もう一人の継承者
狻猊対ムーアクラフトの決着と時を同じくして、残り二つの翠炎隊と拳幽会の戦いも佳境を迎えていた。
「この!!いつまでもちょこまかと……!!」
ブゥン!ブゥン!!
「く、くそぉ……!!」
トーレフの攻撃は空を切った。もう数え切れないほど繰り返された光景だ。精神的にも肉体的にもかなりの疲労感が獣人を襲う。
「大分、動きが鈍くなってきましたね。お疲れですか?」
「ふざけ――」
「はっ!!」
「――る!?ふぅッ!!」
ゴッ!!
「あ、危ねぇ……!!」
不意を突いて、錫鴎が切りかかったが、咄嗟に纏鎧個宮を発動させて事無きを得る。これも何度も繰り返されている。
それこそがアンミツの戦略なのだ。
(時間をかけて起源獣の血液を身体に摂取し、馴染ませていった仙獣人に対して、薬剤で急速に変身能力を付与した血獣人は爆発力はあるが、その分持久力はない。ならばこうして嫌がらせのような攻撃を挟みつつ、防戦に徹して、体力を削り切るのがベスト……そしてそろそろその成果が……)
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ!!」
「現れましたね!!」
「!!?」
トーレフの呼吸が乱れ、防御態勢が崩れたのをアンミツは見逃さなかった!一気に懐に潜り込むと……。
「てやあっ!!」
ザンザザンッ!!
「ぐあぁぁぁっ!!?」
目にも止まらぬスピードで両手の剣で獣人の四肢を切り裂いた。さらに……。
「ほっ!」
ガシッ!!
「!!?」
剣を投げ捨て、トーレフの頭を掴むと……。
「打撃も好きじゃありませんが、苦手というわけでもないんですよ!!」
ドゴッ!!
「――がッ!!?」
おもいっきり頭を引き寄せてからの膝蹴り!
衝撃とともに目の前に星がチカチカと輝くと、トーレフは白目を剥いて、倒れた。
「ひとえに相性が良くなかったですね。わたしは逃げ回るのが得意ですし、それに対し恥を感じませんから」
「おりゃあぁぁぁぁぁっ……!!」
「ぐうぅ……!!このぉ……!!」
男二人の低いうめき声が響く。スピディアーは声を上げるほどライティを力一杯抱き締め、ライティはそのあまりにも力強い抱擁から逃れようともがいていた。
「離せよ……!!男と抱き合う趣味なんてない……!!」
「オレだってねぇよ……!だけどこの方法が一番オレらしくて……手っ取り早い!!」
ギュウッ!!
「ぐっ!?」
スピディアーはさらに万力のようにジリジリと力を込めてカバ獣人の巨体を締め上げた。その太いウエストに腕がギリギリと食い込み、内臓を圧迫する。
(こいつ、なんて馬鹿力だ!!纏鎧個宮を発動させているのに、ここまで……!もし技が解けてしまったら……)
ライティはボキリと背骨が折れ、口から内臓を飛び出させる見るも無惨な自分の姿を想像し、背筋を凍らせた。
(一刻も早くこの拘束から抜け出さなくては!!すでに呼吸が乱れ始めている!時間は残っていない!!)
頭の中で“敗北”の二文字がちらつき始めたライティは力の限り、肘を振り上げた。それを……。
「離せ!この野郎!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
渾身の力を込めて、容赦なくスピディアーの頭に撃ち下ろす!何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
「……こそばゆいな」
「なっ!?」
けれど、スピディアーには全く効かず。拘束から脱出するどころか、角を一本も折ることも、装甲をへこませることも、怯ませることさえもできなかった。
「さっき言ったろ?オレもスピディアーもてめえと同じくタフで売ってんだ。そんなフォームもぐちゃぐちゃの破れかぶれの攻撃なんて、いくら食らっても痛くも痒くもねぇんだよ!!」
ギュウッ!!
「――ぐう!?」
攻撃に転じ、それが容易く破られたことが仇になった。
精神が動揺し、それに連動して緩んだ身体にさらにスピディアーの腕が食い込ませてしまった。
(ヤ、ヤバい!?呼吸ができなくなってきた!!?て、纏鎧個宮が……解ける!?解けてしまう!!)
岩のようであり、鋼のようであったライティの皮膚が弾力を帯びた、帯びてしまった。
「おっ、ついに限界か……!!」
その手触りの変化を敏感に感じ取ったスピディアーは両腕にありったけの力を込めて……締め上げた。
「おやすみなさい!!」
ギュウウゥゥゥゥッ!!
「………がはあっ!!?」
骨が軋み、内臓が押し潰される!体内から強制的に空気が排出されると同時に、ライティの意識もどこかへと飛んで行ってしまった。
「……ったく、手間かけさせやがって」
スピディアーは僅かにピクピクと痙攣する獣人を投げ捨てると、傍らに落ちていた深紅の愛槍を手に取った。
「一応言っておくが、オレが全力で槍を突けば、ご自慢の技ごとてめえを貫けたんだぜ。けど、それをやっちまうと、ほぼ確実にてめえは死んじまうからな。わざわざてめえなんかと抱き合ってやったのは、このオレの優しさの現れ……精々感謝しろよ」
そう何も聞こえてないライティに吐き捨てると、スピディアーは踵を返して、同じく戦いを終えた仲間たちの下に足を向けた。
「お二人とも、お疲れ様です」
「アンミツさんこそ」
「今回の相手は硬くてめんどいだけだったな」
「いや、バンビは最初の方、めちゃくちゃ攻撃食らってたじゃない」
「嫌なこと覚えてるな。って、そんなことはいいんだよ!これからどうするんだ?」
「とりあえず……キトロンくん、他に敵はいませんか?」
「ほいほい」
呼ばれて飛び出て、隠れていた妖精は皆の前に姿を現すと精神を集中させた。
「……うん、おれっち達しかこの辺りにはいないぜ」
「そうですか。けれど、一応念のためにしばらく骸装機は着ておきましょうか」
「つーか、いずれにしてもこいつらを運ばねぇとダメだからな」
スピディアーは顎をしゃくり上げ、変身が解けて、普通のデカい男になった三人組を辟易しながら見下ろした。
「ですね。でも、その前に翠炎隊がこれからどう動くのかを決めておきたい。というか、こうしてわたし達自身に直接刺客を送ってくるとなると……」
「不用意に動けませんよね」
「そっか、オレ達が動いたことによって、あれの場所がバレたらアホ過ぎるよな」
「んじゃ、逆にここにずっととどまっていれば、あいつらを釘付けにできるんじゃねぇか?」
「そいつはおすすめしないぜ。そこまで拳幽会は、羅昂は間抜けじゃない」
「そうか……って!!?」
「「「!!?」」」
「よっ」
いつの間にか目を覚ましていたムーアクラフトがしれっと会話に入ってきた。
「こいつ!まだ……!!」
狻猊はまた意識を闇に沈めてやろうと身構えるが……。
「ストップストップ!降参降参!俺様はもうてめえらとやり合う気はねぇよ。俺様の負け」
ムーアクラフトは両手を上げて、素直に敗北を認めた。
「……そう言って、油断したところで自分達を後ろから刺すつもりじゃないだろうな?」
「お前にあれだけ偉そうに武道家ならとか語っちまったんだ。俺様も一人の戦士としてそんな卑怯な真似はしねぇよ、できねぇよ」
「本当に潔く負けを認めるのか?」
「だから、そうだって。それに悔しいが今の俺様の実力じゃ、仮に形振り構わずやったところで返り討ちに合うだろうしな。結局、炎と煙無しの縛りプレイをしてるお前に一発も当てられなかった。つーか、俺様の技の肝が呼吸だってわかってんなら、一酸化炭素中毒までしなくても……」
「煙を軽く吹きかけて、咳き込ませるだけで十分だな」
「やっぱりわかっていたか……完敗だな」
ムーアクラフトは自分のいたらなさを自嘲した。だが、不思議と清々しさも感じ、あまり嫌な気がしなかった。
「まっ、そういうわけだから、そんな怖い顔をするなよ。そもそも俺様達はこの仕事が終わったら、拳幽会から抜ける気だったしな」
「そうなのか?」
「あぁ、俺様が拳幽会に所属していたのはひとえに金のためだ。羅昂に色々と指導してもらったのは感謝してるが、別に忠誠心なんかない。それでもそれなりに儲かることと、裏の覇権争いは楽しかったから今の今までいたが……真面目に生きてるだけの考古学者を拐うとかついていけねぇ」
「だから、最後に自分達の首を手土産に会を抜けようとしたのか」
「結果はご覧の有り様だがな。というわけで、俺様はお前らに反抗するつもりもないし、拳幽会に義理立てするつもりはない。その上で勝者にご褒美としていくつかアドバイスをしてやる……ごちゃごちゃ言ってないで、とっととやれることをやった方がいいぞ」
「さっきの羅昂は間抜けじゃないって話か?」
「考えてみろよ、あいつはずっと自分の身体を治す方法をお前のお師匠さんの目から逃れながら、ずっとずっと探し続けていたんだぜ?色んなアプローチの仕方をもっている。お前達を監視したり、田伝とかいう学者先生の教え子を狙ったのもその一つに過ぎない。つーか、多分こっちの方がサブプランだ。本命は別にある」
「そう思える確証があるのか?」
「あぁ、これだこれ」
ムーアクラフトは赤みがかった自分の顎を指差した。
「……なんだ?自分のやったことを謝れとでも言うのか?」
「違うわ。俺様をKOしたこの技」
「聖王覇獣拳、爪翔撃」
「それ、実は前にも受けたことがある」
「……何?」
「しかもそいつはお前と違って、纏鎧個宮を発動した俺様を一撃でぶっ倒した」
「な……!!?」
リンゴは言葉を失った。師匠からの手紙を読んだ時に拳幽会の中に聖王覇獣拳に近い技を使う人間もいるだろうなとは予想していたが、まさか全く同じ技を、しかも自分以上の威力で繰り出せる者がいるなど微塵も思っていなかった。
「……ムーアクラフト、それは本当に聖王覇獣拳だったのですか?」
思考停止するリンゴを見かねてアンミツが横から彼がしたいであろう質問を代わりにぶつけた。
「俺様は別に拳法の専門家じゃないが、動きは間違いなく一緒だった。つーか、あの時のあいつも誇らしげに聖王覇獣拳!って言ってたしな」
「あなたはその人物こそが拳幽会にとっての本命だと思っているのですね?」
「そうだ。で、きっとあいつなら遅かれ早かれ田伝にたどり着くと思う。だから急げと」
「ちなみにその者の名前は?」
「名前は聞かなかったな。ただ青い特級ピースプレイヤーを使っていた」
「彼とはどこで?」
「適当な空き家だ。アジトを聞き出したいなら無駄だぜ。俺様に忠誠心がないのは見透かされてたからな。指令を受ける時は使いが来ていた。そいつとも指令を受ける時にたまたま一緒になった時に手合わせしただけだ」
「そうですか……では、とりあえず聞きたいことはこれくらいですかね……」
錫鴎はそう残念そうに呟くと、ムーアクラフトに近づいた。そして……。
ガシッ!
「……え?」
彼の頭を掴むと……。
「はっ!!」
ドゴッ!!
「――ッ!?」
容赦なく膝蹴りを顔面に入れて、再び気絶させた。
「ひでぇ……なんかそこまで悪い奴じゃないっぽかったのに」
「わたしも同意見ですよ」
「なら」
「それはそれ、これはこれ。この後の話を少なくとも今は敵の組織に席を置いている人間に聞かれたくない」
「ってことは、何かいい考えが思い浮かんだのか?」
「いい考えかどうかはそれこそこれからの話し合い次第ですね。だから、そろそろこちらに戻って来てください、リンゴくん」
「……え?あ、はい!」
アンミツに喝を入れられ、リンゴは思考の迷宮から帰還させられた。
「すいません、ぼーっとしちゃって」
「自分の知らない聖王覇獣拳の使い手がいたことがショックなのはわかりますが、顔を知らない相手を勝手に夢想してもろくなことになりませんよ」
「だな。敵を軽んじるのも良くないが、過大評価し過ぎても、それはそれで判断誤るから良くねぇって父上が言ってた」
「わかった……今はそいつのことは忘れよう」
バンビにも諭され、リンゴの目にようやく輝きが戻り、思考もクリアになった。
「それでアンミツさん、これから自分達翠炎隊は?」
「ムーアクラフトでしたっけ?彼の言っていることが本当なら拳幽会はきっととっくに獣然宗に目を付けているでしょう」
「師匠にゆかりのある場所はしらみ潰しに調べているでしょうからね」
「ですが、そうは思っても軽々と近寄れる場所ではない。なので今まで手をこまねいていた」
「だったらやっぱりしばらく様子見でいいんじゃねぇ?このまま膠着状態が続けば……」
「いえ、すでに膠着状態は崩壊しています」
「ですよね~」
キトロンは改めて気絶している三人の男を見て、苦笑した。
「これはわたしの推測ですが、ずっと目立たぬように活動していた拳幽会がここに来て表立って活動し始めたのには理由があるんじゃないでしょうか」
「理由って……警戒していた玄羽のじいさんが死んだからじゃねぇの?」
「それならもっと早く動いているはずです」
「そっか。じゃあ、一体……」
「もしかして……羅昂はもう長くない」
リンゴの言葉に、アンミツは首を縦に振った。
「玄羽様と同年代ということはかなりの高齢です。しかも腕や脚や目をを失っている……いつ寿命が来てもおかしくない」
「なるほどな。もうすぐ死にそうだから、焦って形振り構わずやり始めたのか」
「ええ。そしてその推測が当たっているなら、こうしてわたし達に幹部を倒され、さらに焦燥感に駆られているはず。きっと近いうちに獣然宗に接触ないし襲撃を仕掛けてくると思いますよ」
「むしろここで自分達が足踏みしていると、後手に回ってしまう可能性が高いのですね」
「はい、なのでわたし達も崑萊山に向かうべきかと。一応、蘭景さんに頼んでわたし達は田伝先生の知り合いを訪ねているだとか、盗まれた特級骸装機『夫諸』の捜索をしていると嘘の噂を流してもらってからね」
「田伝の知り合いを気軽に襲わせないようにか」
「いいんじゃねぇの。夫諸捜索は元々の翠炎隊の任務だったし、案外引っかかって、おれっち達への警戒を解いてくれるかも」
「そうなるといいですが、まぁ多分普通に無視されるでしょうね。これはあくまで念のためです。リンゴくんはどう思います?」
「自分も特に異論はないです。ただ……」
「ただ?」
「簡単に言ってましたけど、崑萊山にはどう行くつもりですか?灑からあそこに向かうには是の国を超えて行かなければいけませんよね?」
「そう言えばそうだった。確か内乱の時もカンシチが獣然宗に協力を頼もうとしたが、是を通れないだろ、バカがってジョーダンの奴にけちょんけちょんにやり込められて断念したって言ってた」
「マジか……じゃあ、どうすりゃいいんだ……」
リンゴ達が顔を伏せ、場に重い空気が流れ……るかと思ったが。
「いえいえ、別にそれは大丈夫だと思いますよ」
「「「……え?」」」
アンミツがそうはさせない。明るい声で何も問題ないと言い張った。
「いや、でもカンシチさん達ができなかったのに、自分達が……」
「彼らの時とは置かれている状況も立場も違いますよ、灑も是もわたし達も」
そう言うと、アンミツは目の前にいる緑色の獅子を指差した。
「きっと君がいれば、全ての問題は簡単に解決します」
「え?自分?」
訳もわからずリンゴは自分を指差しながら、首を傾げた。




