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自己完結的なトルソ

 十月中旬から年末制作会が始まった。私はアドレナリンのサークルがない日はほぼ毎回のように彼を連れてきて上半身裸にさせ、スケッチのモデルにした。アドレナリンは学科で育てられたのか服を脱ぐこと自体はあまり躊躇わなかったものの、他の美術部員の前で私にスケッチされることを最初はかなり恥ずかしがっていた。キヨミや他の女の子の前だからかもしれない。彼女たちも私がアドレナリンの胸筋や腹筋を細密に観察しているのを横目で気にしているようだったので、私はそれからアドレナリンの体を観察する際は、なるべく彼女たちのいないところで行うようにした。

 彫刻を作る際はまず用意した紙に人間のサイズを写し取ることから始める。これを下書きという。この場合、必ずしも現物と同じサイズである必要はなく、写し取る角材によって下書きの大きさを変えてもよいとされているのだが、今回は等身大で作ることにしたのでアドレナリンに協力してもらい体の寸法を四面から一つ一つ丁寧に図り、その寸法を鉛筆で下書き用の巨大な紙に描き込んでいった。ここでは寸法のメモ程度の数値と体のどの部分に凹凸をつけるかを記した点図が出来上がる。次に寸法を写し取った点図を線で結び、おおまかに人間の体の形を描く。この作業も鉛筆で行う。形がとり終わったら角材にその寸法と下書きの線を描き込み、いよいよ削りの工程に入る。下書きを角材に写し取る作業も角材の大きさのためにかなり時間が必要なのであるが、この削りに至ってはその倍以上の時間が必要だ。何しろ彫刻というからにはこの削りの部分で作品の良し悪しが左右される。もちろん下書きや写し取りも慎重に行わなければならないのは確かだが、殊更削りは他の二工程と異なり、一度刃を入れて間違えても取り返しがつかないため、どういうイメージで掘り進むのか、全体から見てこれから彫る部分はどうあるべきなのか、というのを具体的かつ緻密に考えていく必要がある。しかも、工程が進めば進むほど、その作業は複雑になる。

 これら工程のうち、モデルが必要なのは最初の下書きの部分だけなのだが、アドレナリンはそれが終わりもう来なくても大丈夫だ、と私が言ってからも美術部に足を運び続けた。アドレナリンは自分がモデルにされた彫刻が完成するまでの過程を見たかったのだ、と話していたが、私は違うと思う。事実、私がモデルを頼んだ時以外、アドレナリンが私の作業を見に来ることはほとんどなかった。故に私は彼がその理由を口実にして美術部に来る理由が他にあることを知っていた。そしてその本当の理由がキヨミにあったことは、言うまでもないだろう。しかし、年度末制作会が終わるまでの二か月間、彼らに何があったのか、私はその詳細を全く知らなかった。彼らがどうなろうとそもそも私には全く興味がなかった。私はただ自分の目標としていたアドレナリンのトルソを作ることに、本当に集中していた。それ以外のことなどどうでもよかった。放課後、部活に行くたびに、自分の手であの体の稜線を描き、それを大きな角材の上に実現する。その空想、その感覚が、私にとっての何物にも代えがたい幸福だった。もちろんその中で困難は何度もあった。そもそも、トルソは最初から最後まで粘土で作るのが普通だ。それをあまり経験もない人間が、コンセプトがあるとはいえ材質を変えて作ろうとしているのだから、悪戦苦闘するのも当然である。しかし美術のための悪戦苦闘など私にとっては乗り越えるべき波、作品完成に向かって努力をするための燃える障害の一つでしかない。例え、それが材質の変化という大それたものだったとしても同じ。木であろうと粘土であろうと、本質的には目標に向かってひたすら手を動かし続けること代わりはない。それに私は、どちらかというと粘土を付け加えて作品を作るよりも角材を削り取って作る方が好きだった。チェーンソーを使っての荒削りの際には、授業で習った勘を総動員して近すぎず、離れすぎず、それでいながら大胆な削りを意識する。骨ばっている男性の体は女体ほど深く切り込む必要がないのが残念といえば残念だが、それでも寸法に合わせながら刃を角材に滑らせ、なぞる感覚は、いつ何を作るときであろうと一種の恍惚感をもたらす。木目に触れ、木の温かさを確かめ、何度もそこに手を入れる。削り取る。一歩一歩、完成形へと近づける。アドレナリンの体をここに写し取り、より本物に近づける。木をそのまま剥いているような感じさえする。ただただイメージの通りに、ただただ角材の中に見えるアドレナリンの体を、二か月間、私は彫り続けた。

 そして気がつくと私が二か月前に灯した蝋燭の炎は消えていた。それに気が付いたのは年度末制作会が終わってからだいぶ後のことだった。キヨミはすっかり以前のように息を乱さぬ美しい蝋人形に戻っていた。彼女は私の知らない間に、よく笑うようになっていた。あのときの反抗的な視線など、もうキヨミからは全く感じられない。それこそ、本当に、元の通りだった。さらに私は彼女をよく見ているうちに括目した。笑う彼女の隣には、いつもアドレナリンがいるのに気が付いたのだ。私の出まかせの嘘は、私の知らない間、私がいない間、私が何もしない間に、本当になっていた。

蝋燭の火を消したのはおそらく、アドレナリンの呼吸だった。完成したトルソをゆっくりと指でなぞりながら、私は口元が綻ぶのにただ身を任せた。

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