まさかの再会と蠢く拳幽
「…………」
「…………」
部屋中を気まずく、そして重苦しい空気が支配していた。まるでそこだけが深海の底のように息苦しい……。
それもそのはず、ここは灑の国との国境を守る是の都市、秦真の城の一室。そこであろうことか、かつて死闘を繰り広げたリンゴ達と、猛将と名高い典優が机を挟んでにらみ合っているのだから……。
「……久しぶりだな、林江」
「はい……お久しぶりです、典優将軍……」
口は鉛をぶら下げられたように重い。当然だ、本来ならこうして素顔で机を挟んで相対するような間柄じゃない。
「元気でやってるか?」
「ええ、おかげさま……ってわけじゃないですけど、楽しくやらせてもらってます」
「そうか」
「はい……」
「お前、あの時のことを覚えているか?」
「えーと、あの時とは……どの時でしょうか?」
「おれ達が戦いを終えて、別れる時のことだ。一番最後の」
「それはもちろん覚えていますとも……」
「じゃあ、あの時おれがなんて言ったか、答えてみてくれないか?」
「いやぁ~、それは……」
「覚えてるんだろ?言ってみろよ、ほら」
「そこまで仰るなら……“次会う時は……命尽きるまでとことんだ……!”ですよね?」
「その通りだ……覚えていて、ここに面を出すってことは……そういうことだよな!!この野郎!!」
「将軍ステイ!!」
典優が無作法にも机に足を乗せ、リンゴに掴みかかろうとした瞬間、後ろに控えていた関敦が羽交い締めにして制止した。
「止めるな関敦!!おれとこいつは!!ここであったが百年目だ!!」
「お気持ちはわかり……ませんが、ここで獣然宗の客人を傷つけてしまえば、是の国、ひいては皇帝陛下の名前に傷がつくことになります」
「くっ!?」
「ですから今日のところはどうか拳を収めて……」
「……くそが!!」
不服だという気持ちを隠そうともせず、典優はふてぶてしく椅子に深く腰をかけ、腕を組んでそっぽを向いた。その様子に呆れながらも、最悪の事態を防げたことに部下は胸を撫で下ろす。
「申し訳ありません……お見苦しいところをお見せしました」
「いえいえ。逆の立場でしたら、自分も同じような態度を取ると思うんで」
「でしたら、今日のこの光景を反面教師にして、きちんと応対できる人になってください」
「関敦!余計なことは言わんでいい!!」
さらにふてくされて、典優は額に山脈のような青筋を立てた。
「失礼。つい人生の先輩としてアドバイスをしたくなってしまいました」
「ただのおれへの嫌味だろうに……!」
「えーと……」
「あぁ、すいません。ついついあなたにも我らが将軍にも品格を持って欲しくて、話が逸れました」
「では、話を戻してもらって……今、自分達のことを獣然宗の客人と言ったということは、あちらは自分達の訪問を了承してくれたんですね?」
「はい。是非とも拳聖玄羽のお弟子様に会いたいとのことです」
「アンミツさん!」
顔いっぱいに喜びの色を浮かべるリンゴに、アンミツはパチリとウインクで返した。
時を遡り、ムーアクラフト達を倒して、今後について話し合いをしていた時のこと……。
「そもそもの話になりますが、獣然宗は是の国の近くにありますが、あくまで独立した組織です」
「それはもちろんわかっています。灑の国と賛備子宝術院の関係に近い感じですよね?」
「ええ、持ちつ持たれつと言いますか、お互いに気を遣ってうまいこと共存しています」
「はい……でも、それがどうしたって言うんですか?」
「相手のことを尊重しているから、獣然宗が客人としてもてなそうとしている者には、おいそれと手を出せないんですよ。それが例え、敵対している灑の国の人間だとしても」
「は!?ってことは、獣然宗にお呼ばれして普通に是の国を通るつもりか!?」
驚くキトロンにアンミツは「その通りです」と頷いた。
「カンシチさんが獣然宗に、接触できなかったのは一番の理由は彼と獣然宗自体に全くコネがなかったことが原因です」
「じゃあ、もしそれがあれば、崑萊山を訪ねて、賛備子宝術院のように協力を取り付けられた可能性もあったと?」
「それはわかりません。それに確実に協力を得られたとしても、わたしがその場にいたら止めていたでしょう、ジョーダンさんのように」
「どうして?援軍を得られるなら何も躊躇うことないだろ」
「その援軍は何のために必要だったでしたか?」
「それは当然、前の皇帝を引き摺り下ろして、新しい皇帝を立てるため……あっ!ダメだ!こりゃ!」
「そうです、バンビくん。もし獣然宗から援軍を得られたとして、その軍は是を通らなければなりません。そうなったら灑の国が乱れていることが露見してしまう」
「なるほど。是に灑に攻め込むチャンスを教えるようなもんか」
「先ほど尊重し共存していると言いましたが、同時に是は獣然宗の力をどこよりも危険視している。少しでも兵なり、名の知れた僧兵を動かしたら即アウトです」
「それを言うなら獣然宗の方も隣接している是と事を構えたくないでしょうから、やっぱり灑に協力しないでしょうね。下手にここが強く結びつくと余計な疑念が持たれる」
「これが当時、獣然宗に援軍を頼むのが無理だった理由です」
「けれど、今は当時とは状況が違う」
リンゴがアンミツに目配せすると、再び「その通り」と力強く頷いた。
「今の灑は姫炎皇帝陛下の下、祖球のような多少の不埒者はおれど、一つに纏まっていると言っていいでしょう。対照的に是は統極皇帝と貴族達がいがみ合っている不安定な状態……」
「是の国的にはさらに余計な火種を、灑や獣然宗とトラブルを起こしたくないわけですね?」
「はい。ですから、きちんとした手順を踏んで、客人として認められたら、素直に通してくれるはずですよ。もちろん身体検査や監視役の一人や二人は付けられるでしょうが」
「まぁ、そんぐらいならどうにでもなるか」
「獣然宗を訪ねる理由も先頃見つけた玄羽様の遺書に自分が亡くなったら、リンゴくんに一番弟子として、世話になった慧梵様に挨拶に行って欲しいとかなんとか書いてあったと言えばいいでしょう」
「慧梵様なら師匠の名前を出せば、どういう理由で自分達が会いに来たのか察してくれますし、是に対しては半分は本当のことを話しているので、色々と騙しやすい……ってことですね」
「ええ。崑萊山に入った後のこと、もし田伝先生や彼の持っている神遺物、魔進真心を持ち帰ることになったらどうするかなど、まだ考えなくてはいけないことは山ほどありますが……」
「それは本人に接触してから考えればいい」
「はい。なるようになるです。とにかくまずは崑萊山に向かいましょう」
そして再び時間は現在に……。
「崑萊山への出発は明日。マウ車を手配しているので、それでお連れします。ちなみにワタシも同行させてもらいます」
「監視役ですか?」
「滅相もない。ただワタシもせっかくですから、挨拶に行こうと思っただけですよ。もしかしてワタシがいてはできない話があるのですか?」
「いえ、自分達もただ挨拶しにいくだけですよ。師匠が遺書に世話になったことへの礼をできなかったことをとても悔やんでいたので。お土産を持ってちょっとね」
リンゴの横でバンビがこれ見よがしに風呂敷をブラブラと振り、それをキトロンが両手で指差した。
「それの中身は?」
「織物ですよ。灑の職人が丹精込めて織ったね。後で好きなだけ調べてください」
「そうですか……」
「………」
関敦はリンゴの真意を探るようにじっと彼の瞳を見つめたが、彼の目は澄みきっていて、とてもじゃないが悪いことを考えているようには見えなかった。
「……わかりました。お言葉に甘えて後程調べさせてもらいます」
「どうぞどうぞ」
「崑萊山への道中、いくつかの宿に泊まりますが、部屋から出ず、外を出歩かないようにお願いします。灑の軍人がうろうろしていると、民が不安に思いますゆえ」
「了解しました」
「では、話はここまで。今日泊まるお部屋に案内させますので、ゆっくりと休んでください。おい」
「はっ!」
関敦に呼ばれ、若々しい男が一人小走りでやって来て、頭を下げた。
「翠炎隊の皆様、私について来てください」
「はい。それでは典優将軍、失礼します」
「ふん!」
そしてリンゴは血で血を洗うような凄惨な戦いを繰り広げた相手に軽く会釈すると、男に連れられて、部屋を出て行った。
残ったのはここ秦真の軍事を司る典優とその右腕である関敦の二人……。
「どう見た?関敦」
「本当の目的は隠しているとは思いますが、それが是に仇なすことだとは思えませんね」
「どうしてそう思った?」
「見たところ、案密という男以外、典優様と同じく器用に嘘をつけるタイプじゃないでしょう。後ろめたいことがあるなら、もっと顔に出ますよ」
「何を言う!おれは深謀遠慮の化身みたいな男だからな!!嘘の一つや二つ、うまくつけるわ!!」
「深謀遠慮の化身は深謀遠慮の化身であることをきっと隠しますよ」
「うっ!?」
「まぁ、典優様のお人柄は置いといて……そもそも今、灑がうちに何か仕掛けてくる理由がありませんからね」
「是が皇帝派と貴族でやり合ってる時に、攻めてやろうとか思ってるんじゃないのか?」
「慇の国もいますから。我らがやり合って一番得するのは、あそこだということは、灑の皇帝も重々承知しているでしょう」
「では、今は攻めないとして、いずれその時が来た時のために、獣然宗を訪ねるふりをして、是の国の内部を調べるつもりだとか?」
「それならまず間違いなく偵察役に彼らは選ばれませんよ。今の将軍のようにバリバリ警戒しますから」
「うっ!?そう言われると……もっと他に目立たないような奴を寄越すよな……」
「ですからワタシ個人の見解では、彼らには本当の目的を隠しているが、それは国家規模の話ではなく、個人的なこと……拳聖玄羽様由来の問題なのではないかと」
「ふむ……なら、お前一人の監視で十分か」
「ええ、ですから間違ってもこの秦真をほっぽって、ついてくるなどと言わないでくださいね。典優様を嵌めようとした腐れ貴族『迂才』の所在もいまだに見つけられていないのですから」
「い、言うわけないだろ!そんなこと一ミリも思ったことないわ!!」
典優の目は激しくスイミングする。
「………」
「……典優様……?」
しかし、すぐに真剣な眼差しへと変化した。その将軍に相応しい威圧感に関敦も背筋を伸ばす。
「あいつらに敵意がないことはわかったが、あいつらに敵意を持った連中はおれを含めて、ごまんといるだろ」
「ご活躍らしいですからね、翠炎隊。この是にまで、その名前が轟くくらいに」
「あいつらの強さはおれが一番よく知っている。そこら辺にいる腕自慢が徒党を組んで襲いかかったって、返り討ちにできるだろうが……この世に絶対はないからな。念のために“アレ”をいくつか持ってけ」
「!!?」
その言葉を聞いた瞬間、無表情を貫いていた関敦が思わず目を見開いた。
「……本気ですか?アレは皇帝陛下からいただいた貴重な代物。それを灑の国の人間のためなんかに」
「はぁ?あいつらに使うわけねぇだろ。あいつらの戦いに巻き込まれた時のお前用にだ」
「ワタシなんかが使っていい物だとも思いませんが……」
「だから念のためだって。使わねぇで済むならそれでいい。お守り代わりだと思って持っていけ。あとあいつらには絶対にダメだが、獣然宗の奴らが必要だった場合は恩を売るために使ってもいい。そこら辺の判断はお前に任せる、関敦」
「……了解しました。では、アレを含めて出発の準備をしますので」
「おう、また明日な」
関敦も一礼して出て行き、一人になった典優はおもむろに天井を見上げた。
「……なんだか嫌な予感がするんだよな……」
典優がえも言われぬ不安を感じているのと時を同じくして、その不安の元凶が灑のとある場所で蠢いていた。
「羅昂様」
ベッドに横たわる今にも死にそうな眼帯を着けた老人に精悍な顔つきの偉丈夫が跪いて、頭を下げた。
「おおう……お前か」
「はい」
「お前が来たということは、是に、崑萊山に侵入する手立てができたのだな?」
「はい。明日にでも出発します」
「そうか……頼むぞ。玄羽めに破壊されたこの身体を治す手段を探し、ついに魔進真心の存在を突き止めたが、その時にはもう奴に……どこまでも忌々しい奴……!!」
シワだらけの顔が怒りによってさらにしわくちゃに、醜悪に変化し、眼帯の裏に隠れた“穴”から真っ赤な液体が頬を一筋流れ伝った。
「ようやく奴が紅蓮の巨獣に挑んで、くたばったと思ったら、私の方も限界が……これが最初で最後のチャンスだ。必ずや魔進真心を我が下に持って来い。聖王覇獣拳の真の後継者よ」
「はっ、必ずや我が師、羅昂を救い、拳聖という幻影に心酔している愚か者に本物の武を教えてやりましょう……その身体に痛いほどにね」
リンゴの澄んだ瞳とは対照的に、その男の瞳は激しい憎悪によって濁りきっていた……。




