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決定的な差

アドレナリンとの生活が始まってから丸二日が過ぎた。その間彼に関して分かったことと言えば、彼はとても几帳面で真面目だということくらいだった。アドレナリンの部屋はいつも清潔に保たれていた。カーペットの上は毎日手入れされて髪の毛一つ落ちていないし、そもそも床の上にほとんど物が置かれてない。体育会系の男子と言うと、運動後の汗を吸った服をそこらに脱ぎ散らかしておくイメージがあったが、彼はその日使用した衣服はその日のうちにきちんと洗っていたし、部屋の消臭にもかなりの気を配っていたようだった。おかげで私は彼の部屋にいて不快な気分になったことは一度もなかった。止むを得ず体育会系男子と共に生活するにあたって多少の苦を覚悟していた私としては若干不意を突かれた、とさえ言ってもいい。確かに、最初に会った時からアドレナリンは今まで抱いていた男子学生のイメージとは明らかに違ったが、ここまで綺麗好きだとは思ってもみなかった。

「あんた、毎日洗濯するんだな」

 洗濯機の前で柔軟剤と洗剤の量を水量に合わせてきっちり計るアドレナリンの背中に呟くと、そりゃあ、そうでしょう、とさも当たり前のように返事をされた。

「毎日、洗濯しないと、体操着が、汗で、気持ち悪い」

 普通そういう場合は何着か同じものを買って着回すのではないか、と思ったが、どうやら長年体育に入れ込んでいた彼には毎日一着の体操着を着て数ヵ月後にはぼろぼろにする、という彼なりのポリシーがあるらしい。効率よりもポリシーを優先させるとは、私の理解の及ばない世界だ。

「ところで」

 話の腰を折るようですまないが、といった面持ちですっかり主婦か家政婦の姿が板に付いたアドレナリンが、僅かに洗濯機から目を離してこちらを見た。

「君の、その、汚れ物は、どうする、の?」

 洗濯機の稼働音にかき消されそうな声だった。危うく聞き逃してしまいそうになったが、さすがに私も何のことを言っているのか分からないほど鈍くはない。こちらをちらちら伺うアドレナリンの様子を見て、その言葉を察した。

 服。そうだ、一緒に生活する以上は、しかも私が体を動かせない以上は、この素性もいまいちよく分からない男に私の衣類を任せなくてはならない。着衣だけではなく、もちろん下着も。考えるだけでやや滅入ったが、今の私に拒否権はない。自分で何もできない以上は、彼に全て任せるしかない。

 が、その前に一つ確認しておかねばならないことに思い当った。

「あんた」

 質問に質問で返すのはやや無礼だが仕方あるまい。

「彼女はいるか」

 アドレナリンは意図が分からないと言ったように首を傾げて訝しんだ。それもそうであろう、私もこんなことをいちいち確認しなくてはならない状況に追いやられたのは大変不名誉なことである。だが聞いておかねばならない事ははっきり聞いておかないと今後面倒な事になる可能性がある。尋ねるべき時に尋ねるべきことは、きちんと回答を求めたい。

「いや、あんたに恋人がいるなら、部屋に私の服が干してあるのを見つけられたら面倒だ、と思っただけだ。いないなら、別にいい」

 アドレナリンは、ああ、と頷いて洗濯機に視線を戻した。

「いないよ。そもそもいたら、君をここに、連れて来られないよ」

 それもそうだな、と私も納得して洗濯機の方を見た。流行りの最新型ドラム式洗濯機はやや乱暴な音を立てながらすすぎに入ったところだった。中では彼の今日の洗い物が激しい水流の中で渦を描きながら絡まりあっている。

「それで、結局、君のは、どうするの?」

 思い出したようにもう一度彼はこちらを見た。今の質問で応えが分からないあたり、何とも融通が効かない。頭がいいのか悪いのか、良く分からない男だ。私は左手だけでベッド下に置いてあった自分のバッグを漁った。事故のせいで目的のものが路上に落ちてしまっていたら大変だと思ったが、それはしっかりいつものポケットの中に入っていた。

「ほれ」

 私はそれを取り出すと洗濯機前にいるアドレナリンに向かって投げた。彼は呆然とドラムの振動を見つめていたが私の投げたものは落とさずきちんとキャッチした。さすが体育科。やはり反射神経は人一倍であったか。投げたものを掴んだアドレナリンの手がゆっくりと開く。その中にあったのは、キツネのキーホルダーにまとめられた鍵束。

「一番大きいのがアパートの奴。ワンルームだから、入ってすぐのところに洋服箪笥がある。上段に上着、中段にスカートとかズボン、下段に下着とタオル類が入ってるから適当に見繕って持ってきてくれ」

 何なら全部でもいいが、大変だろうから少しずつでいい。ここにいる以上、極力贅沢は言わないと決めた。あんたが鍵を受け取ってから再びここへ戻ってくるまで、どれだけ時間がかかろうとも構わない。世話をしてもらっているのだから、少しは私も我慢をしなくてはならないだろう。

「え、いいの」

 ところがアドレナリンは手に持った鍵と私とを交互に見比べて立ち尽くしているばかりだ。それどころかまた何か言いたげに口をもごもご動かしている。一体何をしているのか、と思ったがここで威圧的に構えてしまったら、彼はまた縮みあがるだけだろう。アドレナリンが発した「いいの」の目的語が何なのか分からなかったが「いいよ」と適当に返してその場をやり過ごした。それから自宅の位置を口頭で伝え、私は再び寝そべってベッドの枕に顔を埋めた。相変わらずアドレナリンはやや動揺したように私を見ていたが、疲れたので暫く横になる、と告げると数秒の後にようやく玄関から出て行った。

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