コミカライズ4巻発売記念短編・身代わり俳優(下)
石後千鳥先生によるコミカライズ四巻、発売中です。
そして舞台当日。
街の中にある劇場で舞台は開かれた。
劇場は満員御礼。
うむ……まだ始まってすらいないが、みんなアベルを目的にして集まったらしい。人気者だな。
「クルト、台詞は覚えた?」
「あなたの記憶力なら、問題なさそうですがね」
舞台が始まる前、俺は舞台袖でララとマリーズの二人と言葉を交わしている。
「もちろんだ。魔導書を一冊暗記することに比べたら、たかが台本の台詞を覚えることなど容易い。台本の内容は自分の台詞だけではなく、全て頭に入っているよ」
と米神を軽く指でコツンコツンと叩く。
「さっすが、クルト〜。だったら安心だね!」
「私はそういうところを心配しているわけではないのですが……」
テンションが高いララの一方、マリーズは昨日からずっと浮かない顔をしていた。
「うむ、なにをそんなに心配しているか分からないが、大船に乗った気分でいろ。それよりも……」
観客席の方へ探るように視線を移す。
「クルト? どうしたの、怖い顔をして」
「いや、なんでもない。気になることがあるが、考えすぎだろう。舞台が始まるのを前にして、気分が昂るのは自然なことだしな。なんにせよ、その気になればすぐに対応出来る」
「?」
俺の言っていることが分からないのか、ララは可愛い顔をして首を傾げた。
二人と会話をしていたら、とうとう舞台が始まりそうになった。
「そろそろだな……では行ってくる」
「頑張ってね〜!」
元気よく手を振るララに笑顔で応え、俺は舞台の上に立った。
ここからでも劇場を埋め尽くさんばかりの観客が、見て分かった。
これだけいると圧巻だな。
この大人数を前に普通なら浮き足だってしまうところだが……俺はそうはいかない。
今までこれ以上の数の敵勢を相手にしたこともある。
なにを今更、慌てふためくことがあるのだろうか。
──舞台はつつがなく進行していった。
今のところ、トラブルはない。
無難に台詞を読んでいく俺に、舞台袖でマリーズが安堵の息を吐いているのが目に映った。
「アーク! 危ない!」
アーク──というのはアベル……つまり俺の役名である。魔法使いの男で、数千もの魔法を使いこなす大魔導士という設定だった。
魔物に扮した着ぐるみを着た人間が、俺に向かってくる。
確か……台本によると、アークである俺はここでファイアースピアを放ち、魔物を倒すのだ。
それ以上の具体的なことは台本に書かれていなかったが、本当にファイアースピアなんて放っていいんだろうか?
『立っているだけでオッケー』とアベルの書き込みもあったが……いまいち意味が分からない。
取りあえず、ファイアースピアを放とう。
ゴオオオオオオオ!
ファイアースピアは見事、魔物──の着ぐるみを着た人間に命中する。
「ア、アベル君!? な、なにをしているんだ! っていうか、魔法なんて使えたのかい?」
俳優の一人が慌てて、俺に駆け寄ってくる。
「俺はただ、台本に書かれていた通りにファイアースピアを放っただけだが?」
「本当に魔法なんて放つ必要なんてなかったのさ! そこは照明で魔法を放った演出にする手筈だったのに!」
「うむ……それはすまないことをした。だが──」
俺が前を指差すと、ファイアースピアが直撃したはずの魔物(着ぐるみをきた人間)は、ピンピンとしていた。
『え? え?』と言わんばかりに、右に左へと顔を動かしている。
「当たる直前に結界魔法を張った。まさか、ファイアースピアで消し炭にするわけにもいかないだろう」
そもそも俺がファイアースピアを本気で放てば、今頃この劇場はなくなっている。
そうなれば舞台どころではないだろう。
百分の一に出力を加減し、なお結界魔法で相殺したおかげで、魔物は無傷だった。
「な、なんで結界魔法なんてものも使えるのさ!? どちらにせよ、こんなんじゃ観客は舞台どころじゃなくって──」
と彼が続けようとした時──劇場が割れんばかりの拍手と喝采が起こった。
「あれ……?」
なにが起こっているのか分からないのか、きょとんとした表情をする彼。
耳を澄ませてみると、「すごい!」「カッコいい!」「さっすがアベル君!」「今日の舞台は凝ってるな〜」「本当に魔法で攻撃したように見えたね!」というような声が聞こえてきた。
「なにか問題でも?」
「いや……盛り上がっているならいいんだ」
腑に落ちない表情をして、その俳優は自分の持ち場に戻っていった。
──その後も会場は大盛り上がりだった。
「あ、雨が!? どうして建物内なのに雨が降るんだ? けど……なんでか濡れてないし」
「雷はどう説明がつく!? とても演出とは思えない!」
俺が次から次へと繰り出す魔法に、観客は度肝を抜かれていた。
「マ、マリーズちゃん!? 倒れないで!」
「ああ……やっぱり、こうなってしまった……」
舞台袖に視線を移すと、卒倒するマリーズをララが慌てて支えていた。
どうやら、疲労で倒れてしまったぽい。
見ているだけだというのに、どこに疲れるところがあったんだ?
しかし心配だ。
演技をする傍ら、マリーズに治癒魔法をかけておいた。
過保護すぎかもしれないが、これで大丈夫だろう。
舞台の盛り上がりは最高潮。
このままいけば、無事に任務を遂行出来ると思うが──。
「おい、てめえら! 今すぐ舞台を降りやがれ!」
──そうは簡単に幕は降りなかった。
物語もクライマックスに差し掛かってきた時。
突如として観客の一人が立ち上がり、大きな声を発したのだ。
男の手には剣が握られている。
テロリストか?
観客は一瞬静まり返ったのち、男が持つ剣に気付いて、「きゃーっ!」と悲鳴が上がる。
「ひゃっひゃっひゃっ! 全部メチャクチャにしてやる! そうなったら、アベル──てめぇの俳優人生もお終い……あれ?」
男はなにやら喚いていたが、その手に持っている得物が変わっていることに気付き、目を丸くした。
「これは……パン? どうして? オレ、ちゃんと剣を持ってきたはずなのに……」
「魔法で剣をパンに変えて、無力化したんだ。貴様がなにを考えているか分からないが、拘束させてもらう」
転移魔法で男の前まで移動し、拘束魔法を発動。
男の持っていた長細いパン──元々は剣だったものが床に落ち、男も身動きが取れなくなっていた。
「舞台が始まる前から、ずっと殺意を放っていたな? 殺意と期待の感情は似通っているため、確信は持てなかったが……やはり良からぬことを考えていたか」
「て、てめぇ……オレの殺意にずっと気付いてやがったのか!? こんなに観客がいるのに?」
「無論だ」
こんな戦いの技術も知らないような素人の殺意。
完全に高まった瞬間なら、森の中で一本の木を見つけるより簡単だ。
俺が男を組み伏せると、今日一番の歓声が起こった──。
◆ ◆
後日談。
どうやら凶行を引き起こした男は、アベルに前々から恨みがあった者らしい。
彼は売れない舞台俳優で、今をときめくアベルに負の感情を高まらせていた。その感情をこじらせ、今回の事件を起こしたということだった。
まあ……俺にはそんな事情、どうでもいい。
トラブルが起きて舞台は中止になりそうだったが、それは俺が反対した。
『舞台の演出としては、最高だったではないか。このまま観客を帰らせては、よくないのでは?』
……と言って。
このまま中途半端に舞台を終わらせるのは、あまりにもったいなかったからな。
男がすぐに取り押さえられたことも上手く働いたのか、十分程度の小休止を挟んでから、舞台は再開された。
無論、幕が降りるその時まで劇場が大盛り上がりだったのは言うまでもない。
舞台俳優や裏方のスタッフには、何度も何度も感謝の言葉をかけられた。
まあ、彼らは『俺』ではなく『アベル』に言っているだけだがな。
こうして、舞台も無事に終わり、アベルも一日だけ休みを満喫した。
全員がハッピーエンドで終わるところだったが──。
「アベルさん、先日の舞台をきっかけで人気に拍車がかかったみたいだね」
一ヶ月後。
あの舞台の興奮も記憶から薄れきた頃、ララからそう教わった。
「先日の舞台……というと、俺がアベルの身代わりとして立った舞台だな?」
「うん。仕事も今まで以上にいっぱいいっぱいになったみたいだよー」
「休みが欲しいから、クルトに代わってもらったのに……さらに忙しくなるのは、果たしてアベルさんにとって、いいことだったのでしょうか……?」
マリーズもそう疑問を発する。
……うむ。
舞台俳優として仕事があるのは良いことかもしれないが、アベルの忙しさはまだまだこれからのようだ。
石後千鳥先生によるコミカライズ四巻、発売中です!
全国の書店・電子書店などにてお買い求めくださいませ。