「白い面」(夏のホラー2018投稿作品)
これは昔、私が親の都合で富士の裾野にある小さな町に住んでいた頃の話です。
東京生まれでろくに雪も見た事がない私にとっては、神奈川県や静岡県の田舎風景というだけでまさしく“秘境”、ほんの小さな林に入っただけでも“大自然”でした。
とにかく見るもの全てにカルチャーショックを感じていました。夏には新緑に染まる箱根の山に目を奪われてぼうっと眺めては過ごし、秋には富士山に沈む夕日を見に毎週のように父親に連れられ。冬にはまた一面の雪景色に見惚れて。
綺麗な湧き水の中に沢蟹を見つけ、岩をひっくり返してはウネウネ動く大きなヒルに叫び声をあげ、一面のススキを掻き分けて迷路を作り、学校帰りには靴が濡れるのも御構い無しに川へ入って。
耳に残るカエルの声
秋の虫の大合唱
ブヨに刺されて腕がパンパンに腫れ上がった事も
すべてが大切な思い出です。
小学校三年生から高校を卒業するまでのほんの十年しか住んでいませんでしたが、その小さな田舎町は私の人生においてとても大切な時間を与えてくれた場所でした。
…
転校直後、私はいじめられていました。
東京モノが目障りだったのでしょうか、方言が使えない私は気取っているとか生意気だなどとよく言われてクラスメイトから除け者にされていました。
そんな時、一人だけ仲良くなってくれた友人がいました。
仮に名前をFとしておきます。
正義感が強く、学校の成績も良かったFだけは私をいじめるような真似はせず、私たちはすぐに仲良くなり、いつも一緒にいるようになりました。
Fが友人になってくれてからは私も少しずつこの土地に馴染めるようになり、やがていじめられる事もなくなりました。
本当に彼には感謝しています。
けれど彼にはちょっと変わった癖がありました。
言うならばFは“見える友達”でした。
霊とか妖怪とかそういった類のものが見えるらしく、よく私を驚かしてはニヤニヤ笑っていました。
一度Fに「怖くないの?」と聴いた事があるのですが、
「こちらから何かしない限りは何もしてこないよ。下手に手を出さなきゃいいんだ。ヤマカガシと一緒。」
と、言ってまた「ほらあそこにも。」などと私を怖がらせては楽しむ悪い癖があるのでした。
気の小さい私は蛇でも幽霊でも驚くので、彼にとってはどちらでもよかったのかも知れません。
そんなFとは高校を卒業するまで共に過ごして色々と奇妙な経験をする事になりました。その中で彼が一度だけ「本当にヤバい」と言った出来事があります。
これはその時の話です。
昔の話なので私の中でも多少の誇張が生まれてしまっているかも知れませんが、可能な限り見たままを書きます。
…
あれはかなり寒い頃の出来事でした。
確か、私の記憶では雪がまだかなり残っていました。
田んぼの稲刈りが終わるとこの地域は裏作で田んぼに水菜を植えます。水菜とは呼んでいますがいわゆる京菜ではなく水かけ菜です。その収穫がまだだったはず。そう考えると一月か二月だったかも知れません。
私とFはその日、裏山へと探検に行きました。
Fは「見せたいものがある。」と、言っていました。こういう時、彼はいつも私を驚かせるような大発見を見せてくれます。私は小学校から帰るとランドセルを家に放り投げて彼の家に向かいました。
裏山、と、言っても土地に疎い私はどこに連れていかれたのかよくわかっていません。彼の後を付いていっただけです。
道もうろ覚えです。道中にあった、萎びた実がもう数えるほどしか残っていない、まるで枯れたような柿の木が記憶に残っています。
舗装されていない山道にはまだかなりの雪が溶けずに残っていました。
途中で農作業をしていたのであろうお爺さんともすれ違いました。まだ長靴には新しい泥が付いていました。水かけ菜の田んぼから出てきたばかりだったのかも知れません。この辺りでは良く見かける光景だったのでその時は何も不思議に思いませんでしたが、後から考えるとそのお爺さんも不自然でした。
だって、山の中ですよ。
田んぼなんてあるはずないのに。
私たちは山道から外れ、獣道のような細い道に入り山を登って行きました。ザクザクとした雪の感触を確かめながら私たちは細い道を分入って進んで行きます。生まれた時からこの土地で遊び慣れているFにとってはそれはもう慣れたものなのでしょうが、私は足を取られ、滑らせて転びそうになりかなり苦労しながら登りました。
Fが見せたかったもの、それは一本の小川でした。
本当に小さな小川です。半分凍った水が石の先で小さなつららを作り、出どころの小さな池では砂を巻き上げて湧き水が吹き出ていました。
春を待つ小川は澄んでいて、ただチョロチョロと控えめな音を立てて流れていました。
それはまるで箱庭のような小さな景色でしたが、光が差し込む林の中で輝く小川は本当に綺麗で、私はしばらく見惚れていました。
Fは池の水をすくって「あー、冷てー。」と美味しそうに飲んでいました。私はそこまでの勇気はなく川の水に指を浸した程度でした。
半分凍った川の水は本当に指先が痺れるほど冷たかったのを覚えています。
小川の横は少し開けた場所になっており、そこには雪に埋もれて古いお墓が四本立っていました。お墓の後ろには小さな赤い鳥居があり、さらにその後ろにこれまた古いお堂のようなものが建てられていました。
こういった小さなお墓や道端の道祖神などもこの辺りでは珍しくもありません。
私はそんなものよりも季節外れの川遊びに夢中になっていたのですが、Fはそのお墓と後ろのお堂に興味を持ったらしく「ふーん。」と言いながらそのお堂に近づいていきました。
どうやら私をここへ連れてきたFも始めてそのお堂の存在に気がついた様子です。
お堂は中心に座しその前に鳥居。そしてその左右にお墓が二本ずつ左右に建てられていました。
「なんかいるの?」
あまりにもFが興味を示すので、私はまた何か見えたのかと思ってそう尋ねました。
「うんにゃ、何もいない。」
ふざけたいつもの返事が返ってきて私はほっと胸をなでおろしました。
「でもなんか変だと思わないか?」
「?、何が?」
そう言われても私にはなんのことやら、です。
「鳥居あるだろ?神社の鳥居。そうそう、これ、この赤いの。これってさ、神様の通り道に立てるもんなんだよ。」
「ふーん。」
「大抵の神社はそこが通り道になっていて、そこを通って神様が出入りするわけ。だから本当は鳥居の真ん中を歩いちゃいけないんだよな。だってそこは神様の道なんだから。人間は端っこを歩いて神社まで行かなきゃいけないんだ。」
「へえ、そうなんだ。」
彼はたまにそういった知識も披露するのですが、当時の私は正直に言ってそこまでの興味はなく、いつも話半分にしか聞いていませんでした。
しかし、この時の言葉は強く記憶に残っています。
「だからこれは本当におかしい。だって道の先が川?こんなのは有り得ない。神様の扱いとしてこんな事は有り得ないんだ。」
私にもFが何を言わんとしているのかはすぐに伝わりました。
「だってこれじゃ出られないし入れない。ここに祀られているのが神様なら、こんな事は絶対にしてはいけないんだ。」
急に真剣な顔でそう語る彼が妙に怖くて背筋に震えが走りました。
彼は小声で「おかしい、おかしい。」と呟きながらお堂をの周りをウロウロして眺めています。それ以上口にはしませんでしたが、その視線から(これはなんだ?)と疑問を感じている様子が見てとれました。
私には神様が出入りしているなんて理屈も実はよくわからなかったのですが、しかしそう言われてみると、古い小さなお堂は妙に不気味に思えて、ただでさえ寒い山の中の空気がさらにピンと張り詰めたような緊張感に包まれました。
もう、日が陰っていました。
オレンジ色に染まった陽の光が私たちに夜が近いことを教えてくれていました。
木々の影はさらに暗く、みるみるうちに森を染めていきます。
「そのお墓も変?」
私は恐る恐る尋ねました。そういったモノに疎い私はお墓イコール幽霊に思えてそちらの方がもっと怖かったのですが、
「いや、これは普通。たまたま立てちゃっただけだろ。」
Fはそう言うとお墓に積もった雪を手で払い落としてあげました。本当に何もいない様子で私はまたホッとして笑顔を見せて顔を上げ、
そして、あれを見つけたのです。
「なに?あれ?」
私が指差した場所、少し離れた森の中に変なものが浮かんでいました。
それは能や歌舞伎で使うような白い面でした。
「ん〜?」
Fは私に言われるまま振り向き、
そして凍りつきました。
あの時のFの表情は忘れられません。頭が良くていつも自信たっぷりに振る舞うFが、その時は眼を見開き、真っ青な顔をしてその面を見つめていました。
「なに?あれ?」
私はもう一度尋ねました。よく見るとそれには黒い体の部分も見えます。
誰かが少し笑ったような白い面をつけてじいっとこちらを見ていたのでした。
「Y。」
Fは小声で私の名前を呼びました。
「見えるのか?」
「うん。」
私はゆっくりと頷きました。
「逃げろ!!!」
そう叫ぶとFは一目散に山道を駆け下り出しました。
私は何が起きたのかも分からぬまま、Fの必死な剣幕に突き動かされるように後を追って来た道を引き返しました。
「何?!何?!」
「振り向くな?!ぜったい振り向くな!!」
途中で喋ろうとした私を、前を走るFの怒鳴り声が塞ぎました。
何が起きたのかさっぱり分かりません。
しかしあの面をつけた人(?)が追いかけてきているような気がして
もうすぐ真後ろまで迫ってきているような気がして
まるで首筋にあの面の息遣いが聞こえてくるような気がして
私たちは生きた心地もせずに、ただもう必死に山道を駆け下りました。
私もFも体育はそれほど得意ではありませんでしたが、その時のFの足の速さは異常とも呼べるほどでした。それだけ必死だったのだと思います。
ふと、走るFが何やら呟いているのが聞こえたのですが、それは
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。」
Fは走りながら小声で一生懸命、何かに謝っていました。
恐らくはあの、白い面に。
私たちは転がるように獣道を抜けて、車が通れる道に飛び出しました。私はもう息が限界で、その場でしゃがみこんでハアハアと息継ぎをしていました。そんな私の二の腕を掴んで支えてくれながらFは、
「もう大丈夫だろ、ここまでくれば。」
と、呟きました。
その時です。
「お前ら、大丈夫か?」
と、暗がりから声がかかりました。あたりはもうすっかり日が落ちて、遠くの街灯以外明かりもありません。その人物はまるで暗闇の中に潜んでいたようで私はまたビクッと体を震わせました。
それは行きにも出会った、あの農作業をしていたお爺さんでした。
「だ、大丈夫です。」
Fが答えると、
「そうかそうか、お前らの帰りがあんまり遅いもんで心配になってきてみたら、まあ、大変だったようだな。」
そう言って優しく笑ってくれたお爺さんに、やっと人心地ついて、私はますます力が抜けてヘナヘナと座り込みそうになりました。
が、そんな私をFはグッと引きとどめました。掴まれた二の腕が痛いくらい。Fは思いっきり持ち上げて私を立たせようとしていたのです。
「大丈夫です。何もありませんでしたから。」
Fは呼吸を整えながらそう言いました。
するとお爺さんは笑顔のまま、
「お前たち、な に か 見 た の か ?」
と聞いて来ました。
気のせいか遠くの蛍光灯の明かりのせいか、お爺さんの顔は暗闇の中でぼうっと白く浮かび上がっているようにも見えました。
「見てない!なにも見てない!」
Fはお爺さんの言葉を遮るように答えました。その語気の強さには私が何か余計なことを言わないように、という意味がこもっていました。
もちろん口を聞く余裕なんてなかったのですが。
するとお爺さんはまたにいっと笑って、
「そうかそうか、なにも見ていないか。
ならばお前たち、
も う こ こ へ 来 て は い か ん ぞ。」
と、言いました。
その言葉を聞くや否や、Fはまた逃げ出すように山道を駆け出し、私は腕を引かれるまま後をついて行きました。マラソン大会の時よりもどんな時よりも息が苦しかったのですが、Fはバス通りに着くまで決して歩かせてはくれませんでした。
…
その後、私たちはこの出来事をしばらくの間口にしていませんでした。
正直なところあれは何だったのかとFに聞いてもみました。しかしFは決してあの時のことを喋ろうとはしませんでした。
「いいか?Y。」
ある時、しつこく尋ねる私に真剣な顔を向けてFは言いました。
「今回だけは本当にヤバかった、俺たちは何も見てない。見てないから生きてるんだ。俺も今まで何度も変なものを見てきたけど、今回ばかりはどうにもこうにも参ったね。
いいな、Y。
俺たちは何も見てない。いいな。」
Fは真っ直ぐに私の目を見て、私が「うん。」と頷くまで「いいな?」と繰り返しました。
そしてFは口を閉ざしてそれ以上説明してはくれませんでした。あれが何だったのかFには分かっていたようです。最後にFは少し大袈裟に身震いして「山は怖えな。」とだけ呟きました。
…
あまり怖くなかったかも知れませんが、これが数十年前に私が見た出来事の全てです。
もちろんあの時以来あの小川には行っていません。あれが何なのかは今でも謎です。いわゆる土地神様だったのか?それとも私に見えたくらいなので幽霊などではなく実体を持つ変質者だったのか?本当の山の怪異だったのか?お堂に関係があったのか?Fは最後まで口を噤んで教えてはくれませんでした。
しかし後から思い出してみれば、途中で出会ったお爺さんが一番怖かったかも知れません。
途中でも書きましたが、田んぼも無いのに長靴で、というのも不自然な気がしますし、後をつけた訳でも無いのにタイミング良く現れすぎたような気がします。
それに私たちが見た白い面、当時はわかりませんでしたがよくよく思い返してみれば、あの少し笑ったような面って、あれは能で使われる「翁」という面だったのではないでしょうか?
あの時咄嗟にFが機転を利かせて「何も見てない!」と答えたからいいようなものの、もしもありのままをしゃべって居たらどうなったのでしょうね?
あの、白く浮き上がったような笑顔の老人の顔は、
白い面になっていたのでしょうか?
Fには全て分かっていたのでしょうか?
私は今でも林を見ると、つい木々の隙間にあれが居ないか見回してしまいます。
木の陰からじいっとこちらを見ている白い面を思い浮かべてしまいます。
まだ、あの山の中にいるのでしょうか。
これで今回の話は終わります。私はこの後、高校を卒業するまでFに連れられ色々な不思議な体験をする事になったのですが、それはまた次の機会にでも。
乱文、長文失礼いたしました。