一矢
目を真っ赤に血走らせ、前のめりで今にもこちらに飛びかかって来そうな勢いで、鼻にガーゼをつけた朱操が現れる。彼の後ろからはいつも通り幼なじみの徐勇が控えていた。
「天才様には説明するまでもないが、一緒に来てもらおうか……」
本来ならばそんな宣告することもなく、切り捨ててやりたいが、ぐっと堪えて口を開く。どうせ目の前の生意気なメガネが言うことを聞かないのはわかっているから、ほんの少しの辛抱だ。
「悪いけど、ボクは行かなくちゃいけないところがあるんだ。大変心苦しいんですが、キミのお誘いは断らせてもらう」
案の定、ジョーダンは拒絶した。あまりに予想通りの展開に朱操の顔も僅かに緩む。
「その言葉を待っていた……!そしてこの時を待っていた……!あの片田舎の村で受けた屈辱を今こそ晴らさせてもらう!」
朱操は腰に差した剣を手に取り、愛機の名を……。
「鉄――」
「ストップ!」
「――か!?」
突如として湖畔に響き渡ったジョーダンの制止を求める声に朱操は思わず従う、というか驚いて手を止めてしまった。
「な、なんだ!?盛り上がってるところに水を差しおって……!?」
「悪い悪い……でも、勝手に盛り上がらないでくんない。ボクはキミと戦う気はない。正確には今は戦う力がない」
「……何?」
「今、ボクの応龍は先の戦いのあれこれのせいで使用できないんだよ」
「お、おい!?ジョーダン!?」
ペラペラと饒舌に自らの窮地を話すジョーダンを慌ててカンシチが止めに入った。
「ん?どうした、カンシチ?」
「どうしたじゃねぇよ!応龍が使用不可能なことまで喋らなくてもいいだろ!!」
「どうせすぐにバレることさ。それにもし彼が一人の戦士としてリベンジを望んでいるなら、ここは黙って帰ってくれるはずさ。ねぇ、朱操?」
「ぐっ!?貴様……!!」
ふてぶてしくもジョーダンは最低限のプライドがあるなら、今日は大人しく帰れと言っているのだ。だが、それはある意味朱操という人間を認めている証でもあった。彼が戦士としての誇りを最優先する人間だと……。
けれど、どうやら見当違いのようだ。
「はぁ……お前の言う通り、俺個人としては、戦士としては万全の状態で決着をつけたい……!!」
「なら……!」
「だが!俺はその前に一人の軍人!一人の兵士だ!与えられた任務はどんなものであれ、完遂を目指すことが当然!お前と応龍へのリベンジは取っ捕まえた後で、戦わせてもらえるように頼み込めばいいだけのこと!!もう一度言う!一緒に来てもらう!逆らうつもりなら強制的に連れて行く!俺の鉄烏で!!」
剣を引き抜くと、それは光に変わり、そしてさらに真っ赤な機械鎧となって、主である朱操に装着された。
「……キミには失望したよ、朱操」
「最初から俺に敬意など持っていない癖に……!」
「そうだね。キミには敬意も敵意も持ってない。ボクにとってキミはその程度の存在だ」
「この期に及んで、まだそんな口を訊けるか……!!」
「こんな状況だからだよ。今のボクには口しか出せない。キミがその気になったというなら、選択肢は一つしかないんだから……キミの指示に従うよ、朱操」
「な!?何、言ってやがんだ、ジョーダン!?」
ジョーダンの前に立ち塞がったのはカンシチだった。気の迷いとしか言えないことを口走る相棒を止めようと必死の形相で訴える。
「あいつの言うことを聞く筋合いなんてねぇだろうが!!」
「ないよ。だけど、今の状況じゃ従わざるを得ない」
「応龍が使えないからか!?だとしてもおれやセイがいるだろうが!!」
「あぁ、カンシチの言う通りだ……!」
セイはジョーダンの後ろで怒りを滲ましていた。そんなに自分は頼りないか……と。しかし……。
「キミ達の気持ちはわかるけど、少し冷静になりなよ。セイは怪我、カンシチのマシンは相手に比べると遥かに力不足、ネニュは長旅の影響で戦闘できるほどのエネルギーは残ってない。勝ち目はないよ」
ジョーダンの気持ちは揺るがない。彼は彼として考え抜いた末の発言なのだから。
「ぐっ!?いや!それでもあいつ一人ならおれ達二人で……」
「相手も二人だよ」
「……あっ!」
カンシチはゆっくりと振り返り、朱操鉄烏の奥、剣に手を置き、いつでも戦える準備をしている徐勇に視線を移した。
「朱操一人ならキミ達がタッグで挑めばワンチャンあったかもしれない。だけど、あっちもタッグなら勝ち目はゼロだ。あの徐勇って奴は感情的な朱操と違って、俯瞰で物事を見れる。はっきり言ってあいつの方が遥かに厄介だよ」
「ジョーダン……!」
朱操はマスクの下で顔をひきつらせた。
徐勇のことは友人として尊敬しているし、力も認めているが、そこまで言われるほどの差はないと思っている。何より先ほど自分に対しては何の感情も持っていないと宣言したジョーダンが幼なじみのことはちゃんと認識していることが悔しくて仕方なかった。
「安心しろ……徐勇は手を出さない!二人だろうが三人だろうが、俺一人で相手してやる!」
「朱操!それは……」
「徐勇……俺に任せてくれ。頼む」
「………わかった」
有無を言わせぬ幼なじみの覚悟に、徐勇はしぶしぶ後ろに下がった。
「……なるほどな」
セイは呆れたように口角を歪めた。ここにきて、全てが自称天才の手のひらだと言うことに気づいたのだ。一方、何もわかっていないカンシチはきょとんとしている。
「なるほど……って、何に勝手に納得してるんだよ?」
「わからないのか?この阿保が敵味方問わず煽り散らかしていたのは、この二対一の構図を作るためだ。なぁ?」
セイがちらりと視線で合意を求めると、朱操達に気づかれないように小さく頷いた。
「さっきも言ったがタッグ同士だと勝ち目はなかった。けれど、これで徐勇は手を出さない。あいつが朱操に従うのは、輪牟の村からわかっていたからね。しかも、あいつは朱操がやられたら、確実に彼の無事を優先して退いてくれる」
「あぁ~、確かになるほどね」
漸く合点のいったカンシチはポンと手を叩いた。
「加えて、あいつは今ボクの発言でプライドを傷つけられて、冷静さを失っている。付け入る隙はあるはずだ」
「最高のお膳立てをしてくれたわけね」
「ここまでされたら……」
「おう!やるしかねぇよな!!」
カンシチとセイは一瞬視線を交え、お互いの意志を確認すると、朱操鉄烏の方を向き直し、愛機の名を叫ぶ!
「行くぞ!石雀!!」
「撃猫……やるぞ」
短刀と手甲が機械鎧に変わり、二人は完全なる戦闘体勢へと移行する。
「ジョーダン……」
「わかってますよ。戦えない龍はただの役立たず……邪魔にならないように下がってます」
ジョーダンは二人の側を離れる。朱操もそれを黙って見送った。まずはあの憎らしいメガネの目の前で仲間を血祭りに上げて、力を示すのが先決だ。
「さぁ……かかって来い……!」
「おいおい、こっちは二人だぜ?そっちから来いよ……!」
「怪我をした雑魚と田舎の雑魚、雑魚はいくら群れても雑魚だ。先手ぐらい取らせてやらんと、エリートである俺とは勝負にならん……!」
「てめえ……!!」
「いいじゃないか、カンシチ。お言葉に甘えよう」
「セイ……」
「そして……その傲慢さ!後悔させてやろうじゃないか!!」
撃猫が怒りと力を込めた足で地面を蹴り出し、赤の鉄烏のサイドに回り込む。
「怪我をしている割には速い……だが!」
バシュ!ガァン!!
「――ッ!?」
「ただの目眩まし……誘導だろ?」
石雀の放った矢はあっさりと鉄烏が新たに召喚した盾に弾かれた。
「くそ!?なら数で!!」
バシュ!バシュ!バシュ!!
石雀は怯まずに弓を引き、立て続けに矢を放つ。だが……。
「ふん!」
カン!カン!カン!
全てまた盾によって防がれてしまった。
「精度は悪くない……が、威力と速度が無さ過ぎる。不意を突かなければ当たらんよ。まっ、それでも不恰好な剣を振るっていたあの時よりマシだが」
「ちいっ!?」
「あと……お前のこともちゃんと見えているぞ、オレンジ」
「――ッ!?」
ガン!
盾を持っていない腕で、強襲する撃猫の拳をこれまた容易くガードする。
「そして、またオレンジに注意が向いたら……」
バシュ!
「弓で狙撃か」
鉄烏は真上に跳躍し、ひらりと優雅に一回転しながら獲物をその眼に捉える……石雀だ!
「二方向からの挟撃、セオリー通り……故に読み易く、つまらない」
「ぐっ!?」
「しかし、セオリーというのも大事だ。予想を裏切ることだけに躍起になった物語ほど寒いものはない。なので、こちらも王道を……より弱い雑魚から排除させてもらう!!」
盾を消し、代わりに弓を呼び出す。そして流れるように弦を引くと、光の矢が生成され、それを石雀に向かって……発射!
ガァン!!
「――ッ!?」
「カンシチ!!?」
悲痛な声で自分の名前を呼ぶジョーダンにカンシチは応えることはできなかった。矢が頭部に命中すると、そのまま力を失い倒れる。
「ふん!田舎で土いじりだけしておけば良かったものを……とりあえずまずは一匹……続いて……二匹目!!」
ゴォン!
「ぐっ!?」
着地と同時に振り返り、撃猫の拳を肘鉄で受け止める。
「仲間がやられても動じることなく、虎視眈々と隙を狙うとは……やはりお前の方が若干マシだな」
「そう思うんなら、敬意を示せ……!」
「敬意?」
「一つだけ……一つだけでいいから質問に答えろ!」
「……いいだろう。俺の好物でも訊きたいのか?」
「愛羅津さんは……白い骸装機使いはどうなった……?」
「……あいつか」
一瞬の沈黙、しかし星譚には永遠にも思え、またそれが本当に永遠に続いてくれればとさえセイは思った。けれど……。
「……俺はそいつに鼻を折られて、気を失ったから、“最期”は見ていない」
「……そうか」
星譚は戦闘の最中に聞くことができて良かったと思った。もしそうじゃなかったら、きっと泣き崩れていたから……。
「それさえ聞ければ、十分だ!!!」
悲しみを振り払うように拳を繰り出す撃猫!
「この鼻の借り!お前に返させてもらう!!」
それを正面から受けて立つ朱操鉄烏!
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
拳を撃てば防がれ、反撃すると防がれ、正に一進一退、両者の力は拮抗しているように思えた……本来ならあり得ないはずなのに。
遠目でその激しい攻防を眺めていたジョーダンはそのことに気付き、後悔に苛まれていた。
(見立てが……見立てが甘かった……!あの二人どちらとも戦ったボクの見立てじゃ、スピードなら、格闘戦ならセイの方が圧倒的に上だ……なんとか懐に潜り込めれば、勝てると思っていた……!ケガについては痛がってる様子もなかったし、移動はネニュに乗ってたから、回復は十分だと……だが!だが、拮抗している!ケガが予想より深刻だったんだ!あいつ我慢強すぎるだろ!!)
ジョーダンの考えは当たっていた。セイの受けたダメージは彼の持つ本来の力を大きく削ぎ、得意のインファイトでも有利を取ることができなくなっていた。そして、その影響は時間が立つ度により大きく……。
「ラアッ!!」
ガァン!
「――ッ!?」
鉄烏の拳が撃猫のマスクを掠める。あと少しずれていれば一発KOだった。
「どうした?スタミナ切れか?それとも傷が痛むか?」
「オレはまだ……!」
「スピード自慢らしいが、さすがに片手では俺には勝てんよ」
「この……!!」
やはりダメージは深刻だった……身体のではない、心のだ。愛羅津の死を聞いたセイは彼自身気付いていないが、とても動揺していた。
だから、簡単な挑発に乗って、一番重傷を負っている右拳で攻撃しようなどバカな真似をしてしまったのだ。
「オラァッ!」
「愚かな」
ガァン!!
「ぐ……ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
拳に拳でカウンターを合わせられる。撃猫の装甲に稲妻のように無数の亀裂が入り、その下のセイの腕には耐え難い痛みが走る。
「ガラ空きだ」
ゴォン!!
「――がはっ!?」
ガードが解け、無防備になった脇腹に鉄烏の蹴りが叩き込まれる。撃猫は吹っ飛び、セイの意識も刈り取られた。
「これで終わ――」
バシュ!!
「――ッ!?」
勝利を確信した刹那、朱操鉄烏を再び矢が襲った。完全に不意を突いたかに思われたが、戦士の勘か生物の本能か、朱操は僅かに顔を動かし、矢は赤のマスクの頬の部分を抉るに留まる。
「俺の矢を……避けていたのか、くそ農民……!!」
矢を放ったのは倒したはずのカンシチ、石雀であった。こちらもマスクを縦に大きく抉られており、ギリギリで命を長らえたというのが一目でわかった。
「死んだフリ作戦……上手くいくと思ったんだけどな……」
「馬鹿が知恵を絞ったところでたかが知れている」
「だけど、傷は付けられたぜ……?」
朱操はマスクの抉られた部分をそっと撫でた。
「この程度の傷を付けられたことがそんなに嬉しいか?」
「あぁ、嬉しいね……!」
「だからお前はダメ――」
「だって朱操、お前はまだ応龍に傷一つ付けられてないもんな……!」
「――!!?」
「お前よりかはリベンジに近づいてるってことだ……そりゃ嬉しくて堪らないよ!!」
「貴様!!!」
朱操鉄烏は脇目も振らず、石雀に向かって走り出し……。
ガァン!!
「がっ!?」
力任せにぶん殴った。さらに倒れる石雀の首根っこを掴んで無理矢理起き上がらせる。
「くそ農民ごときにムキになるなどみっともないと思っていたが、もういい!!このまま嬲り殺しにしてやる!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「――ぐっ!?」
それは戦いというよりも、処刑と呼ぶべきものだった。ひたすら力任せに目の前の石雀をサンドバックの如く上から下から右から左から殴り続ける。
「やめろ………もうやめろ!!」
ジョーダンはその凄惨な光景に悲鳴を上げ、走り出していた。このままの状態が続けばどうなるかなんて天才には、いや天才でなくてもわかりきっている。
「もう勝負はついた!そもそもお前の目的はボクだろう!だから、それ以上はやめろ!やめてくれ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
ジョーダンの必死の懇願も届かず、石雀のボディーはさらに無惨に形を変えていく。
(くそ!何が天才だ!何が黄金の龍だ!ボクは結局何も守れず、失ってばかりじゃないか!!)
自分の無力さに怒りが込み上げる。それと連動するように両目が潤っていく。
(ここでカンシチまで失ったら……ボクは何のために知識を求めてきたんだ!?何のために強さを求めたんだ!?何のために……)
「これでフィニッシュ……!!」
朱操鉄烏が命を断つ拳を振り下ろす!
「何のためにお前を生み出したんだ!応龍!!」
バァン!!
「……へっ!遅いんだよ……」
石雀は短刀に戻り、カンシチは気を失った。その顔が喜びに満ち溢れているのは、彼の肌が爽やかな風を感じ、彼の目が“それ”を捉えていたからだろう。
「……お前!?」
朱操は戸惑いと怒りと歓喜で感情がぐちゃぐちゃになっていた。全ては突然目の前に現れ、渾身の拳をいとも簡単に受け止めた“黄金の龍”のせいだ。
「望み通り……ボクが、応龍が相手をしてやるよ、エリート……!!」




