第3話 七瀬詩音
「……ここが、理事長室か」
この部屋の中に“最強の退魔師”がいるのだと考えると、緊張で体が震えそうになる。それでも、ここでいつまでも待っている訳にもいかない。
仮にも担任教師である俺が、道草食って本業を疎かにしてたら生徒に怒られる。
あのクラスのメンバーだけ個性が強過ぎるんだよな。ライトノベルだから、物語に必要な事だから仕方ないのかも知れないけれども。
理事長室のドアを邪魔にならない程度の力加減で、コンコンとノックを行う。
『はい?』
「二年A組担任の市瀬聡眞です」
『あぁ、目覚めたのね。どうぞ』
入室を催促されたので、失礼します。と一声掛けてから部屋へ足を踏み入れる。
真正面にある豪華な机には、高いスペックを誇るノートパソコンと無数の書類が乱雑に置かれている。その奥に見える椅子に腰掛けている妙齢の女性と目線が合う。
彼女こそが最強の退魔師と称されている『七瀬 麻琴』。
前線から退き数年を掛けて、彼女は後続の退魔師育成に力を入れる事にした。その結果として創設したのが、ここセイントクロス学院で、彼女は理事長として活動する事となる。
依然として魔物による被害が相次ぐ現状ではあるが、彼女が育て上げた優秀な退魔師が日の光を浴びるのを現役の退魔師達は楽しみにしている。それまでの数年間なら護り切って見せる。そう彼女の親友達は言葉を残し、凄腕の退魔師と名を轟かせ日夜、世界を渡り歩く。
その活躍に呼応するよう彼女も自らを鼓舞し、今日も理事長としての仕事に勤しんでいた。しかし、その表情はとても強張っていた。
理由は聞くまでもない――。
未知の技術を用いて、教員達の無力化に成功した『革命軍』と名乗る集団。その決断力もともかく、技術力が子供の遊びで済まされない程であった。
その連中に教師陣は手も足も出せずに、傍若無人に振る舞う犯罪者共に好き放題させる失態。最強の退魔師ともてはやされた自分も何も出来なかった。得意の退魔術が封じられればこの体たらくかと自分を卑下していた。
「まずはあなたにお礼を言いたくて。ありがとう。私の娘を護ってくれて」
「あー……いえ、大した事は出来てないので大丈夫ですよ」
「それでもよ。実際、あなたは『革命軍』を名乗った男が撃った弾丸を受けたのよ。しかも、最悪な事に“霊力”の源を」
この時点ではまだ“霊力乱しの弾丸”については判明していない。俺の口から銃弾の詳細を話した方がこれからの被害は少なくなるだろう。しかし、敵の武装等を知っている件は確実に問い詰められる。本来なら味方となる陣営にも追われ、敵の対処を強いられるなんて積みゲーを俺はやりたくない。
あくまで答えは口にしない。彼女ならそこまで辿り着けると信じてヒントだけ送ろうと思う。実際に感じていた感覚を言葉にしているだけなのだから、詳し過ぎると怪しまれる事もないだろうし。
「……もしかすると、それが原因ですかね。さっき、リハビリっぽい感じで退魔術を発動させようとしたのですが、霊力が上手く流れなくて」
「霊力が流れない?」
「ええ。こう……なんていうか、阻害されてる感じが」
数年前に『革命軍』を名乗る連中は世界に跋扈する『退魔師』に戦争を仕掛けた。奴らは『魔物』を神の代行者と崇め、それを祓う者共を悪魔とし、世界を一度リセットする方針――。簡単に言えば、“無”こそが真の平和。
確かに何もかもが無くなれば、世界は平和になるのかも知れない。でも、それを認めてしまえば全てが終わるという鬼畜仕様。
――話が逸れた。ともかく、技術力は圧倒的に『革命軍』の方が上と言っても過言じゃない。そんな連中が戦争時に『退魔師』を欺く為に開発した物が『霊力阻害器(ジャマ―)』という。
これは退魔師が霊力を使用する際に生じる波長を狂わせ、『退魔術』の失敗を誘発させる画期的な装置。かと言って、誰にでも効くわけじゃない。許容範囲を圧倒的に超える霊力を込めた退魔術には反映されない。原作でも学院長はそれで『霊力阻害器』を破壊している。
「連中が使う『霊力阻害器』の能力発動時に似てる感じですが、あれとは何か違うような気がします。
「『霊力阻害器』に『謎の銃弾』――。本当に、悩ませる連中ね。革命軍は」
謎の技術力を誇り、彼らは様々な手段を用いて退魔師達を陥れようと画策する。その技術力を正しい事に使用すれば世界はもっと平和的に良くなっているというのに。彼らは一度リセットするのが一番の平和で、正しいと思い込んでいる。
「そんな状態のあなたにこれを頼むのは忍びないわね……。どうしようかしら」
「……何かあったのですか?」
「数日後に来国される王女様の護衛に私が駆り出されるのよ」
そういえば原作でも理事長は私用で留守にしている時間があったな。その言わば警備が薄くなる瞬間を狙って、本命の『革命軍』が学院を襲うのが物語の最初――主人公が学院に転入するタイミングだ。
転入早々から奴らと刃を交わす不幸な主人公。まだ一人ではないのが救いではあるが、彼のパートナー……『二宮 紗花』は純粋な退魔師志望の少女。数度の戦闘しか経験していない退魔師の卵。その戦闘経験には『霊力阻害器』を使う奴らは含まれていない。
原作でもそうであったように彼らは苦戦するはずだ。そして、その襲撃に遭う学院には先程の事件でも被害に遭い掛けた自分の娘がいる。
(……大体、内容が掴めてきたぞ。この人は娘の護衛を俺に任せたいのかな。で、呼び出したは良いものの、色々と問題点が浮上してってとこか)
「要するに学院の護衛をお願いしたい。という事ですか?」
「ええ。加えて私の娘の護衛もお願い」
「娘さんもですか?」
『七瀬 詩音』――。
理事長の娘で生徒会長を務めている彼女は、退魔師としてはレベルが高く、流石は理事長の娘さんだと何処でも噂を聞く程の存在。けれども、退魔術が絡まない場合は、それに値しない。退魔術の素である“霊力”を封じられれば元も子もない。
「……あの時、あなたは『霊力阻害器』があったにも関わらず、退魔術を使用した。そうでなかったらあんなに早く届くはずがない」
それなんだよな。今の俺が気にしているのは。
原作にも護った表記はされていたし、それによって『例の銃弾』を受けたのも確か。でも、『霊力阻害器』の中で退魔術を使用してまで護ったいう事柄はなかった。右目に銃弾を受けた事も。
だとしたら、それこそが俺――『御堂 聡哉』が転生した特典なのだろうか。
俺がこの作品を読んで、ずっと好きだった『七瀬詩音』と親密になれる千載一遇のチャンス。右目に宿った『希少技術』らしいモノ。原作の流れと違う事から、これらが転生特典とも取れる。
(もしも、そうだとしたら断る理由はない……よな)
「あれが火事場の馬鹿力だったとしても、あなたは私の娘を命を賭けて護ってくれた。退魔師として命を落とすかも知れない場所に銃弾を受けてまで」
「わかりました。でも、自分が力不足だと感じたら……」
「その時は私が必要ないと切り捨てるわ」
第三者の声が部屋に響く。
慌てて振り向くと、そこにいたのは理事長の娘であり、学院に在籍している生徒の中で最強の少女『七瀬詩音』だった。
「七瀬詩音……」
「ちゃんと受け持つ生徒の事は調べてるのね。なら、私が学院で何て言われているかも知っているでしょ?」
「学院最強の生徒会長。素質だけで言えば、母親をも超える逸材だって聞いてるよ」
「そう。最強にならないといけない私に護衛なんていらない。私は、私だけの力で本物の最強になるの」
学院長は娘の様子に溜め息を一つ吐く。
作中でも彼女は“最強”という肩書に固執していた。越えなければいけない壁が身近にあるのは、正直に言うと凄くプレッシャーがかかる。本人達にそんな意図がなかったとしても、周囲の人間は「〇〇の娘なのだから」等の言葉を口にする。
言う方はどんな心境かは知らない。だが、言われた方には重く圧し掛かる。
一刻も早く評価に応えなければいけないと。自分自身の為ではなく、周囲の人間の為に強くなろうとする。
――努力する事を忘れ、他人に全てを委ねるクソッタレ共。〇〇だったら出来る。と無責任に期待するだけして、出来なければ失望する。身勝手な弱者。
(……ふざけるな)
彼女の事を登場キャラとしても、人間としても好んでいる俺からすれば、彼女には後悔して欲しくない。原作よりももっと早いタイミングで“本当に強い人とはどんな人か”気付いて欲しい。
前世の俺みたいに、周囲の声に呼応し、期待に応えようなんて考えない方が良い。その先に待つモノは何もない。ただひたすらにハードルを上げられるだけの人生。
自分にストイックでも良い。貪欲に強さを求める姿勢も否定しない。
周囲の声に無理に応えようとする初期の彼女が嫌いなだけ。まるで昔の俺の写し鏡みたいで。
「……じゃあ、こうしましょうか。俺と貴方で模擬戦をしましょう」
勝った方が言う事を聞くって、ありがちな制約で。ラノベで良くある模擬戦に、約束を取り付ける。ベタな展開ではあるが、本音を言うと、片や平和な世界からここへ飛ばされた一般人で片や根っからの退魔師。実力も素質も折り紙付き。これらの要点を並べて、勝てると言える程、自信過剰には成れない。しかも、言い出しっぺは負ける印象が強いし。
しかし、俺は最初から勝ち負けに重点は置いていない。
物語の中旬っぽいタイミングで、『七瀬詩音』は“強さ”の意味を知る。そのイベントを色々とすっ飛ばして、最初から起こしたら彼女はどう化けるのか気になった。所謂、原作ブレイクってやつ。
原作キャラが一人強化されるだけで、物語がだいぶ変わって来そうな気がするけど、熱狂的なファンである俺がここへ転生した時点で、こうなる運命だったと諦めて欲しい。
「良いでしょう。私が勝った場合は、あなたには護衛を諦めて貰います」
「ええ。その代わり、俺が勝ったら理事長の依頼を実行します」
黒漆の髪をサァーッとなびかせながら、指先をこちらに勢いよく向け、相手を威圧するようにこちらを睨み付けて来る少女。
今はまだ小さな退魔師である少女だが、現役退魔師に対して啖呵を切れる精神力。
正面から目を合わしただけでもわかる。彼女の水底を映しているような色合いで綺麗な瞳。その奥底に熱い闘志が見えた。普通の生徒だと侮って掛かれば喰われるのはこちらの方だ。
まぁ、手加減を出来る程、こっちの世界に慣れたわけじゃないんだけど。
「……わかったわ。両者共、撤回する気はないのね?」
「勿論よ。私は私よりも弱い人に護衛されたくない」
「――と言ってるので、模擬戦は必要かと」
「本当に誰に似たのだか……」
満場一致で昔のあなただとツッコミが入ると思いますけど。
外伝で大体二十年程前のあなたのエピソードがあったけれど、その時のあなたと今の娘さんソックリですよ、と言いたい。が、その時はまだ交流があったわけではないので、言えない。モヤモヤとした感情を抱えながら、呆れた様子を浮かべる理事長を見る。
「双方の模擬戦は、三時間後に第一訓練所で行います。異論はありませんか?」
「わかったわ」
「大丈夫です」
母親の答えに返事をした少女は一目散に踵を返し、理事長室から退室する。
護衛を確実に断る為に、自主練でも行うのだろう。相手が誰であろうと、真正面から叩き潰す事を徹底している彼女らしい。
(俺はどうするかな……)
三時間後か。正直に言うと、俺は勝負にあまり固執していないので、自分を鍛えるのも億劫だし、『希少技術』の事を確かめてみたい気持ちもあるが、使い過ぎると副作用がありそうで怖いって気持ちが強い。
便利な技術には、それ相応の対価がある。使用回数であったり、使用時間、目の場合だと視力を失うなんて事もあるかも知れない。
これから模擬戦を行うって状態で、試験運用を行える程、俺はバカじゃない。
「私はあの子の強さまで否定したわけじゃない」
「理事長……」
退室の為に踏み出した際に、耳に入った小さな声音に足を止める。
ゆっくり振り向けば、理事長は苦痛を感じさせる表情を浮かべながら、思わずといった様子で言葉を発していた。
間違った強さを得ようとする娘に強く言ってしまったのだろう。ソレが小さな少女の重荷の一つとなった。
(……はぁ、面倒臭いなぁ)
学院長室を後にした俺は、しっかりとした足取りで職員室へと向かっていく。
御堂聡哉の市瀬聡眞としての初戦まで、残り三時間――。