二人の聖王覇獣拳①
「…………」
「…………」
「…………」
息をするのも忘れてしまいそうな重苦しい空気の中、無言で睨み合う猛華随一の武道家達……。
「……おい、リンゴ」
いつまでも続くかと思われた沈黙を壊したのは武道家でもなんでもない小さな妖精であった。
「どうした?キトロン」
「いや、とっとと始めろよと思ってさ」
「大の大人が黙って見つめ合っているのは気色悪いか」
「それもあるが、あの羅昂と魔進真心……多分だけど想定していたよりもずっと馴染んでいる」
「何……?」
キトロンに予想を超えていると指摘された羅昂を狻猊は改めて見上げ、感覚を極限まで研ぎ澄まして観察した……が、やはり彼の目からは不気味な骨董品を胸につけてるだけの残念な老人にしか見えなかった。
「自分にはよくわからないが……君がそう言うならそうなんだろうな」
「おう!そこ一本でやってきたみたいなところがあるからな、おれっち」
「わかった。すぐにでも始め、速やかに終わらそう」
「よくもまぁそんな分を弁えていない発言ができるな」
リンゴの言葉に不快感を示したのは玄允。眉間にシワを寄せて、汚らわしいものを見るような軽蔑の眼差しを向ける。
「お前からしたらそうだよな。あれだけボコボコにやられた奴が、何を言ってるんだって感じ」
「あぁ、速やかに終わらせる?それはこっちのセリフだ」
そう言うと玄允は腕輪を嵌めた手を、顔の前に翳した。そして……。
「叩き潰せ……業天馬!!」
愛機の名前を高らかに叫ぶ!
腕輪は光を放ちながら、鮮やかな青色の機械鎧へと変化し、男の全身を覆っていき、再び緑色の獅子の前に、圧倒的な重圧感を迸らせる天馬が降臨した。
「相変わらずカッコいいな」
「それ以上に強い。もう一度その絶対的かつ絶望的な事実をお前の身体に刻みつけてやる……!!」
「前と同じ展開にはならないぞ、玄允……!!」
両者同時に構えを取る!遂に二人の聖王覇獣拳の使い手による再戦の火蓋が切って落とされた!
「…………」
「…………」
(こいつら……結局、また見つめ合ってるだけじゃねぇか)
その燃え滾る闘争心とは裏腹に立ち上がりは静かなものだった……少なくとも武道家ではないキトロンにはそう見えた。しかし……。
(ふむ……話よりもずっとやるじゃないか。業天馬が攻撃を躊躇する姿など初めて見たぞ)
今は戦える身体ではないが、かつてはあの拳聖玄羽と並び立つ武道家と称された羅昂には、二人の間で繰り広げられる静かだが、激しい駆け引きの戦いがくっきりと見えた。
(あの偏屈な玄羽が聖王覇獣拳を教えるならば、それなりに才があると思ったがまさかここまでとは。だがそれでも……玄允ほどではない)
羅昂がニイッと醜悪な笑みを浮かべる。その時であった。
「情けない……このおれがお前ごときに攻めあぐねるとは……」
「………」
「そんな情けない姿など聖王覇獣拳の正統後継者の姿では……ない!!」
先に我慢の限界を迎えた業天馬が動いた。一気に狻猊の眼前まで踏み込むと挨拶代わりに右ストレートを繰り出した。
ガァン!!
「――!!?」
しかし、それを狻猊はあっさりと払いのけた!いとも容易くまとわりつく羽虫を払うかの如く!
「きっと初めて会った時なら今の一撃をもろに食らっていただろうな……けれど、今の自分は……あの時よりもずっと強くなった!!」
反撃のナックル!今度は狻猊が業天馬の顔面にパンチを……。
ガァン!!
「――!!?」
けれど、これもまた当たらず。今度は業天馬が手刀ではたき落とした。
「確かにあの時よりは強くなったが……おれに届くほどではない!!」
そのまま手刀を引くと指先を獅子の喉元に向け、突く!
ヒュッ!!
けれど、これも緑色の胴体を翻し回避!そしてその回避の動きを利用して斜め下から捩じ込むように左ボディーブロー!
ブゥン!!
けれどけれど、業天馬は軽やかなバックステップでこれも躱す!そして空振りしたことでがら空きになった狻猊の左脇腹に今度はこちらがボディーブロー!
ガァン!!
それを獅子は左肘で上から迎撃!そしてまたまた顔面に右ストレート!
ガァン!!
業天馬が下から腕でかち上げ、軌道を逸らす!で、またこちらも顔にストレート!
それをまた狻猊は、それに対して業天馬は……そんな攻撃と回避・防御を両者は延々と繰り返す。
(いける!パワーでもスピードでも負けていない!あの業天馬と戦えている!!)
その一連の攻防でリンゴは失っていた自信を本当の意味で取り戻した。端から見ると息もつかせぬ激しい戦いを繰り広げているのに、マスクの下では喜びのあまり自然と口角が上がってしまう。
(ちっ!!このおれがこんな紛い物に……!!)
片や玄允は悔しさと苛立ちから顔を歪める。こんなはずじゃなかったと。
(あれから一月も経っていないと言うのに、人間とはここまで成長するものなのか?一体、こいつに何が……)
瞬間、玄允の頭に自分を追い詰めた頭が長く、髭を生やし、杖をついていて、まるで老人のような奇妙な形をしていた骸装機の姿が過った。
(あのジジイか……!!何をしたかはわからんが、きっと奴がこのバカ弟子に何かしたんだ!どこまで厄介なんだ、あのじいさんは……!!)
勝ち誇ったような元始天尊を幻視すると、さらに気持ちが昂り、今のこの状況が許せなくなる。
(これ以上、こいつやあのじいさんの想定通りに事が進むのは辛抱たまらん!お遊びは終わりにしよう!一気に聖王覇獣拳でケリをつける!)
業天馬は全身を連動させると、瞬間的に驚異的な破壊力を生み出し、それを脚一本に集中させて……振り抜く!
(この技は……ならばこっちも!)
対する狻猊も全く同じことを、全く同じ技を繰り出した!
「「聖豹蹴撃!!」」
ゴッ!ガギイィィィィィン!!
「「――ッ!!?」」
ぶつかり合う蹴りと蹴り、聖王覇獣拳と聖王覇獣拳!その結果は引き分け!両者脚を弾かれ、反動で後退する。
(聖王覇獣拳でも力負けしてない!!差は埋まっている!!)
(以前は一方的に撃ち勝っていた聖豹蹴撃まで互角か……なんたる恥辱!!)
(この勢いは落とさない!このまま一気に流れを引き寄せる!!)
結果は全くの互角、引き分けだったとしても、先の戦いで勝利した者と敗れた者では感情の動きは当然真逆だ。精神的には間違いなく狻猊の方に勢いがあった。しかし……。
(……きっと奴はおれとこうしてやり合えていることでかなりのってきているだろう、自分の方に勢いがあると。弱者が強者に勝つのは大抵そういう時……流れを断ち切らなくては)
その勢いの強さが逆に玄允に冷静さを取り戻させた。危険な匂いを拳聖玄羽に負けず劣らずの勝負勘で感じ取り、それを挫く方法を脳内で検索する。
(この勢いの原因が過去を乗り越えたという自信ならば、それが勘違いであることを教えてやればいい。お前はあの時と何も変わってなどいないとな)
頭の奥で若獅子の自信を撃ち砕く計画を立てた天馬はすぐさまそれを実行に移す。
両足で大地を踏みしめ、両腕でガードを固めたのだ。
(自分の力に臆したか!業天馬!!なら、これ以上怖がらせる前に終わらせてやる!!)
決意を固めた狻猊は力強く踏み込む!ありったけの力で地面を踏み抜いたのだ!
「聖王覇獣拳!巨星震脚!!」
ドンッ!!ゴゴゴッ!!
「………」
その凄まじい力に地面は局所的な地震を起こし、足元を揺らされた業天馬は僅かに体勢を乱す。そこに……。
「山崩し!!」
ドッ!!
「………」
背中から体当たり!業天馬の腕を弾き、防御を崩した。
(ガードが空いた!これで自分のパンチを防ぐ手立ては……ん?)
瞬間、リンゴは思い出した。以前これと似たような光景を目にしたことを。
(このシチュエーションって……まさか!?)
(ようやく気づいたか。そうだ、これはあの時と同じ……獣然寺でおれとお前の力の差が明確に示されたあの時と同じ展開だ!!)
(ちいっ!こうなるように誘導されていたのか!!こいつ本当に……性格が悪い……!!)
表情の強ばるリンゴ、笑みを浮かべる玄允。両者の心情は一瞬で逆転した。
(あの時は奴の攻撃に剣割りで合わせようとして、逆に清流投げで空中に放り出されたんだ。もしこいつがあれの再現を狙っているのだとしたら……いや、そう見せかけといてまた別の手を……)
玄允の狙い通りに思考の迷宮に迷い込んだリンゴ。考えれば考えるほど深みに嵌まっていっている気がした。
(さぁ、おれがこうしたら……お前はどうする?)
そんな彼に救いの手……というわけではないが、腕を動かす素振りを見せた。あの時のように……。
(今の動き、仕掛けて来るのか!?だが、やはりブラフの可能性も……)
(答えが出せないか?ならばそのまま間抜け面に我が拳を食らうといい!!)
「!!?」
結論が出せない若獅子に向かって、容赦なく業天馬が拳を繰り出した!
「くっ!?聖王覇獣拳!剣割り!!」
反射的にカウンターを発動する狻猊!しかし……。
「愚かな」
バッ!!
業天馬が握っていた拳を開き……。
ガシッ!!
そのままカウンターを繰り出す狻猊の手首を掴んだ。
(このおれもまさかここまであの時の展開をトレースすることになるとは思わなかったぞ。多少動きは良くなったようだが、結局貴様何も変わらな――)
ボオウッ!!
「――いっ!!?」
掴んだ獅子の手首からその体表と同じ色の翠色の炎が吹き出した!
「くっ!?」
咄嗟にせっかく掴んだ手を離す業天馬!
その彼の前で狻猊はその炎を手のひらに移動させながら、腕を引く。
「聖王覇獣拳……」
(これは掌隕石の変形版か!?いや、そんなちゃちなマイナーチェンジではない!これはおれと同じ……)
「エンテンの型」
「!!?」
「焔発勁!!」
ボオウッ!!
過酷な修行の末に会得したリンゴの、狻猊の新技が今、業天馬に……。




