第2話 希少技術
「とりあえず、今日が何時かを把握して……」
「あー、目が覚めたんですね。良かった」
情報を脳内で整理し、自分の思考を纏めていると、不意にカーテンがシャーと開く音が響く。そこから顔を覗かせたのは、一人の女性であった。
彼女の名は確か……。
「名瀬先生。すみません、助かりました」
『名瀬 癒那』。学院に所属する保険医。戦闘を完全に捨てている訳ではないが、作中では戦う事がほぼ皆無で、戦闘力が未知数な女性。
ゆるふわな茶色のショートボブヘアーで、クリンとした垂れ目がちな目が印象的なマスコット……もといおっとり系だ。彼女は非常に珍しい『治癒術式』を完璧に修め、誰にも真似出来ない『独自術式』へと昇華した。
普通の『治癒術式』は多大な時間を要し、戦闘現場では使用する暇がないと覚える人はあまり存在せず、拠点へ帰還した際に治療を受ける事がしばしば。しかし、彼女の『独自術式』は“術式を発動させる単語”と“術式が刻まれた札”の二つで発動出来てしまう。
『セイントクロス学院』に存在する天才の一人――。
「いえいえ。あまり重症ではないようで良かったです。……でも、良く動けましたね」
「あはは……。脊髄反射ですかね」
時系列がどの辺りか把握出来ていない俺は少しでもボロを出さないよう、名瀬先生の言葉に相槌を打つ感じで返す。彼女からほんのちょっとでも、情報を引き出す事に。
「それでも、身を挺して生徒を護るなんて常人には出来ませんよ。特に貴方の場合は、離れた場所にいたのに」
「火事場の馬鹿力ってやつですね。あの子は護らないとって」
「あー、その選択は合ってます。市瀬先生はまだ来たばかりで覚えてないかも知れないですが、あの子は特殊でして……」
「特殊、ですか」
憑依する前の俺が生徒を護った。この一言から、庇った生徒は特別な存在と推測可能。後はそれが誰かを特定する事が出来たら……。
(ん? 市瀬先生は来たばかり?)
「あの子は『七瀬 詩音』。この学院の生徒会長であり、理事長の娘さんです」
……マジですか。
この教師が生徒を身体を犠牲にしてでも、生徒を護った。と聞いた瞬間に少し嫌な予感が俺を襲ったが、そういう事か。既に死亡フラグという花の種は植えられていたか。
市瀬聡眞が教師と迎え入れられて数日しか経っていない。生徒会長が襲撃に遭い、それを撃退する。だが、往生際の悪い事にその犯人は隠し持っていた拳銃で生徒会長を狙い撃つ。身を挺して銃弾から生徒を護った市瀬聡眞だが、その時に受けた銃弾に特殊な細工が施されており、ピンチの際に身体を巡る“霊力”を阻害され、死に掛ける重症を負う。これが市瀬聡眞が死亡フラグ満載な理由である。
その発作的症状が何時如何なる際に襲って来るかわからない。無理に魔物を祓う――『退魔術』の発動が出来ない。身体に何がキッカケで爆発するかわからない爆弾を仕掛けられている気分。
(……本当に俺が何したってのよ。神様)
せめて弱体化させられる前だったなら、多少はどうにか出来たかも知れないのに。弱体化フラグ建った後なんて、どうしようもないじゃないか。
「……それにしても、右目の方も治って良かったです」
「右目?」
「ええ。あなたは犯人の銃弾を二発とも受けてしまいました。一つは先程言った通り、右目に。もう一発は“霊力”の源と言われているココを」
そう言って彼女は俺の胸の真ん中を指す。
世界を破滅へと導こうとする魔のモノ――『魔物』を撃ち払える者を『退魔師』とこの世界では呼ぶ。彼らは身体に秘められた『霊力』を使用し、『退魔術』を形成する。人によっては“武具”に変化させたり、アニメや漫画で見た事あるかと思うが、札に術式を予め刻み込み発動させたりと十人十色だ。しかし、結局の所は『霊力』がなければ何も出来ない。
その霊力の源とも称されている場所を撃たれた。普通であれば退魔師の免許すらも剥奪され、これらと関わる事のない遠く離れた場所で静かに暮らすのを進められる案件。しかし、本人が多大な霊力を秘めていたからか、影響はないと診断結果が表れる。無理もない。即座に反応が出る代物ではないのだから。
その弾丸を受けた市瀬聡眞は、少しずつ退魔師としての命を削られていく。
――というのが、俺の知っている本筋。
右目にも弾を受けたなんて話、原作にも載っていなかった。
だとしたら、これは俺が憑依してしまったから生じた“異常事態”。にしても、何の影響も出てこない。胸に受けた弾丸と同じ性質を持つのだとしたら、この目にも霊力阻害の効果が現れているはずだし、失明しても可笑しくはない。
「でも、取り敢えず何にも影響がなさそうで良かったです」
この時点では何も判明していないのに、俺がネタバラシをしてしまう訳にもいかない。名瀬先生に納得して貰う為、身体的に何も問題なく無事な事をアピールする。
ゆっくりと立ち上がって、四肢を少しずつ動かしてみる。
こっちの世界に来て初めて自分の足で立つんだ。以前の俺と身長等が違うので、差異が合って動き難い。なんて事、あってはならない。
思ったよりもこの身体、柔軟に動くな。
社畜の俺の身体は本当に限界だったみたいだな。市瀬聡眞としての身体の方が良く馴染むし、栄養が行き届いている分、動きやすいわ。後半は飯の時間すら億劫だと、栄養ドリンクやサプリ、ゼリー等を服用してたぐらいだし。そりゃあ不健康だわ。
「『退魔術』の方はどう? 危険のない術式の札を貸してあげるから試してみて」
「ありがとうございます」
名瀬先生から手渡された札を手に取り、術式を解放する。
確か、原作主人公の零夜君が退魔術を発動させるコツを教えてくれと言った際に、返って来た言葉が「自分の中に流れている力を認知するのよ」だったかな。
(自分の中で流れているナニカを……認知)
時間にして数秒だろうか。集中していると、ハッキリと体内を巡る力を確認出来た。原作での彼女が言うように流れを理解出来ると簡単だ。後はこれを札に通せば術式は解放される。
だが、流れの一部が可笑しな事になっていた。
(思っていたように霊力を流す事が出来ない)
手にしている札は弱々しく点滅を繰り返す。
おそらく伝えられる霊力が非常に少なく、微々たる能力しか発揮出来ないコンディションなのだろう。俺がもっと霊力を送る事が出来たら。
「……やっぱり、あの時の銃弾が何かしらの影響を。市瀬先生、もう解除して大丈夫ですよ。市瀬先生?」
誰かが何かを口にしている気がするが、当の本人はそれどころじゃない。出来るかも知れない事を出来ないと言い切ってしまい成長を阻害する。俺の大嫌いな行為。それを見過ごすわけにはいかない。
百パーセントの確率で出来ないのなら、流石に諦める。万が一の可能性もないなら、無理してやる価値もない。でも、一パーセントでも成功する可能性が残っているのなら、やってみる意味はあると俺は思っている。
(あー、もう! 元はと言えば、この流れを阻害しているダムみたいな黒い塊が邪魔なんだよ)
霊力の流し方を大体把握したので、術式解放と同時に別の作業を行っていた。
原作では『多重解放』と呼ばれる技術――。解り易く説明すると、火と水、光と闇等の相反する力を同時に扱える力。この原作でも、“S級退魔師”の奴らは『多重解放』を使って退魔を行っている。
俺は元々の世界で器用貧乏だった。誰かのように特化した実力がなくて、可もなく不可もなく七十点ぐらいを常にキープみたいな状態。良くも悪くも普通。印象にない。なんて不名誉な評価すら得た事もしばしばある。しかし、逆を言ったら、何でも熟せるという事。
奇しくも、俺はマルチタスクに慣れていた。一度に三個の仕事を渡されるなんてざらに合ったので、それを効率良く消化する為に頑張るしかなかった。だからこそ、付いた能力とでも言えばいいか。それのおかげで……なんて言いたくないけど、今は素直に助かった。
(大体三割ぐらいは“術式解放”に、そして残りの七割は全部、障害物へ)
自分の体内を巡る力も、それを通すレールも何もかもを完璧に掌握出来ているんだ。そんな俺に不可能はないはず。と自分自身を奮い立たせる。
黒いモヤモヤとしてナニカに向けた霊力だったが、通そうとするとぐにぐにと姿形を変えて損害を軽減している様子が視て取れた。
今の状態でこれなら、もう少し力を加えたらこいつを消滅させれると本能で悟ったので、術式解放を後回しに全力で滅する。
当然の如く、札に流れる霊力がゼロになったので、札が光を発しなくなる。
「病み上がりなんで無理は……」
先程の声も術者には聞こえてないと思った名瀬先生は、俺の肩に手を載せながら諭すように小さく呟く。若くして先生に上がった市瀬聡眞であるが、退魔師としてのプライドがある事を懸念しての対応だろう。
しかし、彼女の忠告は遅く、何の意味も持たなくなった。
霊力の流れを阻害していた不純物は、身体から綺麗サッパリ消滅し、何にも邪魔されずに力を流せるようになった。
これなら、と今までと同じ力を札に込める。
その瞬間――。
ここへ俺の意識が飛んでくる前に感じた程の大きく力強い光が、俺の手にした札から放たれる。
札に込められた術式は主に索敵や錯乱等で使用可能な補助退魔術『月華』。発動時に放出する光の量は込める霊力で調節が可能。退魔術に触れるキッカケの一つだと思われる。特に生活面でも使用可能な重宝する退魔術だ。そんな人的被害が出ない術である事が視て取れた。だからこそ、最初っから結構な力を入れていたんだけども。
「……ただの初級退魔術でこの反応。流石、あの理事長が推薦した教師ってとこかしら」
冷静に分析をしなくても大丈夫です。あの理事長が推薦した理由は全く別の所から来る私情で、これとは全く関与しておりません。
何なら原作の市瀬聡眞に『多重解放』は出来ない。彼は暴走しない程度の退魔術と武術、時稀に暗器を上手く織り交ぜ、敵を翻弄する戦闘スタイル。
原作での推薦理由って何だっけかな。……いや、銃弾を受ける前は凄く優秀だったみたいだし、使えても間違いじゃないのか。どちらかと言えば、“霊力乱しの銃弾”を受けてからの市瀬聡眞が可笑しかったわけだし。
「すみません。力加減ミスりました」
札へ送る力を微量の物へと変化させると、『月華』は明るさを潜め、微々たる光を発するだけの光源となる。
今の俺は術を自らの手で実行した達成感と、特異能力が何もない現実世界から、能力がある世界に転生したんだという実感を得た。
(俺、憑依転生してしまったんだ。『俺、借金の式神にされました。』の世界へ)
余りの嬉しさに札を持っていない右手を強く握り締める。その際に転生してから気付かなかった事に気付く。左右の瞳で視ている景色が全く異なる事を。
霊力乱しの弾を受けた右目と、左目で捉えていた物は拳を握った俺の右手。従来通りの血色良い肌が見える左目に対し、右目には……というか、右目事態の識別信号が無くなったのかと疑問を覚える程、景色が色を失い、視線が唯一捉えた右腕にも異変が視える。腕から手へと蜘蛛が巣を作るように全体に張り巡らされている細い管みたいな物。注視すると、ナニカ白く光った物がその管を通り流れている様子がわかった。
銃弾を受けたと連絡を受けていたので、差異が合っても些細な問題だろうと思っていたし、さっきまでは何も変化していなかった事から大丈夫なんだろう。日常生活に何ら支障は無いと。
思わぬ伏兵に気を取られた俺は、札へ送る霊力の調整を忘れてしまい、許容範囲以上の霊力を送ってしまった。
札は急激に明るさを強め、キャパシティを超えた瞬間。燃え尽きて塵と化す。
「あっ……。申し訳ないです」
足元に散らばる灰と化した札から視線を切り、持ち主である名瀬先生の方へ顔を向ける。すると、彼女は目を大きく開き、ビックリした表情をこちらに向けているのを俺の左目が視認する。
右目が確認した光景は、さっきと同じだ。右腕を視た時と同様の物が名瀬先生の中にも巡っていた。
(……もしかして、これは“霊力”?)
人体のちょうど中心辺りに大きな白い光が存在している。もしも、これが霊力の源だと言うのであれば、そこから小さな管が身体全体に延び、霊力を分配して送り続けている構図となり、俺の知っている原作知識と一致する。
しかし、原作の市瀬聡眞にそんな能力は存在しなかった。……つまりは、憑依した俺であり、右目に霊力乱しの弾を受けたからこそ発現した『希少技術』ってとこかな。
「ちょっと大丈夫なの!? 右目が赤く……」
「えっ?」
霊力っぽい光の流れに集中してしまっていた為に気にしてなかったが、本人よりも焦った様子で忠告してくれている名瀬先生の言葉を聞き、周囲に置いている鏡を視界に捉える。
彼女の言葉通りに俺の右目は赤く発光していた。見ようによっては充血しているようにも見えるが、実際の所はそんなことない。本人はピンピンしているし、目立った障害はない。強いて言うなら、霊力の光がチカチカと存在をアピールしている為に、酔い易いという事だけ。
「たぶん、大丈夫です。被害もないですし」
これはどうやって切れば良いのかな。
右目の前に手を動かし、視界を切った上で赤くなっている目を静かに閉じる。
『退魔術』を発動させるべく集めた霊力を全身に分散させる。右目付近の霊力はほぼ空にし、負担を軽減を図る。
霊力で強張った俺の体は自然体に戻り、右目も通常時と同じ黒い瞳へと変化していた。
「あ、治ったね。良かった」
「……ご心配をお掛けしました」
「大丈夫なら良いよ。……と、話が長くなっちゃったね。理事長から貴方が目覚めたら連れて来るように言われてたんだった」
「それならそうと早く言ってくださいよ」
本編でも強キャラとして扱われていた彼女からの呼び出しだ。応じないわけにはいかない。
市瀬聡眞が着用していた小道具が仕込まれた黒いジャケットを羽織り、俺は名瀬先生にお礼の一言を掛けた後に理事長室へ向かう。