若獅子修行中①
一行はまだ簡易的な後片付けも終わっておらず戦闘の傷跡が生々しい寺の外へと出て来た。見るだけで億劫になるので、今はできるだけ視界にも思考にも入れないように目を背けながら。
「修行って、自分を何をすればいいんですか?」
そう言いながら、リンゴは身体を伸ばし、関節をほぐし、何があっても大丈夫なように準備を整える。
「おっ!やる気満々じゃな!」
「強くなれるというなら、なんでもやりますよ。人道的に問題なければね」
「それでこそ拳聖玄羽の弟子じゃ」
「ちなみにバンビはやらないのか?お前もこういうの嫌いじゃないだろ?」
リンゴは少し離れたところに立っている仲間をちょっとだけ見下ろしながら、問いかけた。
「確かに嫌いじゃない……だから、お前が寝てる間にオレは一足早く修行つけてもらっている」
「そうなの?」
「あぁ絶賛成長中だぜ、オレ」
そう言うとバンビは手を合わせて、目を瞑った。
「バンビに行っている修行はアプローチこそ違うが目的自体は大体同じだ、今からお主が身につけようとしていることとな」
「それって一体……?」
「先に教えてしまってはつまらんじゃろ」
慧梵は目尻にびっしりとシワを刻みつけてパチリとウインクなどして見せた。
「なんか思ったよりお茶目な人なんですね、慧梵様って……」
「厳しいだけでは、人はついて来んし、ましてや生き方を変えてなんかくれないからの。だけど、今回の修行はかなり厳しめで行くんで、そこんとこよろしく」
「はい……望むところです……!!」
リンゴは表情を引き締め直すと、懐から狻猊を……。
「スト~~ップ!!」
「……え?」
「この修行に関しては狻猊は必要ない!」
「あ!?」
慧梵は待機状態の狻猊をリンゴの手から無理矢理取り上げた。
「そもそも昨日の今日で自己修復が終わっとらんじゃろうに」
「……言われて見ればそうか」
「というわけで、お主の愛機はしばらく儂が預かる。いいな?」
「はい、了解しました。では、改めて……!!」
リンゴは今度は生身のまま構えを……。
「スト~~ップ!!」
「……まだ何かあるんですか?」
「ある!この修行には道鎮の協力が必要不可欠なんじゃ」
「……え?拙僧?」
不意に名前を呼ばれた道鎮は自分の顔を指差し、戸惑った顔を見せる。
「そうじゃ、お主じゃお主。こちらに来い」
「はい……慧梵様がそうしろと言うなら……」
「で、これを装着せい」
「な!?これは!!?」
慧梵が懐から出した数珠を見た瞬間、道鎮の顔は更なる驚愕の表情へと変貌した。彼にとって、その数珠はそれだけ心を揺さぶるものだったのである。
「せ、拙僧が『倉頡』を装着するなんて……滅相もない!?」
「じゃが、適合しとるのじゃろ?」
「確かに適合自体はしましたけど……」
「ならば使え。お主自身、わかっておるのじゃろ……臆せずにこの“造字聖人”の使用者になっておれば、此度の一件、また違う結末になっていたかもしれないと」
「そ、それは……」
裏切りが露呈し、開き直った時の後輩、楊亮の顔がフラッシュバックすると、同時にあの時何もできなかった悔しさが込み上げて来て、思わず道鎮は奥歯を噛みしめた。
「もう二度と後悔したくないと思うなら、今こそこの造字聖人を手に取るべきじゃ、道鎮」
「……その通りです、慧梵様。拙僧も覚悟を決めます!!」
道鎮は意を決して、数珠を受け取り、手首に嵌めた。そして……。
「造字聖人!!」
それの真の姿を解放する!
数珠は光の粒子に瞬く間に分解されたと思うと、また一瞬のうちに機械鎧へと再構成され、道鎮の身体を覆っていた。
四つの目を持ち、身の丈もある巨大な筆を持った特級骸装機、造字聖人こと倉頡!ここに降臨!
「それは……特級骸装機ですか?」
「うむ。かつてはこの儂と並び称された強者の愛機じゃ。奴が早々に亡くなってから一向に次の適合者が現れんかった。しかし、最近になってこの道鎮に反応し始めての。ずっと使え使えと勧めていたんじゃが……」
「拙僧はずっと畏れ多いと断り続けていたんだ」
「その能力は……」
慧梵が目配せすると造字聖人は四つの目のついた頭を縦に振った。
「はっ!!」
そしてその手に持っていた筆で空中に“風”と書くと……。
ブオォォォォォッ!!
「「「――ッ!!?」」」
そこからまさに文字通り激しい風が吹き出した。
「ご覧の通り、このマシンは筆で書いた文字の力を引き出し、行使することができるのじゃ」
「だから造字聖人……!」
「その通り。本来の名は倉頡なんじゃが、人の名前と紛らわしいので、もっぱら異名であるそっちの名前で呼ばれることが多いの」
「ほんの少し力の片鱗を見せていただいただけでも、凄いマシンだってわかります」
「そうじゃろそうじゃろ!獣然宗の所持しているマシンは凄いんじゃ!!」
(慧梵様……)
後ろに倒れるんじゃないかと思うほど胸を張る大僧正の姿に道鎮と蓮霜は身内としてちょっと恥ずかしくなった。
「ご自慢はそれくらいにして、早く本題に……拙僧は何をすればいいのですか?」
「そうじゃったそうじゃった!道鎮よ、少し耳を貸せ」
「はい」
言われるがまま造字聖人は慧梵の口元まで耳を近づけた。
「あれをこうして……」
「それをあぁすればいいのですね」
「違う。あれをこうするんじゃ、程よい感じに」
「なるほどあれをこうするんですね!程よい感じに」
「そうじゃ!わかったら、ちゃっちゃとやってくれ!」
「仰せのままに……はあっ!!」
耳打ちを終えた慧梵が離れると、道鎮は意識を集中させ、造字聖人との適合率を高めていった。彼の感情が皮膚から装甲に、そして手に持っている巨大な筆へと伝わっていく……。
「程よい感じにというと……このくらいか!!」
筆を忙しなく動かし、“縛”という字を書く。すると……。
ブオッ!!
「!!?」
その字から墨のような漆黒の鎖が無数に出現!そして……。
グルグルグルグル……ガシィン!!
「――いっ!!?」
リンゴの鍛え抜かれた身体をグルグル巻きにして拘束した。
「慧梵様……これは?」
「これこそ修行の第一段階。まずは主にはその鎖から脱出できるようになってもらう」
「この拘束を生身でですか?」
「あぁ、骸装機無しの生身でもどうにかできるレベルに調整してもらった。なぁ道鎮?」
「ええ、骸装機無しでもどうにかできるレベルに加減しました……多分」
「多分かよ!!」
ずっと黙って観客に徹していたキトロンが我慢できずにツッコんだ。
「まぁ、とにかくものは試しだ、やってみなさい」
「はい。では……ふぐっ!!」
リンゴは全身にありったけの力を込め、鎖を引き千切ろうと試みた……が。
「ぐっ!!この!!くそ……!!」
どれだけ力を入れても、身体を捻っても鎖はびくともしなかった。
「力ずくではダメか……なら!聖王覇獣拳!骨開法!!」
(あれは陸吾の尻尾から逃れた技……)
「はあっ!!」
ガゴン!!
リンゴは肩の関節を自ら外し、鎖と身体の間に隙間を作った……作ったのだが。
シュル!ガシィン!!
「――ぐっ!!?」
鎖はすぐにそれを埋め、身体に食い込むほどさらにきつく締めつける。
「くそ!?これじゃあ力が入れづらくなった分、余計脱出が困難になっただけじゃないか……!!?」
「使い手であるお主ほどではないが、儂もお主の師匠の戦いを見て、聖王覇獣拳については少しばかり知識がある。その骨を外す技ももちろん知っていた。なので、きちんと道鎮に対応するように伝えておる」
「くっ!!?自分の考えが浅はかだったか!!でも!!」
リンゴが再び鎖を破壊し、脱出しようと全身に力を込めようとした……その時!
「道鎮、もういい」
「はっ」
バシャバシャバシャバシャッ!!
「――うおっ!?」
造字聖人が筆を再び動かし、“縛”の文字にばつ印を付けると、それに呼応し、リンゴを縛っていた墨のように黒い鎖が、墨のような黒い液体に変化し、地面に零れ落ちた。
「はぁ……はぁ……不合格ってことですよね、これ」
リンゴは肩の関節を嵌め直しながら、不満そうな顔で慧梵に問いかけた。
「そういうことになるな。まぁ、落ち込むでない。最初からできるなら、修行なんて必要ないじゃろうが」
「わかっています。それで自分は何をすればいいんですか?いつ拳幽会の情報が入ってくるかもわかりませんし、できるだけ早くこの修行を完了させて、強くなりたい、いやならないと駄目なんです」
「その意気や良し!リンゴよ、付いて参れ」
「はい」
慧梵は着物を翻しながら踵を返すと、堂々とした姿で歩き始め……。
「……あっ、他の者は今日のところは解散でいいぞ」
歩き始める前にもう一度くるりとターンして、連絡事項を伝えると、今度こそ歩き始めた。
(なんかカッコつかない人だな……)
そんな彼に不安を覚えながらも、リンゴは言われた通り、後に続いた。
拳聖の一番弟子はその先で今まで経験したことのない試練と向き合うことになる……。
そして……。
「とりあえずここならしばらくは大丈夫だと思うぜ」
嘲風がその能力を遺憾無く発揮し、辺りに獣然宗の僧兵も起源獣もいないことを確認すると、石の上に座っている玄允にそう話しかけた。
「すまないな……おれがムキになって自滅紛いの攻撃なんてしたばっかりに……」
元始天尊との戦いで、限界以上の力を込めて技を放った結果、痛めた玄允の足は予想よりも深刻なダメージを負ったようで、そのせいか拳幽会は思うように山を降りられずにいた。
「すまないで済むか!」
声を荒げたのは、是の腐れ貴族、迂才であった。
「迂才……」
「まさか関敦の奴もいるなんて……一刻も早く山を降りなければ!きっと典優を陥れようとしたわたしのことを、血眼に追って来る!追い付かれたらどうするつもりだ!!ええ!!」
本来は気が弱く、人の顔色ばかり伺っているようなどうしようもない男なのだが、玄允が弱っているせいか、はたまた追い詰められているせいなのか鬼気迫る表情で圧倒的強者を問い詰める。
(この男はどこまでも自分のことばかり……やはりそろそろ切り時ですかね)
そんな彼の醜態を目の当たりにした薄固は、心の内でとある決断をし、獣然宗を裏切った楊亮に目配せした。すると……。
「失礼します」
ガシッ!!?
「――!!?なんだいきなり!?離せ!離すんだ!!」
彼は後ろから迂才を羽交い締めにした。
僧兵として鍛え抜かれた楊亮の腕力に怠惰な生活を送り続け、弛み切った身体をした迂才が敵うわけもなく、ただ死にかけの虫の如く見苦しく手足をバタつかせる。
「薄固……お前、まさか本当にあれを使う気じゃ……」
瞬時にこれから行われようとしている非道な行為を察した玄允が目でやめろと訴えたが、決意を固めた薄固の心には届かない。
「この件に関しては、わたくしに一任されています。追っ手を撒くために、こいつを使うかどうかはね」
「ひっ!!?なんだ、それは!!?」
薄固はおもむろにネックレスを取り出した。それが醸し出すおぞましい力の片鱗を感じ取り、迂才はさらに顔を引きつらせる。
「これの力を感じ取れるということは、かなり相性がいいですよ、迂才様。まぁ、相性云々関係なく、これは誰でも使えるらしいですが」
「だったら他の奴に使え!!ここにはわたしなんかよりも強い奴がいっぱいいるだろ!!」
「だからこそあなたなのですよ。これは元々強い人よりも戦力にならないあなたのような弱者に使うことで最大の効力を発揮する」
「くっ!?シンドイ!!お前はわたしに雇われているんだろ!?ぼーっとしてないで、早くわたしを助けろ!!」
聞く耳を持たない薄固の説得を諦め、雇用していると思い込んでいるシンドイに助けを求めた……が。
「悪いな。実はあんたに護衛を頼まれる前に、その薄固に頼まれてたんだ。いざとなったら、あんたを使うからそれまでの間、守ってくれって」
「……は?」
「つまりあんたを守っていたのは、あんたと雇用関係にあるからってわけじゃないのさ。だから申し訳ないけど……助ける義理はない」
「シンドイ!シンドイ!シンドイィィィィィィィィィィィッ!!」
「うるさいから黙らせろ」
「……はい」
「――イッ!!?うぐっ!?ぐうっ!?」
シンドイに言われるがまま楊亮は迂才の口を塞いだ。
「あなたは黙っていた方が素敵ですよ。口を開けば、人の心を不愉快に逆撫でする言葉しか出て来ないんですから」
「完全に同意。こんな奴の護衛なんて、もう二度とごめんだぜ」
「うぐっ!?ぐむっ!!?」
「はいはい、大人しくしていてください。ネックレスをつけるだけですから。痛くも痒くもありませんから」
「むぐぅぅぅぅぅぅっ!!?」
「くっ!!」
あまりの痛々しい姿に玄允は目を背けた。彼はあくまで武道家、こういう他人を犠牲にするような謀略は好きではないのだ。
「怖いのは最初だけ。きっとあなたもすぐに気に入りますよ、『檮杌』のことをね……」
「ぐむぅぅぅぅぅぅぅっ!!?」
迂才の必死の抵抗も空しく、その首に禍々しいネックレスがかけられた。
ただの自己保身しか考えていない腐れ貴族だと思われている迂才が獣然宗と翠炎隊を恐怖のどん底に陥れることになるとは、この時はここにいる者達以外は誰も想像もしていなかった……。




