71・大賢者の小屋
それからしばらく、俺達はソキヘマーの渓谷を進んでいった。
その道中、俺は足を止めた。
「ここだ」
「え?」
ララが目を丸くする。
「あの小屋の中から、人の気配がする。校長の言っていることが本当ならば、アヴリルで間違いないだろう」
「え、えーっと……」
俺が説明しても、ララは釈然としない表情であった。
それはララだけではなく、マリーズでさえも怪訝そうな顔になって、
「なにもないですよ?」
と続けたのだ。
「ん……あるじゃないか。ボロいように見えるが、小屋の造りはしっかりしている。これだったら、魔法を連続で放っても百発までなら耐えられるだろう」
「だ、だからクルト! わたし達にはなにも見えないって!」
ララが声を荒げた。
ああ……そういえば、隠蔽の結界魔法が張られているのだった。
ララとマリーズには、小屋の影の姿も見当たらないだろう。
俺の場合、これくらいの結界なら、無意識下で魔力を分析してしまって、隠蔽をすり抜けるような形で目に映ってしまうのだ。
だが。
「クルト。シンシア、ちょっとだけ見えるよ?」
落印魔力であるシンシアの目には、俺と同じものが見えているらしい。
だが、シンシアの様子だったら、ぼんやりとしか見えていないだろう。
「みんなに見えなかったら、不便だな。ちょっと待ってて」
俺は二人にそう言って、小屋に向かって手の平を向けた。
そして背反魔法を発動。
パリン。
ガラスが割れた音が聞こえると同時、
「わっ! クルトの言った通り、本当に小屋だ」
「私……全然見えませんでした……」
小屋の周囲に張られている結界がなくなり、ララとマリーズも見えるようになったみたいだ。
「じゃあこのまま、アヴリルとご対面といこうか」
と俺が先頭に立って小屋に近付いた。
ドアに向かってノックしようと、軽く握った拳を近付けた時……、
「ほう……どうやら、この扉にもトラップが仕掛けられているみたいだ」
直前で手を引っ込める。
「え、どんなトラップ?」
「トラップだ。小屋のどこかに触れれば、毒ガスが噴出するようになっている」
「それってダメじゃん!」
「まあ、あまり大したトラップじゃないから、気にしなくてもいいだろう」
「って、クルト……気にしなくてもいいって……!」
ララが止めようとするが、俺は改めてドアを二回ノックした。
その瞬間、罠魔法が発動し、俺達に向かって緑色の毒ガスが襲いかかってきたのだ。
一息でも吸ってしまえば、一瞬で死に至る猛毒だ。
しかし。
「……反応がないな。もう一度ノックしてみるか」
俺は気にせず、再度ノックを続けた。
「えっ……? 毒……が出てるんだよね?」
「私達、どうして普通に息出来てるんでしょうか?」
「不思議……」
三人が戸惑ったような顔を見せる。
いくら猛毒であっても俺達まで届かなければ意味がない。
だから俺はノックする前に、毒ガスを防ぐように結界を張っただけのことだ。
これだけで毒を無効化出来る。
「トラップを解除するのも億劫だったからな。これくらいだったら結界で防げるから、気にせずノックしても問題ないと判断したからだ」
「横着しないでください! 寿命が縮んだ気がしましたよっ!」
怒られた。
しかし……小屋の周囲に張られていた結界、さらに毒ガスのトラップ。
これらはアヴリルが施したもの、と考えたらなかなかのもんだ。
相手が俺だったから全然通用しなかったものの、並大抵の魔法使いだったら最初の結界ですら見破れないに違いない。
それにただ結界を張るだけではなく、慢心せずにトラップも仕掛けている。
ここまで警戒を怠らない人間は、この時代でははじめて見た。
まるで『自分より強い者が、この世界にはいる』ということを分かっており、怯えているかのようだ。
ますますアブリルに会いたくなってきた。
「……やっぱり反応がないな」
だが、いくら扉をノックしても返事がくる気配はない。
おかしいな……。
確かに中から人の気配がするんだよな。
まさか居留守か?
「……そりゃあ、結界を破ってノック繰り返している人がいたら、警戒して出てこないよね」
ララがぼそっとなにかを呟いた。
「仕方ない。少々不躾かもしれないが、扉を開けさせてもらうか」
「今更な感ありますが……鍵がかかっているのではないですか?」
「も、もしかしてクルト! 小屋の壁を破壊する気!?」
「鬼畜」
「お前達は俺をなんだと思っているんだ」
嘆息する。
いくら俺でも、敵でもない相手にそんなことをするつもりはない。
ちゃんと扉から入らせてもらうのだ。
「まあ確かに鍵はかかっているな」
小屋の扉を押して、中に入ろうとする。
しかし扉はびくともしなかった。
どうやら物理的に鍵がかかっているのではなく、魔法で扉が施錠させられているらしい。
しかもなかなか複雑な魔法式だ。
だが。
「これくらい、俺なら簡単に開けられる」
魔法式を解析し、一瞬で解錠する。
……よし。これで開くようになった。
俺はそのまま扉をゆっくりと押した。
しかしぎいいと音を立てて、扉が少しだけ開いた瞬間、
「あっ! 誰かが飛び出していった!」
中から何者かが飛び出して、俺達を通り過ぎて走り去ってしまったのだ。
「逃げたか」
まあ仕方ない。
これだけ警戒心が強い相手だ。
魔法で施錠している扉が解錠されて、いきなり開けられたら真っ先に『戦闘』、もしくは『逃走』を選んでもおかしくない。
「クルト! なに一人だけ落ち着いているんですか!」
「速い……! シンシアも、相手の顔見えなかった。このままじゃ、逃げられちゃう」
マリーズとシンシアが言っている通り、中から飛び出してきた人物は風のように走り去っていき、その背中は既にすっかり小さくなっていた。
「追いかけるぞ、みんな。ちょっとだけ本気出すから、付いてきてくれ」
「ま、待ってよクルトっ! クルトがちょっとでも本気出したら……」
ララがなにか言いかけていたが、言い終わるのを待たずに俺は地面を蹴った。
身体強化魔法をいくつか重ね掛けする。
ソキヘマーの渓谷は足場の悪い地形だ。
それなのに、逃げた人物はまるで猿のようにして縦横無尽に走っていく。
どうやら相手も俺と同じように、身体強化魔法を使っているようだ。
「だが……俺から逃げられると思っているのか?」
相手が悪かったな。
あっという間に俺は逃げた人物に追いつき、前方に回り込んだ。
「!」
「相手が悪かったな」
それに驚いたのか、相手はバランスを崩し転んでしまいそうになった。
俺は彼女が地面に背中を打ち付けようとする瞬間、さっと手を入れて抱えあげる。
「お前がアヴリルか?」
すると。
「は、離せ! こんなうら若き女性触れるなんて、へ、変態だっ!」
俺の手の中で暴れる(おそらく)アヴリル。
そいつはなんと——可愛らしい幼女の姿をしていたのだ。