088 悪意と正義
アルストロメリアの一区画。中央に巨大な結晶が安置されたその場所には10人以上の魔術師が地に伏していた。
唯一立っているのはそれを満足げな顔で眺める女性と不満げな顔の男性が一人だけだった。
「ふふっ、これで私の役目もようやく終わりね」
「おいっ! 約束は守ったんだ。そっちも忘れてねぇだろうな!」
「えぇ、もちろんよ。それじゃあ、やることやりましょうか」
女性が振り返ると、その場所に向かって近づく足音が響く。
「なんだこれは!?」
「お前たち、ここで一体何をした!?」
騒ぎを聞いて駆け付けた兵士たちが場の状況を見てその原因であろう女性と男性に剣を突き付け言及する。だが、それを鬱陶しそうに男が睨み、スキルを発動させた。
「うっせぇよ! お前らはそこで勝手に殺し合ってろ!」
「なっ!」
「ぐぁ!」
その言葉を受けた瞬間、兵士たちは互いに互いを刺し貫きその場に崩れ落ちた。その原因は男性が持つ固有スキル【誘惑】によるものだ。そう、そこにいた男性はランクA+の冒険者、レイル・アーガイックだった。
サクラに不意を突かれ倒された後に投獄されていたが、目の前の女性の力を借りて脱獄に成功していた。普段女性にしか力を発動させていなかった為広くは知られていなかったが、レイルが持つ固有スキル【誘惑】は女性だけでなく男性にも適用された。
「あぁ、先ほどまで仲間だった者と殺し合う。あいかわらず素敵な力ね。私の力じゃこうはいかないもの」
うっとりとした表情で互いに刺し違えた兵士を眺める女性。彼女が持つ固有スキルはレイルの劣化版と言えるものだった。故に嫉妬の気持ちがその思いには込められていたが、レイルがそれに気づくことはない。
「うるせぇ! なんで俺が男なんかに力を使わなきゃなんねぇんだ! それに、こんな力も効かなきゃ意味がねぇ……意味がねぇんだよ! わかったら、さっさと力を寄越しやがれ!」
自身の顔に刻まれた傷跡を押さえレイルが叫ぶ。
「まったく。興が削がれるわね。わかったわよ。また私に使われる前に済ませるとするわ」
女性は中央にある結晶へと手を伸ばす。そして自身の魔力を注ぎ込み、力の放出を自分が望む方向へと書き換えていく。その結晶はアルトフェリア王国の首都アルストロメリア全体を包む守護結界を形成する7つある守護聖石の一つだった。
力の発動時、女性の背には小さな羽、そして頭には角が生えていた。それに気づいたレイルが呟く。
「夢魔だったのか……。道理で俺のスキルが効かねぇわけだ」
「ふふっ、まさか私が誘惑されるなんてね。貴重な経験だったわ」
仕事を終えた夢魔がその呟きに言葉を返した。
「ちっ。夢魔なら俺の力なんか必要ねぇじゃねぇか」
「そんなことないわよ。私の【魅了】が対象にできるのは一人まで、しかも男性に限られるもの。あなたほどじゃないわ。それとも……まさか私が悪魔だと知って今更怖気づいたのかしら?」
「んなわけねぇだろ!? バカにすんじゃねぇ! あの女をぶちのめせるなら悪魔にでも魂売ってやらぁ!!!」
「そう。なら案内してあげる。私の主、崇高なる魔王様の元へ……ね。ふふふ」
その空間には街の結界が砕ける音とともに夢魔の笑い声が響いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アルトフェリア王国の首都アルストロメリアへ魔王が襲撃し街の障壁が破壊される少し前、アシュリアとリスティはカドラックの領主邸を出て一旦身を落ち着けるべく宿屋を目指し馬車を進めていた。
「これからどうされるのですか?」
「……まずは情報集めです。ラウド辺境伯がここで何をしようとしているのか、それを見極めます」
「少し危険ではありませんか?」
「無理はしません。でも、情報を集めると言ってもどこがいいんでしょうか?」
「そうですね……酒場や市街、もしくは……いえ、やはり姫様が出向くような所ではありません。もうすぐ先発していた兵士たちもこちらに着く頃合いです。彼らに任せるのが一番でしょう」
元々アシュリアの固有スキル【聖罰の瞳】の力を借りるどうのの話以前に事態を重く見ていたアルトフェリア国王は応援の兵士をライアミッツへと送り込んでいた。
数週間前には国を出ていたが、アシュリアのように転移魔術を活用したわけではない為到着はまだだった。だが、時期的にはそろそろ到着してもいい頃合い。それを受けてのリスティの提案だった。
「でも、何もしないのは……そうです! それなら、私は私にしかできないことをしましょう!」
グッと力拳を作り、いい事を思いついたと立ち上がるアシュリア。もうすぐで馬車の天井に頭をぶつけそうになるが、背が低いこともありギリギリ届いてはいなかった。だが、こういう時のアシュリアの思いつきにいい思い出がないリスティは不安げな表情を浮かべた。
「姫様にしかできないこと……とは?」
「もちろん、私の力を使っての調査です! まずは問題の森へ向かうのです!」
「……!? き、危険すぎます! 何があるかわかりません!」
「大丈夫です。遠くから【聖罰の瞳】で探りを入れるだけで、何も森に入るというわけではありません」
「ですが……」
「お願いですリスティ……。私にはただ待っていることなんてできません! 少しでも何かしていないと……私は……」
じっと見て懇願してくるアシュリアの瞳に気圧されるリスティ。このまま放っておけば勝手に飛び出していってしまいそうなアシュリアを見て降参と両手を上げた。
「はぁ、わかりました」
「本当ですか!」
「ですが……! 森を遠くから眺めるだけで中へは入りません。これだけは約束いただけますか?」
「もちろんです! お父様にも無理しないように言われてるので大丈夫です!」
リスティは本当に大丈夫かという不安とともに御者へと行先の変更を伝える。そしてさらに30分程度馬車に揺られた後、件の森を一瞥できる丘へとやってきていた。
だが、その道中から、正確には森へ近づくにつれ異変を感じ取っていた。
「これは……」
「そんな……!」
遠くの丘でさえ感じる異様な気配。それは森全体を包み込むように発生していた。それはまるで森全体が悪意を以てこちらを呑み込もうとその機会を窺っているようだった。
そして極めつけは……
「どうしてもう魔物が森から溢れているのですか!? 増えるだけで一度も出てきていなかったんじゃ!」
「姫様!」
「……っ!」
リスティの叫び声にアシュリアはその意図に気付きすぐさま行動に移す。元より森から溢れた魔物の対処はアシュリアへ与えられた仕事そのものだったのだから。
森の周辺では溢れた魔物の集団を相手にカドラックに集結していたライアミッツの騎士団“曇烏”が戦闘を開始していた。だが、混戦極まる戦闘状況に有利とはとても言えない状態だった。
既に負傷者も出ている。アシュリアは眼下に森から溢れる魔物を捉え、スキルを発動させる。
「我が瞳に宿りし天秤の器よ! 悪に染まりし魂に浄化の光を!」
天に手を掲げたアシュリアの手のひらに光が集束する。その光は徐々に輝きを増し、辺りを照らす。そして一段と輝きが強くなった時、アシュリアは手を目的の魔物へと向けて振りかざした。
「【浄化の光】!」
降り注ぐ聖光。その光に触れた魔物は苦しむように身もだえ、バタリ、バタリとその場に倒れ伏していく。
アシュリアが持つ固有スキル【聖罰の瞳】には主に3つの力が存在する。一つ目は悪意や虚実を見抜き、感知する【精霊の眼】。二つ目は悪意ある感情や行為を一定範囲内において浄化によって抑え込む【浄化の光】。そして三つ目が個体を対象とした悪意ある者に裁きを与える【断罪の手】だ。
今回アシュリアが使用したのは範囲浄化の【浄化の光】だった。浄化とはいえ、瘴気の塊である魔物はその光を浴びるだけで消滅する場合もある。少なくとも力を落とすことができるのは確実だった。
実際に数多くの魔物が倒れ、弱まった魔物もライアミッツの騎士団“曇烏”の手によって次々と倒されていく。急な事態にも臨機応変に対応できるのは流石国家に仕える騎士団と言えた。
「ふぅ、これでなんとか状況は好転しそうですね」
「ですが油断は禁物です」
「はい。わかっています」
すると、アシュリア達がいる場所に向かって馬を走らせる兵士がいた。漆黒の鎧に身を包んだ“曇烏”の兵士はアシュリアの元へと辿り着くと馬を降りて兜を脱ぎ、一礼する。
「この度はご助力感謝します。お陰でなんとか抑え込めそうです」
「いえ。ですが、魔物が氾濫したことはまだないと窺ったばかりだったのですが、これは……」
アシュリアが森の方へ視線を向けて兵士へと問いかけた。だが、兵士自体もあまり事態を把握できていないようでフルフルと首を振る。
「いえ、確かに今まで魔物が増えてはいましたが、氾濫したことはありませんでした。それが先ほど急に。それも定期探索の矢先に……です」
「定期探索ですか?」
「はい。森の状態を知る為に定期的に内部の様子を調べているのです。今までは森の中に入ってもこちらから手を出さなければ魔物は大人しいものでした。それが今回は……まだ集まってる魔物の中でも弱い部類なのが幸いでしたが、これからは油断もできなくなりました」
「弱い魔物……」
アシュリアは兵士の話を聞いて嫌な予感が頭を埋め尽くしていった。目の前の兵士からは問題は何も感じられない。だが、森から感じる気配は異質なままだった。
それに初めて溢れたのがアシュリアが訪れたこのタイミング……そして、都合よく弱い魔物が最初にあふれ出した。
それはまるで本番前の練習であるかのように――
「まさか……」
先ほどのラウド辺境伯の話。そして父である国王から事前に聞いていた話を思い出し、嫌な予感が確信へと変わっていく。
「実行したというのですか……こんなにも早く、身内の兵士にすら事情も話さずに……!」
「姫様!」
アシュリアの言葉に事情を悟ったリスティが叫ぶ。焦りが籠ったその視線の先にはさらに森からあふれ出す魔物を捉えていた。
「そんな……どうして……!?」
そして次々とあふれ出す魔物を見て困惑する。そこにいたのはイルガイムと呼ばれる聖霊種の魔物だったからだ。温厚な性格をしており、自身が脅かされない限り人や動物を襲うことはない。食事も大気に満ちる魔力を吸収し、精霊や妖精と静かに暮らす。
白い虎のような出で立ちの背に生えた翼。その毛皮や羽は内包する魔力を有し、抜け落ちても煌くそれらは人界では高く取引されていた。
だが、白い瘴煙を漂わせる美しき温厚な魔物を害することはいらぬ災いを呼び寄せるとして禁忌とされた。それも当然、その階級はS級に分類される脅威を誇っていたからだ。しかも聖霊種は基本群れで行動しており、危害を及ぼす相手には集団で報復する。
貴重な素材の為に襲うにはあまりにもリスキーな相手だった。その為、素材として出回るのは自然に抜け落ちたもののみとなり、自然にその価値は上がっていった。
そんな魔物が目の前で次々と兵士を襲っていく。それはアシュリアにとって信じられない光景だった。
「イルガイムに手を出したのですか!? なんて馬鹿なことを……!」
「まさか! 我々にも魔物に手を出すことは禁じられています! あくまで様子を探るのみ。それにイルガイム自体は随分と前から観測されていました。それが何故今になって……!」
アシュリアの言葉に兵士が反論する。だが、実際に起きている事態に仮にそうだとしても何故今と疑問を口にした。
だが、これ以上見ていることができないリスティは兵士の言葉に答えることはせず、ある交渉を告げた。
「すみません。馬をお借りできますか? このままでは彼らが危険です」
「は、はい! 少々気性が荒いですので気を付けてください」
そう言って兵士は馬の手綱をリスティへと明け渡す。
「姫様」
「は、はい」
軽やかに馬へと跨ったリスティはそのままアシュリアへと手を伸ばす。アシュリアもその手を掴むと慣れない手つきながらもリスティの前へと跨った。
「すみません。彼らの事を頼みます!」
「リスティ!」
「はい。しっかりとつかまっていてください!」
兵士へは言葉を返さず森に向けて馬を走らせる。これが罠、もしくはラウド辺境伯の思惑通りなのだとしても、無実な騎士たちを見殺しにはできなかった。
アシュリアは暴れるイルガイムへ向けてスキルを発動すべく力を整える。そして発動させようと手を掲げた所で信じられない光景が再び目に飛び込んで来た。
目の前でイルガイムに攻撃を仕掛けようとした騎士団の一人が血を流し倒れたのだ。だが、それはイルガイムの攻撃によるものではなかった。後ろにいた仲間であるはずの同じ騎士団からの攻撃だったのだ。
「何をしているのですか!? 今は仲間割れをしている時では……!」
「姫様、危険です!」
叫ぶアシュリアに危険人物へと近づくことをためらうリスティは馬を止めた。だが、漆黒の鎧に身を包んだ男はその光景を見られてもなんら動揺することなく、魔物を風の魔術で吹き飛ばすと律儀に一礼してなんでもなく答える。
「これはこれはアシュリア王女。この度はご助力感謝します。魔物たちは私たちが押さえます。どうかその力、存分に振るわれますよう」
「何を……言っているのですか? 何故、そこの方を殺したのですか? あなたの仲間では……なかったのですか!?」
男は先ほど自分が殺した男を一瞥するととんでもないことを言い放った。
「いえね。彼は貴重な素材を得られるイルガイムを事もあろうに傷ものにしようとしたものですから。ありえないでしょう?」
「……っ!」
顔が見えていないのに、アシュリアはニタリとその兵士が笑ったように見えた。それと共にゾッとした嫌な気配が身体を駆け巡る。
つまりこの男は貴重な素材を得る為に仲間を殺したと、そう平然と口にしたのだ。とても国を守る騎士団の一員としての言葉とは思えなかった。
「だって勿体ないでしょう? アシュリア王女、あなたの力なら無傷で手に入れることができるのに。何故それを粗末な剣で汚さないといけないのですか? 今我々の領地は困窮状態なのです。彼は何も現状を分かっていない」
「現状をわかっていないのはあなたです……! 守るべき者を殺して手に入れたものに何の価値があるんですか!」
アシュリアの力は確かに相手に傷を与えない。魂に罰を直接下す。素材を目的といていたなら、これ以上適した力はないだろう。だが、この事態を招いたのがまるで自分の力のせいだと言われたように感じ、アシュリアは声を荒げた。
「やれやれ。アシュリア王女、あなたならわかってくれると思ったのですがね」
「その汚い口で私の名を呼ばないでください。もう聞きたくもありません。【浄化の光】」
「ぐあぁ!」
事態の原因であろう男を浄化の光を以て罰する。あれだけの悪意、【聖罰の瞳】は問題なくその効力を発揮した。死んではいない。気絶しているだけだった。だが、このまま放置すればいずれ魔物に襲われるかもしれない。それでも、アシュリアがそれ以上手を出すことはしない。
「姫様」
「リスティ、一度森の中へ入れますか? きっとそこにはこの騒ぎの原因があります。それを取り除かないことには事態は収束しません」
俯き、暗い表情のまま顔を合わせることなくリスティへと懇願するアシュリア。じっと兵士とアシュリアのやり取りを聞いていたリスティは逃れられぬ事態にやはりこうなるんですねと内心思いつつも覚悟を決めた。
「姫様……わかりました。ですが、万が一の対応は忘れないでください」
「はい」
「では。しっかりとつかまっていてくださいね」
リスティは先ほどまでよりもさらに早い速度で森へと馬を走らせた。襲ってくる魔物を巧みにかわし、時に魔術で牽制しつつ森へと向かう。
「森に入りますよ」
「はいっ!」
そう答えた瞬間アシュリアの持つスキル【警鐘】が鳴り響く。すぐさま反応するアシュリア。向かってくる羽をスキル【いなし風】でかわし魔術を放つ。
「我望むは氷結の庭。踏み荒らす者に、幻想砕く呪いを振りまけ【凍地陣】!」
「ぎゃん!」
足元をいきなり凍らされた魔物はそのまま足を滑らせ木にその身をぶつけた。
それを確認すると、アシュリアは【聖罰の瞳】の力を以てイルガイムが暴走した原因を探す。悪意が強く感じる方へリスティに伝え導く。それに連れ魔物の数も増えていくがリスティの操馬の技術の方が一枚上手だった。
見事にかわし、そして目的地へと辿り着く。だが、そこで見たものが信じられずリスティは馬の足を止めてしまった。アシュリアも呆然とそれを見つめた。
その視線の先にあったのは元はイルガイムの子供だったのだろう。だが、今は矢が幾重も突き刺さり、縄にくるまれ、樹の枝にぶら下げられていた。
血が滴りもう身動きすらしないそれを必死に降ろそうとする親であろうイルガイム。その光景にアシュリアはもうどちらが正義で、どちらが悪かわからなくなっていた。
そしてその周りには大量のイルガイムが集まっていた。鋭い爪や牙を煌かせ、アシュリアへと一斉に飛びかかった。
アシュリアにはもうイルガイムを悪と断罪する気力は残っていない。
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