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当て馬にも心がある  作者: 千東風子
本編:当て馬にも心がある
1/10

いち

黒の森の南西の国のお話です。

よろしくお願いいたします!


番外編も含め、誤字訂正しました。

誤字報告ありがとうございます。


 

「あー……気持ち良い」


 泉に足をつけるなんて、ちょっと前では考えられなかったわ。

 家庭教師(せんせい)が見たら目を剥いて卒倒するかも。

 以前なら、デイドレスをきっちり着て、遠くから日傘をさして、綺麗な泉ね、と微笑んで見るのが精一杯。


 こんなことして良いかしら……ちょっとドキドキしながら、周りに誰もいないことをもう一度確認して、靴と靴下を脱ぎ、裾をまくって、泉に足をつけたのだ。


 心の(おり)が溶けていくようだわ。


 自由。

 私、自由だわ。

 私、もう好きに生きていいんだわ……。


 もう出ないと思っていた涙が溢れ出る。


 でも、誰もいないから隠す必要もないし、もう泣く時も隠れなくていいんだわ。


 少女は一歩一歩、泉の中心に向かって進む。

 透明度が高く水底が見えるので、足下を確かめながら、一歩一歩。


「ふふ……膝くらいまで入っちゃおうかしら」


 淑女がスカートを(まく)り上げて素足なんて、とんでもない、はしたない。

 培ってきた価値観は悲鳴を上げているけれど、もう、淑女じゃなくていいのだし。

 やってみたいこと、やりたい。


「何をしている!」


 水の感触を楽しみながら、もう一歩と足を進めたところで、男性の怒鳴り声がした。


「な、何!?」


 驚いて固まっていると、背後から水音がして、腕を掴まれた。


 あまりのことに声を出せずにいると、更に怒鳴られた。


「毎日毎日暗い顔して(ほとり)に座って……いつかやるんじゃないかと思ってた! 親からもらった命を自分から捨てるなど、何を考えている!」


 振り向くと、恐ろしい顔をした青年が腕を掴んでいた。


 だ、誰? 不審者?


 少女は反射的に手を振り払おうとしたが、青年は少女の腕を離さない。


「離して!」


「来い!」


 青年は少女の腕を引っ張り、水を蹴って歩き出したが、急に後ろ向きに引っ張られた少女は足がもつれ……。


「きゃあ!」


「うわ!」


 バッシャーン。


 盛大な水飛沫を上げて、二人は泉の浅瀬に尻餅をつく形になった。





「すまなかった」


 泉から上がり、青年は荷物から上着を取り出し、少女の肩に掛けた。

 いくら暖かい季節とはいえ、全身ずぶ濡れではさすがに冷えるので、少女はありがたく借りることにした。


 青年本人は上衣を脱いで水気を絞り、木の枝に干す。その辺の枯れ枝と枯れ草を集め、手際良く石を積んで魔術で火を着けた。


「魔術で服を乾かせればいいのだが、あいにく出来ない。出来るか?」


 少女は首を横に振る。服を乾かすには、繊細な火と風の魔術が必要となり、少女が行うと間違いなく火が強くなり服は燃えてしまう。


「俺はカルロ。改めて、勘違いしてすまなかった」


 岩に座った青年が頭を下げる。


「私は、アリーチェと申します。驚きましたが、……勘違いさせるような行動だったのは私ですので」


 青年は狩りの途中で、泉の辺に佇んでいる少女を見かけてから、気になっていた。

 青年は少女に気がついてから、毎日同じ時間に泉に現れては、只、座っていたり立ち尽くしていたり、やがてどこかに帰って行く少女を見ていた。

 明らかに良いところの令嬢が質素な服を着て、供もつけずに一人で森の泉にいること自体おかしなことだが、その表情が余りに「無」で、有り体に言えば、いつか入水(じゅすい)すると思って見ていたのである。


 別に勝手に死ねばいいが、自分の狩猟場で死なれるのはいい気分ではなかった。ましてや若く、これからがあるというのに、自分で命を捨てる傲慢さが鼻についた。

 また、死体が腐れば動物たちの水飲み場が汚れる上に、魔物を呼びかねない。


 少女にしてみれば、泉に入ってみたい、でも……、と躊躇(ためら)い、今日、とうとう意を決して入ってみただけである。死ぬ意思は全くなかった。


 もう、その段階は乗り越えたのだから。


 少女は勘違いされて腕を掴まれた挙げ句、転んで水浸しになったことよりも、誰もいないと思っていたのに、自分の行動が見られていたことに、少なからず衝撃を受けていた。


「誰もいないと思っていましたもので……。はしたないところをお見せした上に、ご心配をおかけして申し訳ありません」


「いや、俺が勝手に気になっただけだから。それにお嬢様に気が付かれるようじゃ森で狩りなんか出来ないよ。気付かなくて当然。あまりに、その、暗い顔をしていたから、声をかけて良いものか迷っていた。さっきは泉に入ってどんどん進んでいくから、ああ、やったな、と勘違いをした。それよりも、この森は強くはなくても魔物は出るし、獣もいる。一人で大丈夫か? どこから来ている?」


 少女は一応独身女性としての危機感を持っている。名乗り合ったとはいえ、どんな人かも分からない男性に、安易に自分の情報を伝えるのは避けたいところである。一人で森の散策が許されているのは、自分で対処できる魔術(ちから)があるからだ。


 少女の逡巡(しゅんじゅん)を感じ取った青年が慌てて言い訳する。


「あ、いや、違う。家を知りたいわけではなく、危険はないかと心配しただけだ。……この後も送っていこうかと思ったが、止めておいた方がいいな。警戒させたな。すまない」


 その素直さに、少女は笑ってしまった。


 笑ってから思った。

 少女は、自分には決して入れないと思っていた泉に入ることが出来た。

 結界が張ってあるわけでもなく、人を害する生物がいるわけでもない泉に入るのに、随分と時間と覚悟が必要だった。


 入ってみれば、呆気なく。

 ただ、気持ち良く。


 以前の自分ならば、初対面の身元も分からない人間と話すことなど考えられなかったが、目の前の青年はどうだろう。何も嫌なところがない。

 自分は自由。

 これで何か騙されることがあっても、自由とは自分で責任を取るものだから、それすらも眩しいに違いない。


 一歩、踏み出してみようか。


「カルロ様は近くの町の方ですか?」


「あんたお貴族様だろ。俺に様なんてやめてくれよ。俺は一応町の冒険者ギルドに所属しているが、ただの何でも屋。時間がある時にこの辺で狩りをしている」


 少女は青年の乱暴な口調が全く嫌ではないことが、段々面白くなってきていた。


「私は貴族ではありません。アリーチェと呼んでください。カルロ、と呼んでも?」


 もう一歩、進んでみようか。


 青年は目を剥いて少女を見ると、少女が含み笑いをしているのに気が付き、溜め息をついた。


「あんた変わってるな……。好きに呼べよ」


 ふふ、違うわ。変わってるんじゃなくて、変わったのよ。

 ようやく、変われるようになったの。


 こうして、毎日のように泉の辺で少女は青年と会うようになったのである。


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