慌ただしい湖畔
猛華大陸で最も大きな樹海の中、突如として現れる湖『杏湖 (あんこ)』。その湖のど真ん中にある土地にある立派な建物こそが賛備子宝術院である。今もその建物中では多くの宝術師が核石の研究や、己の技術を高めようと精を出している。
そんな中、建物の上層で湖の向こう側をじっと見つめる壮年の男が一人……。
コンコン
「入れ」
ドアをノックする音を聞いた男は湖を見つめたまま、来訪者に部屋に入るように促した。
「失礼します」
賛備子宝術院の制服に身を包んだ来訪者はドアを開けると、ペコリとお辞儀をし、部屋に足を踏み入れた。それでも男は一瞥もせず、湖の方を見続けている。
「帰りの船の準備が整いました。船着き場にお越しください」
「悪いな『文功 (ぶんこう)』、せっかく用意してもらったが、もう少し待ってくれ」
「別にこちらとしてはあなた様にはもっといて欲しいくらいなので、全然構わないのですが……支度ができてないのなら、手伝いましょうか?」
気遣いのできる男文功に、ようやく壮年の男は目を向けると、首を横に振った。
「支度ならとっくに出来てる。雑な人間に思われがちだが、五分前行動を心がけてるんでね」
「でしたら、何故……」
首を傾げる文功から目を逸らし、男は再び湖畔に移動させた。
「新しいお客さん……と、そいつらを追って来た奴、きっと湖のほとりでどんぱち始めるぜ」
「戦闘……ですか」
文功は思わず身構えた。
「しかもこの感じ、どうやら一人は俺の遠い親戚のようだ。そいつを見極めたい」
男はニッと口角を上げ、目尻にシワを走らせた。
「ようやく!やっと!ついに!賛備子宝術院、到着だぁ!!」
まるでチャンピオンになったかのようにカンシチは両手を高く天に突き上げ、全身で喜びを表現した。
「いやいや、まだ着いただけでしょ」
「忘れるな、お前の目的、灑の国の変革のために力を借りるという目標は達成されてないということを」
対照的にジョーダンとセイは冷静……どころか、カンシチにおもいっきり冷や水を浴びせてくる。
「お前達さ……もうちょっと……なんか……もういいや」
冷や水の効果は絶大だったようで、カンシチの腕は天から地面へ、肩を落として、ため息をついた。
「それにしても噂には聞いていたが、本当に湖の真ん中にあるんだな」
テンション爆下がりのカンシチには目もくれず、ネニュに跨がったセイは賛備子宝術院の立派な建築に圧倒されていた。
「でも、何でわざわざこんな場所に……色々と不都合だろ、湖の中なんて……」
「いや、ここ以上に宝術院を建てるに相応しい場所はないよ」
「ジョーダン……そうなのか?」
「ここはね……“龍穴”なんだよ」
「龍穴……」
「龍の尻ってことか?」
元気を取り戻して早々バカを発揮するカンシチにジョーダンは額に手を当て、天を仰いだ。
「まったくキミって奴は……龍の穴で龍穴だよ、おばかさん」
「穴なら、やっぱ尻じゃないのか?」
「それ以上しゃべったら、腹パンだよ。あの時のお返し炸裂だよ」
「ううっ!?」
カンシチは慌てて口を抑えた。ジョーダンが遺跡での腹パンについて根に持っていることは痛いほど知っているし、仕方ないことだったと許してくれるような性格でもないことを理解しているからだ。
「で、尻でも穴でも何でもいいが、その龍穴ってのは何なんだ?」
セイが二人の下らないやり取りに辟易しながら、話を元に戻した。トレジャーハンターだからなのか、彼もジョーダンに負けず劣らず知識欲が強い。
彼の思いに応えるために、ジョーダンは気持ちを切り替えるようにメガネをクイッとかけ直すと説明を開始した。
「龍穴ってのは、簡単に言うと核石の能力が上がる場所のことだよ」
「それは……確かに宝術師が切磋琢磨するにはうってつけだな」
「うん、間違いなくこの杏湖が猛華で一番宝術院を建てるのに適しているよ」
「けれど、何故そんな現象が起きるんだ?理由はわかっているのか?」
「一応、仮説はいくつかあるよ」
ジョーダンは膝をつき、地面に手を当てる。
「この地面の下には数え切れないほどの起源獣の死骸が眠っている。つまりそれは核石や特級のも埋まっているってことだ」
「だろうな。だが、それがどうしたと……」
「人の感情や意志を力に変えるそれらが長い年月をかけて、この地に住む人々の想いを取り込み、溜め込んでいるんだ。それを宝術師達は核石を使って引き出し、自分達の技に上乗せできるとされている」
「なるほど……だが、その理論だと別にここじゃなくても良くないか?というか、世界中に起源獣は埋まっているはずだし、どこでも同じような現象が起こるはずでは……?」
「その通りだよ。だけど現実にはそうなっていない。その理由については研究者の中でも意見が割れているんだよ」
パンパンと手についた土を払い落としながら、ジョーダンは立ち上がった。
「龍穴とは埋まっている起源獣の数や質が他よりも優れているのか、それとも何らかの理由で力を引き出す行為、“アクセス”がしやすい場所なのか……きっと今もどこかで言い争ってんじゃない?」
「つまり結局肝心なところはよくわかってないってことか」
「だね」
だらだらと説明したというのに、オチがあんまりなのでジョーダンは苦笑いを浮かべた。
「龍穴の力はわかったけど、それが本当ならお前の応龍、特級骸装機でも似たようなことできるんじゃないか?」
二人の会話が一区切りついたのを、見計らって三度元気を取り戻したカンシチが輪の中に入ってくる。
「オレも同じことを思っていた。できないのか?」
セイも同意してジョーダンに問いかけると、彼は残念そうに顔をしかめ、頭を掻いた。
「いやぁ……確かに理論上は可能だし、ボクとしてもそれができたらいいなと思うけど……」
「無理……なのか?」
「基本的に宝術師に対して、特級骸装機使いは心の力のコントロールが劣っていると言われている。そのせいか龍穴から力を引き出した特級骸装機は確認されていない。少なくともボクは聞いたことがないかな。百歩譲って、それができるのは完全適合に至った者だろうね。ボクと応龍はまだそこまで……できていれば愛羅津も……!」
「ジョーダン……」
顔がみるみる曇っていく。もしそのレベルに達していれば、きっとあの遺跡で……そう考えるとジョーダンはやり切れなかった。
「でも、あれだ……まぁ、いずれな……つーか、宝術師が心のコントロールが得意って言うなら、コツ教えてもらえばいいんじゃねぇ!?そうだよ!そうすればすぐにできるようになるって!!そんな気がしてきた!!」
空気を変えようと一人気を吐いたのはカンシチ。適当なその場しのぎの慰めのつもりの言葉だったが、しゃべってる内にいい案が出たと感じ、妙に自慢気だ。
ジョーダンも彼の気持ちが嬉しかったのか、自然と顔が綻んだ。しかし……。
「カンシチ、ありがとう……そうなるといいな。だけどあと三、四日は応龍は起動できないんだけどね」
「そうか!応龍が起動できないのか!そうか応龍が……って!はあぁぁぁっ!!?」
表情を一変させたカンシチが眉を八の字にしてジョーダンに詰め寄る。
「ど、どういうことだよ!?応龍が!?三日も!?使えないって!!?お前、応龍の修復力には自信があるって言ってただろうが!!?」
「嵐龍砲を使っちゃったからね。あれはそれこそ完全適合を前提に開発した武器、できてない状態で使うと負担がデカ過ぎて、しばらく応龍自身が使用不可能になるんだ。前に試しにやってみた時は一週間、うんともすんとも言わなかったよ」
「言わなかったよ……じゃねぇよ!!」
「そこまで怒ること?ねぇ、セイ?」
カンシチの剣幕に気圧されたジョーダンはセイに助けを求めた……が。
「そこまで怒ることだ。お前が起きてからこの杏湖に来るまでの二日間、幸いにも何のトラブルも発生しなかったが、もし起源獣なんかに襲われていたらどうするつもりだったんだ?応龍が使えるか使えないかで対応が変わる。初動を間違えば、全滅だってあり得たんだぞ?」
「うっ!?」
カンシチと違いセイは冷静だった……冷静にぶちギれていた。正論でまくし立てられ、そもそも落ち度は完全に自分にあるのでジョーダンはバツが悪そうだ。
「……悪かったよ。きちんと報告すべきだった。ごめんなさい」
おさげを揺らしながら頭を下げ、謝意を示す。当然の行為だが、普段の彼の言動を考えたら、かなりしおらしい。そんな姿を見せられるとカンシチとセイの怒りの炎も治まっていった。
「まぁ……反省してるならいいさ」
「はい、めちゃくちゃ反省しています」
「そもそも特級骸装機を使うのが間違いじゃないか?完全適合できないなら、わざわざ特級を使わんでも、上級なんかでも優秀なの多いし」
「いや、これからの時代を考えたら特級一択だよ」
「断言しちゃうのか」
「断言しちゃうよ。今、世界中では自律型や、遠隔操作型の骸装機の研究が凄い勢いで進んでいる」
「ネニュみたいな奴か」
「あぁ、だからいずれ人間が装着するのは、感情を力に変える特級以外価値がないって時代がやって来るよ。ボクは二十年以上先を見据えて応龍を造ったんだ。バージョンアップを重ねていけば、一生通用するマシンとしてね」
「へぇ~、色々考えているんだな」
「考え無しで勢い任せのキミと違ってね」
「な、なんだとぉ!?」
早くも調子を戻したジョーダンがいつものように不敵な笑みを浮かべ、カンシチをからかう。そして、これまたいつも通りにカンシチはまんまとぷんすか怒り出す。
いつもならセイはめんどくさいので、無視を決め込むところだが、今はそうもいかない。
「お前ら……喧嘩なら後にしろ!」
「でもよぉ~セイ、ジョーダンの奴が……」
「ええい!五月蝿い!それよりもオレ達は考えなければいけないことがあるだろうが!」
「えっ……?夕飯のこと?」
「違うわ!この湖をどうやって渡るかだ!!」
「あぁ~、そっち……そうだよ!応龍使えないのにどうするんだよ!?」
「すっかりオレはそれぞれ骸装機を装着して、泳いで渡るもんだと……」
「おれだって同じさ。骸装機なら水中でも息ができるから、それで……」
「残念だけどそれは無理だよ」
落ち込む二人にジョーダンは悪びれもせずにぶっきらぼうに言い放った。
「お前のせいで断念したというのにやたら偉そうだな……!」
「勘違いしないでよ、セイ。ボクが言いたいのは応龍が使えないから無理ってことじゃなくて、応龍が“使えても”無理だって言っているんだ」
「何?」
「ほらこっちにおいで、カンシチも」
「お、おう!」
人差し指をちょいちょいと動かしながら、湖のほとりに向かうジョーダンにセイとカンシチは付いて行った。
「ほら、見て見なよ。これがボクが無理だって言った理由さ」
ジョーダンは今度は人差し指を下に、杏湖に向けた。
「これは……!起源獣がたくさん……」
「しかもかなり強そうだぜ……!」
湖は不自然に思えるほど透き通っていて、その中を自分達の居場所だとアピールするように無数の起源獣が悠々と泳いでいた。
「この場所に宝術院を建てたのは、龍穴のせいだって言ったけど、実はもう一つ理由があって……」
「それがこれか」
「うん、天然のガードマンとして彼らが外敵から守ってくれる。並の骸装機では一瞬でタコ殴りのスクラップさ」
「だけど、それだと宝術院の奴らも外に出れないんじゃねぇか?」
「それができるんだよ。原理は門外不出でわからないけど、彼らの造った船は襲われないらしい」
「だとしたら……それを持ってないオレ達には、湖を渡るのは確かに不可能だ」
「この際だから言っておくと、ならば空から!……ってのも無理だからね」
三人が一斉に上を向くと起源獣が大きく翼を広げ、こちらも力を誇示するように飛び回っていた。
「うーむ……ここまでの話を総合すると、オレ達から出向くのは不可能そうだな……」
セイは口を真一文字に結び、不服そうに腕を組んだ。彼ほどではないが残る二人もなんだか気だるそうな表情をしている。
「つーことは“待ち”か?」
「まぁ、そうなるね。あちらから接触してくるのを気長に待つしかない」
「性に合わんな」
「んじゃ、狼煙でも上げて宝術院の奴らを急かすか?」
「狼煙はともかく、しばらくはここで待機する必要があるから焚き火はあった方がいいね。そろそろ日が暮れるし」
「だったら早く薪になる枯れ木を集めないと。暗くなってからでは、面倒だ」
「そうと決まれば……」
三人はまた一斉にくるりと踵を返し、森の方を向い……。
「やっと追い付いたぞ……!!」
「「「!!?」」」
馴染みのある声が木々の隙間から聞こえた瞬間、また三人同時に臨戦体勢へと入る。この憎悪を隠そうともしない声の持ち主はあいつしかいないし、だとしたらこの後の展開も、悲しいかな予想ができたから……。
「さすがにしつこいぞ……朱操……!!」
「嫌ならとっとと俺に殺されろ、ジョーダン……!!」