ご
終わりの話です。
フラヴィアは自室で手紙の整理をしていて、手を止めた。
「どうした? 愛しい人」
「ジュリオ様……」
部屋に入ってきた辺境伯ジュリオがフラヴィアを抱き寄せ、唇を啄む。
「また来ているのか?」
「はい……」
「今後は私に回すよう言っておこう」
フラヴィアの溜め息の元は、ヴィオラの婚約者となったミケーレからアリーチェ宛の「会いたい」という手紙だった。
もう何通だろうか。アリーチェはもうここにはいないと返事をしているというのに、その内本人がやって来そうな勢いである。
「いえ、ジュリオ様も冒険者ギルドの件でお忙しくされているのに」
黒の森境の町にある冒険者ギルドと銀行が、特定の冒険者の報酬を横領していた疑惑があり、領主が出る程の案件となっていた。
黒の森は人知を超えた不思議の森。魔物が蔓延る森でもある。
黒の森は大陸のほぼ中央にある前人未踏の地で、人が住むことのできない地。
生態系も不思議で、魔物たちもとても強いものばかり。何か目的がない限り、人間は立ち入らない。
黒の森に接している地は、魔物たちとの戦いが日常的にあり、逆に言えば、黒の森に接した地で魔物たちをくい止めるため、それ以外の地は平和でいられる。
国防の最前線であり、最後の一線。それが黒の森境、このボスコンフィ領である。
その町で冒険者ギルドと銀行が組織ぐるみで犯罪を行っているのであれば、大鉈を振るわなければならない。その為の領主である。
「いや、そちらは落着した。ギルドも銀行も横領はしていなかった」
「まあ、それでは……訴えた者が?」
冒険者ギルドと銀行に冤罪をかけたというのか。辺境伯と国が後ろにいるというのに。
「いや、それも違った。冒険者は若い女性でな。片親で二人の子を育てている。ギルド長が気にかけていて、報酬の三割を現金で渡し、七割を銀行に入れていたんだ。もちろん本人名義だ。現金が手元にあると狙われるからな」
「それがなぜ横領騒ぎに?」
「本人名義だったのだが……当の本人が引き出せなかったんだ」
「そんなことがありますの?」
冒険者ギルドや商人ギルドなど、各ギルドに併設される銀行は、大陸中の国が後ろ盾となり信用を担保している。
本人確認は魔力認証を採用しているので、成りすまされる心配もない。人が持つ魔力は、似ることはあっても同じ人はいないのである。
「冒険者本人は何度も銀行から引き出せないから、報酬は現金でくれと訴えたが、ギルドも銀行もまともに取り合わなかったらしい」
「引き出せなかった理由は分かりましたの?」
「ああ、その冒険者には……魔力が無かったのだ。銀行カードの魔力登録も空だった」
魔力が無い。
そんな、人間は、この世界には、いない。
いるとすればそれは、界の隙間から落ちてきたこの世界の者でない者。時折現れる未知の者。それが本当ならば、落ちてきた先の国で保護されるべき存在。いや、保護されていた存在か。
「……いかがなさいますの?」
妻の言いたいことを正確に読み取ったジュリオは、頷いた。
「西の国の王兄殿下が引き取ってくださった。彼女は薬師としてとても優秀だそうだからね。……近々、黒の森から魔物が溢れると予言がされたあの国では、一人でも多くの人材が欲しいからね」
この国は、地図上で黒の森から見て南西に位置する。
故に、単に「南西の国」と呼ばれ、同じ理由で北の国、西の国と、黒の森に接した七つの国はそれぞれの方位で大陸中から呼ばれている。
隣の西の国では、宮廷魔術師によって、黒の森から魔物が溢れると予言され、黒の森を囲む国をはじめ、大陸中から支援が送られ、臨戦態勢が取られている。
黒の森から魔物が溢れる。
不定期に森から魔物たちが溢れ、人を襲い町が壊れるという悲劇。
どこで起こるかも周期も、いつ終わるかも人間には分からない、まさに天災。
今回、予言がなされたことは史上初のことである。
「では、もしかしたらアリーチェたちと出会うかもしれませんね」
アリーチェはもうここにはいない。
カルロの故郷、西の国へとカルロと共に旅立った。
「フラヴィアがそう思うならそうなんだろ」
魔術に長けた者の勘は良いことも悪いことも中々外れない。
カルロは自分の過去に背を向け、目を逸らしていた。傷を癒していたとも言う。しかし、故郷の危機を聞き、戻ることを選んだのだ。愛しい妻と共に。
フラヴィアはジュリオに腰を折った。
「この度は私の生家の後始末にお手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした。アリーチェのことも、心からお礼申し上げます」
「なに、妻の実家のことだ。私の家でもある。先程新しい報告書が来た。……義兄上と義姉上の完全な回復はやはり難しいそうだ。使用人の中でも長く勤めている者も同じだそうだ」
フラヴィアは俯いてドレスを握り締めた。そうしないと、涙が零れそうだった。
ジュリオはその手を優しく取り「傷付くからやめなさい」とフラヴィアの手の甲に唇を落とした。
伯爵家は、兄夫婦をはじめ、使用人に至るまで、まるごと「魅了」にかかっていた。
かけていたのは、次女のヴィオラ。
恐らく、生まれてからずっと「魅了」を無意識で常時発動していたとみられている。
その術はとてもか細く、魔術に長けていなければ、到底気がつかないような術だった。
例えるなら、水一滴がやがて岩を抉るように、着実に心を蝕んでいった。
何を置いてもヴィオラを一番に考えるように、他のことは捨て置くように。
「アリーチェの元婚約者とその両親は接触していた時間が短かったから、既に術が解け正気に戻っているそうだ。……だからといって、アリーチェとよりを戻して元通りになろうなんて、上手くいくはずがない」
弱い魅了の術は、心に強い気持ちがあるとかからないことが分かっている。疑いや迷いがある時、より魅了される。
元婚約者も分かっている筈なのに、それでも会いたいと望んでくる。もう手遅れだというのに。
魅了の術の強さやかけられた時間の長さで、精神をねじ曲げられた傷の深さは変わる。
……回復出来ない者は、魅了されている思考と正気の狭間で苦しみもがくことになる。
ヴィオラから離れて生活していたアリーチェは、不幸中の幸いで傷は深くなかった。魅了の術にかかってはいたが、それは家族に反抗できない程度のもの。
廃嫡され家から離れ、自然の中でも傷を癒し、愛する者を見つけ、自分の意思で旅立って行った。
一方ヴィオラは、宮廷魔術師によって魅了を封じられた。
一生解くことは許されない中、成人したらミケーレと婚姻し、指名どおりミケーレが伯爵家を継ぐようにと、一連の騒ぎを裁定した王が命じた。二人の婚姻までは分家の当主が伯爵代理となる。
罰となるか更生となるかは二人と周囲次第である。
特にあまり教育を受けてなかったヴィオラには、厳しい教育が施される。もう泣いても誰も甘やかしてはくれない。
また、伯爵家には厳しい目が向けられるだろう。
地位のために婚約者を替えたミケーレと、姉から婚約者と後継ぎの座を奪い廃嫡に追い込んだヴィオラ。
皆は守れない。フラヴィアはアリーチェだけを守ることを選んだ。ジュリオに頼みアリーチェとカルロを平民のまま婚姻させ、国から出した。
王はそれを知り、伯爵家にアリーチェはもう戻らないと、件の命令をしたのだ。
フラヴィアはやるせない気持ちになった。
あれはアリーチェが成人したお祝いを贈った返礼の中に入っていた一枚の便箋。
おば様、本当は騎士になりたかったミケーレが、私に白いバラを一輪贈ってくれたの。東の国の騎士が愛を誓うのに、一輪の白バラを捧げるのを私は知らないと思ったみたい。私、ミケーレの気持ちがとても嬉しかったの。だから、私はまだ頑張れるわ。
アリーチェとミケーレはお互いがお互いの人生から退場した。
どちらが当て馬だったかなんてどうでもいい。
二人は間違いなく自分の人生を歩く主役なのだから。
踏みつけられて平気な筈はない。
虐げられて悲しくない筈がない。
お互いを慈しみ大切にし、蔑ろにしていたわけでもない。
それでも道は分かれた。
ほんの一滴がやがて大河に連なるように、物事は繋がっていく。
フラヴィアはこれまでの自分の様々な選択が、どんな未来に繋がっていくのか、急に恐ろしくなった。
「フラヴィア? あまり考えすぎるな。……私のことだけ考えていれば良い」
「……はい」
どんな人生の役回りだろうが、ひとりひとりに心がある。
願わくば、その心が幸せで満ちる日々でありますように。
フラヴィアは自分の幸せに寄り添い、そう心から願った。
読んでくださり、ありがとうございました!
読んでくださった方の心が、何か少しでも動いてくれていたら、とても嬉しいです。
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よろしくお願いいたします(´∀`)。
【追記&更に追記】
ジャンル別日間二位! ゜ ゜ ( Д )!
→ そして一位をいただきました!!ヽ(゜д゜ヽ)(ノ゜д゜)ノ!!
たくさんのお星様とブクマありがとうございます!
本編完結ですが、近々、番外編を投稿します。
→章で分けて、全五話の番外編となりました。こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
誤字報告、本当に助かりますm(_ _)m。
(何ヵ所もすみません……)
誤字報告の中に、言い回し(てにをは等)や平仮名を漢字に直していただくことがありましたが、分かりづらくても、これが私の精一杯の表現ですので、誤字報告をいただいた中でもそのままのところがあります。
読んでくださって、報告していただいたことは、とてもありがたく受け取っております。ありがとうございました!