96・邪竜
バサッ——バサッ——。
微かにそんな音が聞こえた。
探知魔法を使い、その羽音のようなものの正体を探る。
「ほう……この時代で見られるとはな」
フォンバスクよ、こんなものまで用意しているとはな。
俺が転生してくるまでに、準備は整えたということか。
「お前の執念深さには驚かされるな」
「カッカカ」
フォンバスクが歯を鳴らして笑う。
「しかしこんなもんで俺が倒せると、まさか思っているのか?」
「まさか——思っておらん」
フォンバスクは窓の外を眺めながら続ける。
「しかし1000年前、貴様は一人であったな? 孤高の異端者として、前を突き進む貴様には弱点一つすらなかった。だが、この1000年で……どうやら貴様は弱くなったらしい。何故なら足手まといの『仲間』とやらがいるのだからな!」
うむ。
当たり前のことかもしれないが、ララとマリーズ、そしてシンシアといった魔法学園での『仲間』はもう把握済みということか。
「クルト? こいつはなにを言っておるのだ」
「アヴリルの窓の外を見てみるといい」
アヴリルにそう促す。
彼女はは窓の外に視線を移した。
暗雲が立ちこめる空。
そこに現れていたのは——
「邪竜シャヌガンのお出ましだ」
漆黒の鱗に身を包んだ、巨大なドラゴンが空を飛んでいたのである。
しかもそれは邪竜シャヌガン一体だけではない。
それに連なるようにして、小型のドラゴンがおよそ三十体……その後ろに控えていた。
「グオオオオオオオ!」
シャヌガンが慟哭する。
その声は帝都に響き渡り、建物が揺れ大地を震わせた。
「ド、ドラゴンだと!? あれは神話上の生き物ではなかったのか!」
「ドラゴンは現実に存在する。もっとも……」
俺はフォンバスクへと向き直す。
「この時代では信じてもらえないがな」
「カッカカ! どうだ! 私はドラゴンをこの時代に降臨させたのだ! 今から楽しいショーのはじまりだ」
悦に入っているフォンバスク。
おそらく次元を超して、ドラゴンをこの世界に召喚させたのだ。
予め、帝都のどこかに魔法式が組まれていたということか。
いや、おそらくそれは一つではない。
学舎にあった爆裂魔法と同じように……いや、それ以上の百……千個にも及ぶ魔法式が隠蔽されて設置されていたに違いなかった。
それを今この瞬間に発動させ、ドラゴンを帝都に召喚させたのだ。
しかし……。
「これがお前の奥の手か? もう一度言うが、邪竜ごときで俺を止められると思うなよ」
そうなのだ。
ドラゴンごときでは、俺の遊び相手にもならん。
前世ではドラゴンも数えきれないくらい相手にしてきた。
その中には邪竜よりも高位の存在である神竜にも出会ったものだ。
それは、さすがにフォンバスクだって知っているだろう。
それなのに……ドラゴンを召喚したとはどういうことか。
「貴様は倒せたとしても、あの弱い弱い仲間達はどうかな?」
フォンバスクはニヤリと口角を釣り上げ、話を続ける。
「小型のドラゴン一体すら倒せないに違いない。小癪な真似をしていたようだが、もうヤツ等の場所は把握している。早く弱い弱い仲間を助けにいかなければ、大切なものを失うのでは?」
「うむ。ララ達なら大丈夫だと思うが……さすがにドラゴンは手に余るか」
ララ達の場所は……よし、分かった。中央広場だ。
そこに予め用意されていた魔法式から新たなドラゴンが召喚され、ララ達を襲おうとしていた。
「アヴリル。一旦ララ達を助けに行くぞ」
「に、逃げられてしまうぞ!?」
「そんなつまらない真似をしないよな、フォンバスクよ?」
俺の問いかけに、フォンバスクは口を閉じたままニヤニヤと笑みを浮かべていた。
なにか考えがあるみたいだな。
少しでも時間を稼げればいい、とでも思っているのだろう。
なに、フォンバスクがなにを考えていようと、それ以上の力で返せる自信がある。
所詮殺戮の神とはいえ、前世の俺に一発で倒されたザコなのだ。
ひとまず今は、ララ達を助けに行く方が先決だ。
「それになアヴリル」
俺はアヴリルをお嬢様のように抱え、転移魔法を展開させながらこう続けた。
「戦いはすぐに済む」
《side ララ》
「あれは……なんですか?」
マリーズが空を指差し、震える声で言った。
校舎から抜け出し、帝都を走り回っていたララ達一行。
全員が隠蔽魔法を使っているので、ララ達に気付く様子を見せている者は誰一人いなかった。
しかしこの時、さすがに動揺し、全員が隠蔽魔法を解いてしまった。
それほどまでに、彼女達の目に焼き付いた光景は衝撃だったのだ。
「ド、ドラゴン!?」
最初にララが声を出す。
空に漆黒で巨大なドラゴンが現れていたのだ。
ララ達だけではない。
帝都にいる人々が空を見上げ、ドラゴンに恐怖してしまっている。
「どうやら一体だけではなさそうですが……」
「わっ、こっちに向かってくるよー!」
一際大きいドラゴンの周りを飛んでいた小型ドラゴン。
その中の何体かがララ達に向かって、降下してきた。
「み、みんなー、迎え撃つよー」
自分も恐怖で逃げ出したくなるのを堪え、ララがみんなをそう鼓舞する。
だが。
「ド、ドラゴンだぜ!? 勝てる訳ねえじゃないか!」
「お終いだ……神話の生き物が襲いかかってくるなんて……」
「俺達普通の人間が、ドラゴンに勝てるわけないんだ……」
その神々しいまでの姿のドラゴンに、みんなは戦う前から戦意を失っていた。
——もうっ!
しかしここで逃げるわけにはいかない。そもそも逃げようにも、ララ達を見逃してくれる程甘くはないだろう。
その証拠に……。
「うわっ、こっちからも出てきやがった!」
背を向け、逃げ出した一人の生徒の前を塞ぐかのように魔法陣が起動する。
そこから新たなドラゴンが召喚され、その生徒を通せんぼしたのだった。
「予め仕掛けられていた魔法陣でしょうか。どちらにせよ、逃げられそうにありませんね」
マリーズが険しい表情を作る。
状況は絶望的だ。
ドラゴン一体だけでも相手にするのは難しいのに、次から次へと出現する。
しかも逃げられないように、彼女達を囲みだしたのだ。
「マリーズちゃん、シンシアちゃん!」
「はい!」
「シンシア……逃げない……」
ありったけの勇気を振り絞って、ララは二人に呼びかける。
それが戦いの合図となった。
ララとマリーズ、シンシアが向かってくるドラゴンの群れに魔法を浴びせていく。
だが。
「き、効いてない!?」
ドラゴン達は一瞬速度は弱めたものの、意に介せずララ達に襲いかかってくる。
自分で言うのもなんだが、今まで結構な修羅場を乗り越えてきたと思った。
ベヒモスや魔族、そして《四大賢者》なんていう化け物とも戦ってきた。
「だけど、あのドラゴン達は……」
レベルが違う。
ララはそう思わざるを得なかった。
ララ達にぐんぐんと向かってくるドラゴン。
「た、た、た……」
ララは目尻に涙を浮かべ、こう叫んだ。
「助けてっ! クルト————————っ!」
「うむ。よく持ちこたえたな」
その声は空から響いた。
「サンダー・ストーム」
そしてその者は空中で魔法を唱えた。
すると、雷撃が暴れ回り、ララ達に襲いかかってきたドラゴン達に被弾していく。
「キュゥゥゥウウウウウンンン!」
ララ達が魔法を浴びせてもびくともしなかったドラゴン達が、悲鳴を上げながら地面へと落下してくる。
あれ程恐ろしかったドラゴンの群れ。
しかし彼の前では、赤子同然であった。
たった一発の魔法で死に絶えたのだ。
「ごめん、遅くなった」
そう言って、彼はララ達の前へと着地する。
「クルト!」
その者……クルトの背中にララは抱きついた。
離れていた時間は少しだけ。
だが、クルトがいない時間はララには永遠のように感じられた。
「さてと」
クルトは空を見上げながらこう言う。
「邪竜シャヌガンよ。召喚されて不運だったな。俺の友達を傷つけようとして、タダで済むとは思うなよ」