寝台特急さくらの殺意
初のミステリーです。
お手柔らかに。
ある年の春、警視庁の捜査一課の警部補、相川春樹は休暇を取り長崎へ行っていた。
祖父の七回忌と墓参りのためである。
相川は夏にも休暇を取り墓で花火をする予定だという。
九州ではもう桜は散り初めだが、関東ではこれから花見のシーズン。
長崎県警で刑事をやっている彼の父と長崎税務署で税務職員をしている彼の母、元教師で現在は小学生相手にそろばんを教えている彼の祖母の3人からは「お前はいつ結婚するんだい」と言われ、見合いまで迫られてしまった。
相川の5日間の休暇は、あっという間に無くなった。
17時ちょうど
長崎駅
東京行きの寝台特急<さくら>に乗車。
相川は6号車に乗った。
祖母も両親も見送りに来てくれた。
「お前はやっぱり東京に行ってよかったばい。長崎で井の中の蛙になるよりはずっとよかよ」
「ばあちゃん、ありがとう」
「次は仕事で会うかもな」
「父ちゃん、達者でな」
「まだまだ寒いんだから体には気をつけろ。お盆にゃ帰ってこい」
「母ちゃん、じゃあな」
17時02分
東京行きの寝台特急<さくら>が汽笛を鳴らし、長崎駅のホームからゆっくりと滑り出していくように東京へと向かった。
東京到着は翌朝の11時26分。
せっかちな人はこれじゃ遅いという理由で途中の京都や名古屋で新幹線に乗り換える。
列車は肥前山口で佐世保からの編成を連結するため13分停車。
肥前山口での連結作業が終わるとちょうど夕食どき。5号車の食堂車もかなり混み始める。
やはり皆暖かい食事がいいのだろう。
佐世保編成の客も食堂車の食事にありつこうとする。
たとえ市価よりも割高でも。
列車は肥前山口を出ると
佐賀 18時56分
鳥栖 19時18分
博多 19時44分
小倉 20時39分
門司 20時46分
下関 21時丁度
宇部 21時45分
小郡 22時05分
徳山 22時40分
広島 0時06分
の順序に止まり、大阪には4時29分に着く。
途中の徳山駅では警察官が複数人おり、ホームでは小学生や中学生が何人も捕まっていた。
近年のブルートレイン撮影ブームで子供たちの深夜徘徊が各地で問題になっており、警察が不定期に取り締まりを実施している。
夜が明けるともうじき名古屋。
名古屋到着手前まで放送は流れない。
名古屋に着くと、東京へ急ぐ客が次々と新幹線に乗り換える。
<さくら>が豊橋、静岡、富士、沼津に止まると、客も少しずつ減っていく。
横浜ではだいたい3割から半分は降りた。
11時26分
東京駅に到着。
3号車の方からノックの音がする。
3号車の寝台はカルテットという個室である。
「お客さん、もう終点の東京ですよ。まだお休みですか?」
車掌が個室のドアを開けると、悲鳴をあげた。
「どうかしたんですか?」
相川は車掌に声をかけた。
車掌はびっくりしすぎて言葉も出なかった。
誰もが即死だとわかるような射殺死体が個室に転がっていた。
殺されていたのは女と連れの2人だった。
すぐに警視庁捜査一課の高橋警部を呼ぶように車掌に連絡した。
列車は品川運転所に回送されていった。
品川運転所には警察車両が何台も到着していた。
「警部、ご苦労様です」
「相川くん、まさか休暇から戻る車内で事件に巻き込まれるとは、不運だったな」
「仕方ないですよ」
「それよりも、殺された2人の身元は?」
「殺されたのは佐久間一美、30歳。相手のほうは篠原雄二、30歳。財布に免許証が入っていました。財布には手がついてないので、怨恨だと思います」
「男の方は本当に篠原雄二なんだな?」
「ええ、そうです」
「実は篠原は長崎県警から重要参考人として手配されている人物なんだ」
「なんですって?」
相川は篠原の免許証を確認する。
確かに篠原の現住所は長崎市内である。
「1か月くらい前に長崎市内のサラ金会社に強盗が入った事件覚えてるだろ?」
「はい、確かサラ金会社に4人組の強盗が押し入り、約3億円が強奪されたうえに社長が連れ去られて、その4日後に犯人の1人とサラ金会社の社長が死体で発見されたヤマですよね。まさか」
「奴は、強盗に車を横流しした疑いで一昨日の夜に警視庁に手配されたんだ」
「犯人の顔を見てた人物ってことで手配されたんですか」
「そうだ」
「女の方はどう見る?」
「おそらくは浮気の関係、あるいは同級生か、または長崎市内のサラ金強盗の真犯人」
「いや、サラ金強盗の真犯人という線は薄い。とりあえずは佐久間の身元照会と目撃者を探さないとな」
鑑識の木村が警部を呼んだ。
「警部、死因はやはり銃撃による出血性ショックです。2人合わせて6発は撃たれていたので、おそらく全弾撃ったんでしょうね」
「口径はわかるか?」
「詳しくは解剖待ちです。遺体は先程警察病院に運ばれて行きました」
その後の捜査で、殺された佐久間は高校の頃まで長崎にいたということがわかった。
佐久間一美の旧姓は上条。
大学の頃から渋谷区に在住。
大学卒業後は信用金庫に勤めていたが、美術商「蓬莱堂」の6代目店主の佐久間幸一と結婚し寿退職。
美術商で時たま店番を任されていたが、不倫の噂はあった。
一方の篠原は地元の商業高校を卒業後、篠原の父が営む中古車販売会社で勤務し、5年前から社長となっていた。詳細については長崎県警が捜査してくれるとのこと。
午後2時
佐久間が営む南青山の美術商「蓬莱堂」にて。
「佐久間幸一さんですね。私、警視庁捜査一課の相川と申します。すぐに来てください」
「何かあったんですか?」
「あなたの奥さんのことです。詳しいことは、警視庁の中でお伝えいたします」
そういうと、相川と今井刑事が佐久間を覆面パトカーの後部座席に乗せた。
警視庁捜査一課
「佐久間さん、落ち着いて聞いてください。あなたの奥さんが昨日の夜、東京行きの寝台特急<さくら>の車内で殺害されました」
「えっ…」
佐久間は驚いて声も出なかった。
「奥さんのご遺体は今、司法解剖に回されております。何しろ、手配中の人間と共に寝台個室のカルテットの中で射殺されたんですから」
「嘘ですよね?」
「嘘だと言いたいところなんですが、紛れもなく事実です。財布と免許証が奥さんのものでした。それはそうと、この男は誰なんですか?」
相川は佐久間に篠原の写真を見せる。
「知らん男だ」
「篠原雄二、30歳。職業は長崎市内の中古車販売業。見たことないですかね」
「顔見知りではないよ」
「じゃあ質問を変えましょう。あなたは昨日の夜どちらにいましたか?」
「私を疑っているのかね?」
佐久間は一瞬だが顔をこわばらせた。
「いえ。捜査上みなさんにお聞きしてるだけです」
「寝台特急<みずほ>の車内だよ」
「ほう、なぜですか?」
「私は福岡で馴染みの美術商とともに昨日行われたオークションに参加していたからだよ」
「では、なぜ<みずほ>に?」
「あの列車なら名古屋でちょうどいい新幹線に乗れるんだ。南青山の店の開店時間の10時にも間に合う」
「そうでしたか。どうも。今日はもう帰って結構です。もし何か気づかれたことがありましたら私どもにご連絡ください」
そういうと、相川は佐久間に名刺を差し出す。
佐久間は警視庁を後にした。
20分後
「相川警部補、どうでした?」
若林刑事が声をかける。
若林は彼の部下であり、小、中と大学の後輩でもある。
「佐久間のアリバイは一見して明瞭だが不明瞭。崩せることには崩せるんだが、証拠がない」
「証拠?」
「まず、奴が本当に<みずほ>に乗っていたかどうか。2点目は、店の従業員の証言。3点目は名古屋から新幹線に乗り換えたとして何時に東京に着くかだ。2人の死亡推定時刻は?」
「21時ちょっと前から23時くらいです。鑑識の話だと、発見が遅かったうえ、揺れる列車の中での銃殺死体だからこれ以上正確な時刻を出すのは難しいそうです」
「銃殺だから、サイレンサー付きの拳銃でもない限り、間違いなく銃声が響く。銃声をかき消すくらいの走行音がするところは関門トンネルくらい。そうでなければ小郡と徳山の間のトンネルが続く区間だろう」
「なぜそう言い切れるんですか?」
若林が質問をする。
「犯人が列車から降りて逃げるとするならば、死亡推定時刻からすれば、下関、宇部、小郡、徳山のいずれかだが、下関や宇部で降りるのは考えにくい。駅のホームや待合室で25分以上も待ってたら確実に足がつく。それに<さくら>から先行の<みずほ>に追いつくには、小郡か徳山で新幹線に乗り換えて広島で降りなければならない。とすると二つのパターンがある」
そういうと、相川はホワイトボードに書き始める。
「一つは、門司または下関で<さくら>に乗り込み、小郡または徳山で新幹線に乗り換えて広島に向かい、そこで<みずほ>に追いついたパターン。もう一つは<さくら>を大阪で降り、大阪からは空港連絡バスに乗るか阪急電車を乗り継ぎ途中の蛍池駅からタクシーまたはバスで大阪空港に向かい、大阪空港から羽田空港まで飛行機で移動したパターンだ」
さらに相川は話を続ける。
「大阪からの飛行機なら、7時半発でも8時台に羽田に着ける。それならば南青山に10時までに余裕で着けるだろう」
「そうなると、大阪府警にも捜査協力が必要ですね」
「その前に大阪空港でのアリバイが必要だ。大阪空港と航空会社に連絡してその日の7時台までの飛行機の乗客の中に佐久間がいたかを調べてほしい」
相川がそういうと、1人の刑事が小走りで入ってきた。
彼は捜査一課の中野刑事。今井とは同期である。
「失礼します。相川警部補、先ほど品川車掌区で<みずほ>の車掌に会ってきました。佐久間が<みずほ>に乗っていたのは間違いありません。夜間巡回中に自動販売機のところで小銭を何枚か落としたのを拾ってあげたそうです」
「それは何時頃かね?」
「広島を出た後だと証言していますから、23時50分以降です」
「つまり少なくとも広島から<さくら>には乗ってないということだ」
ここで相川がホワイトボードに書き足していく。
「<さくら>は<みずほ>の後を走る。広島から先、<みずほ>が最初に止まるのは京都だ。京都着は4時41分。そこから大阪空港まで行っても7時台の飛行機には十分間に合うから<さくら>を使う意味がないし、そもそも使えない。これで前者に絞られたが、大阪空港から飛行機を使う可能性は十分にある。アリバイはこれで崩せるとしても、証拠がない」
「相川警部補、そういえば、ブルートレインの写真撮影で中学生以下の子供達が一斉に補導されたのは「さくら」で殺人事件が発生した日ですよね?」
若林が口を挟む。
「ああ。確か徳山、広島、大阪で同時にやった…待てよ」
そういうと、相川は電話をかける。
「もしもし、山口県警本部ですか。私、東京警視庁の相川春樹と申します。恐れ入りますが、そちらの少年課につないでもらえますか?」
1分後。
「少年課ですか。私、東京の警視庁の相川春樹と申します。早速で恐れ入りますが、昨日の徳山駅での一斉摘発の際に、カメラを持っていた子供たちは何人いましたか?」
「20人ほどです」
「カメラはもちろん、フィルムやネガはまだ彼らに返していませんよね?」
「はい。まだ返しておりません」
「恐れ入りますが、徳山駅で撮影された写真を東京の警視庁捜査一課に送ってください。ブルートレインの写真や駅構内の写真だけで結構です」
「どういうことですか」
「昨日、寝台特急<さくら>の車内で殺人事件が発生したのを覚えてますよね?あの事件で限りなく容疑者に近い人間が徳山駅で写っているかもしれないんです」
「わかりました。もうほとんどの写真は現像が終わっております。残りの写真も現像が終わり次第すぐに送ります」
「よろしくお願いします。それから恐れ入りますが、子供たち以外にもブルートレインの写真を撮っていた方がいると思われます。その方達にも捜査協力をしていただきたいのですが」
「捜査協力といいますと?」
「その人達が撮っていた写真の中にも、限りなく容疑者に近い人物が写っている可能性があるのです」
「わかりました。そちらの写真は後日となりますが、よろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
そういうと、相川は通話を終え、再び連絡をした。
相手は広島県警本部。
内容は山口県警とほぼ同じ。
ただし、広島では検挙者がおらず、時間がかかるとのこと。
「これで犯人に近づくぞ。もし、佐久間が写っていたら任意同行は可能だ」
「私は佐久間の身辺に張り付きます。今井、行くぞ」
中野は今井を連れ、佐久間の店へと向かった。
「私は、すぐに大阪空港と航空会社に連絡してその日の7時台までの飛行機の乗客の中に佐久間がいたか調べてきます」
若林は大阪空港と航空会社に連絡した。
しかし、佐久間らしき乗客が乗っていたという返事は得られなかった。
一方、福岡で行われていたオークションについても、関係者に問い合わせたところ、佐久間が出席していたことが確認された。
南青山の美術商「蓬莱堂」にて。
中野と今井は覆面パトカーの中で張り込んでいた。
「店が閉まりかけなのに男が1人入っていきましたね」
「見たところ探偵ですね」
数分後、探偵らしき男が肩を落としながら出てくる。
「よし、職質しよう」
そういうと中野と今井は車から出る。
「失礼します。警視庁捜査一課の中野と申します。あなた、ここで何をしていたんですか?」
「刑事さんですか。私、ここの近くで興信所を営んでいる宮本正樹と申します」
そういうと、宮本は名刺を出す。
「立ち話もアレなんで、どうぞ事務所へ。車は事務所の前にでも止めてください」
「そうですか。じゃあ送っていきますよ」
宮本は南青山で小さな興信所を営んでいた。
「つかぬことをお伺いしますが、昨日、寝台特急<さくら>の車内で殺人事件が起きたのはご存知ですよね?」
「ええ。昼のニュースでやってました」
「では、佐久間さんの奥さんが亡くなったのはご存知ですか?」
「はい」
「まさかとは思いますが、あなた、佐久間さんから妻の素行調査を依頼されましたか?」
「この商売、クライアントの秘密は守るのが義務ですが、この際だからはっきりと言いましょう。佐久間さんは奥さんの浮気調査を私に依頼しました。妻の素行がおかしいから探りを入れてほしいと」
「それで、あなたまさか、事件が起きた<さくら>に乗っていたんですか?」
今井は宮本に詰め寄る。
「ええ。ただ、佐久間さんの奥さんと浮気相手はカルテットに乗ってしまったので、私は1号車にいました。カルテットは満室でしたので」
「でも、佐久間さんの奥さんと浮気相手が一緒だったところをカメラで撮った。違いますか?」
「ええ。うちも商売ですから」
「ということは、佐久間さんの奥さんの動向や浮気相手は知っていると」
「はい」
「詳しく、話して頂けませんか」
「いいでしょう。この後予定もありませんし」
「一つ、よろしいですか」
中野が宮本に尋ねる。
「はい。なんでしょうか」
「佐久間さんの依頼ですが、奥さんが亡くなったので終了になりますよね?」
「ええ」
「依頼料は、いつ渡されたのですか?」
「5日前です。依頼料の前金として25万円渡されました」
「現金でですか?」
「ええ。振込ではありません」
「ということは、依頼料は後払いと」
「そうなりますね」
「いつ支払われるか聞きましたか?」
「その件で今日呼ばれました。妻の葬儀や保険金の請求だとか年金の手続きだの相続の絡みで忙しくなるから、月末まで待ってくれと」
「それで、承知したんですか?」
「本当はさっさともらいたいところだったんですが、あんなことになってしまっては、さすがにすぐ払えとは言えませんよ」
「わかりました。では、奥さんの動向について、お聞かせ願えませんか?」
今井が宮本に尋ねる。
要約すると、佐久間一美は、篠原からの電話を受け、長崎へと向かった。
いわゆる浮気旅行として。
その帰途で、篠原は佐久間の妻に同行し東京に向かったが、寝台特急<さくら>の車内で殺されてしまった。宮本がそれに気づいたのはホームから篠原と佐久間の妻が降りてこなかったにもかかわらず、列車が品川の車庫に回送されたときであった。
「ところで、事件が起きたとき、すなわち21時ちょっと前から23時にかけて、何か不審な物陰だとかそういうのに気づかれましたか?」
「さあ、私は寝台の中で眠ってしまいましたからね。少なくとも、宇部を過ぎた後から、名古屋を出た後までは寝ていたので、わかりません。もちろん、佐久間さんの奥さんも、篠原も」
「そうですか。もし何か思い出しましたら私どもにご連絡ください」
中野は、宮本に名刺を渡し今井とともに興信所を後にする。
「このこと、警部補に報告しよう」
中野と今井は警視庁に帰り、ことの顛末を相川警部補に報告した。
翌日
山口県警から捜査員1人と大量の写真が持ち込まれた。
「いいか。この写真は、ホシの手がかりだ。徳山駅から乗り込んできた男が事件の鍵を握っている。被害者の無念を晴らすため、必ず、ホシを挙げる!」
「はい!」
捜査一課長の喝で捜査一課の刑事が動き出す。
「警部補、佐久間を追っているんですね?」
「違うぞ。確かに、佐久間は重要参考人ではあるが、まだ犯人と決まったわけではない。動機は十分だが、状況証拠だけというわけにはいかん。せめて、拳銃さえ見つかってくれれば」
「佐久間以外に動機があるやつはいるんですかね?」
「佐久間の奥さんの絡みで篠原が巻き添えで殺されたなら、動機があるのは佐久間しかいない。だが、もし、篠原の絡みで佐久間の奥さんが巻き添えで殺されたとなれば、佐久間はシロになりうる。サラ金強盗の件での詳細な調査結果が、長崎県警から届くことになっているが、俺が調べた限りでも、篠原はかなりの人物から恨みを買っているからな」
その瞬間、電話がかかってきた。
「はい、警視庁捜査一課です」
「山口県警捜査一課の高島です。相川警部補はいらっしゃいますか?」
「相川は私です」
「先日の<さくら>の事件で犯行に使用されたと思しき拳銃が見つかりました。発見された拳銃はルガー357マキシマム・ブラックホークです」
「どこで見つかったんですか?」
「山陽本線の富海駅と戸田駅の間で、保線作業員が発見したんです」
「弾丸は残ってたんですか?」
「いえ、弾丸は全部使われてました」
「そうですか。鑑定のためすぐに東京の警視庁に送ってください」
「わかりました」
「それから、少年課のほうに、昨日依頼した徳山駅での件を急がせるよう伝えてください」
「その件ですが、徳山駅で職質こそしたものの摘発しなかった人が2人いたんですが、いずれも徳山署の近くに住んでいたんで、あの後徳山署に頼んで写真を提出してもらい、うちの捜査一課に届けられたんです。その写真も送りますか?」
「お願いします」
そういうと、相川は通話を終える。
「相川警部補、佐久間らしき男が見つかりました」
刑事の1人が写真を見せる。
「しかし、これは顔が写ってないな。背丈はほぼ同じだが、これじゃ証拠にならん。とにかく、徳山駅で下車した人物が怪しい。下車した人物はそうそういないから」
その時、捜査一課長が入ってきた。
「相川くん、若林くん。出張だ。先程長崎県警から捜査員を派遣してほしいとの連絡が入った。すぐに出たまえ」
「わかりました」
そういうと、相川と若林はその日の最終便で長崎へと向かった。
長崎行きの機内にて。
「私にはまだ分からないことがある」
「どういうことですか?」
「犯人は本当に佐久間の旦那だったのかどうかだ」
「あのあと、空港で連絡した時には、写真の中には佐久間らしき姿はなく、乗客もせいぜい2人でしたよね?」
「気になって身元照会をしてもらったんだが、前科者データにはなかった。警部に頼んで長崎県警などに照会をしてもらっている」
「それから、使われた拳銃はやはりルガー357マキシマム・ブラックホークです。ライフルマークが一致しました」
「殺しに使うには威力が強すぎるな。ベレッタやトカレフのほうが出回りがいいから、売人が割れたらすぐだな」
2時間後、2人は長崎空港に降り立った。
長崎空港では、長崎県警の警察官が待っていた。
「親父、なんでおると!?」
相川は、迎えに来た警察官が父親であることに驚きを隠せなかった。
「なんだ、東京からの捜査員はお前と大ちゃんだったのか」
「いやそうじゃなくて、なんで親父が迎えに来とるのかってこったい」
「そりゃ上司の指示じゃからな」
「いつ県警本部に栄転になったと?親父は大浦署勤務じゃろ」
「2年前に栄転になったんじゃ。七回忌の時には忙しくて言えんかったけど」
「なんじゃ、栄転祝いくらい出したのに」
「すまんな。それはそうと、大ちゃんもずいぶんと大きくなって」
「お久しぶりです」
若林が相川の父に挨拶をする。
若林は相川の3つ下で、相川とは同じ少年野球チームに所属しており、その縁で相川の父とも面識がある。大ちゃんと呼ばれているのは、彼の下の名前が大二郎だからである。
「大ちゃんと最後に会ったのは、大ちゃんが高校3年生の時の甲子園の壮行会だったな。大ちゃんの親父はまだ元気かい」
「今は、東京におります」
「そうか。まあ、今日はもう遅い。どこに泊まるんだ?」
「長崎のYPホテルです」
「そうか。お前だけなら実家でもよかったんだろうが、大ちゃんと一緒だから仕方あるまい」
翌日
長崎県警との合同捜査本部にて。
「こちら、警視庁の相川春樹警部補。私の自慢の息子です」
相川の父が皆に相川のことを紹介する。
「相川です。よろしくお願いします」
「いやあ、驚いた。相川さんの息子が警視庁の警部補とは。申し遅れました。私、捜査一課の阪本と申します」
「お褒めに預かり恐縮でございます」
「こちら、若林大二郎巡査長。相川警部補の後輩です」
「若林大二郎って、あの大ちゃんか」
高校野球好きの阪本刑事が飛び上がるかのように驚く。
若林は野球推薦で長崎でもかなりの名門校に進学し、甲子園にも出場したことがある。なので相川とは高校だけ違う。
「今でも覚えとるよ。甲子園でプロ顔負けのファインプレーをしたんだよな。大学は確か明治大学だったが、まさか警察官になってるとはな」
「人生はわからないものですね」
「若林、無駄口叩かないで捜査資料を出しな」
相川が若林に注意を与える。
「おっとそうだった」
そういうと、若林が資料を出す。
「殺された佐久間一美は東京の美術商「蓬莱堂」の店主の佐久間幸一の妻で、篠原とは中学、高校でクラスメイトだったそうです」
「なるほど。こちらも捜査資料を出そう」
そういうと、阪本は資料を出す。
「殺された篠原雄二の方は表向きは中古車販売業と東南アジア向けの自動車輸出業を営んでいた。だが、その中古車の中にはマーキュリー・クーガーなど海外の車両を利用した違法改造車やメーター戻し車、ナンバーを偽造したニコイチ車両まであって、特にニコイチ車両や外車の違法改造車は長崎県内に限らず佐賀県内や福岡県内の犯罪グループが使用していた痕跡があり、車関連の犯罪の見本市みたいなものでした」
と、阪本がいう。
「サラ金強盗や現金輸送車襲撃に使われた車両のナンバー偽装や違法改造、不正輸出に至るまであらかたやってたとしたら、殺される動機はおそらく口封じでしょう」
相川はさらに続ける。
「今回の<さくら>の車内での殺害に使用された拳銃はルガー357マキシマム・ブラックホークで、銃身が長いタイプのものです。威力の強い拳銃なんで、入手経路は限られると思いますが、どうでしょうか?」
「その件についてはうちのマル暴が拳銃の売人をいろいろ洗ってはいるが、今はブラックホークよりもベレッタやトカレフが流れているから、そんなものが売れるとするなら、犯人は相当銃に詳しい奴だ」
マル暴とは現在でいうところの組織犯罪対策部のことである。この当時は「捜査第4課」「暴力団対策課」「組織犯罪対策課」等の名称の総称として呼ばれている。
「銃に詳しいとすると、プロの殺し屋ですか」
「ああ。可能性は十分にある。なにせ暴力団が犯罪に使用した車両の証拠隠滅まで請け負ってたから、奴を狙う輩はかなり多いよ」
「阪本警部!先月のサラ金強盗の犯人の残り3人がわかりました!」
長崎県警の外崎刑事が慌てながら入ってきた。
「それで、犯人の名前は?」
「北上純、上条航、松田隼人の3人です。3人とも過去に強盗事件で捜査線上に上がったことがありますが、いずれも証拠不十分で逮捕は免れています」
「親父、長崎のサラ金強盗事件で殺されたのは誰と?」
相川が父に耳打ちをする。
「殺されたのはこの2人だ」
そういうと相川の父はメモと顔写真を渡した。
横山勝利(58) 西海組系四葉会幹部。西海組フロント企業の金融会社横山ローンの社長。
一之瀬大樹(38) 元吉岡組構成員。西海組とは対立関係にあった。
「この一之瀬って人物、誰かに似とうが、誰かは思い出せんばい。すまんが、ちょっと調べてくれんか」
「<さくら>の事件と関係あるんか?」
「ある。少なくとも俺はそう睨んどうよ」
「時間はかかるよ」
「正確な情報をなるべく早く頼む」
「わかった」
「今回の<さくら>の事件と先月起きたサラ金強盗事件は繋がってる。この事件を解き明かすことが、サラ金強盗事件の解決へとつながる。気を引き締めて捜査にかかれ」
長崎県警捜査一課課長の野々原が喝を入れた。
「ちょっと賭けに近いが、篠原の一件は襲われたサラ金会社の絡みで調べたほうがいいな」
こうして、篠原の身辺などを捜査するうちに、3日間の出張は終わりを告げようとしていた。
出張が終わる日の朝、相川の父が相川を長崎県警本部に呼び出した。
「親父、朝7時に呼び出すって早すぎないか?」
「すまんな。相川警部補殿、この間殺された一之瀬大樹と、逃亡中の上条航の詳細がわかりました。まず、逃亡中の上条は、先日の<さくら>のガイシャの佐久間一美の実の兄です」
相川の父はあえて芝居がかった口調で言う。
「なんですって!?」
「驚くのはまだ早い。そして殺された一之瀬だが、こいつの兄貴は東京の南青山で興信所を開いている。確か名前は…」
「宮本正樹」
「なんで知っとると?」
相川の父が驚く。
「実は宮本は別件で警視庁が追ってる人間なんだ。詳細は捜査上言えないが、宮本と殺された一之瀬が血縁関係なのは間違いないんですね?」
相川が聞く。
「ああ。戸籍の上ではな」
「長崎の科研でDNA鑑定できんのか?」
「流石に捜査令状が無いとなぁ…」
「わかりました。刑事部長や捜査一課長に報告して、こっちの科研でDNA鑑定できないか確認します」
その後相川は、長崎出張から帰る前にこの件を捜査一課長に報告した。
捜査一課長は「DNA鑑定するには令状が必要になる。鑑定は最後の手段にしよう。とりあえずこっちの法務局を通じて宮本の件は追ってみる」と返事をした。
出張が終わり、長崎から帰京。
2人が出張から帰ると、広島県警からの写真も送られており、徳山駅および広島駅で不審な人物が合わせて6人写っていたことがわかった。
同時に、山口県警から到着した拳銃の鑑定が行われたが、銃に指紋は付着していなかった。
「品川車掌区の車掌や東京車掌区の車掌に聞き込みましたが、門司、下関、小郡、徳山、広島で特段不審な乗客は見かけなかったそうです」
「まあ、寝台の中でカーテンを閉めてカーテン越しで検札を受けたらわからんだろうから、隠れるのは容易だろうね」
「それよりも<みずほ>と<さくら>で乗車券が回収されてない事案はあったか?」
「いえ、いずれもそのようなことはありませんでした」
「相川警部補、東京駅で回収された<ひかり300号>の切符に佐久間の指紋がありました」
鑑識の木村が、相川に報告する。
「なんだと?」
「名古屋で乗り換えたのは事実ですね」
ひかり300号は名古屋7時02分発、東京に着くのは8時56分である。
みずほが名古屋に到着するのは6時31分なので、名古屋で新幹線に乗り換えれば2時間も早く東京に着くのである。
「佐久間はシロって事ですか?」
今井がそう尋ねる。
「しかし、門司から広島までのアリバイがない。おまけに門司や下関は乗客が買い物のためにホームの売店に降りたり、切り離し作業を見たがる人が作業光景をカメラで撮るから、ホームに降りる人はそれなりにいる」
「つまり、いきなり降りても怪しまれないということですね」
「そういうことだ」
「佐久間の門司から広島までのアリバイがあれば、佐久間はシロだ」
「ちょっと待て」
高橋警部が口を挟む。
「みんな佐久間にこだわっているようだが、肝心なことを忘れている。篠原の背後関係と佐久間の妻を追っていた探偵の宮本。この線もあるぞ」
「しかし、明確な動機があるのは佐久間だけです。妻の不貞に妻の保険金。動機としては十分じゃないでしょうか」
と、今井がいう。
「佐久間の巻き添えで篠原が殺されたならそれでいいかもしれないが、今回の事件で使用された拳銃を思い出せ」
と、高橋が重い口調でいう。
「ルガー357マキシマム・ブラックホーク」
相川がそういうと、皆黙り込んでしまった。
「あんな銃を素人に売る売人はいないだろう。それに、金に困るほどの男が銃を使って殺しはせん」
その時、中野刑事が小走りでやってきた。
「警部、長崎県警から手配中の上条航が死体で発見されました」
「どこでだ?」
「辰巳一丁目の運河です。死体は引き上げられ、司法解剖に回ってます」
その後、司法解剖の結果が捜査一課に届いた。
彼の死因は溺死ではなく、フグ毒を注射されての中毒死であった。
死体は死亡確認後に海に投げ捨てられたものと断定した。
その日の夜、長崎県警から連絡があった。
長崎市内の公園で松田の絞殺死体が発見された。
最初は首吊り自殺を疑ったが、台がないことなどから、絞殺された後に木に吊るされたのではないかとのこと。
近所の主婦の目撃証言から、傷害致死の前科のある島村武弘が浮上した。
さらにその次の日、長崎の大浦署に北上が出頭してきた。
「死のうと思ったが死にきれなかった。一之瀬と横山を殺したのは上条だ」と証言。
長崎県警捜査一課長は上条と松田を殺した犯人を泳がせるため、警視庁捜査一課と連携を取り、この件の公開を見合わせた。
夕方、長崎県警本部から相川に連絡が入った。
「はい、相川です。なんだ、親父か。どうした」
「今から言う人物の手配を頼む。名前は島村武弘、前科2犯。殺人の疑いで追っていたんだが、昨日、長崎市内で自動車窃盗を起こしている。諫早市内のガソリンスタンドの店員が島村を目撃してるうえ、長崎空港で発見された自動車のナンバーが一致した。島村が長崎空港から東京行きの最終便に乗って東京入りした可能性がある」
「つまるところ、窃盗容疑と殺人容疑での手配ですね。かしこまりました」
「言っておくが、殺人容疑は疑いの段階だからな。あと、島村はこの間話した宮本と接触していることがわかった。十分注意してほしい」
南青山の美術商「蓬莱堂」
相川警部補と山野、捜査四課の前川刑事の3人は佐久間のもとに押しかけた。
「山野さん、どうしたんですか?」
と、佐久間が言う。
「落ち着いて聞いてください。あなたは今殺し屋に狙われています。おそらくあなたの奥さんを殺した奴の一味です。今後、奴らの仲間が接触を図るでしょう。そこで、ここにいる前川刑事があなたの護衛を務めます」
と、山野は横にいる筋骨隆々な刑事を紹介する。
「前川です。よろしくお願いします」
前川は素っ気無く挨拶をした。
「前川刑事は、柔道の有段者だ。それに空手や逮捕術など格闘の心得がある。相手がナイフを持っていても大丈夫だが、一応、防刃チョッキをつけていてほしい」
そういうと、山野は佐久間に防刃チョッキを渡す。
「で、私はどうすればいいのですか?」
「おそらく、犯人はあなたを誘い出します。その時は相手の交渉に応じてください」
「つまるところ、おとりですか?」
「犯人を引っかけるんです。用意周到な奴だから引っかからないとは思いますが、相川警部補の推理通りなら、前川の声とこの事件の犯人の声はそっくりです」
「で、その作戦とは」
その頃
「まだ北上が見つからねえのか」
「すまない」
「先に佐久間を片付けたほうがいいかもな」
「ええ。私にやらせてください」
「失敗は許されんぞ。俺が佐久間を電話で誘い出す。そしたら、お前は佐久間の家の近くで待ち伏せるんだ」
「わかった」
翌日の午後9時
佐久間の自宅にて
「はい、佐久間です」
佐久間が電話を取る。
「宮本興信所の宮本です。資料はご覧いただけましたか?」
「宮本さん、あれはいったいどういうことですか。私の妻は一体誰に…お、おい、なんだそれは、やめろ、やめてくれええぇ!!」
佐久間の声が電話から遠ざかると、男は受話器を取る。
「佐久間を片付けました」
「ご苦労」
「で、報酬のほうは」
「慌てるな。1週間後、池袋の西武百貨店で西武線池袋駅のコインロッカーの鍵を渡す。報酬はそこに入れておく」
「わかりました」
返事を聞き、宮本は電話を切った。
「バカなやつだ」
「バカなのはお前さんだよ。とっととドアを開けろ!」
宮本はその声に驚きながらドアを開ける。
「こ、これはこれは相川警部補」
「宮本正樹、捜査令状だ。殺人容疑のな」
相川がそういうと、中野が捜査令状をかざす。
「どうして、ここが…」
「お前さんは最初から怪しかった。嘘までついてたからね。昼のニュースではまだ名前は出していなかった。免許証だけじゃ殺害された人物が本人だという証拠にならないから。それにもかかわらず、あんたは殺害された人物の名前をうっかり言ってしまった。興信所所長としてはお粗末だね。しかも、あんたが殺しを依頼した人物は別件で長崎県警がマークしていた。にもかかわらず、べらべらと証拠となるようなことを喋った」
「そんな証拠がどこに」
「ここにあるよ」
そこには手錠をかけられた殺し屋の島村と、捜査四課の前川がいた。
話は数時間前に遡る。
佐久間の自宅前で島村を発見した前川と今井、若林は3人がかりで島村を確保。激しい戦闘のため、3人はボロボロになっていた。
「相川警部補の推理通り、島村が刺客でしたね」
「佐久間さんには、電話中に絞殺されたという演技をやってもらおう」
「島村のふりは俺がやる。2人は島村をそのまま身動きが取れない状態にしてほしい」
と、前川がいい、ことの顛末とこれからの段取りを佐久間に説明したのであった。
さて、話を戻そう。
「こいつが全部喋ったよ。篠原殺しで結託して今回の計画を決行したと。そして、あんたと組んで佐久間を亡き者にしようとしたこともね」
と、前川が自信ありげにいう。
「さあ、観念するんだな。佐久間は保護されたよ。どうせお前のことだ、罪を佐久間になすりつけた挙句金を渡すふりして島村を消して海外逃亡する気だったんだろうが、策に溺れたな」
相川は宮本に向かって言い放つ。
「びっくりしましたよ。サラ金強盗の殺された犯人の一人が、私の実の弟だったことや、それを殺したのが、佐久間の奥さんの兄貴だったとはね。だから、仲間一味とその共犯を皆殺しにしようと。しかし、まさか佐久間の奥さんを浮気のネタでゆすろうとした時に浮気相手が賞金をかけられていた篠原だったなんて、夢にも思いませんでした。そして計画したんです。佐久間の奥さんもろともこの世から消して、佐久間を犯人に仕立て上げようと。そしたら、以前仕事の関係で付き合いのあった島村と会った。奴は依頼を受けて篠原を殺そうとしてたからね。しかし、うかつでしたよ。まさか、私が罠にかかるとはね」
「宮本さん、あなたは殺し屋を使って人の命を奪い、そして一組の夫婦の仲を永遠に切り裂いたのですよ。そのことを、一生お忘れなく」
と、相川は宮本を諭す。
「宮本正樹、あなたを殺人の容疑で逮捕します」
中野刑事が、宮本に手錠をかける。
その後、宮本と島村は警視庁へと連行されていった。
完
※列車の時刻は1988年9月のものを参考にしました。(著者)
ご覧いただきましてありがとうございました。
初のミステリー作品というのもあり、いろいろと試行錯誤もあります。
これを機に私の拙作『レイン・シャーク』もご覧いただけるとありがたいです。
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