4.律儀
きょとんとしてしまった。丁寧に説明してくれているのだろうけれど、何を言っているのかが良く分からずに首を傾げてしまう。
「えっと、つまりですね。会話しているんじゃなくて、会話している風、なんです。」
「へぇ……ちょっと話した感じだと、本当に会話してるみたいだけど。どうなの?アカリさん?」
『肯定です。会話しています。』
「ほら、アカリさんもそう言ってるよ?」
そう言ってみると、柊さんはちょっと困ったように頭をかきながらも、私たちの会話が面白かったようでくすりと笑っていた。
「それっぽくさせてはいますね。アカリさん側から適当に質問してもらって、その返事を記憶させたりもするんですよ。そうして、パターンを増やして本当の会話みたいになっていくんです。」
「へぇ、なにそれ面白そう。」
「……木槿さん、やってみますか?」
「うん。やらせてやらせて。」
頷くと、柊さんは僅かにはにかんだように見えた。それは多分嬉しがってくれているんだろうと、ちょっとばかり期待した。
「アカリさん。$ echo return $ qamode return。」
急に柊さんが、呪文のような言葉を唱えた。
そうかと思うと、ぷつっと、アカリさんが動画の無音再生のような音を鳴らし、先ほどよりも僅かに機械的になった声をあげる。
『サクセス,ローカルメモリ. マスタースレイブ,同調,QAモード,に移行します.リターン...質問例を検索中です.』
さっきまで普通に話をしていたスピーカーが、いきなり奇妙なことを言い出して、少しだけ何か怖い感じがしてしまう。
「えっと……柊さん、これ大丈夫なの?」
「大丈夫です。すぐ質問してくれますよ。あんまり考えずに、友達に聞かれたーって感じで答えてください。アカリさんは、それを覚えてくれますから。」
「私、間違いとか変なこと言っちゃうかもしれないけど?」
「話し相手ですから、それで良いんです。友達だっていつも正しいこと言う人いないですよね?」
「それはそうかもだけど、いいのかな。」
「まあ、私は友達とかいないんですけど。」
「え?」
思わず聞き返そうと思った瞬間、ポンっと軽くてポップな調子の電子音が一つなった。
顔を向けると、黒い球体のアカリさんが質問をしゃべり始めていた。
『最近、髪を切りましたか?』
「え?あ、うん、2週間前に切ったよ。」
『記憶しました。今話題の動画と言えば何でしょうか?』
「うーん、クラスで話題なのは、ネコがQUEENのダンスをする動画かな。」
『それは面白いですか?』
「可愛い。かな。」
『可愛い。記憶しました。好きな人はいますか?』
「居ないねぇ。」
えっと、横から驚いた声がしてきた。柊さんが、すぐにしまったというように口を塞いでる。
「柊さん、どうかした?」
「あ……恋人、いらっしゃらないんですか?木槿さん綺麗だから、もてるんじゃないかっておもって。」
「お世辞は良いよ。こんな会ったばっかりでさ。」
「あ、いえ。そう言うつもりではないのですが……。」
「まー、モテたとしても、好きが人がいるのとは違うでしょ。」
「それは確かにそうですね……。変なこと聞いて、すみません。」
「いや、別にいいけど……。」
「……。」
なんだか妙な雰囲気になったと思った。
『ナマズのヒゲは何本ですか?』
そんな、こちらの雰囲気など関係なく、アカリさんは先ほどと同じように奇妙な質問をぶつけてくる。
「え?ナマズ……4本かな。」
そう答えて、アカリサンの方へと顔を向けると、柊さんはほっとしたように机に向かって作業へと戻った。
『ネコが顔を洗うとどうなると言われていますか?』
「可愛いと思う。」
そんなアカリさんからの奇妙な質問を幾つか応えているうちに、ふいに柊さんが席を立った。何かと思うと、彼女は手にイヤホンを持って、すっと差し出してきた。
「イヤホン、直りましたよ。」
「え。もう?」
差し出してきたイヤホンを受け取って眺めてみると、どちらが切れていたのか分からないほど、イヤホンとコードは綺麗につながっていた。
「こんな、早く直せるんだね。」
「そうですか?結構時間かかっちゃったと思ったんですけど。」
「え?」
慌ててスマートフォンを取り出して時間を確認にすると、いつの間にかこの部屋に来た時からはだいぶ時間がたっていた。窓の外へと視線を向けてみると、雲の一つもなくて綺麗に茜色で染まっていたはずの空は、もうすっかり黒さを広げて、太陽は町の端へと消え始めているところだった。
「いつのまにこんなに……。」
「あの、一応、音が流れるのは確認したんですが、音質が代わってるかもしれませんから確認してみてください。」
言われて、イヤホンをスマホに刺す。試しに朝聞いていた曲を流して確認してみたけれど、イヤホンから聞こえてきた音は特にノイズなどもなくて、前と同じように聞こえた。
「うん、大丈夫。綺麗に聞こえる。」
イヤホンを外して、頷いてみせると、柊さんはホッとした表情を浮かべている。
「こんなに時間かけて、わざわざ直してくれてありがとうね。」
「いえ、楽しかったですから……。それに、アカリさんも、楽しそうでしたし。」
「え?そう?アカリさん楽しかった?」
『肯定です。もちろん。楽しかったです。』
黒い球体がスピーカーを響かせながら、そんなことを至極真面目な口調で言うので、なぜだか、それだけで思わず笑ってしまいそうになる。
「あ、そうだ、柊さんって、どっちの方に帰るの?」
「え?えっと、私は安小路の方に帰りますけど。」
「じゃあ、方向一緒かな。私は、あっちの方の駅まで行って、そこから電車。駅の近くは通ったりするかな?」
「あ、確かに帰り道の途中に駅がありますね。いつもその近くは通っていきますよ。でも、それがどうかしましたか?」
「それがどうしましたか?って……アカリさんだったら私が何を言いたいか分かる?」
『肯定です。帰りの随伴に誘っている会話と判断します。』
黒い球体から流れていた言葉に、柊さんは目を丸くしている。
「え……、いやその、ど、どうしてですか?」
「だって、イヤホン直してもらったんだもん。お礼しなくちゃ。駅までの途中に、コンビニあるからさ。柊さんに、何か買わせてよ。」
「え、そんな、良いですよ。この程度。」
「こんな程度じゃないよ。すごいよ。それに何かしてもらった時のお礼って、きっちりしておかないと、なんか嫌だからさ。それに。」
言いながら外を眺める。地平へと差し込み始めていた夕日は、ほとんどのその姿を消しかけている。そんな私の方を見て、不思議そうに柊さんはこちらを見つめていた。
「えっと、それに?」
「それにさ……。もう暗いから帰るの一人だけだとね。」
そう言って笑って見せると、柊さんは困ったように、でもふわりと微笑んで頷いた。
「それでしたら……。」