表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

饒舌な後日談

 さて、君よ、アドレナリンのこの理屈、この発想、そしてこの事の顛末。笑えるにもほどがあるとは思わないか。馬鹿らしいにもほどがあるとは思わないか。私はこのメールの一文を見た瞬間に怒りに我を忘れて思わず笑い転げ、携帯電話を床に放り出してしまったほどだった。そのあともちろんアドレナリンにはノーの返事を書いて送ったが、その時の文面は我ながらあまりにも長文にしすぎたと思う。ふざけるな、女を馬鹿にするのも大概にしろ、別に私はお前ごときがいようがいまいがどうでもいい、関係が続かなくて困ることは一切ないし、寧ろお前にはもう二度と会いたくない、と、そう書いて送ってやった。するとアドレナリンは、そうかそれは残念だ、と、ちっとも残念そうに見えない文面でメールを返してきた。そう、もう君もおわかりだろう、彼にとっては所詮、本当に好き、という言葉は、その程度の重さしか持っていなかったのだよ。いかにも他者優先のアドレナリンらしいといえば、らしいのだが、君、これがまた不思議なことに、彼は未だに手持ちの女一人に浮気が発覚するごとに、私にメールを送りつけてくるのだ。もう何を考えているのか全く分からない。何がしたいのかも全く分からない。だが私も私で、何だかんだ言いながらも携帯のメールアドレスはまだ替えていない。私も所詮、アドレナリンと同じ、他人に甘い人間なのかもしれないな。とはいえ私は彼のように、誰にでも愛想を振りまける立派でつまらない人間にはなれないとは思うが。だからこそ、私は誰も愛することが出来ないのだろうと、自分で思っているのだ。

こんな中途半端な関係を続けて、かれこれもう三年になる。だが私はアドレナリンの恋人になる気は更々ないし、今でもアドレナリンにもう二度と会いたくないという気持ちは変わっていない。ただ、別に彼のメール上の友人でいることは吝かではない。そういうわけで、事故の被害者と加害者という立場の私たちは、今ではどういう関係になっているのか、自分たちでもよく分からなくなりつつある。アドレナリンが何故未だにメールを送りつけてくるのかも分からないし、私も私で彼をどうしたいのか一向によく分からないまま、メールを交わし続けているというだけの話だ。ただ、この三年間の大学生活で学んだのは、恋愛をするにしてもせざるにしても、それを語ることは極めて面倒なことであり、そんなものに足元をすくわれるくらいなら、最初から自分の理屈と言うのを明確に相手に伝えておくべきだ、ということだ。私が今回君にこの話をしたのは、正直私ももう恋愛がどういうものであるのか、考えるのに疲れていたからなのだ。恋愛だけではなく、人付き合いに対しても同じだ。アドレナリンと私の関係もそうだが、彼が過去にキヨミと言う私の友人を愛していたかどうかということを、いちいち精査することに、私はもう疲れてしまった。恋愛については、もう何もかもがどうでもいい。出来ることなら私はそこに干渉しない立場でありたい。そんなことより、私は私の思ったように、生きているのが一番いいと考えたのだ。だから、今日君に告白された時、この話をして、私の立場をはっきりさせようと考えた。おそらく私が主体的に愛すことが出来るのは、美術作品だけだ。これだけ壮大でわけのわからない恋愛を目の当たりにした後では、盲目的に人を愛することなど、恐ろしくてとても出来る気がしない。それは相手が誰であろうと同じ事だ。もちろん、君であろうと。それが私の立場であり、私が最初に君のことを愛せないと言った理由だ。君はこれを聞いてどう思っただろうか。

 そうだ、君よ。そういえばそこに一枚の絵画があるだろう。それは先ほど私が語った、年末制作会のときに作ったという、海の獣の絵だ。あの事件のあと暫く探して、やっとのこと、私はその絵に使うための理想の青を見つけた。その色で追求した、私のイメージを、君にも是非見てほしい。

透き通る水に包まれる海の獣。その周囲には数え切れないほどのほの白い蝋燭の陰。紫と青を基調とした色彩にたゆたう淡くぼんやりとした蝋燭の炎は、か細いながらもしっかりと芯を持ち、獣を取り囲んでいる。一方海面からは太陽の光が何重にも拡散しながら降り注いでいる。普段は明るく穏やかなそれは、時折水の中で屈折しては蝋燭に触れる。左上に描かれた蝋燭から、順番に見ていけば分かる通り、その太陽に照らされた蝋燭は、水中にも関わらず突然その身に火が付いてみるみる溶かされて行く。それを見て、中央の獣はやや動揺して、激しく息をしながら暴れ始める。獣はその獰猛な本性を必死で隠して、自分の周囲に立てられた無数の蝋燭の炎を消そうとするのだが、いくら彼が動き回ったところで焚きつけられた炎は消えることがない。それを見て、獣は更に焦る。激しく息をして、何度も何度も消火を試みる。泡が必要以上に誇張されて描きこまれているのは、このためだよ。だがね、君、いくら獣が動きまわったところで、その蝋燭の炎は決して消えることがないのだ。なぜなら水の上にある太陽が、ご丁寧にも獣がその呼吸で消して回っている炎を、何度も、何度も点け直してしまうからだ。獣は必死で足掻き回るが、どうあっても上からの光は防ぎようがない。だが太陽も獣も、お互いに一歩も譲らずに蝋燭を点けたり消したりを繰り返す。そこにどこからやって来たのか、一匹、二匹、蝶が紛れ込んでくる。蝶だけに限らない、蛙や、鳥や、猫、兎、その他考えうる様々な動物が、この太陽と獣の蝋燭のやりとりに気付きもせずに、近寄ってくる。彼らの目当ては、獣の呼吸だ。だがそれらの動物は、獣の呼吸を求め過ぎて彼に近寄りすぎ、今度は蝋燭の炎にその身を焼かれてしまう。蝶も、蛙も、鳥も、兎も、獣の周りに近づいてはいつのまにか近くにいる蝋燭の炎に巻き込まれ、羽や毛や手足が燃えて、あっという間にいなくなってしまう。その動物たちが散り際に放つ僅かな火花が、何ともこの絵を幻想的で魅惑的に見せているのだよ。揺らめく炎に自ら吸い込まれるようにして消えていく動物たち、ひたすらに蝋燭の炎を消そうとして息を吹き続ける海の獣、自らは動くことすらできずに身を溶かしていくだけの白い蝋燭。そしてひたすらに上からさんざめく太陽。それだけのストーリーがこの絵の中にはかきこまれている。まあ、実際は作者である私が解説を施さなければ、所詮は気まぐれな美術学生が描いた、ファンタジックな一枚絵にしか見えないがね。寧ろ私としてはそれで大いに満足ではあるよ。芸術の価値など、作者が決めるものではない。例えその裏にどんな話があろうとも、どんな設定があろうとも、どんなコンセプトがあろうとも、見る方はそんなことは気にせずに、ただその造られたものを、純粋に良いか悪いか判断すればいいだけの話さ。高々このような一枚に込められた作者の考えとか、鑑賞の仕方を巡って人生を棒に振ってしまいたがる、特異な人にもいるにはいるが。私は君に、この作品をそういう目では見てほしくないかな。

 とはいえ、君、少し呆気にとられているようだが、私が怖くなったかな。まあそれならそれで別にいい。私は私、君は君。別に私は告白されたからといって、私は君にその全責任を押し付けるつもりは毛頭ない。これから先どうするかは、君の裁量に任せるよ。ただ、今日の話は全部事実だ。これを信じるか信じないかは君次第であるが、私はアドレナリンとキヨミに嘘をつき続けても、それは必要で止むを得ずついた嘘だと自分でも分かっている。だから出会って間もない君に、しかもこんな重要なことを話しあっている最中に、嘘をつくも何もあったものではない。忘れたいなら忘れてくれて一向に構わないし、それでも付き合いたいというので言うのであれば、最初に言ったように、私はどこまでも君について行こうではないか。まあよく考えるといい。何せ、君にとっては、この告白の段階でさえ、大いに悩んで出した一つの結論であろうからね。

 おや、携帯が鳴っているようだ。ちょっと失礼。ああ、何だ、またアドレナリンか。ふむ丁度いい。ほら君も見たまえ。また彼は例の件で私にメールしてきた。ここまで来るともう一種の見世物だな。相変わらず学習しない奴だ。一体何を考えているのか、さっぱり分からない。君、女遊びと言うのは、男にとってはそんなに面白いものなのかい。なぜ彼はこんなに同じことを繰り返して、つまらないメールを私に送りつけてくるのだろうね。私は何だかんだ言っても、アドレナリンのことはまず男女と言う差があるから、どうしてもこういうところは理解できないんだ。まあ、話のネタにはなるから、こうしてメールを続けているわけだがね。

 メールの返信が気になるかい。こういう時に私が送るのは、たった一文だ。何度目になるかも分からないからな。君も、もう今までの話を聞いていれば大体想像が付くんじゃないか。そうだ、私はいつも彼にまずこのように送る。

 一言、「馬鹿野郎」と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ