腹にシュガは腕を組んで、ふんぞり返り、全然申し訳なさそうじゃなかった。
「そう思うんなら、頭ぐらい下げなよ……ったく!で、ボクはどうすればいいんだい?」
「いや、別にお前には特に何もしてもらわなくてもいい」
「はぁ?てっきりボクはもう一人の仲間にしたい奴を連れて来いって、言われるかと」
「そっちはいい。あいつは……正確にはあいつの主人は猜疑心の強い男だからな。変にこちらからアプローチすると、逆に心が離れていく」
「じゃあ、どうするのさ?」
「一方で打算的なところもあるから、玄羽様がこちらの味方になったと聞いたら、あちらから接触、上手くいったらそのまま仲間になってくれるはずだ」
「ふーん……だったら、キミ達の任務は玄羽だけじゃなく、もう一人もゲットできるかどうかの超重要任務ってことか」
ジョーダンはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら、セイとカンシチの顔を交互に眺める。
性格の悪い自称天才の意図に気づいた二人は負けじと笑い返した。
「ふん!プレッシャーをかけてるつもりか?」
「拳聖だろうがなんだろうが、おれとセイがきっちりがっちり連れて来てやんよ!!」
「……なんて、安請け合いするんじゃなかったな……」
セイとカンシチ、二人ともあの時の発言を激しく後悔していた。
「まさかターゲットにたどり着く前に、こんな苦難が待っているとは……」
「もしかしてシュガさん、こうなることがわかっていて、自分で行きたくないから、あれこれ理由をつけておれ達に行かせたんじゃないだろうな……?」
「あり得るかも。あの毛深さだと暑さは堪えるだろうからね」
そう言って、カンシチの周りを何食わぬ顔でキトロンは飛び回った。
「お前はずいぶんと余裕だな……?」
「おれっち達、ルツ族は環境適応能力が高いって、ボルシュ様が言ってた。実際、おれっちはだいたい十分あれば、暑さも寒さも感じなくなるな」
キトロンは自慢気に小さな胸を精一杯大きく張った。
「羨ましいことで……」
「まったくだ……」
「へへん!もっとおれっちのことを崇めろ!讃えろ!わざわざ付いて来てやったことに咽び泣いて感謝しろ!」
「調子に乗るな」
「いてっ!?」
さすがに鬱陶しかったので、カンシチが中指でキトロンをパチンと弾いた。
「ひどいぞ!ルツ族虐待だ!」
「お前が暑苦しいからだ、お前が悪い。つーか、別に一緒に来て欲しいなんて頼んでねぇし。単に暇潰しに来ただけだろうに」
「カンシチ……!おま――」
ゾクッ……
「――ッ!!?」
突如としてキトロンの全身に悪寒が走る。彼の鋭敏な感覚が捉えたのだ……殺気を!
「セイ!避けろ!!」
「何?」
「せいやあぁぁぁっ!!」
セイはキトロンの声に反応して、マウを動かすと、目の前を飛び蹴りする人影が通過した。あと一秒でもキトロンが気づくのが遅かったら、もろに食らっていただろう。
「助かった、キトロン……結果として、お前がいてくれて正解だった」
「だろ!だろ!おれっち超優秀!」
キトロンは満面の笑みを浮かべ、これ見よがしに宙返りをして、再び胸を張り裂けんばかりに張った。
一方、襲撃をかろうじて回避したセイとカンシチの顔は険しい。自分達の不甲斐なさと、予想だにしなかった襲撃者の姿のせいで……。
「想像以上に暑さで集中力が乱れていたようだな……情けない……!」
「まぁ、その通りだけど今回は敵を褒めてもいいんじゃないか?まさかあそこまで気配を消せるとは……あんな子どもが……!!」




