入山と焦燥
「それではいってきます」
「ふん!お前とおれはそんな間柄じゃねぇだろ」
「……ですね」
別れの挨拶を典優に軽くあしらわれたリンゴは苦笑した。とはいえ一宿一飯の恩義もあるので、あの時よりもより立派な姿になった拳士は深々と頭を下げた。
こうしてまさかの邂逅の翌日、翠炎隊一行は予定通り秦真を出発。そして数日ほどかけて、何事もなく崑萊山の麓まで到着した。
「噂には聞いていたがでけぇな~」
まさに天まで伸びるような、そびえ立つ山を見上げ、バンビは感嘆の声を上げる。
「実際にこの辺りでは一番大きい山ですからね。しかも獣然宗の本拠地ということで荘厳さというか迫力を増しているように見える。数字以上に大きく感じるはずですよ」
アンミツは説明を口にしながらマウ車から降りる。その後に監視役である関敦も続く。
「ここからは徒歩になります。宜しいですか?」
「ええ、もちろん」
「かなりきつい登山になりそうだが、外を歩けるのはありがたい。マジでここ何日かずっとマウ車と宿にこもりっぱなしだったからな」
バンビは鈍った身体を起こすように、腕をぐるぐると回し、肩を温めた。
「元気はあり余っているみたいですね」
「おかげさまで」
「ですが、その力は登山にだけに使うように。もし起源獣に遭遇しても殺してはダメですよ」
「わかってるよ。獣然宗は起源獣との共存を謳ったる宗派、そのお膝元で起源獣殺しなんてもってのほか……耳にタコができるくらい聞いたぜ」
「でしたら結構。ワタシに付いて来てください、翠炎隊の皆様」
「はい」
関敦を先頭についに一行は目的地である崑萊山に足を踏み入れた。
そこは霧が立ち込め、妙に空気が澄んでいて歩いているだけで身も心も清められるような気持ちになった。
「なんか変に身構えちまったが、入ってみると道は思ったよりもなだらかだし、空気はうまいし、登山するには絶好の場所だな」
「ワタシも初めて来た時にはそう思いました」
「やっぱりさっきからやたらと崑萊山に詳しそうな感じを出してると思ったら、前に来たことあるんですね」
「先の慇との戦いで先代皇帝が亡くなり、新たに息子である統極様が皇帝になられた報告しに来た一団の端にワタシも加えてもらったんです」
「だから、自分達に同行することに……」
「ええ。まさかあの時は灑の人間とこの山を登ることになるとは思いませんでしたよ。しかもよりによって一戦交えた相手とね」
「ふふっ……ですよね……」
関敦の皮肉交じりの言葉にリンゴは乾いた笑いで返すしかなかった。
「ちなみにそん時は起源獣に遭遇したのか?」
「いいえ。拍子抜けするくらい何事もなく、獣然宗の住居までたどり着くことができました」
「つーことは、ここからはあんたも初体験ってことね」
瞬間、関敦はもちろん翠炎隊にも緊張が走り、それと同時に意識が戦闘態勢へと移行する。
「……キトロン君と言いましたね。つまりそういうことですか?」
「残念ながらそういうことだ……来るぞ!」
「ノイシィィィィィィィィッ!!」
「ノイシか!?」
かつて江寧の村の近くの森で対峙した太く鋭い牙を持った大柄な四足歩行の起源獣が再びリンゴの前に!鼻息を荒くして突っ込んで来る!
「リンゴさん」
「わかっています!戦いはしない……だけど逃げるにしても、こいつを装着しないと始まらない!出でよ狻猊!」
リンゴが懐から札を頭上に投げると、それは即座に光の粒子、そして鮮やかな緑色の機械鎧へと変化し、彼の身体に装着されていった。
「ノイシィィィィィィィィッ!!」
「よっ!」
ヒュッ!!
緑の獅子と化した若き拳士は軽やかにノイシの突撃を躱した。
「これで力の差を理解してくれればいいけど……」
「ノイシィィィッ……!!」
蹴り出した土をバックにこちらにUターンして来るノイシの目は先ほどよりも明らかに血走っていた。
「逆に怒らせちゃったか。みんな!逃げる準備を!」
「はい。錫鴎」
「やれやれ……撃猫」
「こんなことのためにお前を装着するなんて……屈辱だぜ!スピディアー!!」
リンゴの声に応え、他の翠炎隊のメンバーとその監視役も骸装機を装着!そしてすぐさま……。
「さぁ!逃げるぞ!!」
反転して猛ダッシュ!斜面を駆け上がり、一目散に逃げ出した!
「まさか本当に起源獣に遭遇するとは。あなた達、ずいぶんとトラブルに愛されてますね」
「こんな時まで嫌味を言わないでくださいよ!!」
「では、ポジティブなことを……はからずもペースアップしたので、当初の予定よりも早く到着しそうです」
「結局、嫌味じゃないか!!」
「ノイシィィィィィィィィッ!!」
下らないやり取りをしている間もノイシの追跡は続いている。むしろここは自分のホームグラウンドだといわんばかりに力強く山を疾走する。
「おい!これ、振り切れねぇぞ!?」
「だからどうしろって言うんだ!?ここで起源獣と戦うのはご法度なんだぞ!!」
「殺すのは百パーアウトだとしても、気絶させるならどうだ?前に森でやったみたいに聖王覇獣拳、脳ミソ揺らしで!?」
「脳天揺らしな!許されるなら、自分もそうしたいけど……」
緑色の獅子が肩越しにちらりと背後を追って来る灰色の猫に目配せすると、猫は首を横に振った。
「やっぱダメか……」
「んじゃ、あの技は?記憶にないけど、おれっちが慇のくそガキ魔人におかしくされた時に、玄羽のジジイが使った技は?なんか指でシュビッとやって、相手を眠らせるみたいな奴」
獅子の金色の鬣の横で、妖精が人差し指を伸ばした手を前後させた。
「射針電身か」
「そう!それ!!」
「確かにあれなら相手にほとんどダメージを与えず肉体を一時的に麻痺、うまくいけば穏やかに眠らせることができる」
「だったらそれを!!」
「残念ながら、今の自分にはまだあの技は使えない。射針電身は使う相手の身体の構造、ツボの位置を完璧に把握した上で、適切な場所に神速の突きを放たなければいけない聖王覇獣拳屈指の妙技。自分には知識も技量もあまりにも足らな過ぎる」
「そっか……いい方法だと思ったのに……」
「では、聖王覇獣拳ではなく、狻猊の能力の方を頼りましょうか」
「アンミツさん」
「リンゴくん、適当なところを見つけたら、辺壱先生を逃がした時のあれを」
「……なるほど」
刹那、リンゴは自分が何をすべきか察し、頭を右左へとキョロキョロ動かし始めた。
「適当な場所……くぼみとかあるとやりやすいんだけど」
「なら、あそこがいいんじゃねぇか?少し先を左に曲がると、いい感じのがある」
高度を上げ、俯瞰で斜面を見下ろすキトロンが狻猊より先に適当な場所とやらを発見した。
「ナイス、キトロン」
「さすがおれっち!」
「というわけで左に曲がります。ついて来てください」
「おう!」
「はい」
「よくわかりませんが、指示に従いましょう」
「それでは……左折!!」
「ノイ?ノイシィィィィィィッ!!」
獲物が一斉に左に曲がり、わずかにノイシは戸惑ったが、すぐに気持ちを切り替え、絶対に逃がすまいとさらに加速し、彼らの足跡をトレースするように左に舵を切った。するとそこには……。
「ノイッ!!?」
誰一人、影の一つも見当たらなかった。
「ノイ……!!」
鼻を鳴らしながら、周囲を見渡すノイシ。しかしやはりどこにも先ほどまで追いかけっこしていたあいつらは見当たらない。
「ノイィィィィィィィィッ!!」
どういうわけかきっと凄まじいスピードアップして、この先に行ったのだと判断した獣は再び走り出し、霧の中に消えて行った。
「…………行ったか?」
「おれっちの感知範囲からは外れたから大丈夫じゃねぇ?」
「なら……煙、解除」
何もなかった空間が急に歪んだと思ったら、突然煙となって霧散し、その中でかがみ、息を潜めていた狻猊達が再び姿を現した。
「なるほど……そう言えば、相手を惑わすのは狻猊の十八番でしたね」
「元は幻惑の花則の愛機ですから。あの人ほどうまくこの能力を活用できていない気がしますが、これくらいならなんとか」
「いえいえ、我らが典優将軍と引き分けになったお方が何を仰る」
「……嫌味が本当に好きなんですね」
この人とはうまくやっていけそうにないとリンゴは思ったが、すぐにそもそも元々敵同士なんだからうまくやる必要なんてないなと考えを改めながら、立ち上がった。
「これで一息つけるかな……」
「悪い、リンゴ……」
「ん?ノイシの奴に気を取られて、あいつのことを見逃していた」
「マルゥゥゥゥゥゥッ……!!」
キトロンの見ている方に視線を動かすと、そこにはノイシとはまた違う、丸々として手足の短い、パッと見はかわいらしい起源獣が唸っていた。
「あれは……大丈夫じゃない?」
「いや、見た目よりヤバい気がする」
「キトロン君の言う通りです。あの起源獣は『マルジア』。強固な皮膚を持ち、それを生かした攻撃をして来る難敵です」
「マルゥゥゥゥゥゥッ!!」
ギュルウゥゥゥゥゥゥッ!!
マルジアはその通りだと言わんばかりに身体を丸め、全身を噂の強固な皮膚で覆うとその場でものすごい勢いで転がり始めた。そして……。
「マルゥゥゥッ!!」
力が溜まり切ると一気に解放、自らを砲弾として発射した!
「皆さん避けて!!」
ドゴオォォォォッ!!
アンミツの声に合わせて、全員散り散りに回避。ターゲットを失ったマルジアは彼らの背後にあった木に激突し、それを難なくへし折った。
「マジで中々の威力だな……!」
「ええ、当たったら骸装機を装着していてもかなりのダメージを受けると思います。そして……」
「マルゥゥゥゥゥゥッ……!!」
「どうしても彼はワタシ達を痛めつけたいようです」
ギュルウゥゥゥゥゥゥッ!!
辟易する関敦の前で、マルジアは再び高速回転、エネルギーをチャージし始めた。
「何が気に食わなかったが知らんが、お前さんのストレス発散に付き合っている義理はない。ぐるぐる転がってる間にオレ達はおさらばさせてもらうぜ!」
スピディアーがこうしちゃおれんとマルジアに背を向け、逃げようとすると、他のメンバーもそれに倣った。
たった一人、狻猊を除いて……。
「……おい!狻猊!何をしている!?さっさとずらかるぞ!!」
「…………」
バンビの声は狻猊の聴覚センサーを通し、リンゴに届いたが、彼はそれを右から左に聞き流した。
今、彼の心を支配しているのは、マルジアの最大の武器であり、盾でもある強靭な皮膚と、ムーアクラフトの語ったもう一人の聖王覇獣拳の使い手のことであった。
(自分が試行錯誤して技を解除させて倒したムーアクラフトを、技ごと倒したという正体不明の聖王覇獣拳使い……奴ならきっとこいつも……!!)
さらに記憶を遡り、拳幽会と初めて会った日のことを思い出す。
(……多分そいつなら卞士仁に関節を外されながらもそのまま打撃でKOできたはず……このオレが聖王覇獣拳の威力で負けているなど……認めてなるものか……!!)
狻猊は腰を落とし、拳を引いた。その姿は紛れもない戦闘態勢……。
「リンゴさん、人の話を聞いていましたか?」
「おい!リンゴ!やめろ!!」
「ふぅ……!!」
「ダメだ、あいつ!完全にやる気だ!!」
「こうなったら彼の覇気に臆して、マルジアの方が逃げてくれるといいのですが……」
「マルゥゥゥゥゥゥッ……!!」
ギュルウゥゥゥゥゥゥッ!!
「……あちらもその気ですか……」
アンミツの願いなど露知らず。マルジアはさらに加速し、回転力を上げていた。そして……。
「マルゥゥッ!!」
ギュルウゥッ!!!
解放!再び自らを砲弾として、狻猊に突撃する!
「お前の防御!我が拳が打ち破る!聖王覇獣拳!爪翔撃!!」
狻猊はタイミングを見計らい踏み込むと、身体ごとぶつけるようにアッパーを放っ……。
「マルゥゥッ!!」
グンッ!!
「!!?」
マルジアの軌道が変化!急激に落ちながら、カーブを描いた!結果、肉体砲弾は獅子の膝に……。
「ちいっ!!」
間一髪のところで狻猊は足を引き、そのままマルジアから離れるように後方に跳躍した。
ドゴオッ!!ギュルウゥゥゥゥゥゥッ!!
再びターゲットを見失ったマルジアは地面にクレーターを作ったかと思うと間髪入れずに追撃の準備に取りかかる。
「くそ!?カーブをかけてくるとは猪口才な……!!」
もし一瞬でも判断が遅れていたら、膝が破壊されていたと思うと、リンゴは身の毛がよだち、同時にそれを予期できなかった自分の情けなさに歯噛みした。
「だけど次こそは……!!」
「バカ!何やってんだ!!」
「バンビ……」
肝を冷やしたことで頭も冷えたのか、リンゴに漸く仲間の声が届いた。
「お前マジで自分で何をやってるのかわかってんのか!?」
バンビは怒り狂っていた。リンゴのことがどうしても許せなかったのだ……。
「そこは剣砕きだろうが!!」
技のチョイスを間違えたリンゴにめちゃくちゃ腹を立てていたのだ!
「攻撃は点で捉えるんじゃなくて、線で捉えるんだよ!相手の軌道に拳を置いておく感じで!!あの動きならどう考えても剣砕きの方が良かった!!」
「でも、今の攻撃落ちて行ったから、掬い上げるようなアッパーでも良くね?」
「それは……そうかも。まさかお前、それを読んでの爪翔撃だったのか!?」
「違うし、自分で言うのもなんだけど、怒るところはそこじゃないんじゃないかな……」
見当違いなことを口走るバンビとキトロンを見て、リンゴは正気を取り戻した。自分がとてつもないアホな行為をしていたことに気づいたのだ。
「我に返ったようですね、リンゴくん」
「アンミツさん……すいませんでした」
「では、これからあなたがやるべきことは……」
「わかっています……!!」
そう言うと、狻猊は足と腕を大きく開き、先ほどよりも深く腰を落とした。
「本当にわかっているんですか?あの構え、ワタシにはやっぱりやる気満々に見えるのですが」
付き合いの短い関敦にはいまだにリンゴが錯乱し、危害を加えてはいけないマルジアを倒そうとしているように見えた。
それを錫鴎のマスクの下で優しく微笑みながら、首を横に振り、アンミツは否定する。
「大丈夫ですよ。きっとあの構えは、この戦いを最も穏便に済ませるためのものです」
「マルゥゥゥゥゥゥッ!!」
ギュルウゥゥッ!!
狻猊の準備が整ったのに合わせるかのようにマルジア、三度目の発射!今日一番の速度で突っ込む!それを……。
「来い!!」
ゴォン!!
「――マルゥッ!!?」
「――ぐっ!?」
狻猊は正面から受け止める!さらに……。
「はあっ!!」
その勢いを受け流し、自らの旋回力に変換!ぐるりとその場を回転すると……。
「聖王覇獣拳!清流投げ!!」
ブォン!!
マルジアはおもいっきり空にぶん投げた!
霧のカーテンを突き抜け、サッカーボール大の起源獣は空の彼方に飛んで行き、すぐに見えなくなった。
「奴の硬い皮膚なら、ちょっとやそっとの高さから落ちても死にはしないだろう、多分。だから獣然宗の教えにも抵触しないはずだ、多分」
そう誇らしげに、確証のないことを語る狻猊の背中を見つめながら……。
「……あれのどこが大丈夫なんですか?多分とか言ってますけど?」
「すいません……さっきの記憶は早急に消してください」
関敦はツッコミを入れ、アンミツは恥ずかしさから顔を両手で覆った。




