無いものよりも……
「申し訳!本当に申し訳ありませんでした!!」
忘れられた地下通路でのドタバタの翌日、雪破の城の中、丸い食卓に手をつき、文功は対面に座っている男に深々と頭を下げた。対面の男というのはもちろん次森勘七である。
「いやね、別にいいのよ、終わったことだし、おれはもう気にしてないから、本当気にしてないから」
誰がどう見ても滅茶苦茶気にしていた。
ふてくされたような態度で食卓に置いてある食べ物を口に放り込んだ。
「私も心を痛めていたんです……カンシチさんを騙すようなことをしていいのかと……!」
「騙すような、じゃなく完璧に騙す行為だけどね」
「――ッ!?そうです……その通りです……!」
「賛備子宝術院で文功さんが一際、辛そうな顔をしていたのをよく覚えているよ」
「……はい」
「てっきりおれは宝術院が協力を断ったことや、混迷極める灑の国のことを無視することに心を痛めていると思っていた」
「……はい」
「でも、まさかあの時には既に姫炎様と話がついていて、雪破に来る算段までできていたとは!あの辛そうな顔はそれをおれに知らせない、それどころかおれのプライバシーを罠に使うことに罪悪感を感じていたからだったんですね!」
「重ね重ね申し訳ありません!!」
文功は額をガンッと食卓に叩きつける。その姿はあまりにも痛々しく、両サイドで食事をとっていた者達には可哀想に見えた。
「カンシチ、そろそろ許してやりなよ。文功さんはこの話が出た時に最後までキミにも知らせるべきだって、一人言い続けてくれていたんだから」
「そうだ。これ以上終わったことをぐちぐち言うのは性格悪いぞ、ジョーダン以上に」
カンシチも両脇からそう言われると、さすがにやり過ぎたかなと思い、バツが悪そうに頬を掻いた。
「……ったく、わかったよ。文功さん、マジでもう十分、あなたの誠意は伝わったからさ」
「そう言って頂けると……助かります」
文功は最後にもう一度だけ頭を下げた。
「これでこの件は一件落着かな」
「だな」
「いや、お前らのことは許してねぇから。さっきからどの口が言ってんだって思ってたから」
カンシチがギロリと鋭い眼光で両脇でのんきに食事をしながら他人事のように話しているジョーダンとセイを睨み付けたが、彼らは絶対に目を合わせようとしなかった。
「それはさておき……」
「さておくなよ!!」
「確かシュガの話では使いの者が迎えに来てくれるらしいけど……」
「この雪破を案内してくれるって話だったな」
「無視すんなよ!」
「まぁまぁ、落ち着けよ。このおれっちが来たんだからな!」
「お前が来たからなんだって言うん……なんだお前?」
カンシチとその両脇にいる者達の視線が一点に、食卓の中央に集中する。
そこには彼らが今まで見たこともないもの、羽の生えた小人がちょこんと立っていた。
「なんだお前はと聞かれたら、律儀なおれっちは答えてあげますよ。おれっちこそルツ族きっての俊英!『キトロン』様だ!」
キトロンはそう高らかに名乗りをあげると小さな胸を目一杯大きく張った。
「……そっか。お前が雪破に住み着いている人語を話す起源獣の一つ、ルツ族か。よろしくな」
「な」
「リアクション薄っ!!」
カンシチ達の反応はキトロンの望んだものではなかったらしい。彼はまたまた小さな手足を大きく振って、抗議の意志を示した。
「普通はもっと……凄い!とか、本当にいたんだ!とか、可愛すぎる!とか、そういうのがあるだろ!」
「いや、まぁ一応驚いてはいるんだけどな……」
「話に聞いていた通り、というより……」
「想像していたよりずっと人間くさい、むしろかなり俗物っぽくて驚いている」
「だからそういうんじゃなくて!!文功も何か言ってやってくれよ!!」
このままじゃ埒が明かないと思ったのか、キトロンは後ろを振り返り、顔見知りに助けを求めた。
「えーと……本当にキトロンさんは凄いんですよ。私たち賛備子宝術院とこの雪破の連絡係をしていてくれてたんですから」
「そうだぞ!お前達がこうしていられるのも、気配に敏感なルツ族の中でも特に敏感なおれっちが誰にも見つからないように、かつ一族最速の飛行スピードで宝術院と雪破の橋渡しをしたからなんだぞ!!」
「「「へぇ」」」
「だからリアクション薄いんだよ!もう!!」
キトロンが地団駄を踏むと皿や箸がわずかに揺れた。
「いやいや本当にキミが凄いのは十分理解したよ、マジで」
「そんな風には全然見えないぞ、ミスターポーカーフェイス」
「驚き過ぎて表情筋が一瞬で死滅しちゃったんだって、ねぇ?」
ジョーダンが同意を求めるとカンシチとセイがウンウンと頷いた。
「はぁ……じゃあ、大まけで勘弁してやるよ」
「どうもありがとう。で、そのスーパーなキトロン君はどうしてここに?キミが話に聞いていた迎えの者?」
「違う違う。おれっちはその迎えがそろそろ来るって、知らせに来てやったんだよ」
「それはご丁寧に、と言うべきか、しち面倒くさいことを……」
「おいおい、そんなこと言っていいのか?おれっちが知らせに来なかったら大変なことになっていたはずだぜ」
「その言い方だと、かなり気難しい人が来るのかな?」
「あぁ、あの人は相当……」
「人聞きの悪いことを言うな」
「おっと!?」
突如現れた人物にキトロンは羽を摘まれ、そのまま放り投げられた。しかしキトロンは器用に一回転をして、体勢を立て直し、羽を動かして自分を投げた人物の隣に浮かんだ。
「いきなりひどいじゃないですか、姫水様!」
「お前が下らない嘘を吹き込もうとするからだ。わたしは弟に比べるとそう見えるだけで、人並みに温厚で最低限の人付き合いもできる」
姫水は鼻息荒くキトロンの話を否定する。その姿はとても感情的で、彼の言っていることが正しいことを証明していた。
「確かに昨日、あの大雑把な弟と並んでいた時よりも今は柔和に見える」
「あいつはわたしと一緒だと、わたしのフォローを期待してか、より適当になるからな」
「ふーん……で、王族のあなたがわざわざこの雪破を案内してくれるってこと?」
「むしろ王族であるわたし以外が、この国を憂い、勇敢にも立ち上がってくれた者達をもてなさないでどうするんだ」
「へぇ……確かに想像よりずっといい人っぽいね」
「そこまで持ち上げられると、逆にプレッシャーを感じてしまうが……改めてこの灑の国の皇帝姫山の弟姫炎の長子、姫水だ」
姫水は拳を逆の手のひらに打ち付けて、お辞儀をした。
「これはご丁寧に!おれは……」
「カンシチ君だろ?別にそんなに畏まらなくて、座ったままでいい」
「は、はぁ……」
慌てて立ち上がろうとしたカンシチを姫水は片手を翳して制止した。今まで感じたことのない、恐怖ではなく気高さを感じる威圧感に圧倒され、カンシチは彼の言葉に素直に従った。
「とは言っても、このあと雪破を巡るなら立ち上がらないと」
「食事も終わっているしな」
一方でジョーダンとカンシチは何事もなかったように立ち上がった。どうやら姫水の威厳が通用するのは、まだこの灑の国の民だけのようだ。
「そうか、ならば早速行くとするか。文功、君はどうする?」
問いかけられた文功は静かに首を横に振った。
「私にはやることが……ジョーダンさんから預かっていたものがこちらに届く手筈になっているので、それを受け取らないと」
「おおっ!あれか!」
「えっ!?何何?何がやって来るんだ!?」
配達物に興味を持ったキトロンは姫水の隣から文功の隣へとスィーッと飛んで移動する。
「キトロン、君も来るか?私もそうだが、素人にはあまり面白いものではないのだ……いや、君の敏感な感覚が何か役立つかもしれない」
「おう!よくわかんねぇけど、おれっちに任せとけ!」
キトロンはそっと文功の肩に着地した。
「では文功、キトロン、君たちは君たちの仕事を」
「はい」「おう!」
「わたしたちは……とりあえずまずは……」
「工房だな」
「わかった、案内しよう」
ジョーダン、カンシチ、セイは姫水に連れられ、食堂から出て行った。
外に出ると昨日までの長雨が嘘のように空は青く澄み渡り、心地良い風が皆の頬を撫でた。
「いい天気だな」
「ちょうど君たちの戦いが終わった頃に雨が止んだんだ」
「へぇ~、まるでおれ達の門出を祝っているようですね」
「…………」
「あれ?何か変なこと言っちゃいました?」
ポジティブなカンシチの言葉に姫水は素直に乗ることができなかった。彼の顔は空とは反対に曇りきっている。
「何かあったのか?」
「逆だよ。何もないんだ」
「何も……ない?」
「あぁ、それなりの情報網を持っている有力者なら、昨日あったことを既に把握しているはずなのだが……」
「さっきのキトロンじゃないが、リアクション薄い、というよりも全くないのか」
「正直、一人や二人は力を貸すぞと名乗りを上げてくれると期待していたんだけど……はぁ……」
姫水はお手本のように肩を落とした。
「まだ正式な檄文は送っていないのだろう?ならば、焦ることないんじゃないか?」
「セイ君の言う通りドンと構えていればいいのかもしれないが……」
「まだ不安要素があるのか?」
「……君たち、昨日父とあってどう思った?」
昨晩遅く、ジョーダン達はシュガに連れられ、王弟姫炎と謁見を果たしていた。
「そなた達が宰相、諸葛楽……そして、我が兄姫山を打倒しようとしている者か?」
「はっ!」
「つーか、ボク達がじゃなくて、あなたもでしょ?」
「おい!?ジョーダン!?」
「……そうだな……兄の暴虐を止めるのは、弟である私の役目……できることなら穏便に済ましたかったが……」
「ぶっちゃけると、想像していたよりもずっと弱々しかったね。覇気がないって感じ」
「ジョーダン!お前は昨日から!!」
カンシチはジョーダンの不敬な言葉を止めようと睨みを効かせるが、その程度で止まるようなお行儀のいい口じゃない。
「正直、こいつを旗印にして大丈夫かって……」
「ジョーダン!!」
「カンシチ君、別にいいんだ。わたしも似たようなことを思っているからね」
「姫水様……」
肩越しにこちらを見ていた姫水の目はどこか申し訳なさそうだった。
「巷では父は人望があるとされている。それ自体は事実だ。あの人は誰よりも優しいし、誰よりも人の痛みをわかろうとする。それが父の最大の長所であり、最大の短所だ」
「そんな……素晴らしいじゃないですか」
「いや、やはり長所であり短所だ。父は人の気持ちを考えるあまり、決断力というものを失っている」
「昨日もこの期に及んで何言ってんだって感じだったもんね」
「わたしとしても父にはもっと早く立って欲しかったのだが、うまいこといなされ続けていた。漸く賛備子宝術院と秘密裏に協力を取り付け、首を縦に振らせることができたというのが現状だ。話し合いで解決できるようなことならともかく、荒事となるとあの優柔不断さでは人は集められん」
「つまりあの男のことをきちんと理解している人間ほど、今回の件に関しては及び腰になるってわけか」
「治世と乱世では求められる王の資質は違う。我が父は治世の時代ならば賢王として歴史に名を残したはずだが……」
「キミの弟さんの有り余る覇気を少し分けて上げられれば良かったのにね」
「まったくだ。あいつは隔世遺伝というか、小国を力でまとめてこの灑を建国した我らが始祖の生まれ変わりのような奴だからな」
呆れたように姫水は鼻で笑った。
「でも、姫炎様が……正直頼りなくても、こちらには勇名轟くシュガさんがいるじゃないですか!あの人を慕って力を貸してくれる人も……!」
「残念だけど、それもどうかな」
「えっ、何でですか……?」
それこそシュガの伝説を片田舎で聞いて来たカンシチには姫水の言葉は納得いかず、身体からプレッシャーを吹き出して説明を求めた。
姫水の口は重い……その質問の答えは彼らを傷つけることになるかもしれないから。だが、無言で返事を催促するカンシチに遂には押し負け、意を決して口を開くことになった。
「シュガさんは……あの人は灑の国の人間ではなく、外から来たミリョ族だから快く思わない者も多いんだよ」
「そんな……この国のために動こうとしているのに!?というか、だとしたらおれやジョーダン、セイだって……」
「あぁ、そういう人達からすれば、賛備子宝術院も含めて、生粋の灑の人間でない者がこの国に変革をもたらそうなどけしからん!何か良くないことをしようとしているんじゃないか?今の宰相のように!……とか、思っているだろうね。個人的には今言った宰相諸葛楽も灑の民でないことから外の人間への疑念が強まっていること、沈黙を貫いているが、シュガさんと並ぶ英傑、岳布さんが現皇帝側についてることが、かなりマイナスに働いている印象だね」
「マジかよ……」
灑の国のためにと頑張って来たのに、自分自身が足枷になっていることを知らされ、カンシチはショックだった。姫水の懸念が見事に当たってしまったのは自分の……。
バチン!!
「いってぇ!?」
暗く沈み込みそうになった空気をぶち壊すように、ケツを勢いよく叩いた炸裂音が響き渡った。叩いたのはジョーダン、叩かれたのはカンシチだ。
「何しやがんだ!!」
「何って、景気付けにちょっと」
「景気付けって、お前なぁ!!」
「らしくないんだよ、キミ。ボクの知る次森勘七という男は無鉄砲でバカでどうしようもなくて……」
「お前、どこまでおれをバカに……!」
「確かに今言ったのはキミの愚かな部分だ。だけど、さっき言っていただろう……長所と短所は表裏一体だって」
「は!?」
「キミは余計なことなんて考えずに、目の前にあることを一生懸命やっていればいいんだよ。バカの一つ覚えみたいに、なるようになるさ!とか言ってね。そもそもこの世紀の天才、丞旦がついているんだ……最後に勝つのは絶対にボクらだ……!」
「ジョーダン……」
自信満々に自分を指差すジョーダンの周りに爽やかな風が吹いた。その風に包まれると、そこにいる皆の心に勇気と希望が湧き上がった。
「確かに……無いものを悲しむよりも、持っているものを喜ぶ方がずっと建設的かもね」
「そういうことさ」
「ふん、自称天才だけではなく、このオレ星譚もいるしな」
「お、おれも!勘七もいますからね、姫水様!!」
「あぁ、わかっているよ。皆、心強い仲間だ。そしてちょうどよくそんな仲間達に紹介したい場所に着いたみたいだ」
姫水は城の一角にある大きな建物の前で足を止めた。
「ここが……」
「そうだ!ここが雪破の!コシン族の工房だ!」




