第七話 裏切り
誰にも見つからずに街を抜け出した私は、元来た道と違う街道に沿って歩きはじめた。
夜通し歩き続けたけれど、不思議と疲れる気配はない。
女一人で歩いているのが珍しいのか時折声を掛けてくる人もいたけど、裏でどんなことを企んでいるのか怖くて返事を返さなかった。
出来るだけ遠くへ逃げなきゃ……と思って、途中で街に寄って食料を補充しながらも私は一ヶ月間ひたすら街道を歩き続けた。
そしてついに私は国境を超えて別の国へと入国を果たした。
身分証もない私は当然密入国。今までどおり力技で国境も超えた。
それから私は平和に暮らせるようなのどかな村を捜し求めて旅を続けた。
旅をしていて知ったんだけど、この国はどうやら宗教国家らしい。
法王が国王を選出して国を運営しているから実質は宗教における階級イコール権力ということになっている。
宗教の中身は細かいところは良く知らないけど、要するに良いことは全部神様のおかげだから神様に感謝しよう。悪いことは悪魔の所為だから悪魔ぶっ殺せ。っていう過激な内容だったりする。
何が悪魔かというと、殺人、略奪、強姦、姦通、虚言の五つ。
殺人、略奪、強姦は言わずもがな。
姦通っていうのは所謂浮気。これは女だけじゃなくて男がやっても死刑。
虚言っていうのは嘘を付いちゃだめってわけじゃなくて、神様を否定するようなことを言ったら死刑ってこと。
つまりこの五つのどれか一つでも犯せばこの国では死刑になる。
ある意味安全だけど、ある意味怖い国。
でもその罪から逃れる抜け道が一つだけある。
それはお布施。
教会にその罪に見合った現金をお布施することで罪を逃れるケースがあるらしい。
とは言えそれはよっぽどの大金らしいので私たち平民には関係がない。
そしてこの五つを守りさえすれば、圧倒的に安全なのがこの国という話だ。
つまり私にとっても安心ってことだよね。
殺人は自分の身が危なくなければしないし、略奪もしないし、女で強姦ってないし、男嫌いだから姦通もしないし、特に神様について拘りはないから何でも受け入れられる。
というわけで私は住みやすそうなそこそこ田舎で賊に襲われる危険性のないくらいの絶妙に大きな町を探してついに安住の地を手に入れた。
私は名をミサと改め、再び難民を装って前回手に入れたお金を元手に家を買い、毎日森の中へ薬草を摘みに行く仕事をして生計を立てた。
なぜこの仕事にしたかというとできるだけ人と関わりたくなかったからである。
人と関わっても碌なことはない。
特に男はダメ。強姦イコール死刑だからと言っても安心はできない。奴らは常に女を襲えるチャンスを伺っているのだから。
それに森は甘い木の実とか生っているので甘い物が好きな私にとっては趣味と実益を兼ねた天職だったのであった。
もちろん植物の種類を覚えるのには苦労したけど……。
そして町で暮らし始めてほどなくして近所で年の近かったアニーと仲良くなった。
彼女も甘いものが好きで、よくどこどこのお店のお菓子が美味しかったとか、どこどこに可愛い服が売ってたとか土地勘のない私にとても親切にしてくれた。
私もお返しに森で取れた木の実をおすそ分けしたら喜んでくれたし、彼女の結婚式では森で取ってきた大量の花たちを盛大に飾り付けたら、涙を流して感謝してくれた。
しかしそんな私たちの関係も彼女の結婚を境に交流が途絶えてしまう。
家が遠かったわけではない。
家事や子育てで忙しいのかなと思って彼女の好きな木の実を差し入れすると、彼女は辛そうな表情をしてもうこの家には近づかないでと言った。
理由を聞きたかったけど、彼女のその余裕のない様子を見るととても本人に聞くことなんてできなかった。
もしかして結婚生活が上手くいっていないのかと思って夜中にこっそりアニー家族の様子を探ってみたけど、幸せそうな家族の団欒が見えたので安心してしまった。
彼女が幸せならそれでいいよね。
アニーとの交流は途絶えてしまったけれど、アニーの旦那さんとはよく挨拶を交わした。というのも旦那さんの職場へ行くためには私の家の前を通る必要があるらしい。とは言え他人の旦那と話しこむわけにもいかないので本当に挨拶だけ。
その後旦那の方から話を振ってこようとしても私は切り上げてその場を後にした。
だって姦通は冤罪でも死刑になる可能性があるからね。
それにアニーと話せてないのに旦那と話すなんて変だし。
とは言えアニーの話を振られた日にはついつい話しちゃうんだけどね。
何でもつい最近二人目に女の子が産まれてアニーが溺愛してしまって上のお兄ちゃんがちょっと寂しがってるとかなんとか。
アニーは昔から娘が欲しいって言っていたから今どんな気持ちなのか手に取るように分かるよ。きっと今頃将来どんな服を着せようか夢膨らませてるところだろうね。
そしてさらに時が経ち、アニーが娘とおそろいの可愛らしい水色の服を着せて歩いているところを目にするようになった。
上の男の子ももう結構大きくなっていてわんぱく盛り。
手を焼いているアニーが凄く微笑ましい。
そして私がこの町に住みはじめて十年目。平穏な日々は唐突に終わりを告げた。
この日私はいつもどおりの朝を迎えると、突然家の扉が打ち破られて衛兵たちが家の中へと土足で踏み入ってきた。
「え、な、なんですか……」
戸惑う私を衛兵は何も言わずに棒で打ち据えた。
「きゃっ!」
棒で殴られ怯んだ隙を突かれて一瞬で捕縛される。
そこまでしてようやく衛兵は口を開いた。
「お前には姦通の容疑と魔女の容疑が掛けられている」
「か、姦通!?私は未婚です!それに魔女って!?」
一体どういうこと?そもそも私には彼氏すらいないんだから、浮気なんて出来るはずがない。もしかして浮気相手として名前が上がってるってこと?そんな…………。
「申し開きがあるならば査問会でするがいい」
そう言って衛兵たちは私を拘束したまま力づくで家から連れ出した。
そして町の中央の広場に設置されている見せしめのための処刑場まで連れられ、そこに置いてあった木の十字架にロープで磔にされた。
これはどう見ても容疑なんて言うレベルを逸脱している。完全に罪人に対する処遇だ。
しかしこの国においては何ら不思議なことじゃなかった。疑わしきは罰せよ。その徹底した姿勢が犯罪抑制に繋がっているのだから。
だから私はこれまで細心の注意を払って生きてきた。五つの罪を疑われるような行動は可能な限り避けてきたし、そもそもこれまでほとんどの人とは深く関わらずに生きてきた。
最近では他人の家にお邪魔したこともなければ自分の家に誰かを招き入れたこともない。
それに実際罪になるようなことは一切していない。この国においては。
「それではこれより審判を執り行う!」
中央の広場には大勢たちの人が集まっていた。
百人なんてものじゃない。
広場は完全に人で埋め尽くされていた。
だというのにみんな不自然なほど息を殺して黙り込んでいる。
そのあまりにも異質な沈黙の中で神父の格好をした男の声だけが響き渡っていた。
「カリスト教主国国民アニー・ブラウン。前へ」
アニー!?
アニーがどうしてここに……。
私の驚きを置き去りにして神父の前にアニーが進み出た。
「汝、アニーはこの者が魔女であるという証言に相違ないか?」
「はい、間違いありません」
「アニー!!!」
何でそんなことを言うの!?
私は魔女じゃない!何の罪も犯してない!それに私たち、友達じゃなかったの!?
「私の夫は……この魔女に呪いを掛けられたのです!」
「え……」
呪い?何を馬鹿なことを言ってるの?そんなものあるわけ……。
「じゃなきゃおかしいでしょう!あ、あの人私のことをミサって……、子供の前でも……、二人っきりのときもそう!!それ以外は何一つ変わらないのに何度言っても私のことを…………ミサって、優しい笑顔でミサって!!!」
アニーの血走った眼で私を睨みつける。
あ、あの旦那さんが……そんな…………。
「汝、ミサがアニー・ブラウンの夫カール・ブラウンへ掛けた呪いは教会の査問官により確認されている」
「し、知らない!アニーの旦那さんとは挨拶程度の会話しかしたことないし、呪いなんて使えないわ!」
「汝、ミサはカール・ブラウンへ呪いを掛け、姦通していたことは白日のものである」
「ね、ねぇ、アニー。嘘でしょう?私はそんなことしてないしそれに……私たちって友達……だよね。アニーが私にこんなことをするわけ……」
「…………友達?」
アニーが不思議そうな顔をした後、突然狂ったように自分の頭を掻き毟った。
「人間である私とあなたが友達のはずないでしょう!この化け物がッ!!!」
「ば、化け物って……」
アニーのあまりの怒気に私は言葉を失ってしまった。
アニーが私の前に来て、私の顔を乱暴に掴んだ。
「ねぇなんで普通の人間がそんなに肌が白いの?なんでそんなに綺麗な髪をしているの?なんでそんなに顔が美しいの?」
「え……そんなの……」
「…………ならなんでいつまで経っても若い頃のままなの?」
「…………」
「どうして?ねぇ?あなたが化け物だからでしょう?普通の人間が歳を取らないわけないじゃない!!!今ここで私とあなたが同い年に見える人間がいるとでも思っているの!」
頭が真っ白になった。
今まで疑問に思うことすらなかったけれど、記憶が戻ってから十年も経っているっていうのに私の外見には何の変化も見られない。
皺もない。肌のハリも変わらない。顔も全く変わっていない。若作りな体質?いや、これはそんなレベルの話じゃない。本当に何一つ変わっていないのだから。よくよく考えて見れば今まであれほどのことがあったのに私の身体には傷一つ、シミ一つ残っていない。何で私は今までそのことに疑問を持たなかった?
「化け物!ねぇ、返してよ!私のカールを返してよ!!!」
「そんな……わた……し……」
「神は悪魔を見逃すことはない。悪魔ミサをこれより火炙りの刑に処す」
教会の査問官たちが私が磔にされている十字架の足元に薪を積み重ねはじめた。
「た、助けて……いや、いやよ……私は悪魔なんかじゃない……何の罪も犯してはいません……。お願い、お願いします。何でもしますから。この町も出ていきます。アニー、お願い。私たち友達でしょう?もうあなたの前から消えるから。何でもするから。本当に私じゃないの、だから…………………………………………どうか許してください」
「火をつけろ」
「いや!助けて!誰か助けて!!!私は悪魔じゃない!!!死にたくないの!熱いのはいや!ねぇ誰か!死にたくないよ!助けて!ごほっ、熱いの!!!助けて!!!熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
やがて炎は私の身を包みこみ、呼吸もままならないまま私は死に絶えた。
絶対に許さない。お前たちこそ悪魔だ。