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月に降る雪 Snow falling on the moon

作者: にゃんち5号

 一読、すぐに分かるように本編は、フランスのマルセル・シュウォブの『大地炎上』と稲垣足穂『黄漠奇聞』へのオマージュとなっています。シュウォブの作品が珠玉の散文詩となっているようにこの作品もと思いを込めましたが、どうでしょうか。

 また、書き上げたあと、「この作には救いがないのはなぜだろう」と何度か自問して分かったことは、この作は神の視点すなわち死者の側から書いてしまったからだと自答しました。シュウォブの作には、カタストロフの最中にある少年と少女が生を繋ぐべく愛を確認するシーンが印象的に配されていますが、続く生を持たない死者たちには救いがありません。なぜならこれは古代の月の物語だからです。

 天界は南斗星君の御座す処。麗らかなある日のことです。辺りには紅や黄や白など四季を彩る五色の花々が咲き乱れ、その醸す淡く馥郁たる香が其処此処に充ち充ちておりました。ひらひらと蝶が舞い、鳥たちが何処かで楽し気に囀っております。

 四辺に聖獣を模り色鮮やかな螺鈿を施された水盤のその湛えられた水面を、今しも星君は眺めておいでです。そこに映し出された景色の酷薄な美しさに魅入られておりました。


 霏霏と降り続く雪が万象の形を悉く溶かしていく―


 南斗星君は傍らの青女にお訊ねになります。

「青女、これは其方の仕業ですか」

「いいえ、妾の覚えぬことです。嫦娥さまなのでは…」

惺かに青女が応えます。

「ふむ、では誰がこのような…。天帝の思し召しであろうか―」


 凶兆はあったのか。星辰の動きを読み解く生業の星読みたちは明くる年の渝らぬ安寧と豊作を奏上し、鳥読みも虫読みも常と違わぬ日々を約していた。ひとり森にすむ年老いた風読みだけが遠い世界の涯から運ばれてくる幽かな異変に気づきはしたものの、それが何を伝えているのか読み解くことは出来なかった。

 頭上遥か白く輝く光球が地に命の恵みを与え、暗い闇に泛ぶ希望のごと青白く輝く光球もまた心に恵みを施した。青白い光球の陰りの変化に決まりがあり、二十と八回の変化ののちまたくり返しが始まる。眩い暑熱の昼が十と四回、骨も凍る極寒の夜が十と四回。その繋ぎ目の短い日々、人々は耕し食糧を蓄え命を削る労苦が少しずつ報われていった。太古よりその長い昼と長い夜の連なりに堪え、今日が昨日のように明日が今日のようにと願い暮らしをつくってきた。富める者はその富を少しでも増やそうと執着し、脅迫や欺瞞を日々の常とし、貧しき者は日々の互助と小さな幸いに喜びを見出していた。毎日のように争いごとがおき、毎日のように誰かに災いが訪れても、人々は次第にその数を増していった。いつしか王とも長とも呼ばれる男が現れて決まり事を作り、天空に現れる青白い光球の青と茶の斑模様の上を流れる雲の白い筋の在り様で吉兆を占う者たちを従え、人々を治めるようになった。青白く夜の天空に輝く光球はいつしか神と崇められるようになった。悠久のときがそこにあるようだった。

 

先触れなく異変は起こった。空には半円の形をした青い神の佇まいが渝らずあった。その厄災の始まる少し前に天から耳に刺さる調べが降ってきたという者もあったが定かではない。

遠く彼方の地平に湧き出した嘗て見たこともない禍禍しい色をした雲が、巨大な悪意の如く天を蔽ったかと思うと、耳を劈く雷鳴と神の瞋りの御徴稲妻が暗い空を引き裂く罅割れをつくった。

 時を同じくして遠くに連なる山々が轟音とともにまるで地獄の窯に呑み込まれるかのように沈みだし、今度は地の底から赤玆く溶けた岩が列柱のごとく聳え立つように噴き出した。あたり一面の見渡す限りが灼熱の炎に炙られ、人々は為す術を知らず逃げ惑い、あるいは地に臥し日頃安寧の感謝を捧げる神を呪詛した。王と呼ばれる者は慌てふためき、いつの間にか大量に蓄えた宝物を持てるだけ持とうとして叶わず哭き喚き、神官たちは己が聖職者であることを忘れ汚い呪文を繰り返し唱えていた。街上では恋を知ったばかりの若者たちがしかと抱き合ったまま劫火に包まれ、粗末な家の中では嬰児をかき抱いた母親が我が子を少しでも生き永らえさせようと頭上に掲げたまま焼かれた。

 阿鼻と叫喚が夢のように過ぎ、空を覆う黒雲が始まった長い夜の闇に溶け始めた。流れ続ける溶けた岩の赤い大小の河筋と噴火を止めぬ山々の頂にぽっかり空いた悪魔の赤い口が凄絶な美を湛えていた。灼熱の大気はその勢いをさらに増し続け、僅かに残った人々の咽を燎き生への執着を絶ち続けるのであった。


 水面に映る有様を瞪る星君の烟る睫毛に青女はうっとりと見とれております。

「やれやれ、元気なお客様が来たよ」

振り返った星君の眼差しの近さに青女は胸の奥に甘い疼きを覚えました。心の裡が悟られないようにと思いながら星君の視線を追います。

 そのときです。

「ねぇ、見て見てぇ、綺麗な玉を貰っちゃったよ」

そう叫びながら、お二人の御座す処に飛び込んで来たのは双子の箒星ホウカスとポウカスです。見るとホウカスの掌には深く青黯い色を湛えた玉が載っています。どれどれと云って星君がひょいとその碧玉を取り上げました。青女も見入ります。

 まるでそこに宇宙の全てが閉じ込められたような深い底なしの闇をその玉は湛えていました。目を凝らして見ると小さい無数の光がその中で明滅をくり返しています。それは魂を吸い取られそうになる美しい景色でした。 

「ねぇ、ホウカス。これを何処で手にいれましたか」

星君がお訊ねになります。ホウカスとポウカスはボクが答えると言って言い争いを始めました。ポウカスが、ボクが最初に見つけたのにと泣き出しそうになったので、

「じゃ、ポウカスが答えて」

と星君が促しました。

青女にはどちらがホウカスでどちらがポウカスか一向に分かりません。二人はそっくりなのです。

「えっとね、さっきね、饕餮の奴がこれを大事そうに抱えて飛んでいたの。綺麗な玉だから慾しくなってホウカスと鬼ごっこをして勝ったから貰ったの」

「饕餮の奴、頑張ってボクらに追いつこうとしたけど捕まらなかったよ」

と得意げなホウカス。

「哭きそうだったよね」

と嬉しそうなポウカス。

やれやれ君たちに追いつく者は誰もいないよ。星君はちょっとだけ饕餮を気の毒に思われました。

 ホウカスが星君の手から碧玉を奪い返すとポウカスと投げ合って遊びだします。


 天変と地異の沸き立つような動きがようやく静まろうとしたとき、人々の小さな暮らしは跡形もなく地の上から消え去り、辛うじて荒れ狂う炎から逃れた人々は運よく見つけた山中深くの洞穴に身を寄せていた。憔悴しきった体は狂おしい餓えと渇きに苛まれ、先に逝った者たちを軈て追うそのときの来るのをただ俟っていた。手足の感覚も薄くなり、何事かを思う気力もまた失われ、哀しみや死者への悼みも湧き出でてこなかった。長い夜が始まったばかりであった。大海から蒸発した水分を空が支えられなくなり降り出した雨がすぐに雪へと変じていった。雪はいつまでも果てることなく降り続け地上を蔽いあらゆる形を消していった。

 最後の希望を打ち砕く隕石群の落下が始まり、その中でも桁外れに巨大な隕石の衝突で大気もろとも地上のあらゆる痕跡が吹き飛ばされるのは、この長い夜が明けてすぐのことだとは誰も知らない。


 いましも南の地平から参宿が昇ってきたところです。それを目敏く見つけたホウカスが、

「参さん、見ぃつけた。いっちばーん」

と声を張り上げます。

ポウカスも、

「参さんと何して遊ぼうかな」

と目を輝かせています。

ふたりはまた来るねと云ってさっきまで遊んでいた碧玉をぽいと青女に託して競うように出ていきま した。それ持っていてねという双子の声だけが遠くから聞こえました。星君が水盤を覗くと二つの箒星が長い尾を曳きながら遠くに光る三星めがけて矢のように飛んで行くところです。

「その手にある碧玉の中の無数の光は亡くなった者の魂だよ。大方饕餮が冥界の主の許に持っていくところを双子に奪われたんだね」

 青女は碧玉を翳して興味なさげに闇の中のか細い明滅を一瞥します。そして何を思ったか星君の神力が見えない縛めとなって地に蹲っていた貪(ケモノヘンをつけてトンと読ませたいのですが、該当するフォントがありません:作者注)の大きく開けた口の中に、碧玉を投げ入れたのです。

「青女、何をしたかお分かりか」

 星君の問いかけに、

「あの者たちは時を経ずしてまた地に充ちてきますものを」

と青女は素っ気無く答えました。


 天界は何事もなかったような眩しさと静けさの中にありました。


ルビがないと読みにくい表現があることをお許しください。

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