2.出会い
夕闇すら陰る校舎の最上階の奥廊下。技術室に向かう道は安閑として静まり返っていた。どこか暗く、独特な雰囲気を漂わせていて、この先に誰かが居るような気配もしない。もしかしたら今日は部活をやっていないかもしれない。そんなことを感じながら、廊下を進んでいくと、ふいにパキッと足元で何かが割れる音がして思わず身を竦めてしまう。床へと目を向けると、ちょうど足を載せた所の表面を覆っていたプレートが割れてしまっていて、その欠片が足へと引っかかっているのが見えた。
「危ないなぁ……。」
屈みこんで、プレートの僅かに反り返って棘のようになった一部を指先でふれると、少しばかり肌に突き刺さる感じがした。ちょっと力を籠めると、軽く音がして尖っていた先端が割れた。本当は、片付けてしまった方が良いのかもしれないけれど、学校の設備だし、どう扱っていいものかも分からず、とりあえず危なそうな棘の様な所だけ折り取って立ち上がった。気が付いてみると、床のプレートは所々が割れてしまっていて、この管理のされていない感じが、どこか無法な雰囲気を醸し出していて、少しだけ気後れしてしまいそうになる。
おっかなびっくりと足を運んで、辿り着いた技術準備室の扉に手をかける。少しだけ擦れる音だけさせて、思いの外ドアは軽く開いた。
「なにここ……。」
扉を開いた技術準備室の中は、まるで魔窟のように色んなものが溢れていた。薄暗い部屋の中で、尖った暗い色の金属部品が鈍い光沢を見せ、雑に置かれ山積みになったガラスケースの中からは、水晶やら何かの鉱物やらが、差し込んだ夕陽をフレアめいた閃光にして放射状に瞬かせていた。どこか、水晶の満ちた洞窟に入ったかのような雰囲気すらあった。
まるで荷物に満ちた泰山の中で、茜色に差す西日を受けた暗い影がゆらりと動くのが見えた。
「アカリさん。回路が綺麗に組み上がりましたよ。」
「おめでとうございます。流石です。ナズナ。」
迷宮の如くに入り組んだ部屋の奥から、喜々とした女の子二人の声が聞こえてきた。ガラクタだらけの道を右へ左へとよけながら、声のした方へと進んでいくと、暗い部屋の隅の一角に、少女が一人机に向かって屈みこんでいるのが見えた。周囲を見渡してみるけれど、もう一人聞こえたはずの声の主が見当たらずに、ちょっと不思議に感じてしまう。確かに誰かと話をしていたと思うのだけれどと思いながら、一人で机に向かって集中しているその少女へと近づいていく。もしかしたら、ハンズフリーで誰かと通話しているのかもしれない。そうだとしたら、会話を邪魔してしまうかもしれないし、何か集中しているだろう作業を邪魔してしまうかもしれないと、僅かばかり声をかけるのを躊躇ってしまいながらも、手を伸ばして口を開いた。
「あのー……。」
「はい?どうしましたアカリさん。」
机に向かっていた少女が、あらぬ方向を向いて口を開いた。声をかけたこちらには全く気が付いていないようで、机の一角の黒い塊へと視線を向けている。よくよくみてみると、それはスピーカーのようで、メッシュ生地に覆われた球体の形をしていた。恐らくは今かけた言葉を、さっきまで話していた相手からかけられたと勘違いしてるのだろうと、察せられた。
「アカリさん?どうかしました?」
「あのー……、ちょっといいですか?」
恐る恐るながら声をかけて、肩を軽く叩いてみると、途端に、少女の体はびくっと跳ね上がった。
「は、はい!?」
素っ頓狂な調子の声をあげて、勢い良く少女は振り返った。
「わわっ!!」
自らの動きの勢いで、椅子ごと回転した彼女の体は、左右に大きく揺れたかと思うと、バランスがとれるとは思えないほどにぐらりと真横に傾いた。
「あっ、危なっ!」
声を上げた時には遅くって、少女の体はそのまま椅子から体を投げ出されていた。部屋の隅に固まっていたゴミクズの山へと倒れこむと、曽於上に、段ボールやら何やらが、音を立てて崩れ落ちていく。
「わ、大丈夫!?」
慌てて、雪崩と化して落ちてきたガラクタの塊へと手を伸ばす。石の並べられた箱やら段ボールやらを何やら良く分からないものを掻き分けると、その下に先ほどの少女が倒れているのを見つけ出した。癖の強い髪をした、眼鏡をかけた少女だった。頬には少しだけそばかすがあって、それが妙に目を引いていた。
「立てる?」
言いながら、手を差し伸べると、少女は、ぱちくりと目を見開いてこちらの顔を見つめてきた。そうして、伸ばした手へと視線を向けて、再びこちらへと顔を向けてくる。
「えっと、立てる?って聞いたんだけど。大丈夫?頭とか打ってぼーっとしてない?」
「え……?あ……はい。あ、ありがとうございます。」
どこか驚いた様子を見せながら、少女はこちらの手を握った。
「よっと……。」
くっと手を引っ張ってみると、少女は傍らの箱へと手をついて体を起こした。ふらつきながら立ち上がった彼女は、なぜだか緊張した面持ちで、下唇を噛んで頭を下げた。
「あ、あの……ありがとうございます。」
「ううん、驚かせたのは私だし、むしろごめんね。」
「いえ、そ、そんな。だ、大丈夫です。」
よほど緊張しているのか、少女は言葉を何度も詰まらせている。多少左右に揺れながらも、しっかりと足元を踏みしめている彼女の様子を見て、もう大丈夫だろうと手を離すと、彼女のは繋いでいた手をぎゅっと握りしめて、胸の前に持っていき、もう片方の手の平で更に覆いせるようにした。
「そう。怪我ないなら良いけど。痛いところとかない?手とか……。」
そう言って、顔をのぞき込むと、目を左右へと狼狽えさせながら少女は視線を外した。
「ほ、本当に大丈夫です。あの……えっと、それより、どうしてここにいらっしゃったんですか?」
「あ、そうそう。ちょっとお願いしたいことがあって。あー、えっと……要件より先に名前を言っておかないとね。私は葵。木槿葵って言うんだけど……貴女の名前は?聴いても良い?」
「え、あ、は、はい!あの、私は、ひ、柊です。柊撫菜って言います。」
「うん、柊さんね。よろしく。」
「よ、よろしくお願いします。」
強張った面持ちで答える柊さんは、体の前で両の手を握り合わせて、しきりに体を落ち着きなく揺らしている。
「えっとそれで、さっきも言ったけど、ちょっと、お願いしたいことがあって来たんだ。私の持っていたイヤホンの耳のとこが外れちゃってさ。ここに来れば直せる人がいるって友達に聞いてね。その、治せる人っているかな?」
「イヤホン程度……でしたら、私が直せますかもしれないですけど。」
「え?そうなの?じゃあ、もし良かったらだけど、直してもらえないかなあ。」
「私で良ければですけど、良いですよ。どんな感じになってますか?」
「あ、うん、ちょっと待って。」
肩にかけていたスポーツバックの中から、丸めていたイヤホンを取り出す。双分かれしているコードの内、一本のイヤホン部分がちぎれてしまって、中のコードが見えてしまっている。完全に壊れてしまっているように見えて、こんなものを本当に治せるのだろうかと感じながら、柊さんへとさしだすと、彼女はおずおずとした手つきで受け取った。そのイヤホンの先とコードとを掌の上にのっけると、千切れて露出してしまっている金属線の端っこをじろじろと眺めた後に口を開いた。