翠炎隊と拳幽会①
「んん~!!今日のところは終わりに……ここら辺で終わりにしますか?」
王都春陽にあるとある古びた建物の中、その中でも特に古く、無数の本に囲まれた場所で、中年の男が椅子の背もたれに身体を押し付け、背筋を伸ばしながら、周りの若い衆に語りかけた。
「そうですね。大分外も暗く……というか、いつもより暗くないですか?」
窓の外を覗くと、空には分厚い黒い雲がかかり、いつものこの時期、この時間帯よりも外は遥かに暗く、そして冷たい空気が流れていた。
「なんか雨が降りそうですね」
「だとしたら、やはり今日はもうおしまいだな。みんな早く帰ってくれ」
「先生は?」
「ワタシも後片付けをしたら、すぐ帰るよ」
そう言いながら先生と呼ばれた中年男は 立ち上がり、目の前の机にあった本を集め始めた。
周りの若い連中はその様子を何かを訴えるようにジーッと見つめる。
「……何かね?その視線は」
「先生、そういうのは助手であるぼく達の役目でしょうに」
「そうそう。後片付けをしたらじゃなくて、そこはワタシは先に帰るから、後片付けをしておいてくれって言うべきです」
「いやいや、この程度のことで君達を使うなんて申し訳ない」
「それを言うなら、この灑の国随一の考古学者であられる『辺壱』先生にそんな雑務に時間を割いてもらうなんて申し訳ない」
「先生は一刻も早くおうちに帰って、明日の研究のための英気を養ってください」
「あっ」
助手達は強引に辺壱から本を取り上げる。
「さぁさぁ、雨が降る前に」
「最近は使い手がいないで埃を被っていた特級骸装機を奪われるなんて、奇妙な事件も起こっていますので、気を付けて帰ってくださいね」
「うおっ」
そしてそのまま流れるように鞄を渡され、部屋の外に追い出された。
「……ここまで来ると、敬意ではなく、嫌われている気がしてくるのだが……まぁ、いいか。今日のところはお言葉に甘えさせてもらおう」
若干引っかかるところがあったが、辺壱は言われるがまま帰路についた。
(まさに暗雲立ち込めるって感じだな……これは本当にとっとと帰った方がいいかも)
外は窓から見たよりもずっと暗く、重苦しい雰囲気で、自然と辺壱の足は早まった。
そして同時に彼の中で眠っていたとある記憶がフラッシュバックする。
(確かこんな曇り空の日だったな……ワタシが『田伝』先生と最後に会ったのは……)
「辺壱、灑の考古学はお主に任せた。これからも真摯に歴史と迎え合うのだぞ」
(そう言い残し、先生はワタシの前から、灑の国から忽然と姿を消した。妙に思い詰めたような顔と、今生の別れを告げるような言葉には引っかかったが、当時のワタシはいつもの如く、ふらりとフィールドワークに出かけたものだと、大して気にも止めなかった。けれど、結果はこうして今日まで、一切の音沙汰無し……いくらなんでも長過ぎますよ。早く戻ってください、田伝先生……!)
恩師との再会を思い、空を見上げると、星一つ見えず、辺壱の心はさらに億劫な気持ちになった。
(……ワタシなんぞの念など、この分厚い雲に吸収され、先生には届かないと言われているようだな。あまりにも暗い……何らかの凶兆でなければいいのだが……)
「辺壱先生ですね」
「!?」
突然、頭から布を被り、顔を隠した集団が、辺壱の前方に立ち塞がり、声をかけて来た。
「……道を訊きたいのか?」
その男達のただならぬ雰囲気を感じ取った辺壱はあえて不躾に、質問に対してちぐはぐな返事を返した。強気を装っているが、内心では恐怖心で今すぐ逃げ出したい気分だった。
「道ですか……あながち間違ってはいませんね」
一方の顔を隠した集団も平静を崩さない。先頭に立つリーダーらしき男の声色に何の感情も乗ってなく、まるで人形に話しかけられているかと錯覚するほどだった。
「……だったら、ワタシ以外の人間に訊けばいい。この辺りの人はみんな優しいからな、丁寧に教えてくれるだろう」
「それで済むなら、わざわざあなたに会いに来ませんよ、辺壱先生」
「ワタシの名前を知っているってことは、もしかしてファンか?出待ちか?」
「灑の考古学の権威ともあろう人が、はぐらかさないでくださいよ。知っているんでしょう?あなたの師、田伝先生の居場所を」
「!!?」
ついさっきまで考えていた行方知れずの恩師の名前を出され、辺壱は思わず目を見開いた。
「そのリアクション……どっちにも取れますが……」
「多分、あんたが望んでない方のリアクション……田伝先生の居場所とか、ワタシが知りたいわ!……って、考えが顔に出た」
「なるほど……かまをかけて見ましたが、やはりあなたも知りませんか……はぁ……」
男の顔は見えなかったが、あからさまに落ち込み、嘆息を溢した。
「話は終わりか?ならばワタシはさっさと帰らせてもらうよ。雨が降りそうなのでね」
辺壱は方向を転換し、脇道に入ろうとした。しかし……。
「おっと」
男達が先回りをし、また道を塞ぐ。
「……何のつもりだ?」
「どうぞご自由に……と、言いたいところですが、我が師から少しでも田伝の情報を持って来いと、念押しされているのでね。場所を変えて、ゆっくりとお話しましょう」
「断ると言ったら?」
「選択肢というのは、強い方にあるものです。弱者は何も選べない」
「……そうだな。今のワタシにある選択肢は……逃げ一択だ!!」
バサッ!!
「ッ!!?」
辺壱は鞄を男達に投げつけると、来た道を全力逆走!なまった中年ボディーに必死に鞭を打ち、その場から一目散に逃げ出した。
「まったく……手間をかけさせてくれる」
「追え!!絶対に奴を逃がすな!!」
男達は当然それを追走!身体を隠す布を靡かせ、闇夜を疾走する!
「やはり凶兆だったか!こういう予感は外れて欲しいものなんだが!!」
辺壱、急カーブ!路地裏に侵入する。
(ここらの路地裏は迷路のように入り組んでいる。うまいこと撒ければいいんだが……)
肩越しに後方を確認すると、男達を撒くどころかどう見ても先ほどより近づいているみたいだった。
(ワタシの足では振り切れないか!!というか、あの感じだと大分余裕がありそうだ……もしやワタシの体力を削るために一定の距離をあえて保って、追跡してるのか!?)
あまりの舐めた態度に辺壱は歯噛みする。
(くそ!ふざけやがって!どうにかして、一泡吹かせてやりたいが……何も思いつかん!!)
けれども追跡者以上に、この事態を打破する案が思いつかない自分の頭の悪さに腹が立った。
(あんな得体の知れない奴らに捕まったら、何をされるかわかったもんじゃない!なんでもいいから奴らから逃げる方法を……)
「おれっちが合図をしたら、右に曲がれ」
「!!?」
突然、どこからか声が聞こえた。
辺壱は視線を右左とキョロキョロと動かし、声の発生源を探るが、何度見渡しても、そこには何もなかった。
「……幻聴か。追い詰められ過ぎて、ついにおかしくなったか……」
こうなったらいよいよ終わりだなと、辺壱は自嘲する。しかし……。
「幻なんかじゃないつーの!それはおれっちの仲間の得意技!」
「――ッ!!?どこだ!!?」
再び聞こえる声!また眼球を忙しなく動かすが、結果は変わらず。何も発見できない。
「おれっちのことはいいんだよ。それよりもそろそろ目的の場所に到着するぜ」
「君は一体……!?」
「詳しい話は後回しだが、これだけは言っておく……おれっち達はあんたの味方だ」
(本当に信用できるのか?今の酸素の足りない脳ミソではどうにも判断できない!だとしたら最後に頼るのは……直感だ!!)
辺壱の瞳の奥に光が灯る。半ば自棄だが、彼は覚悟を決めたのだ……この謎の声と心中する覚悟を。
「了解した。少なくともあいつらよりは信用できる……と思う。君の指示に従わせてもらおう。弱者には選択肢もないしな」
「そうこなくっちゃ!!というわけで、カウントダウン行くぜ!5……4……」
「………」
「3……2……」
「………」
「1……今だ!先生!!」
「ええい!ままよ!!」
言われるがまま辺壱は右に曲がる。
(この匂いは……)
すると、鼻腔が何か焼け焦げたような……煙の香りを感じ取った。
「曲がりましたね」
「ええ、小癪な真似を……逃がすな。思ったより走れたが、もうすぐスタミナが切れるはずだ」
「はっ!!」
リーダーに急かされ、部下が加速。そして、辺壱の動きをトレースするように急旋回……。
「ッ!!?」
急旋回しなかった。男は突如立ち止まり、動きを完全に止めてしまった。
「……どうした?」
「いえ……自分としたことが目測を誤ったようです。ここに道はありません」
遅れてやって来たリーダーが確認したところ、部下の言う通り、そこには道はなく、頑丈そうな壁がそそり立っていた。
「……確かここに道はあったはず。この辺りの地図は全て記憶したのだから間違いは……わたくしが入手したものは古かったのだろうか?」
「そうかもしれません。先の皇帝の暴政でこの春陽はかなり荒れた結果、いまだにそこら中で工事が行われていますから」
「それよりも……」
「わかっている、辺壱を追うのだろう?安心しろ、この次の通路は一本道、そしてたどり着く先は行き止まりだ」
謎の集団は違和感を覚えながらも、次の道を右に曲がった。そしてそのまま進んで行くと、記憶通りの拓けた行き止まりに辺壱が呆然と立ち尽くしていた。
「残念でしたね。頑張って逃げたのに、こんな結末を迎えるなんて」
「………」
「どうしました?黙りこくっちゃって。別に怖がる必要はないですよ。先ほども言ったように、我らはあなたと少しお話したいだけですから」
「………」
「ただ適当なことを言われるとアレなので、ほんの少しだけ痛い思いをしてもらうかもしれませんが」
「………」
「……辺壱先生?」
いくら話しかけても返事をしない辺壱をリーダーの男は訝しんだ。じっくりと下から上へと観察すると……奇妙なことに気づいた。
「……あんた何で汗をかいていない?」
あれだけ走ったというのに、辺壱は汗一つかいていないどころか呼吸もまったく乱れていなかった。まるで出会った時のように泰然自若とし、いやむしろ初見の時よりもずっと堂々としているようにさえ見える。
疑念が頭を過ったリーダーの男はさらに神経を研ぎ澄まし観察すると、目ではなく鼻がまた別の違和感をキャッチする。
「……煙の匂い……そういうことか……!」
感情を全く感じさせなかった男の声色にあからさまな苛立ちがにじみ出た。それに対し、辺壱は一切表情を崩さなかったが、周りの部下達は気が気でない。
「ど、どうされましたか?『卞士仁』様……」
「どうやらわたくし達は、まんまと嵌められたようで……す!!」
卞士仁と呼ばれた男はおもむろに足元の石を拾うと、それを辺壱に投げつけた。
ボワァ……
「「「!!?」」」
石がぶつかると辺壱は煙となって夜の闇に消えた。それを見て、ここにいる人間達は全てを察した。
「これは奴の骸装機の能力……!」
「やはりわたくしの記憶に間違いはなかった。あそこには道があったんだ。だが、隠されていた……この辺壱のように煙を使った幻でね。そうだろ?拳聖玄羽の一番弟子よ」
「イエス」
声のした方、背後を振り向くとそこには黄金の鬣を持った緑色の獅子と、頭から木の枝のような角を生やし、深紅の槍を肩に担いだ骸装機が立っていた。
「翠炎隊参上。辺壱先生じゃなくて、自分達とお話しましょうよ、不審者さん」




