すぐそこにある異世界
気が付くと俺は夜空を見ていた。
満天の星は、祖父母の住む田舎で見るものより輝いて見える。
「こんな場所あるはずない」
その現実感のなさに、思わず呟いていた。
結構な都会に住んでいる現在、こんな空の見える場所なんかあるはずはなかった。
自分の声を聞いて、夢ではないようだと思い、頭をはっきりさせようと何度か瞬きをする。
背にはひんやりとした感触があった。
土臭い地面に、手の平には柔らかな草の感触。
それで仰向けに寝転んでいることに気付く。
「なんたら流星群とか?」
そんなものを見に来て寝入ってしまったのかと思ったのだ。
だけど星を見に出てきたなんて記憶はない。
あまりのことに飛び起きて、落ち着き無く辺りを見回す。
まるで朝五時だと思って起きたら夜五時だったみたいな仰天気分だ。
そうだ確か、自宅で飯食って映画見てたはずだ。
それから記憶がない。
「なんのどっきりだよ。誰か俺が寝てる間に運んできたのか?」
そんなヤツがいるなら聞こえるだろうと、辺りに話しかけた。
どっきりどころか、ここまできたら嫌がらせだ。
空に比べると足元は暗いが、木々や下草が生い茂っているのは分かる。
草の青臭さが風に乗って届いた。
何処へともなく数歩踏み出して足を止める。
「まじどこだよここ……」
見上げると満天の星をぶちまけた明るい夜空があるものの、そこだけぽっかり穴が空いたようだと気づいた。
別に井戸のような場所というわけでもない。
背の高い木々が密集してぐるりと囲んでいて、この場所だけがなぜか、人一人が横になれる程度の空間ができていた。
ご丁寧に芝生のベッドになっている。
木々の隙間は真っ黒といってもよく、ここ以外はずっと密集してそうにも思えた。
下手に動くとまずいんじゃないかと思うが、誰かが隠れているような気配もない。
とはいえ暗い木々の合間に入るのは勇気がいる。
その場をうろつきながら、こんなことしそうなやつって誰だろう、あいつかそれともこいつかと思い巡らしていた。
「おい、誰かいるのか」
それともいないのか。
不安を押し込めて、悪戯なら近くに隠れているだろうと、あちこちに声をかける。
しばらく耳を澄まして待つが、聞こえるのは柔らかな風が木々を揺らす音だけだ。
いよいよ不安になってくる。
まさか薬物で眠らされたのかとか、犯罪めいた状況が頭を過ぎった。
「嘘だろ、いやいや飲みにも行ってないし……」
自宅から連れ去られたとしたら、そっちの方が問題だ。
思わず声を潜めた。
犯罪者というより変質者か知らないが、今はたまたまどこかへ行っているのかもしれない。
単に辺りの様子を探っているのだとしたら、声を聞きつけて戻ってくる可能性もあった。
「話飛びすぎだって……それなら嫌がらせしてるやつが、笑って見てるのかもしれないだろ」
辺りのあちこちに視線を走らせながら、頭の中はなぜどうしてと考えが溢れる。
寝てる間に移動なら、途中で気が付かないはずはない。
悪意なしの悪戯で薬物なんて使うことはないだろう。
それとも俺は、そこまで人に恨まれるようなことでもしたのだろうか。
憂鬱な気分になるが、何かの事件に巻き込まれたと認めたほうがいいのかもしれない。
「どうしよう……」
薬物を混ぜられたとしたら、晩飯だろうか。
食べたのはテレビ番組と提携した新作のコンビニ弁当だったし、頻繁に寄るとはいえ同じ商品ばかり買ってるわけでもない。大抵は親の用意した晩飯を食うから買うのはおやつ類だ。あらかじめ混ぜるなんて無理だ。
無差別ならわざわざ家まで後をつけたことになるが、普通は初めに目標を定めているものだと思う。
目標を定めているなら、自宅の方で待機するだろうし、コンビニでってことはない。
それに経口の薬物って、そんなに意識がなくなるものだろうか。
手術などの経験もないから知らないが、もし麻酔みたいなものを使われたなら、全く意識がなくても可笑しくないんじゃないか。
それなら犯行の場所はどこだっていいことになる。
だとしても、一目を気にするならやっぱり自宅ってことになるが――。
「考えすぎだ」
とにかくどこかへ移動するか。
それとも日が昇るまでじっとしていた方がいいのか。
サバイバルの知識なんかないから、どうすればいいかわからない。
何度も記憶がない辺りが気になって考え直すと、ぼんやりながら記憶の断片が掘りおこされてきた。
自宅でビニ飯?
……違うな。
確か、電話があったような。
友達の一人か、誰だっけ。
細切れに浮かぶ記憶を辿る。
そうだ、学校の側にあるファミレスに集まろうってことになって、出かけた。
それから馬鹿話して、深夜には出たっけ。
ふと、裏手にある森の中に光るものを見た気がして。
俺は、入り込んだのか――?
森といっても、かなり高い木々が濃緑の葉を生い茂らせているが、一部だけ残して周囲を住宅地へと変えた名残らしい。
不自然に校内の中庭へも食い込んでいる場所だ。
なにやら祭られているとかで、無理に残してるんだったか。
虫も多そうだし、藪も密集してるしで好んで分け入るやつなんかいなかった。
あの中に入れば、多分、こんな場所なんだろう。
「……あの森なのか? だったらここは学校?」
違う。
こんな空が、見えるような場所じゃない。
封鎖されている屋上に忍び込んで空を見たこともある。
学校横にある森を除けば人工的な建築物しか見当たらないような町なんだ。
何を言ってるんだ。
俺がこんなところにいるなら、あの森の中だよ。
無駄にあれこれ考えながらも、人の気配はないかと意識は向けたままだ。
いくら見回しても、木々が規則的に葉を揺らす音だけだ。
森の中は、ここまで他の物音が聞こえないものだっただろうか。
虫や動物の立てる音もない。
それに、いくら風がゆるいからといって、同じような揺れ方ばかりだ。
木々の高さや葉の繁り方も違えば、頭上からだけでなく、下の方から聞こえてもよさそうなものだった。
不安による緊張で、辺りの全てがおどろおどろしいものに見えてくる感覚なのだろう。
気持ちを宥めようと、自分に語りかけた。
「落ち着け請う。ちょっと、神経質になりすぎだよな……っ!」
その時頭上から、一際大きな葉擦れの音が響き渡った。
身体が震えだして、思わず笑いが漏れる。
自分で思う以上に怖がってるらしい。
偶然とはいえこのタイミングで大きな音を鳴らされれば、誰だって驚く。
「ったく、B級映画みたいだ」
神経過敏になってるからそんな風に思うんだ。
自然の中に何の準備もなく、しかも夜に放り出されれば不安にもなる。
パニックに陥る前に、誰かいるなら姿を現してほしいと願い始めていた。
そう思うと、また木々が大きくざわめいた。
まるで嘲笑うかのように。
「か、風なんか、吹いてない……」
そこで限界だった。
息が切れても構わず、ただでさえ見辛い視界を汗が歪め、耳には何かが詰まったようでありながら自分の激しい鼓動だけが届いた。
木の根に躓き、幹に肘をぶつけ、細い枝葉から頭を庇いながら走り続けた。
獣がいたらとか崖があったらとか、そんな心配がどうでもよくなるほど、何かが
追い立てる。
振り向いてはいけない――そんな暇があるなら走れ!
でもすぐ背後に何者かの手が伸びていたら――いいから走るんだよ!
おかしいおかしいおかしい。
小さな森だ。
これだけ走って外に出ないなんて、ありえないんだ。
ありえないんだよ!
思えば思うほど恐怖に駆られ、振り向こうとする頭と走ろうとする体が反発してぎこちなくなってくる。
頭を納得させるため、一度だけだと思い切って振り返った。
「え……」
見ているものが信じられなかった。
今度こそ、頭も身体の言う事を聞いた。
あれだけふらついていたのに、まだこんな力が残っていたのかと思うほど、全速力で走った。
胸や腹や喉や肺や頭や目や……心の痛みも追いやった。
死に物狂いだった。
さっきまでいた空間――そこで見上げていた星空が、背後にあった。
気が付けば周囲は、密集した木々が横向きに伸びている。
今も走って逃げていると思っていた目の前には、初めに寝転がっていた芝生の地面があった。
走れば走るだけ芝生は遠のき、ぶつかりはしない。
だから構わず走り続けた。
「ひっ……はっああっ、な、なんなんだよこれ。ここ、いや……あれは、なんなんだよおおおおあぁ……っ!」
星ではなかった。
夜空に見えた、うねうねと蠢く異空間。
そこから煌めいて見えたのは、びっしりと埋まった無数の瞳だった。
夏のホラー2015企画用に、以前書いた作品を改稿したものなので元の「異世界はすぐそこに」を下げました。上書き改稿では投稿期間の日付で提出がダメらしいです。焦った。