108・お灸を据える
とある日。
特になにもするわけでもなかったが、街中を散歩していた時のことだ。
「ん……あれは?」
街中でアイリーンを見つけた。
アイリーンは先日のケンタウロスキングの件で出会った少女だ。
「しかしなにか落ち込んでいるようだが?」
肩を落として、元気がなさそうに歩いているアイリーン。
その足取りはふらふらで、所々通行人に当たりそうになっていた。
「アイリーン、どうしたのだ。元気なアイリーンにしては珍しいではないか」
「あ、クルトさん……」
アイリーンに呼びかけると、彼女はたった今気付いたかのように顔を上げる。
おかしな話だ。
いくら人混みの中とはいえ、ちゃんと顔を上げていれば気付くだろうに。
俺のことが目に映らないほど、なにか懸念事項を抱えているといったところか。
「『さん』付けはしなくていいぞ。そんなことされたらむず痒い」
「え……あ、うん、そうだね。クルトって呼ばせてもらうよ」
アイリーンは心ここにあらずといった感じだ。
ますます気になるな。
「それで……どうしたのだ。なにかあったのだろう?」
「へへ、クルトにはお見通しみたいだね。でもこれはボクだけの問題。クルトに言っても、どうしようもないと思うから」
「うむ……」
アイリーンはなにを言ってるのだ?
「どうしようもない? 俺に出来ないことがあると思っているのか」
「え?」
「気にせず話してみるといい。話してみるだけでも、気が休まるものだしな」
それに『クルトにはどうしようもない』と言われて、俺の中の変なスイッチが入ってしまった。
俺がそう言うと、アイリーンはとつとつと語りはじめた。
「えーっとね……前のケンタウロスキングの報酬金があるじゃん。あれをアシル達と山分けすることになったんだ。ボクだけのものじゃなかったから……」
「アイリーンが独り占めしてもいいと思うがな。あの男達ははただの足手まといだったし」
「そういうわけにもいかないよ」
「……まあ良い。それでなにかトラブルがあったようだが」
「はは、クルトはなんでもお見通しだね。その通りだよ」
アイリーンの口から自嘲めいた笑いがこぼれた。
「アシル達と山分けした残りの分。それだけでもボクにとっては大金だったんだけどね。でも昨日の夜、それを奪われちゃったんだ」
「なに?」
「山分けする時にも『なにを言っている? 一番勇敢に戦ったのはオレ達じゃねえか!』ってちょっと揉めたしね。でも、諦めてくれたと思ったんだけど……」
アイリーンいわく。
昨日、宿屋の部屋で寝ていると、夜分にアシル達が忍び込んできたらしい。
そこはアイリーンも冒険者だ。なんら隠蔽魔法も施していないアシル達に気付き、すぐに応戦したらしい。
しかしいくらアイリーンでも、男三人を相手にするのがつらかったのか、抵抗空しく強奪されてしまった……ということであった。
「完全な窃盗ではないか」
「そうだね」
「自警団に言えばいいのでは? 王都の自警団は優秀だと聞くぞ」
「ううん」
アイリーンが首を横に振る。
「アシル達も、他の街からやって来たかなり強い冒険者達だったからね。自警団の人達じゃじゃ勝てないよ。ギルドに言って、指名手配にしてもらう方法もあるんだけど……はは、なんかボク疲れちゃった。今回のことは高い授業料だと思って、諦めようと思ってるんだ。元はといえば、クルトがいなかったら、あのお金も手に入れることも出来なかっただろうしね」
そうは言っているものの、アイリーンの声には覇気がなかった。
アシル達にお金を盗られてしまったのは、アイリーンの落ち度であろう。
もしここが1000年前なら、金銭を奪われるだけではなく、口封じのためにアイリーンは殺されていた。
そう思えば、アシル達もまだまだ甘い。アイリーンも命があるだけで儲け者だと思わなければならない。
しかし。
「胸くそ悪い話だな。仕方がない」
俺はアイリーンの手を取り、彼女と共に歩き出した。
「行くぞ」
「え、どこに?」
決まっている。
状況が呑み込めていない彼女に対して、俺はこう続けるのであった。
「お灸を据えに、だ」
◆ ◆
探知魔法で探ると。
アシル達は馬車に乗って、丁度王都から逃げ出そうとしている時であった。
「はっはは! あの甘ちゃん、ちょろもんだぜ!」
「そうだそうだ、まさかあの実力で護衛も雇わないとは!」
「これだけあればしばらくは働かなくても大丈夫だな!」
アシル達はゲラゲラと笑いながら馬車に乗り込もうとしている。
元々王都の冒険者でもないのだ。
ここを離れ、しばらく悠々自適に暮らすつもりだろう。
しかし。
「随分楽しそうだな」
それを許す俺でもない。
今にも出発しようとする三人に向かって、俺はそう声を発した。
「て、てめえは……!」
アシルは俺を見るなり愕然とする。
「ケンタウロスキングに無残にやられたというのに偉そうなものだ。もう傷は癒えたのか。故事で『悪者は生命力だけはしぶとい』とあるが、よく言ったものだ」
「ほざけ!」
「おい、てめえ等全員でかかるぞ!」
「三人もいれば、子ども一人くらいなら倒せるはず!」
少し挑発してやると、アシル達は剣を抜いて一斉に襲いかかってくる。
実力の違いもまだ理解していないとは。
とことん救いがないらしい。
このまま軽く一捻りしてやってもよかったが、それだけでは少し芸がない。
「ナイトメア」
そう呟き、俺は幻覚魔法を発動させた。
すると今まで偉そうだった三人の動きが突如止まり、キョロキョロと顔を動かしはじめた。
「うわあああああ!」
「どういうことだ!? どうしてケンタウロスキングが街中に現れる!?」
「しかも一……五……じゅ、十体だと!?」
そして悲鳴を上げ、恐慌状態に陥る。
今彼等はケンタウロスキングに囲まれている『夢』を見ているのである。
簡単には覚めぬ悪夢であるがな。
「そこで反省しておくがいい」
アシル達がぎゃあぎゃあ騒ぐものだから、周囲にいる人々からも注目が集まった。
「なにあの人達? なにもないところで騒いでいる」
「なにやら魔物が出たと言っているが?」
「ははは、バカだな。そんなのどこにもいないってのに」
みんなは道化のように振る舞うアシル達を見て、笑ったり、蔑んだりしていた。
「ケンタウロスキング十体、全員倒せば悪夢から覚めるかもしれないぞ。頑張るといい」
夢の中で戦っているアシル達を放って、馬車のもとへと向かう。
そこにはアイリーンから奪ったであろう金銭が置いていた。
俺はそれを奪い返し、アシル達の前から去るのであった。
◆ ◆
「……ということがあった」
アイリーンに金を返して。
彼女にアシル達との顛末を話していた。
「本当にありがとう! でもアシルさん達は……」
「ああ、おそらくあの調子だと冒険者稼業なんてやってられる場合ではなくなるだろうな。それくらいのお灸を据えても罰は当たらないだろう」
「う、うん」
そう返事はしたものの、アイリーンの表情は浮かない。
アシル達の身を案じているのだろうか。
いや、この調子だと……。
「どうした、アイリーン。自信でも失ってしまったか?」
俺が質問すると、アイリーンがハッとした顔になった。
「……やっぱりクルトはなんでもお見通しだね。その通りだよ。ろくに魔物も討伐出来ないで、挙げ句の果てにはアシルさん達に裏切られる。ボク、これから冒険者としてやっていけるのかなって」
「うむ」
うつむ加減のアイリーンの頭に、俺はポンと手を置いた。
「そうやって自信を失う時もある。しかし俺が見る限り、アイリーンは磨けばまだまだ伸びていきそうだと思うんだがな」
「で、でも……」
「そういう時には……本業を忘れて、余興を楽しむことも一つの手だろう」
そう言って、俺はポケットからとあるチケットを取り出して、アイリーンに渡した。
「これは?」
「クレープの引換券だ。俺はロザンリラ魔法学園の生徒だからな。文化祭で出店を出している」
「え、えええええ! クルトって学生だったの!? 冒険者じゃなかったの?」
「そういえばまだ言ってなかったな」
俺は文化祭が行われる場所、そして《ファースト》クラスのことなどを軽く教えた。
するとアイリーンはパッと顔を笑顔にして、
「うんっ! 絶対に行かせてもらうよ! ボク、甘いもの大好きだからねっ!」
と嬉しそうに声に出した。
なかなか賑やかな文化祭になりそうだ。