10.警告
「ううん、大したことあるよ。こんな綺麗になるもんなんだね……。」
そこではたと、部活中にこの廊下で柊さんが何かをしている姿を見つけたことを思い出した。
「もしかして、今日ずっとこんなことしてたの?」
「えっと……そうですね。そういえば、そんな感じですけど。どうしてですか?」
「えっとね。部活中にさ、ちょっとこの廊下の方を眺めた時に、柊さんがココに居るの見えてさ。だから、もしかしたら、ずっと、やってたのかなって。」
「あー、そうですね。割れてるところがいっぱいあったから、今日まるまる一日かかっちゃったんですよ。」
「こんな割れてるとこが他にもあったの?」
「えっと……。こんな大きいのじゃないですけど。」
しゃっがんでいた柊さんは、ちょっと体をねじって後ろへと振り向くと、窓とは反対側にある幾つか床のプレートを指差した。
「こことか、こことか、小さい割れ目がいくつかあって、大きなパテが渇くまでの間に、色々と先に直してたんです。」
「どこ?」
言われてけれども見当たらなくて、目を細めてしまう。
「ここです。あと、木槿さんの足元とかもそうですよ。」
「え?」
言われて慌ててて顔を向けると、足元の床へと目を凝らした。パッと見には全く分からないけれど、よくよく目を凝らして見てみると、確かに、小さな割れ目の様な線が入ってるように見えなくもない。それは雷のように、一本の基点からいろんな方向へと枝分かれして、一部ちょっと大きめに割れていたようで、玉のような部分がパテとやらの色で満ちていた。
「ホントだ……。」
そっと指先で撫ぜてみるけど、全く引っかかりを感じずに、床とパテとの違いは分からなかった。
「でも、凄い大工事みたいなことだけど、こんなことしちゃって大丈夫なの?」
「一応、先生に先に許可は貰いました。」
「えっ。」
と、思わず驚いてしまって、小さな声が漏れた。
「そんなことまでして、わざわざ直したんだ?」
「え?ええ……。」
「凄いんだね……。普通はそんなことしないよ。」
何の気なしに、そういうと、柊さんはちょっと曖昧に表情を陰らせると、手の平で口元を隠した。
「そうですね……普通ではないのは知ってます。」
「え?いや、違くて。」
こちらの言葉が柊さんにどう感じられたのかを察して、すぐに首を振って否定した。
「そう言う意味じゃないよ。そうじゃなくて、単純に面倒くさくなかった?ってこと。」
「あー……でも、壊れているの知ってたのに、誰かが転んだりして怪我したら嫌じゃないですか。誰かが嫌な気持ちになって欲しくないって思いませんか。」
「うん、そうだね……。そう思う。そうだよね。」
曖昧に言葉を詰まらせそうになりながら、そう答えると、ふいに、柊さんは悲しそうに眉尻を下げて、唇を真一文字に結ばせた。
「あの……私なんか変なこと言っちゃいましたか?」
「え、どうして?」
彼女の言っていることの意味が分からずに、思わず問い返していた。
「だって、木槿さん、凄く辛そうな顔してるので……すみません、私全然言って良いこととか分からなくて。」
そう言われて、自分がどこか表情を強張らせていることに気が付いた。
「ううん違うの、嬉しいだけ……。」
それは本心ではあった。本心ではあったけれど、他人のためとか学校のためとか、そう言うことを真面目にすると周りの子達からは嫌われて、だから、そう言うことをしている人に笑顔を向けるのもできなくなっていただけだった。
「えっと……。」
不思議そうに眉尻を下げて柊さんは言葉を困らせているようだった。
それは、本当に感情がそのまま表情に現れているようであり、彼女が感情を隠すことが出来ない人なのだと伝えてくれるようだった。そして、だからこそ、恐らくは、自分のように周りに合わせて表情を作ることなんてしないだろうし、理由も分からないだろう。
ただ、柊さんは、そう人で良いと思えた。
強張っていった表情を、無理やりに笑顔にして、話題を変えようと口を開く。
「ね、これってあとどれくらいで終わる?」
「今日はこれで終わりにして、残りは明日やるつもりですけど……。どうしてですか?」
「昨日一緒に帰ろうって言ったでしょ?」
「え……?あ、あー……。」
「もしかして、忘れてたりした?」
「す、すみませんっ。誰かと一緒に帰るなんて久しぶり過ぎて……。」
「そうなの?」
「恥ずかしながら。」
頭をかきながら言った柊さんの言葉が、何か武士みたいな物言いだと思ってしまって、ふっと笑ってしまうと、一瞬ぷつっとノイズのような音が耳元に響いた。
『マスター、もうすぐ最終下校時刻になります。』
突然に響いてきた、聞きなれた電子的な少女の声に驚いてしまう。それは、昨日今日も話をしたアカリさんの声だった。
「アカリさん?居たの?」
『肯定です。ずっと会話は聞いていました。』
「え?でも、あのスピーカーとかないよね?」
周囲を見渡してみても、柊さんと彼女が床の修理につかっていただろう道具しか見当たらない。そう思っていると、柊さんはぱっと顔を上げて嬉しそうな表情を見せる。
「あ、実はですね、イヤホンから他の人にも声が聞かせられるようにしたんですよ。」
『ver.1.00.07です。』
ちょっと得意そうな響きのあるアカリさんの声が、柊さんの耳あたりから聞こえてくることに気が付いた。
「うわ、恥ずかし……。」
「え?どうしてですか?」
「いや、だって柊さんと二人きりだと思って気を抜いてたから……。」
何というか、内緒話を聞かれていたような恥ずかしさが湧いてきて、段々と顔が熱く感じられてしまう。不意に湧いてきた、顔の汗をぬぐおうとしたところで、ふとアカリさんが伝えてきた言葉を思い出した。
「……って、もう最終下校時間?」
『肯定です。残り10分を切りました。』
「やば、柊さん早く帰んないと。」
「あっ、はいっ。ちょっと待っててください。」
慌てて立ち上がった柊さんは、そこら辺に散乱していた道具を雑に抱え込むと、部室へと駆け込んでいく。様子が気になって、部屋の中をのぞき込もうとすると、すぐにリュックサックを抱えた柊さんが扉から出てきた。
「早かったね。」
「用意とか全然いりませんからね。私なんか。」
「そうなんだ。じゃ、早く帰ろっか。」