死よりも安らかで、安易な眠り
話は今から二年前、私が大学に入学した時から始まる。君も知っての通り、この大学は、美術・音楽・体育の三分野に秀でた者たちが集まる総合芸術大学であり、私はそのうちの美術分野、特に彫刻を専攻する科に属している。芸術系の大学は教材費等のために一般の大学に輪をかけて金がかかることで有名であるが、私はそんな大学に行きながら一人暮らしという極めて贅沢な境遇を与えられていた。それというのも父が資産家で母が売れっ子のデザイナーであるためだ。母は私に幼い頃から徹底した美術教育を行なった。具体的には二歳の頃に紙とクレヨンを毎日のように持たせて絵を描かせ、五歳の頃から絵画教室に通わせた。一緒にショッピングをしている時など絶好の学びの場であった。服のデザインに関して、お菓子の包装袋に関して、玩具の色の配列について、あれはいい、これは駄目、もう少し何色を足した方がいい、ここはもっと華やかであるべきだ、などと常に私に教えながら歩き回るのだった。私はそれを聞きながら色と形と質感を学び、通っていた美術教室で学んだ感覚を表現するのだった。
そんなことだから、私は磨かれた能力を元にしてどんな形であれ大成する必要を感じていた。それは母の教育のせいもあるが、母の美術教育を受けるうちにどんどん美術に傾倒し、特化した人間になっていくのに私自身が成長しながら気付いたためでもある。私は美術があることで自分を見ることが出来たし、美術があることで先の自分を見ることが出来た。美術がない私など何の価値もない。自分の価値を美術にしか見いだせない私は、進路もそこに求めるしかなかった。そして入ったのがこの大学、というわけだ。
ここに来て私が最初にしたのは、美術系のサークルを見つけることだった。私は様々巡って最もスタンダードに美術部に入ることに決めた。おや、君、学科でも美術、サークルでも美術で疲れないのか、とでも言いたそうな顔をしているな。先にも言ったとおり私の人生は美術に裏打ちされたようなものだから、別段サークルと学科で同じことをやろうとも一向に苦痛ではない。それに入部を決めた当初はまだ学科の勉強が始まってなかったから、美術大学の勉強がどのようなものかわからなかった、という本音もある。彫刻科というからには彫刻の勉強しかしないであろうと考えていたわけだ。実際にはデッサンや彫刻を掘るための材質の勉強などもしなくてはならないのだが、それらが分からなかった私はただ絵画が描きたかったために美術部を選んだ。
さて、以上はこれから始まる話の前情報に過ぎない。ここからが本題だ。
学科の授業開始よりも早くに、美術部の新入生歓迎コンパが催された。場所は大学最寄駅付近の居酒屋チェーン。その日私は、宴席で多量の酒を飲みながら先輩たちが盛り上がるのをぼーっと見つめ、向かい側に座っていたキヨミという同級生とそれなり会話をし儀式的に連絡先を交換して、美術部員の人たちと解散した。キヨミに一緒に帰ろうと誘ったのだが、彼女は別キャンパスにある音楽科の学生であり、家もそちらの近くにあるといった。一方宴席が設けられた居酒屋は体育・美術の学生が集まる本キャンパスの近くだったため、私はひとまず最寄り駅までキヨミを送り、それから一人家路についた。
道中、私は大学生活開始早々に飲まされた大量の酒に若干足元がふらつき視界がぼやけているのを自覚できる程に酔っていた。それに気付いたのはキヨミと別れて暫くしてからだ。どうやら思った以上に飲まされてしまったらしかった。未成年にこれだけ酒を飲ませるとはさすが大学のサークルである。最近は飲酒運転などの話題が頻繁にニュースで取り上げられるからアルハラもいい加減になってきたのではと思ったが、やはりまだあるところにはあるらしい。加減がわからない新入生だからこそ、どのくらいで潰れるのか見てみたかったのかもしれないが、それにしても酷い酔いだった。これだけ酔うとは、一体あの店で何杯飲んだのだろう。記憶があるのはせいぜい最初の二、三杯のカクテルだけだ。それから先は何を飲んだのか、何を勧められたのかも覚えていない。
視線の先に信号のない横断歩道が見えた。行きかう車のヘッドライトはどこか花火のようにぼんやりと闇に浮かびあがっている。私は靄のかかった視界を何とかしようと無理やり頭を左右に振ったが、目眩が余計に酷くなる一方だった。心なしか、音も遠く聞こえるような気がする。脳がどういう仕組みで体を制御しているのかは知らないが、変に右前頭葉がずきずきと痛み、顔が熱い。早く家に帰らないとどこかで突っ伏してしまいかねない。私は意味もなく焦った。こんな状態でありながらまだそんな理性が残っていたことに感謝しつつ、早く家に帰りたい、帰ってベッドに突っ伏したい、という欲求のままに前進した。横断歩道は静かだった。私は一歩踏み出した。
その時、左側から黒いバイクが高速で接近していた。
痛みがあったと思った時にはもう遅かった。私は交差点脇のアスファルトに体を横たえていて、顔の皮膚が紙のように破け、そこから熱が漏れるのを感じた。これはどういうことだ、と自問するまでもなかった。事故だ、バイクに轢かれた。なまじ体の小さかった私はぶつかった衝撃で激しく体を地面に打ち付け、自分で動こうにも動けない状態であった。まるで地面と同化しているような気分。自然に帰らんとする意識。そのまま解けて水のようにアスファルトにしみ込み、体がなくなっていくような気さえした。だから痛みと同時に込み上げてきたのはもうじき死ぬのかという不安ではなく、ようやく眠れるという安心感だった。今この瞬間、あと数分だけ、いやあと数秒だけこのままでいさせてくれるなら、私はもう死んでもいい。過労の後にどっと出て来る虚脱感に近いものが、その瞬間、私を蝕み私に命を諦めさせようとしていた。こちらに慌てて近づいてくる足音と「どうしよう、どうしよう」と呟く声を聞きながら、私は春の夜空の下で穏やかに瞼を閉じた。