5.砕かれてたまるものですかッ!
(なんで、いや、知ってたけどもっ!なんとなくわかっていたけれどもっ!)
どうして未だにあんな勝手に死んだ小娘の事を覚えているのか、とか。どうして一目見た瞬間に私がシャルルマリーだとわかるのか、とか。言いたいことは沢山あるのだけれど。
(今はとにかく、逃げるッ!)
お父様達に後ろで名前を呼ばれていても、知らない。だって私はマリーでもシャルルマリーでもないので!あくまで今はマリネットという名前なのだから!
目眩しの術をかけて人に認識されないようにした上で、身体強化と風の魔法をかける。身体強化は身体に負担がかかるけれど、日々こっそりと続けていたトレーニングが役立ってよかった。本当は役立ってほしく無かったけれど。
人混みを掻き分けて、とにかく人の居ない場所に向かって走る。建物内の構造が変わっていなければ、このまま真っ直ぐ進めば使用人たちの宿舎に着くはずだ。ひとまずそこで隠れられればいい。
どうにかこうにかして宿舎に着いた私は、周りに人が居ないか確認した後、近くにあった清潔な壺の中に隠れた。外の音が聞こえるように僅かに蓋は隙間を開けて放置する。
すぐに体外に放出される魔力を遮断して、できるだけ息をひそめる。すっぽりとおさまった暗い壺の中は、どこか安心できるため、色々と考え事ができそうだ。
(あんな、あんな声で『マリー』って呼ぶから…)
優秀な私の耳は未だにオズワルドが溢した切なげな響きを正確に繰り返している。
(というか、忘れてて下さいよ、お師匠様!あんな自分勝手な弟子のことなんて!)
それでも、まだああやって私の事を呼んでくれた事実に浮き立つ心があるのは隠せないほどに明確で。
「ほんと、なんで、忘れてくれないのかなぁ…」
ずっとオズワルドの事を忘れられない私の事を棚に上げて、潤んだ視界を誤魔化すように寄せた膝に頭を埋める。
その呟きは、私を未だに覚えてくれていたオズワルドに対してか。それとも、生まれ変わってもオズワルドの事を忘れられない私に対してか。
そうこうしていると、瞼が重くなってきた。どうやら一度に沢山魔力を消費し過ぎたようで、意識の端から眠気が忍び寄ってくる。
ここにいれば暫くはやり過ごせるだろうから、ほんの少しだけ、と言い訳をして、瞳を閉じた。
定期的に繰り返される揺れと、お父様より少し低めの慣れ親しんだ体温が心地よくて、すり、と頭を擦り付ける。
「はは、小さなお弟子様はまだおねむか?」
「…ワタシハネテイマス」
「そうか、そうか。じゃあ、もう少し寝ているといい」
ぎゅっと、私を支える腕に力が入ったかと思うと、額に柔らかい何かが触れる。
(なにを、やっているんだ私はぁぁぁぁ!?)
そう、私が今いるのは最難関であった筈のオズワルドの腕の中。
決して、自分からこういう状況になったわけではない。むしろ、意識があれば全力で逃げていただろう。
そもそも、一体誰が思うだろうか。寝ている間に壺の中から引っ張り出され、起きたら姫抱きの状態で運ばれているだなんて。しかもどこに向かっているかは不明。だが、このまま起きたら起きたで後が怖い。今は事の成り行きに任せる。今は。
つまり、なるようになれ。
まるで鼻歌でも歌い出しそうなほどに上機嫌のオズワルドに抱えられた私は、薄っすらと瞼を持ち上げて、オズワルドを盗み見る。
(本当に、変わってないんだなぁ…)
切れ長のアメジストの瞳に、僅かに歪められた薄い唇。違うところといえば、足首まで伸びた白銀の髪。最後に会ったオズワルドの髪はもっと短くて、いつもサラサラの髪が目にかかるかどうかという長さで自由にはねていた。
そのまま観察を続けていると、視線に気だ付いたのか、笑みを深くしたオズワルドがこちらをのぞき込んでくる。
「寝るのはもうやめたのか?」
目が合ってしまったら、気分的にももう寝たふりには無理があるだろう。極力目を合わせないようにしながら、降りたいとだけ訴える。
(さっきから失敗続きなんだけれど…助けてアリア…!)
しかし、昔から自由奔放なオズワルドがその願いを聞き届けてくれるわけもなく。
「ん?ダメに決まってるだろう?」
「いい笑顔で言い切るのやめて下さい!」
笑顔で断られた。
「と、とにかく!あ、貴方誰なんですか!」
今更感が無いとは言い切れないが、ここは押し通す事にして、私は貴方とは初対面ですよーというのをアピールしておく。
そんな私をキョトンとした表情で暫く見ていたオズワルドは、急ににっこりと笑顔になったかと思うと、私の体をひょいと横抱きから片手に持ち替えた。
目線が同じ高さになって、目が合う。
「ああ、はじめまして。私はオズワルドと言う。今は大賢者と呼ばれてたりするしがない魔法使いだ。よろしく、マリー。お師匠様と呼んでくれてかまわない」
(ひぇぇぇぇぇ。いやいや、なんではじめましてがひさしぶりに聞こえるんですか!?怖すぎる!)
「は、はじめまして、大賢者様。私はマリーではなくてマリネットです。あと降ろしてください」
「うん。マリー、お師匠様な?あと私は君を降ろす気はない」
そもそもマリネットだろうがなんだろうが、君はマリーだろう。と零したオズワルドの瞳が痛みを耐えるように細められていたのを、私は降ろしてと暴れて見ていないふりを貫いた。




