新たなる目的地へ
昨日から降り続いている雨はさらに激しさを増していた。
大きな雨粒が窓に叩きつけられると、けたたましくノックしているような音が鳴り、それが彼の覚醒を促した。
「…………ここは……?」
次森勘七は身体にかかっていた小綺麗なかけ布団をどけると、上半身を起こした。
(まぁ……普通に考えれば賛備子宝術院だよな……)
目線をキョロキョロと動かし、周囲を見渡す。
まるで病院のように清潔な壁、まるで上等な宿のような高級そうな家具、自分には見合わない場所だとカンシチは思った。
(これVIP用の部屋だよね?それともおれが田舎者だから知らないだけで、この手の施設の来客用の部屋ってのは、こんなに豪勢なのか?)
身体が心地よく沈み込むふかふかのベッドから立ち上がると、部屋中をゆっくりと歩き周り、さらに観察を続ける。何度見てもカンシチには素敵すぎると思える家具たち……しかし、彼の探している肝心のものだけが見当たらない。
「……何で時計がないんだよ……?普通あるだろ、時計。ただでさえ分厚い雨雲のせいで昼か夜かわからないのに、何でないんだよ……!」
若干苛立ちながら、普通なら存在するはずの時計を求め、徘徊を続ける。すると……。
カサッ……
「ん?なんだこの紙?」
爪先に紙が触れる。拾い上げてみると、そこには『会議室に来い、フル装備でな』と走り書きで記してあった。
「いろんな意味で雑すぎるだろ……元々目立つ場所においてあったんだろうけど、だったらちゃんと落ちないようにしねぇと。単純に字も汚いし、内容も……会議室ってどこだよ!?フル装備ってなんだよ!?」
広い部屋の中で一人、文句を叫びながらも、その会議室とやらに向かうためにドアへと向かう。そこには……。
「……あれっておれの石雀と……朱操の鉄烏か……?」
ドアには馴染みのある短刀と、ある意味ではよく知っている、というより彼にとっては因縁のある剣が立てかけてあった。
「何で朱操の骸装機が……つーか、フル装備って、こいつを持って来いってことか……?」
眉間にシワを寄せながら、剣を持ち上げ、自問自答する。けれど、答えは一向に出なかった。
「はぁ……全然、状況が飲み込めねぇ。さっきから何でしか言ってない気もするし、とりあえずは外に出るか……」
カンシチは愛機と憎き敵のマシンを腰に差すと、ドアを開け、部屋から出て行った。
「……ということでよろしく頼むよ」
「はい、昨日言われた通りにすでに事は進めております」
賛備子宝術院の一角、円卓のある部屋でふんぞり返って座っているジョーダンが、恰幅のいい老人の後ろに立っている文功に確認と頼み事をした。文功は穏やかな顔でそれを了承すると、ジョーダンの顔も緩んだ。
バタン!
「やっと……やっと見つけた……!」
話が一区切りついたのを見計らったように、ドアが勢い良く開き、カンシチが入室してきた。
「……ナイスタイミングだな、カンシチ」
「何がナイスだ……地図ぐらい添えとけよ……!おかげでめちゃくちゃ人に道を訊くことになったじゃないか……!」
そう文句を言いながら、カンシチはまた部屋を見回した。
部屋の真ん中には大きな円卓があり、カンシチから見て右にジョーダンが座っていた。その後ろにはセイが腕を組んで壁にもたれかかっている。
カンシチの真正面、この部屋の一番奥には恰幅のいい老人が座っており、その後ろで男が待機している。二人とも色が違うが、同じデザインをした服を着ていた。
「あんた……じゃなくて、あなた達は……?」
「私は文功、この賛備子宝術院で研究や教鞭を振るったりしております。そしてこちらが……」
「わたしは『郭章 (かくしょう)』、この賛備子宝術院で院長などやらせてもらっております」
郭章は物理的に重そうな腰を上げ、頭を下げる。後ろの文功も彼に倣った。
「あっ!これはご丁寧に!おれは次森勘七です!よろしくお願いします!」
カンシチも深々と頭を下げ、礼を尽くした。
「おいおいカンシチ君、角度が浅いんじゃない?もっと膝に額がくっつくぐらいやらないと」
「それだと前屈ストレッチって言うんだよ、ジョーダン……!」
茶々を入れるおさげメガネを顔だけ傾けてカンシチはギロリと睨み付けた。だが、ジョーダンは怯まず、ムカつくニヤケ面を崩さない。
「いやいや、キミはそれぐらいしないと駄目だよ。感謝を全身で表さないと」
「泊めてもらったお礼の気持ちはしっかりと示しているつもりだが……!」
「そうじゃなくてキミ、何でそんな姿勢取れるの?あんなに朱操にボコボコにされたのに」
「………あっ」
ジョーダンの一言で、カンシチは自分の身体の違和感に、いや違和感が全くないことに気づいた。気を失うほどの暴力を受けたなら、痛みで頭を下げるどころか立ち上がることさえ困難なはずである。
「そう言えば、どこも痛くない……」
「文功のおかげだよ。彼の宝術の」
「文功……さんの?」
「いやぁ……そんな大層なものではないですよ」
カンシチは顔を上げ、文功を見ると、彼は照れくさそうにはにかみ、右手首に装着された宝石の付いた腕輪を顔の前に翳した。
「私の核石は特殊で人間の治癒能力を活性化させます。あくまで活性化させるだけなんで、治癒能力持ちの覚醒者や伝説の千喜覇音琴のように大ケガを治すことはできませんが……」
「朱操の奴が我を忘れるぐらい頭に血を昇らせていたのが、結果として良かった。攻撃が雑になったおかげで、見た目よりもダメージを受けてなかった」
「ですので、私の術でもカンシチさんを回復させることができました」
そう言うと文功はまたはにかみ、それを誤魔化すように頭を掻いた。
「それはどうも……ありがとうございました!」
「もっとだ!もっと深く頭を下げろと言っているだろう!膝に額をつけろ!!」
「はい!頑張ります!」
カンシチの身体が二つ折りの形になる。その場にいる全員が「身体、柔らかいな……」と感心した。
「もういいですから、感謝は伝わりましたから、頭を上げてください……」
「そう仰るなら……」
カンシチは顔を上げると文功……ではなく、カッコつけて壁に寄りかかっているセイを見た。
「……なんだ?」
「なんだ?じゃねぇよ。お前も治療してもらったんだろ?」
「まぁな……足の方は全快だ」
「足の方……?」
「カンシチさん、先ほど述べたように私の能力では軽傷は治せても、重傷は、セイさんの右腕は……」
打って変わって文功の顔が曇る。今回に限らず中途半端な自分の能力に悔しい思いをすることが多々あったのだろう……そう感じられる苦々しい表情だった。
「……足が治っただけで十分だ。右腕もだいぶ楽になって、箸を持つのが苦痛じゃなくなった」
「セイさん……」
箸を持つジェスチャーをするセイを見ると文功の表情は和らいでいった。自分の治療が効果あったことよりも、セイの気遣いが何より嬉しかった。
「セイのケガもこれで心配ない……ってことでいいんだよな?」
「一応な。あとは自分でなんとかする」
「自分でって、ただ安静にして、時間が解決してくれるのを待つだけでしょうに」
「……その通りだが、うるさいぞジョーダン」
「精神的にもバッチリ、元気すぎるぐらいだ……これであとは……」
仲間との短い談笑で下がった目尻がつり上がり、カンシチの面持ちが真剣なものへと変化した。
遂に輪牟の村から数々の苦難に見舞われながら、この賛備子宝術院に遥々やって来た目的を果たす時が来たのである。
カンシチは背筋を伸ばし、奥に宝術院の代表者二人がいる方を向いた。
「それでは改めて文功さん、郭章院長、おれがこの賛備子宝術院を訪れたのは、灑の国を変革するため力を……」
「それ、無理だってさ」
「はい。丁重にお断りしました」
「………ドキドキぐらいさせてくれよ」
カンシチの願いはあっさりと砂糖菓子のように粉々に砕け散った。
「はぁ……マジか……参ったな、こりゃ」
どうしたものかとカンシチは眉を八の字にし、首筋を擦った。
「あれ?思いのほか、ショック受けてないみたいに見えるけど?」
「そりゃあ、こうなることもシミュレーションしてたからな。もちろん成功パターンを夢見てた時間の方が多いが……だから断られること自体はいい……だけど!」
カンシチは円卓に手を着け、前のめりになった。
「理由を!せめて理由を聞かせてもらえませんか!?」
断られたのは仕方のないこと、しかしそうなった理由は教えて欲しいし、その権利は自分にはあるとカンシチは思っているのだ。ここで黙って引き下がれば、ここまで自分を連れて来てくれたジョーダンやセイ、そして自らの命を賭して送り出してくれた愛羅津にも申し訳が立たない気がした。
「郭章様」
「うむ」
真っ直ぐな目で問いかけられた郭章は円卓に肘を着き、両手を組んだ。
「わたしも灑の国の混乱には心を痛めておる。しかし、事を構えるとなると話は別だ。お主はこの賛備子宝術院の戦力をあてにしていたようだが、とてもじゃないが、一国を相手にどうこうできる戦力ではない」
「あくまで戦力の一端を担って欲しいだけです。主力は姫炎様の下に集まった国を憂う灑の戦士です……」
「だとしても、煌武帝の時代から宝術の研究を続けてきたこの場所を預かった身としては首を縦に振れんよ」
「そう……ですか……」
あわよくば説得しようと考えていたカンシチであったが、郭章の院長としての重い責任が垣間見える言葉に何を言っても無駄だと悟った。
「わかりました……いきなり押し掛けて、こんなはた迷惑な頼み事をしてしまってすいませんでした……」
「そんなことは!……ないですよ……」
落ち込むカンシチを見て、罪悪感に苛まれたのか文功が柄にもなく声を荒げた。けれど、すぐに自分には慰めの言葉もかける資格がないと、声はか細くなり、目を背けてしまった。
「文功さん、おれはあなたに治療してもらっただけで十分助かってます。だから、あまり気になさらず。無理を言っているのはこちらですので」
「……はい」
カンシチは優しさからフォローしたつもりなのだろうが、それが余計に文功を傷つけたのは言うまでもない。
「それでは目的を……一応、果たしたのでおれ達はここから今すぐ出て行きます……って、言いたいところなんですが、色々と準備があるので、もう少しだけここにいても宜しいでしょうか?」
「それはもちろんいいのですが……」
郭章は正面のカンシチから自身の左側にいるジョーダンにチラリと視線を移した。
「カンシチ、その話も終わってる」
「はっ?どういう意味?」
「次森殿、協力できない代わり……というわけではないのですが、こちらでマウを用意しました」
「……えっ?マジで?」
「マジマジ大マジ。しかも……」
「この宝術院に残っていた古い資料から姫炎様のいる雪破に侵入できる地下通路の存在がわかりました。それをお教えします」
「地下通路……凄いけど、そんなもの必要かな?」
その情報の有用さが理解できずカンシチが首を傾げると、ジョーダンは心の底から呆れた。
「バカか、キミは。きっと諸葛楽なら、ボク達の目的が姫炎との接触だって気づいているはず。きっと雪破では今頃、王弟に接触させないように正面は警備でガチガチに固められているだろうさ。つまり姫炎と話をつけるためには、こっそり忍び込むしかないんだよ」
「そっか……じゃあ!めちゃめちゃありがたいじゃねぇか!!」
「だから、そう言っているだろうに」
ようやく状況を理解してテンションの上がるカンシチに、相変わらず呆れながらジョーダンが立ち上がり、彼の下……というより出口へと歩き出す。
「善は急げだ。さっそく出発するよ」
「えっ!?マジで今すぐ!?」
「今すぐだ。今なら朱操達の報告でキミとセイが大ケガを負っていると思っているはずだから」
「油断している?」
「イエス。逆に時間が経てば経つほど物理的にも精神的にも、ディフェンスが厳しくなるはずさ」
「なるほど」
「さらに言うと今はこの大雨、視界も悪いし、足跡もすぐに消えるから、こちらとしても追跡され辛く、動きやすい。以上の理由で今すぐ出発だ」
「あぁ!今すぐ行こう!姫炎様のいる雪破へ!!」
情熱を取り戻し、目の奥で炎を燃やしたカンシチがぐっと拳を握りしめ、決意を新たにした。
「それじゃあ、セイ!お前も……って、あれ?」
一刻も早く出立するためにセイを急かそうとしたが、その肝心のセイの姿が部屋の中から忽然と消えていた。
「セイさんなら、カンシチさんとジョーダンさんが話している間に出て行きましたよ」
「マジかよ!?」
「あとジョーダンさんも出て行っちゃいましたよ」
「マジかよ!!?」
ドアの方を振り返ると、確かに今さっき人が出て行ったようで、僅かに開いていた。
「あいつら……!おれを置いて行くなよ!!」
カンシチも慌てて部屋から出て……。
「あっ!郭章院長、文功さん、本当にお世話になりました!」
カンシチはドアの隙間から顔だけ出して、部屋に残った二人に挨拶すると、その場から去った。
「行ったか……」
「あと部屋には時計を置いておいた方がいいですよ!」
「!?」
去ってなかった。お節介なのか、それとも文句なのか部屋の不備をわざわざまた頭だけ出して伝えて来た。
「すいません、時計は修理中だったんですよ」
「そうですか!それでは今度こそ失礼!」
今度こそ本当の本当にカンシチは部屋から去って行った。会議室に残ったのは郭章と文功、賛備子宝術院の二人……。
「行ったか……」
「はい」
「では、今後のことを話し合おうか……」
「……はい」




