54・魔力の暴走
「早く保健室に!」
「バ、バカ! 魔力の暴走だったら、保健室に行っても治らねえよ!」
「誰か病院に行って、治癒士を呼んできて!」
校庭が騒然となる。
シンシアは膝を曲げ、地面に横たわりながら必死に息を「すー、すー」と吐いて耐えようとしていた。
その表情はとても辛そうで、見ているこっちが息が詰まりそうになってくる。
「ク、クルト! なんとかしてあげて!」
「言われなくてもそうするつもりだ」
ララの叫びに、俺は右手を挙げて答える。
屈んでシンシアの腹部に手を当てた。
……魔力を上手く扱えていない?
だが、背反魔法が使えるほどの使い手だ。
それなのに、魔力を暴走させてしまうことなんてあるのだろうか。
魔力の暴走……とは、本来体の中に流れている魔力が、なんらかの原因で淀み、本人に激しい苦痛等をもたらしてしまう症状である。
魔力を暴走させてしまう原因にはいくつかある。
その中の一つが、自身の魔力を扱うことが出来ないことだ。
この場合、現在のシンシアのように、本人の意思とは関係なしに魔力が外部に漏れだしてしまう。
止めどなく魔力が外に放出され、頭が割れるように痛く、体全体も締め付けられているような痛みに苛まれているはずだ。
「シンシア。聞こえるか?」
「聞こえ……る」
「よし。今から俺の魔力をお前に送り込む」
シンシアの首がコクリと縦に動いた。
「今、お前の中の魔力の流れはメチャクチャな状態になっているんだ。それを今から俺が整えてやる」
「……うん」
「俺は欠陥で、シンシアは落印だからな。魔力色が合ってないので、疲労感も強く出ると思う。だが、俺を信じて体を預けてくれるか?」
「うん」
シンシアが顔中を汗だらけにしながらも、なんとか頷いた。
よし。
彼女が俺を受け入れてくれなかったら、送り込んだ魔力が拒絶され、後遺症が残ってしまうかもしれないからな。
この問いは重要だったのだ。
「じゃあやるぞ」
「……!」
魔力を送り込んだら、シンシアの体がビクリと小さく震えた。
激流だ。
シンシアの中に流れる魔力が、まるで氾濫した川のようになっている。
「なかなか暴れん坊なヤツだな」
しかし俺は激流の中にあえて飛び込み、内部から整えていく。
本来このようなやり方は他人にはおすすめ出来ない。
暴走までしている魔力の流れに飛び込んでいけば、自分の魔力も引っ張られてしまうからだ。
この結果、二人とも魔力が暴走し取り返しのつかないことになってしまうこともある。
だが、俺は暴れ馬の手綱を取るようにして、激流を穏やかなものに変えていった。
「…………」
「どうだ? 落ち着いてきたか?」
「う、うん」
シンシアの表情が、だんだん柔らかいものになっていく。
ここまでくると安心だな。
後は仕上げだ。
細かな調整で、シンシアの魔力の流れを元通りにしていき……。
「はい。どうだ、これで痛みが完全になくなっただろう」
とシンシアから手を離したのだった。
すると彼女は上半身をむくっと起こして、
「う、うん……なにもない」
「成功みたいだな」
「でもこんなことってはじめて。これになったら、収まるまで耐えるしかないのに」
パチパチとシンシアは瞬きをした。
「おおお! またクルトがやっちまったぞ!」
「魔力の暴走って専門の病院に行かなきゃ、治らないんじゃ?」
「完治するわけじゃないよ。ただ病院では魔力暴走に対する痛みを、少しだけマシにしてくれるだけだから」
周囲から他の生徒の声が上がる。
この様子を見る限り、この世界では魔力の暴走への治療方法が、ただ我慢するだけしかないようだ。
それにしても……。
「こんなことは、はじめてか? もしかして……シンシア。魔力を暴走させたことは、何回もあったりするのか?」
俺の問いかけに、シンシアは口を閉じたまま頷いた。
「いつからだ?」
「もっと小さい頃から……でもあまり覚えてない」
「どういうことだ?」
「シンシア。子どもの頃、あまり記憶がないから」
シンシアが伏し目がちになって言った。
記憶がない……?
シンシアの様子から、単純な話ではなさそうだ。
俺が最初、シンシアの魔力を見た時に感じた違和感。
なにか抜け落ちているような……シンシアの魔力が完全じゃないような……。
そこになにかあるような気がする。
「シンシア、聞いてくれ。この魔力の暴走なんだが……シンシアはどうしたいと思う?」
「え?」
「一生このままでもいい、っていうならシンシアの人生だ。俺が口をはさむ気もない。だが、ちょっとでも魔力の暴走を抑えたいと思ってるなら……俺を信じてくれないか?」
問いかけると、シンシアは戸惑ったような表情を見せて、さらに顔が俯いた。
「魔力の暴走……治るの?」
「俺に不可能なんてない」
「……魔力が暴れるたびに、とっても痛い思いもしてきた。魔力の奔流に巻き込んで、他人を傷つけたりもした。だからシンシア……これが治るなら、頑張りたい」
とシンシアは顔を上げた。
その瞳には先ほどの弱々しい光ではなく、確固とした強い炎が宿っているように見えた。
決まりだな。
「よし。まずシンシアの魔力の暴走。それはシンシアの魔力の欠落にあると思う」
「クルト。どういうことですか?」
《ファースト》クラスとして一緒に授業に参加していたマリーズから、質問が飛びだした。
「魔力が変に抜け落ちているから、上手く扱うことが出来ないんだ。この欠落をなくしてやれば……シンシアいわく、定期的に起こる暴走を食い止めることが出来ると思う」
「ですが、欠落とはどういう意味ですか? ただ魔力を消費してしまって、残り少なくなっている……ということじゃありませんよね」
「ああ」
魔力というものは消費すればなくなるものだが、時間の経過とともに回復していく。
だが、シンシアにある魔力の欠落については、ただ放置しているだけじゃ回復しそうにないのだ。
「しかし……詳しいことは俺にもよく分からん。こんな症状はじめて見るからな」
「クルトにも分からないことなんてあるんですか……?」
「だが、調べれば分かるだろう。言っただろ。俺に不可能はないって」
「でもどうやって……」
「シンシアの記憶だ」
1000年前でも、このような不思議な現象は見たことがなかった。
シンシアいわく、子どもの頃の記憶をあまり覚えていないらしい。
つまり魔力とともに、記憶さえも欠落してしまっているということだ。
その失われた記憶に……彼女の魔力欠落のヒントもある、と俺は考えた。
「でも……なくなった記憶なんて、どうやって取り戻せばいいのー?」
今度はララから質問が飛んできた。
「いくつかある。過去に戻る……という方法もあるんだが、今回は別の方法を採る」
「か、過去に戻る? あなたは一体なにを言ってるのですかっ!」
マリーズが驚く。
しかしまだ過去に向かって遡行する魔法を使うには、この体では魔力が足りなすぎる。
それでも五年前なら遡ることも出来るが、時間軸に干渉することは不可能だろう。
記憶が完全に消されてしまっているなら、また別の方法も考えなければならないのだが、それは考えにくい。
1000年前においても、記憶を完全に抹消出来る……ヤツなんて片手で数えるほどだったからだ。
それも必ず成功するわけではない。俺でもせいぜい50%ほどだっただろう。
ゆえに大抵は記憶を消しているのではなく、奥深くにしまいこんで思い出せないようにしているだけだ。
ならば……。
「クルト? あなたはなにを言っているのですか?」
「端的に説明しよう」
俺はシンシアの方を見ながら、こう続けた。
「今からシンシアの記憶に潜り込む」