2.私の日常。
『大嫌い』
また、あの日の夢を見た。
私がお師匠様に初めて嘘をついたあの時の夢。
軽く痛む頭を、眠気を払うようにゆっくりと振る。
定期的にみるあの夢のせいで、私の眠りは深くなる事が無い。夢を見ようが見まいが、いつも無意識に身体がこわばっているのだ。
(でも、これも仕方のない事。私が受けるべき罰なんだから)
「おはようございま〜す!お嬢様!」
暫くすると、ノックの音に反応する前に、ガチャリと扉が開き、室内に明るい少女の声が響いた。
「ええ。おはよう、アイリ。今日も元気ね」
部屋に入ってきた彼女、アイリは私の侍女で、平民だ。あのアイリと同じ名前で、桃色の髪や瞳、顔立ちもそっくりとまではいかないが、そこそこ似ている。
もしかしたら彼女のご両親は、それとなく見た目が似ているわが子が、今や『聖女アイリ』と呼ばれる彼女のように幸せになってほしいと思って名をつけたのかもしれない。
かくいう私は今度は伯爵令嬢。マリネット・サルファスという名前だ。新婚さんも裸足で逃げ出すほどに仲がいい両親のもとに生まれた。ちなみに今回はジョエルという三つ年下のかわいい弟がいる。家族仲はいたって良好。前世での家族のことも気にはなるが、それはそれ、これはこれ。お師匠様であったオズワルドを除いて基本的に人間関係については割り切っている。
そういえば私が死んだあの後、アイリとアレクセイは結婚し、民に愛されながら国を治めたらしい。
二人は今でも『聖王アレクセイ』と『聖女アイリ』として小説や舞台、絵本となったりしてとても親しまれている。そしてその悪役として必ず登場するのが『魔女シャルルマリー』。
それを見かけた瞬間、思わず乾いた笑いが喉から出てしまった程だ。私は相当彼らに嫌われていたらしい。
その話を初めて読んだのが四歳の頃で、私は特に何も感じる事なくページをめくっていたけれど、侍女見習いとしてうちに来ていたアイリは隣で一緒に絵本を覗き込んでいて、感受性が高いのかポロポロと涙を流していたのが印象的だった。
まあ、身分差で本来ならば結ばれないはずの二人が愛の力で悪者を倒し、周りに認めてもらい、幸せに暮らす。さぞかし感動できる物語だろう。年頃の少女なら一度は誰しもが憧れるのかもしれない。
残念ながら私が憧れるのは三人の師である偉大な大賢者として登場したお師匠様だけだが。もちろんアイリもアレクセイも好きだけれど。やっぱりお師匠様が一番。製作者はなぜもっとお師匠様の登場シーンを増やさなかったのか。肉体的に語り合いたい。主にこう、胸ぐらをつかんで首をがくがくとするような方針で。
そんなとりとめのないことを一人考えながら、アイリに手伝ってもらいながらもてきぱきと着替えを済ませる。
本当は、簡易的な普段着のドレスなんて一人で着ることができてしまうのだが、一度アイリが部屋に来る前に着替えを済ましていたら仕事を取らないでくれと泣かれてしまったのだ。着替えなんて一人でできるし、着るのが難しいドレスだって、早着替えの魔法を使えばあっという間に済んでしまう。まだ魔法を習っていないはずの私がそんな魔法を使えば不審がられること間違いなしだが。あぁ、魔法って素晴らしい。
「お嬢様?何かいいことでもありましたか?」
「いいえ。何でもないの」
どうやらいつの間にかほほえんでいたらしい。そう、微笑んでいたのだ。お師匠様について思い出してだらしなく笑っていたのではないはずだ。決して。
そうですか。とニコニコと笑いながら私の髪の毛を整える作業に戻ったアイリを鏡越しに眺めながら、鏡に映りこんだ自身を見る。
前世と変わらない大きな吊り目がちエメラルドの瞳に、プラチナブロンドのストレートの髪。瞳に関しては初めて魔法を使ったときにアメジストのような澄んだ紫色に変化したのだが、慌てて元のエメラルド色に見えるように幻覚の魔法を施した。当時周りに人がいなくてよかった。
(お師匠様の色…)
前世では生まれたときは金色の瞳だったのだが、いつからかなぜかオズワルドと同じ色に変化してしまったのだ。まさか生まれかわってもこの色になるとは思ってもいなかったのだが。しかしまあ、オズワルドと同じ色だと思うと、この色も悪くないと思える。むしろ悪くないどころか、とてもいいのだが。
(いかんせん、ずっと幻術を発動させっぱなしだから魔力の消費が…ねえ)
実は幻覚の魔法もとい幻術は、周りの人間、しかも不特定多数に魔法をかけ続けなければならないので魔力の消費が激しいのだ。他人に術をかけるには細心の注意を払わなければならないので集中力も必要になる。
魔法の出力のコントロールや集中力の継続の訓練、一定間の魔力の放出による魔力量の向上などの効果が見られ、修行にもなるのがせめてもの救いか。
魔力を消費すると、余分な脂肪などを消費してくれたりするので、いくら食べても太らないのは嬉しい。
しかし、驚くことに前世で死んだ時よりも魔力量が跳ね上がっているのだ。これに関しては未だに謎で、本来ならば魔力量は大体成人を過ぎると上がらなくなる筈だ。つまり、人によって魔力量の限界値が決まっているはず。にもかかわらず、ここまで魔力量の多い子供は見たことがない。本来ならば体が溜め込んだ魔力に耐えられず、魔力暴走を引き起こし、最悪命を落としかねない。そのことに気が付いたときは思わず頭を抱えたものだ。考えすぎて知恵熱を出すほどだった。
そもそも私が死んだのは十六歳のころ。あの頃の私でも周りの大人よりも魔力量は大分多くて、当時魔法師団長を務めていたお師匠様の次には多かったと思う。でも、今ではその頃の魔力量の二倍はある。あの頃のお師匠様と遜色ないだろう。
(やっぱり何度考えてもおかしい…お師匠様といつかのように研究に明け暮れたい…論議を交わしたい…でも今回はお師匠様には接触不可…!これ以上の迷惑をかけれないし…)
そもそも、『お師匠様に会わない』は、私に対するけじめでもあるのだから。
マリーのシリアスになりきれないところがもう既に発揮されてきている…