歴史を動かす出会い
「……ん?……んんッ……!」
自他共に認めるボロ小屋の中、窓から射した朝日に瞼を刺激され、『次森勘七 (つぐもりかんしち)』は目を覚ました。
「ふあぁ~あッ!」
大きく口を開けてあくびをし、目を擦りながら起き上がると桶を手に取り、外に出た。起きたらまず井戸に水を汲みに行くのが、カンシチの日課だった。
「今日もいい天気だ………ん?」
いつものように空を確認したカンシチだったが、彼のまだ半開きの目にはいつもと違う光景が目に入って来た。
(何で井戸の周りにあんなに人が集まってんだ?)
いつもの場所で展開される見慣れない光景に胸騒ぎを覚えたカンシチは足を速め、人だかりの最後尾に向かった。
「『厘じぃ』!」
「おおッ!カンシチか」
顔馴染みの老人に声をかけると、老人は振り返りカンシチと目が合った。その目は戸惑いの色こそあれ、怯えているような様子は感じられず、カンシチは少しほっとする。
「どうしたんだよ?井戸に何かあったのか?」
「いや、井戸に変わりはない」
「じゃあなんだよ、この集まりは?」
「人じゃよ」
「人?」
「あぁ、人が井戸の前で生き倒れになっているんじゃ」
「人が?大変じゃないか!」
老人の言葉を聞いたカンシチの身体は反射的に動き出していた。人混みをかき分け、最後尾から先頭に踊り出す。
「ごめんよ……っと!」
多くの人の後頭部を抜けた先には、老人の言う通り人が倒れていた。しかし、その姿はカンシチが想像していたものとは全く違った。
「…………こいつ、何者だ?」
倒れていたのはおさげ髪でメガネをかけた男だった。だが、その体躯はかなり大きく、服はカンシチ達が着ているものよりも上等なものを纏っている。
「得体が知れないじゃろ?」
「厘じぃ……」
カンシチの後を追って来ていた老人が彼の隣に並びながら、ボソッと呟いた。
「この灑の国の辺境、今やお前以外はジジイとババアしかいない『輪牟の村』にこんな立派な身体をして、いい服着た人間が来るなんて……」
「税を取り立てに来る役人ぐらいだな……」
「そうでなけりゃ訳ありだろうな……」
カンシチは全てを察した……この村の人達が何もせずに立ち尽くしている理由が。
「なぁ、カンシチ……」
「なんだい、厘じぃ……?」
「そいつを村の外まで捨てに行ってはくれんか?」
「捨てに……!?」
いつもは優しい老人のひどい提案にほんの少し驚き、同時に納得しながら彼の顔に目を移した。
「人でなしだと思うか?」
「いや……最近の税の厳しい税の取り立てで、この村には見ず知らずの男を助ける余裕なんてないのは知っているよ。厄介な事情を抱えている奴なら尚更な……」
「あぁ……そうじゃ……」
カンシチも厘じぃも不本意だったが、選択肢はそれしかなかった。意を決した村唯一の若者は悲しげな目で村人達の方を振り返る。
「みんな!聞いていたな!こいつはおれがなんとかするから、みんなはいつも通り農作業に戻ってくれ!」
「そうか……」
「頼んだよ、カンシチ……」
カンシチの言葉を聞くと、村人達はクモの巣を散らしたように井戸の周りから離れて行った。
「厘じぃも」
「悪いな、カンシチ……」
申し訳なさそうにそう言いながら、厘じぃが去ると、井戸の周りはカンシチと謎の男の二人っきりになった。
「ふぅ……謝るならおれじゃなくて、こいつに謝ってくれよ……」
カンシチは男に近づき、かがんだ。
「本当悪いと思ってるんだぜ、おれもみんなも……でも、こんな世知辛い世の中じゃな……仕方ないんだ……」
「人の命が失われようとしているのに仕方ないで済むか……!」
ガシッ!
「えっ!?」
地面に突っ伏した男の顔から絞り出すような声が聞こえたと思ったら、カンシチは足首をその大きくも繊細そうな手にしっかりと掴まれた。
「お、お前!?起きてたのかよ!?」
「あれだけ……大人数で騒いでいたら、寝てなんかいられないさ……」
「じゃあ!話を聞いていたなら事情がわかっただろ!?悪いけど、この輪牟の村にはお前を助ける余裕がないんだ!!」
地面に横たわる素性の知らない男の横顔にカンシチは吠えた。本来ならこんな情けないことを口にしたくないが、背に腹は変えられない。
「確かに……みんなガリガリだったね……」
「だから!今すぐ出て行ってくれ!!」
「それが出来るコンディションならこんなことになってないでしょうが……!」
だが、男も譲らない。弱々しい言葉と対照的にカンシチの足首を掴む手は力強く、微動だにしなかった。
「くっ!?だけど、本当に無理なんだって……!!」
「……別に豪華な食事でもてなせなんて言ってないんだよ……?」
「いやいや!自分一人食っていくのでやっとなんだよ!!」
「本当……少しだけ……」
「それすらも無理なの!!」
「……もしボクが死んだら、キミのことを祟るよ……」
「はぁ!?」
「ボクは執念深いから、きっとすごい怨霊になるだろうね……」
「おま……」
「きっとすごい苦しむことになるんだろうな……」
「この……」
「時間はないよ……さぁ、ボクに感謝されるか、呪われるか……選びなよ、カンシチ?」
「くっ!?」
「ふぅ……食った食った!」
自他共に認めるボロ小屋の中、たくさんつまれた皿の乗っかったテーブルの前でおさげメガネの男は膨らんだ腹をポンポンと叩いた。
「何が少しだけだよ!!一週間分の食事を平らげやがって!!!」
カンシチは目の前の満足そうなメガネ男ほどではないが大きな身体を縮ませ、震わせ、涙目になりながら叫んだ。
「えっ?これが一週間分?ずいぶんと少食なんだね」
「だから!!生活カツカツなんだよ!!」
「そうか、それは申し訳ないことをしたね」
「本当だよ!!!」
怒りながらも皿を台所に運び、洗い物を始めたカンシチの姿をおさげメガネは好ましく思った。心根の優しい奴なのだろうと。
水の音だけが響くボロ小屋をおさげを揺らしながら物色した。そして、とある物に目が止まる。
「なぁ、カンシチ……」
「なんだよ!?」
「あの短剣……」
おさげの男が気になったのは、このボロ小屋に似つかわしくない装飾の施された短剣であった。
「あぁ、親父の形見だよ」
カンシチは短剣を見ることもせず、あっけらかんと答えた。
「親父さんの?っていうか、名前の感じからして、キミ猛華大陸出身じゃないよね?」
「そうだよ。オレがガキの頃、男手一つでおれを育てていた親父が一旗上げるって猛華にやって来たんだ」
「で、上手くいかなかった訳ね」
おさげは再びボロ小屋を見渡した。
「そういうこと」
カンシチは怒るどころか笑みを浮かべた。その通りだったし、そうなって良かったと思ってるからだ。
「そんな馬鹿で強欲な異人の親子をこの輪牟の村の人達は快く受け入れてくれた。三年前に親父が死んでからも変わらずおれによくしてくれる。結果としておれはこの猛華に来て良かったと思うよ」
「へぇ……ボクとは扱いが全然違うね」
「ぐっ……!!」
嫌味ったらしいおさげメガネの言葉にカンシチの顔が強張った。手に持っていた皿を置き、勢いよく彼の方を向く。
「だから!今は余裕がないんだよ!!つーか、おれのことよりお前のことだよ!!なんでこんな辺鄙な場所で生き倒れてたんだ!!名前も教えてもらってないぞ!おれ、命の恩人なのに!!」
「確かに……ちょっと礼を欠いたか」
「ちょっとじゃねぇよ!!」
「では改めて……」
おさげは姿勢を正し、喉の調子を整えた。
「…………ワタシ、ポンチオ・マラデッカ、イイマス」
「………………」
ボロ小屋の中を冷たい空気が覆い、それ以上に冷たく辛辣なカンシチの視線がおさげの男に突き刺さった。
「……悪かったよ。さすがにふざけ過ぎた。ジョーダンだ、ジョーダン」
「ったく……謝るなら最初から真面目にやれよ……で、本当の名前はなんて言うんだ?」
「だからジョーダンだよ」
「いや、冗談だってのはわかったから、本名を教えろよ」
「いやいや、だからジョーダンだって!」
「いやいやいや!もう冗談はいいから早く名乗れよ!!」
「だから、さっきからジョーダンだって名乗ってるでしょうが!!」
「あぁん!?お前の名前がジョーダンだってのか!?そんなわけ…………あるか」
おさげメガネ改めジョーダンはコクリと頷いた。
「姓は“丞”、名は“旦”、ボクの名前は『丞旦 (じょうだん)』。金色の龍を家紋に持つ名門丞家の中でも史上稀に見る英才だよ」
「そうか……マジでジョーダンって名前だったのか……ふざけた名前だな」
「人の名前にケチをつけるなんて……失礼な奴だなキミは」
そう言いながらジョーダンはテーブルの上に置いてあったコップを手に取り、中に入っているぬるくなった水を啜った。言葉こそ厳しかったが、顔は今まで通り和やかなのは、今までも似たようなやり取りを嫌と言うほどして来て慣れているからだろう。
「まぁまぁ、とりあえず名前はわかった……それでこの村に来た理由は?自分の故郷とも言うべき場所にこんなこと言うのは嫌だが、正直観光に来るようなところでも移住を考えるような場所でもないだろ?」
「こちらも助けてもらっておいてなんだが、だろうね」
「だったらなんで?」
「たまたまさ。人を探している最中に偶然通りかかっただけ」
「人?どんな奴だ?」
鈍いカンシチにはわからなかったが若干ジョーダンの表情が険しくなる。
「……骸装機……ピースプレイヤーと言った方がいいか……」
「いや、猛華流でいいよ」
「じゃあ……青銅色をして、頭の横から大きな角を生やした特級骸装機を持っている男を探している」
「角の生えた青銅色……ちょっと記憶にないな。力になれなくて悪い」
「たまたま通りかかっただけと言っただろ。期待なんてしてないさ」
ぶっきらぼうな物言いにカンシチは少しだけカチンと来た。
「お前……確かにそんな立派な骸装機を持った奴がこんな辺鄙な場所に来るはずないな……で、そいつを見つけてどうするんだよ……!?」
「殺すのさ」
「なっ!?」
先ほど冷たくなった空気が生ぬるかったと感じるほどに、カンシチの周りが、背筋が凍りついた。ジョーダンから発せられる“怒り”や“殺気”と呼ばれるものが、彼の生物として持っている根源的な恐怖というものを強く刺激したのだ。
「こ、殺すって……?」
「……キミは命の恩人だが、これ以上話す義理はない」
恐る恐る問いかけたカンシチに、ジョーダンは拒絶するようにくるりと背を向け寝転がってしまった。
二人の間に重苦しい沈黙の時間が淡々と流れる。この時間が永遠に続くのかと思われたが、それは突如として終わりを迎える。
「ぐわあぁぁぁぁぁっ!!?」
「厘さん!!?」
「「!!?」」
突然こだました叫び声にジョーダンは再び身体を起こし、カンシチは反射的に立ち上がった。
「今の声……何があったんだ!?」
カンシチは小屋の傍らに置いてあった父の形見の短刀を手に取るとそのまま外に駆け出して行った。
「やれやれ……生き倒れ、助けられたと思ったら、またトラブル……今日は厄日だな……」
ジョーダンはカンシチの一週間分の食事のせいで重くなった身体を立ち上がらせ、至極めんどくさそうに彼に続いて外に出る。
これがこの灑の国の歴史を動かす丞旦と次森勘七の出会い……。
そして、この後行われるのが、彼らの運命を変える始まりの戦い……。