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自分勝手な馬鹿野郎

 アドレナリンとキヨミの破局はそれから間もなくやって来た。アドレナリン宅を訪れてから一ヶ月後、年末制作会に明け暮れる私の元に、アドレナリンとキヨミの双方からメールが届いたのだった。アドレナリンからは「あの子にフられちゃったみたい」という一言、キヨミからは「あの方と別れることにしたの。いろいろあって」という意味深な一通を受け取った。キヨミの文面からは、いつものカラフルで可愛らしい絵文字がすっかり消えていた。

 私は最初にキヨミのメールを返した。さもアドレナリンが浮気をしていた事実を知らないように「何かあったなら、言ってくれると良い、相談に乗るよ」と返し、彼女からの応答を待った。暫くすると、謝辞の言葉と共にアドレナリンが他の女と付き合っていたという内容の文面が届いた。私はそのことについて好き勝手な言葉でアドレナリンを罵り、キヨミにその詳細を話すように頼んだ。彼女はメールの中で語った。

「私は本当にあの方のことが好きだった。あなたには秘密にしてたけど、あの方とは学校の外でよく会っていたし、一緒にご飯を食べたり、街を歩いたりした。彼と一緒にいる時間はとても楽しくて、満ち足りていて、穏やかで優しかった。時々恋人らしいことも何度かした。時間があれば出来る限り会って、いろいろなことを話した。でもあるとき気付いた。私は彼のことが本当に好きだったけれど、彼は時々私のことを見ていなかった。それだけじゃなくて、私が何かしたいって言いださなければ、彼が私を誘うことはほとんどなかった。それで気付いた。私は彼のことが好きだったのだけれども、彼は私のこと、好きじゃないのかもしれないって。もしかしたら、私の勝手に合わせてもらってるだけなんじゃないかって。

 よくよく考えてみれば、付き合い始めたときから、疑問に思うことはあったよ。最初、私があの方に思いを伝えたとき、僕でよければ、って言われたの。その時は受け入れられたことに浮足立って何とも思わなかったけど、後から考えれば、少し変な返し方だよね。だってまるで、自分に自信がないかのような言い方じゃない。それから私とあの方の関係は、周りには秘密にしておいてくれ、とも言われた。私とあの方の関係の火種となったあなたには話さざるを得なかったけど、私、その約束通り、他の人には話さないでいた。でもこれって、要するにあの方が私との関係を他に広められたら、他の女の子にも同じ情報が伝わって問題になるからでしょう。この間、あの方の浮気を知った時に問い詰めたら、やっぱり他の女の子にも同じようなことを言ってたんだって。それを聞いて、私は少し残念に思った。でも、私は彼のことが好きだったのは本当。出来れば別れたくなかった。彼が改心するなら、寄りを戻しても、いいとも思ってる。」

 私はそれを読んでキヨミがまだアドレナリンから完全に抜け切れていないのを察した。そしてそのキヨミのメールが、アドレナリンではなく先に私に届いたことに本当に感謝した。おそらくこのキヨミのメールを読んだら、アドレナリンはまた、キヨミがそう言うなら、と言って彼女を悲しませないことを第一に上辺だけの関係を続けたに違いない。彼の理屈の根底にあるものが、他者優先のエゴである限り、アドレナリンが本当の意味でキヨミを愛すことは万に一つもあり得ない。彼らは、お互いのことを理解して愛し合っているように見せかけても、一緒にいて幸せにはなれないのだ。

私は返信に、それは止めておいた方がいい、一度そういう風になった奴は、何度も同じことを繰り返す、次同じことをされて、傷つかずに、あいつはああいう奴だと思いながらも、それでもアドレナリンのことを好きでいる自信があるのか、私は別れて正解だと思う、早く新しい人と幸せになって見返してやれ、と書いて送った。携帯はその後数時間沈黙していたが、やがてその身を震わせてメールの返信を告げた。私の言葉で吹っ切れたのか、キヨミは返信にそうだね、ありがとうごめん、と書いて送って来た。私はそれで、彼女がアドレナリンの陰に脅かされることもない、安全な道を進んでくれることを祈った。キヨミならばきっと良い男が他にいくらでも付いてきてくれる。彼女ならば、大丈夫。そう思った矢先、目に入った次の行に私は絶句した。そこには単純な好奇心からなのか、「そういえば、あなたとあの方は、どこで知り合ってどういう関係になった仲なの」と書かれていた。

遂に訊かれてしまったか、と思った。私はそれを見て、携帯を持つ手が思わず震えるのが分かった。私とアドレナリンが出会った理由。飲酒運転の果ての事故。そして関係性は、介護生活のための同居人。かつてアドレナリンの恋人であったキヨミに、そのことを説明すると、話が余計に複雑なことになるのは目に見えている。ましてやアドレナリンに失恋したこのタイミングで事実を話してしまえば、キヨミがあらぬ方向に事実を曲解して暴走し、私を友人として見てくれなくなるかもしれない。美術部には、私とアドレナリンが付き合っているのではないか、という妙な噂も流れていた。一応、先輩に問われた時には否定していたが、そう見えてしまった、という事実は、アドレナリンが浮気症であるという事実と照らし合わせると、いかんともしがたい言い逃れ難さがあった。しかし事実を話してしまえば、アドレナリンは事故の過失を問われることになるであろうし、おそらく私もただではすまされない。恋愛がどうとか、浮気症がどうとかという以前の問題としても、私は何としてもキヨミに事実を隠してアドレナリンと交流をもつことになった、上手い嘘をつかねばならなかった。

私はその嘘を何とか思いつかないかと懸命に思考を巡らせた。だがこういう時に限って、都合のいい嘘はどう頑張っても思いつかなかった。簡単な嘘なら今まであれほどつけたのに、キヨミの認識の穴を上手く潜り抜けてくれる嘘が、なぜか全く浮かばない。一番の盲点は、私がキヨミのことも、アドレナリンのことも良く知った気になって、実際にはほとんど何も知らなかったことだった。私は彼らが他者優先的なのを知っていた。キヨミがアドレナリンに気を持っているのも知っていたし、アドレナリンがキヨミを本気で愛しているわけではないのを知っていた。知っていて、全部言わず、隠し、二人をまるで手の上にでも置いているかのように嘘をつき続けた。けれど私は、実際に二人がどういう関係にあったのかを知らなかったし、アドレナリンが本当はキヨミのことをどう思っているのかも知らなかった。それどころか、私はアドレナリンの本名さえ知らない。彼に会った時、彼にアドレナリンと言う名を与え、そのままそれを通してしまった、その名を彼がどう思っているのかも、キヨミがそれをどう思っているのかも、それからキヨミがアドレナリンの本名を知っているのかどうかさえも、実際には何も知らない。何も聞いていない。

自分の保身に回ることばかり考えて必要以上に人に近づかなかった故に起きた他人への徹底的な興味のなさが、キヨミにこのメールをもらったとき、遂に回って来たのではないか、と思った。私はアドレナリンの友人を名乗ることでキヨミに軽蔑される可能性を十分に理解していながらも、止むを得ず、病院の同室にいた人物の知り合いだった、結局友人になったが、と書いて送った。キヨミと別れたあの美術部の新入生歓迎会の日、私は事故で怪我をして病院に運ばれた。一人暮らしのために頼るべき者がなかった私は、数日間の診察を終えて医者には入院を宣告されたが、長年の憧憬の末にようやく入学した大学に、来て早々行けなくなってしまうのが嫌な私は、夜は病院に戻るから日中は外出を許可してくれないかと反入院生活の提案をした。が、医者は外出するには同伴が必要であるといった。仕方なく入院生活を余儀なくされた私だったが、たまたま同室に体育科で入院をしていた人物がいた。その見舞いに数人の男子グループがおり、そのうちの一人がアドレナリンだった。同じ学校のよしみで私に興味を持ち、話し掛けてきてくれた同室の人物の紹介でアドレナリンとも会話することになった。その中で、実は学校に行きたいのだが同伴がいないと外出できないのだ、と話すと、彼は同情を寄せ、自分が同伴になってやると名乗り出た。それから彼は毎日病院から私を連れ出し、学校でも介助をしてくれていたのだ。アドレナリンと言うのも、入院中、同室の体育科のその人物が彼をそう呼んでいたためだ。私は彼にその理由を聞いたことがないので由来ははっきりしない。

その後のメールでそのように長々とでっち上げの出会い話を語った。深く詮索されたら簡単にボロが出る、極めて苦し紛れの設定だった。しかしキヨミは話がややこしいのだけを理解したのか、あるいはその複雑な設定を読むのさえ面倒くさくなったのか、返信で文面上では納得したような記述をして対話を終えた。私はキヨミがいち早くアドレナリンのことを忘れてくれるように祈りながら、メールを終え、次にアドレナリンのメールに返信をした。

最初のうち、アドレナリンは短い言葉でキヨミに振られた未練をぽつぽつ書いていた。そこから分かったのは、実のところ彼は付き合っていた女性の中でも一番キヨミのことが気に入っていたらしい、ということだった。そもそも彼の女癖が悪くなったのはつい一年前くらいから、なのだそうだ。授業で一緒になった女子があまりにも自分を目当てに告白してくるものだから、その気迫に勝てなかった、とか何とか言っていた。最早彼の理屈に付き合うつもりのない私はそんなことはどうでもよくなっていたのだが、彼が唯一、キヨミに思いを寄せていたという事実には驚かざるを得なかった。他者優先に凝り固まったアドレナリンが、まさかそんなことを考えているとは思いもしなかったのだ。

しかし私はこの男にキヨミを追いかけろとは絶対に言いたくなかった。それはまたいつアドレナリンがキヨミを裏切るのかわからないという異常なまでの不信感が私の中に根付いていたためだった。私はぽつりぽつりと、以前のアドレナリンの口調と同じように短く語られるメールに一つ一つ丁寧に返信をした。そうして数時間交流し、私もいい加減そろそろ飽き始めた頃、彼からおぞましい一文が届いた。私はその時の衝撃を未だに忘れられない。今まで生きてきた二十数年間のうちで、あれほど他人を忌み嫌い、罵りたくなり、頭蓋を踏みつけてその顔面を殴打したくなり、果ては酷く叱りつけて罵倒したくなったことはない。彼は最後にこう送って来た。

「もしかしたら、彼女と同じくらい、君のことは本当に好きなのかもしれない。良ければ付き合ってくれないかな」

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