電車
殴られた腹が、ずきりと痛んだ。タバコの臭いに肺がいっぱいになっていて、渇いた口の中はヤニの味がするみたいで。酷く、気だるかった。
見上げた電光板は3分で電車が来ることを示しているが、どうにも足の裏がふわふわとして覚束ない。早く、電車の中に入りたかった。
働かない頭で見下げた画面、端末にはSNSのタイムラインが流れている。誰も彼もが幸せそうで、妬ましいよりも羨ましいと思った。
どうしてぼくは、こんな目に生まれたのだろうか。
乗った電車、座席に座ったところで、ふと顔を見上げる。地下を走る電車の黒い窓ガラスに、ぼくの顔が写っていた。イヤホンを付けた対面の人は、下を向いて二台の端末を交互にいじっている。
窓ガラス越しにも分かる、異形。彩度を下げて色の種類を少なくしたそこに、蛇の隻眼をした男が映っていた。瞼のない、針のような瞳孔をした片目の男が、こちらを見つめていた。
イヤホンの男と目があった。睨みつけられたので、ぼくは慌てて床を見る。苛立たしげに座席下の金属格子を蹴りつけるのが、当て付けがましくて、酷く恐ろしい。何せぼくは、ここでこの男に殴りかかられたとしても、「仕方ない」で済まされる身分なのだ。
この日本は、純人間の国だ。ぼくのような亜人に対する世間の目は、あまりにも冷たい。村八分もいいところだ。
がたん、と電車が揺れたその時、隣で居眠りをしていた女性の、その頭が肩に落ちてきた。ぼくは努めて前を向いて、間違ってもその顔を覗き込まないようにした。
女性が姿勢を戻した辺りで、「わっ」と小さな悲鳴が聞こえた。蜘蛛か百足を見た時の、あの反応に良く似ていた。
丁度電車の扉が開いたので、ぼくはそのままホームに降りて、プラスチックのベンチに座る。フードを目深に被って、俯いて、ひたすらに次の電車が来るのを待っていた。
端末の電源を付けてみる。みんなは幸せそうにしていた。殴られた腹がずきずき痛むのも合わさって、肺に残ったタバコの煙に、酷く噎せそうだ。
ぼくのような見た目の良くない亜人は、不良の度胸試しに打ってつけらしい。それだけの話だ。
手持ち無沙汰、眼帯のガーゼの端を指で触って、撫でていた。柔らかな綿の感触がした。悲しかった。
ホームに電車が入った電子音に、ハッとした。ぼくは俯いたまま、ツカツカと車両の床を歩いて、あまり開かない方の扉の隅に、猫背になっていることにした。近くの扉に顔が写らないように、何もない壁を眺めている。
電車の揺れが、痛みに酷く響いた。