味気ない種
ザザッ。
古びた宇宙船のなかで、老人はマイクを握る。
「2263年8月13日。ステラライス、育成は順調。病害等の兆候はなし」
パチリとスイッチを切る音が響く。窓の外では、火星の赤い砂埃が荒々しく渦巻いていた。
明日で、俺の作業は終わる。
ふと、遠い記憶が脳裏をかすめた。30代の頃の俺は、鼻の利く投資家だった。農業関係への投資に特に熱を上げた。バイオマス燃料、静止軌道上栽培、遺伝子操作作物。成功も失敗も数えきれない。
投資とは、未来を信じるということだ。未来で笑っている自分や、世界を夢見て金を博打に投じる。農業もそれと同じだ。種を植えるという行為自体、究極の博打なのだから。
俺の一世一代の大博打、それが「ステラライス」だ。潰れかけのバイオ企業が開発した、極限環境耐性作物。
出資のリターンとして受け取ったその種は、凄まじかった。火星の薄い空気、容赦ない放射線、栄養の欠けた土壌でも根を張る。一粒から数千倍の収穫が可能という、夢の作物。
『食糧危機を救う希望』『人類の食糧革命』と持て囃されたのも束の間だった。
味が、どうしようもなく退屈だったのだ。いや、不味くはない。ただ、栄養を摂取するための「燃料」に過ぎない味がした。次第にステラライスは、辺境の火星コロニーでしか消費されなくなっていった。
だが三年目、異変が起きた。
食べた人々から、色が消えていったんだ。未来への期待も、欲望も、明日を生きようとする熱意すらも。
ステラライスは、生存に最適化されすぎていた。
感情を、夢を掴むための博打を捨て、ただ呼吸するだけの火星の人々。地球の連中は俺を「人類史上最大の農業テロリスト」と呼んだ。
それでも、俺は育てている。
「ハーベスト。明日の肥料散布はタンクAを優先しろ」
船のAIに指示を出す。前回の改良は失敗だった。だが、今回の新型は違う。
子供の頃、母が作ってくれたシチューの匂い。
恋人と歩いた波打ち際の音。
初めての投資で掴んだ、勝利の甘美な記憶。
大損をこいた時の、あの胸を焼くような苦味。
投資とは、未来を信じること。
農業とは、過去を未来へ繋ぐこと。
この赤い大地に、俺の全財産と、全人生を賭ける。
もし誰かがこの船を見つけたら、どうか食べてくれ。
そして、何かに賭けてほしい。
未来に賭けられない世界に、なんの意味がある?




