二話
第一章 『黙示録の魔王』
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。そうだ! 今日はご馳走を用意しておくから、楽しみにしててね」
「結果がどうなるか解らないのに?」
「そんな事ないです。兄様は絶対に良い結果になるに決まってるもの。だって、学院の最終試験を一番早く合格したじゃない。だから絶対に大丈夫!」
必要最低限の物しか置かれていない、綺麗に整えられた居室で会話を交わすのは少年と少女だ。
朝食を終えたばかりで、木目調の机の上には空になった食器が並んでいる。
少年の名は、ルシル=ルークス。
夜を切り取ったような見事な黒髪に、白い肌。
光を灯すのは、理知を感じさせる深紫の瞳。
その姿は、美しい少女と見間違える程に美麗な形を成していた。
「順番は関係ないよ、ルミス。別に速さで結果が変わるわけじゃない」
「兄様ったら嬉しくないの? わたしはこんなに嬉しいのに」
頬を膨らまる素振りを見せる少女に、ルシルはそっと微笑みを表す。
向けられた瞳は、他の誰に示すよりも暖かいものだった。
「ルミスが喜んでくれるなら、オレも嬉しいよ」
「もう、兄様ったら!」
少女の名は、ルミス=ルークス。
闇を透かす程に艶のある黒髪は、顎下まで伸ばされている。
そこに映えるのは、乳白色のきめ細やかな素肌。
本来なら描き出されるはずの瞳の位置には、顔の上半分を覆う眼帯が巻かれている。
一輪に咲く花のような儚げな雰囲気を放つ美しい少女。
二人が持つ顔立ちや雰囲気は、どこか似ている。
それもその筈。二人は血の繋がった実の兄弟なのだから当然だと言えるだろう。
「今日は早く帰ってこれるんでしょ?」
「ああ、遅くはならない筈だ。神託の授与が済めば直ぐに帰ってこれると思うよ」
ルシルは、食器を手慣れた手つきで片付ける。
するとコツコツ、コツと玄関の扉を叩く独特な音が耳に入ってきた。
「この音は、アルムさん!」
「きっとそうだ。オレが出るよ」
顔を向け、ルミスは嬉しそうに声を上げる。
ルシルは立ち上がり、玄関まで歩を進めて扉を開いた。
「おはよう、ルシル。迎えに来たよ!」
「おはよう。というか……随分と早くないか?」
彼の名は、アルム=ロード。
短めの黄金色の髪に、如何にも健康そうな肌の色彩。
曇りない翡翠色をした大きな瞳は、意思の強さを感じさせる。
その姿は、一切汚れのない心を持った少年そのものだ。
「あははは。何ていうか、気持ちが高ぶってジッとしてられないっていうか」
「そういう所は相変わらずだな。今、朝食を終えた所なんだ。少し上がっていかないか?」
頭を掻きながら、恥ずかしそうな表情を描くアルム。
ルシルは木製の扉を大きく開け、家の中に入る事を促した。
「いいのかい?」
「構わない。それに、アルムが来てくれるとルミスも喜ぶ」
「それは良かった。じゃあ、お邪魔するよ」
アルムは感謝の言葉を述べ、兄弟が暮らす家の中に足を踏み入れる。
後に続くように、ルシルが扉をそっと閉めた。
「おはようございます、アルムさん。この度は合格おめでとうございます!」
訪ね人を真っ先に察知した時と同様、一番に声を上げたのはルミスだ。
その顔には、どこからどうみても嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「ありがとう! ルミス」
「今お茶を淹れる。そっちの椅子に掛けてくれ」
ルシルからの声を受けて、アルムは空いてる席の椅子を引き腰掛ける。
正面に座っているルミスが、どこか納得いかないような顔を向けて口を開いた。
「アルムさん、よければ試験のお話を聞かせてくださいませんか? 兄様ったら『簡単だった』って言うだけで全然お話してくれないんですよ?」
「えっ? まだ話してないのかい、ルシル」
「あ、ああ……。特に聞かせるほどの内容じゃなかったからな」
座ったまま振り向いたアルムに、ルシルはどこか言いにくそうに言葉を濁した。
けれど、そんな空気など一切読まずにアルムは大袈裟な仕草を見せる。
「嘘だろ?! 何度か死にかけたって言うのに?!」
「よせ! アルム、その話はーー」
「兄様……?」
「クッ!」
ルミスから疑問符を投げかけられ、ルシルは顔を顰めながらも口を噤んでしまう。
実の妹に、詳しく内容を話さなかった理由は幾つかある。
一つは特筆すべき点がありすぎて、とても言えないという事情。
もう一つは、たった一人。それも目の見えない実の妹に心配を掛けまいとしての判断だった。
「聞いてよ、ルミス。最終試験は怪物の討伐だったんだけどね。ルシルが狙ったのは大物も大物。あのキマイラだよ! 信じられる?」
「キマイラ?! それって合成獣の異名を持つ、あのキマイラですか?!」
ルミスは話を聞いて心底驚いたのか、両手で口を覆った。
一般的な常識からすれば、当たり前の反応といえるものだ。
<合成獣=キマイラ>の討伐。本来ならとてもじゃないが、一般人の手に負えるものではない。
神託を示されていない者が、いくら束になった所で、おいそれと倒す事は出来ない。
それは至極当然。誰もが知る当たり前の常識として知られている事だ。
「そうそう、あのキマイラ! 実物は凄かったよ。口から火を噴くし、尻尾は噛み付いてくるし、前足パンチで木とかぶち倒すし、危うく本当に死にかけた」
「それはお前が間抜けなだけだ。実際、噂ほど大した事は無かった」
ルシルは身振り手振りを交えて、仰々しく話をするアルムに紅茶のカップを出す事で横槍を挟んだ。
牽制の意味を含めて差し出したのだが、それでも話題は変わらない。
「いやいやいや……十分危なかったってば。君一人だったら絶対死んでたよ。ペロリと食べられちゃってた。きっとあまり美味しくはないだろうけど」
「バカを言うな。オレ一人でも十分だった。それに最後の一言は意味がわからない」
「へー。そこまで言うんだったら証明してもらおうか。ボクはルシルが食べられる方に賭けるけどね」
どこか意地悪げな笑みを浮かべるアルム。
ルシルは軽く嘆息するだけで、それ以上答えはしなかった。
「フフフフ。本当にお二人は仲良しですね。でも、兄様……?」
「どうしたんだい? ルミス」
「無茶はしないって約束しましたよね……?」
瞳は隠されているにも関わらず、ルミスは実の兄の顔をじっと見据えた。
静かな声色には、誰にでも容易に汲み取れる懇願を含んだ意思がはっきりと感じ取れる。
「無茶じゃない。戦略的観点からの合理的な判断だ。オレは無謀な行動は取らない。だから、今回の討伐も全て計算した上での完璧な作戦……だから、その……」
「まあ、危なかったのは事実だけど大怪我をしたわけじゃないしね」
妹の懸念を何とか払おうとしているのを察したのか、アルムが会話に割って入る。
ルシルが目を向けると、その顔には先ほどの意地の悪さは浮かんでいなかった。
「……だろ? 誤算はアルムが着地に失敗して、強く頭を打った事くらいだ」
「アルムさんが着地に失敗ですか??」
「あぁ! その話はしない流れだろ?! 忘れてくれ!!」
ルシル、ルミス、アルム。三人のお茶会は笑いに包まれる。
それは、さして特別な事ではない。
どこにでも存在する、ささやかで幸福な日常の光景だった。
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